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半歩 ~守・破・離 短き刃 長き道~  作者: 止水


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第二十一話 居つくとは ー在ることとはー

本住吉流の宗家――

雪の父が亡くなってから、十日が過ぎていた。


昼休み。


澪と蓮は、学食の窓際の席で昼食をとっていた。


澪はアイスカフェオレのカップを見ながら、小さくつぶやく。


「雪、どうしてるかな……大丈夫かな……」


蓮は箸を止めることもなく答えた。


「そんなに気になるなら、学校終わったら行って来いよ」


「うん、そうする……」


そこまで言って、澪の言葉が止まった。


「……って、雪!」


学食の入口に、雪が立っていた。


制服姿。

背筋はいつも通りまっすぐだが、蓮の目から見ても、少しだけ疲れがにじんでいる。


雪は早足で近づき、澪の横に立った。


「ありがとう、澪。

お葬式どころか、道場まで手伝ってくれて」


それから蓮に深く頭を下げる。


「先輩、ありがとうございました。

 師匠とともに、来ていただいて

 しかも…」


「気にすんな」


蓮は短く答える。


「そうそう、お互い様だから。」


雪は小さく息を吐いた。


「しばらくは忙しいですけど……

もう少ししたら、落ち着くと思います」


そのときだった。


「本山先輩!!」


学食の奥から大きな声が響いた。


振り向くと、春日が走るようにこちらへ来ていた。


勢いのままテーブルの前に立つ。

雪と、真正面で向き合った。


「何故です!

どうして決勝戦に出なかったんですか!」


雪が一瞬、言葉を探す。


「……ごめんなさい。父の――」


「それは知ってます!」


春日は遮るように叫んだ。


「なぜ棄権したんですか!」


「ちょっと、春日君… 落ち着こうよ」


澪が静かに制するが、春日は止まらない。


「本山先輩は学園の筆頭でしょう!

それを棄権ですか? 決勝で!」


言葉が次々と噴き出す。


「何故戦わなかったんです!

俺は戦いたい! 戦って勝ちたい!」


学食の空気が、次第に張りつめていく。


「不戦勝なんていらないんです!

本山先輩、戦わずして負けるなんて……

本住吉流が不戦敗を認めるんですか!」


雪は、ただ静かに聞いている。


「先輩の連勝記録が終わったんですよ!

先輩の筆頭の記録も止まったんですよ!」


春日の声は震えていた。


「俺は……こんな勝ち方……」


拳が震えている。


「不戦勝の筆頭なんて、俺をバカに?

 お返しします!

 俺はあなたと戦い勝つ、倒して勝ちたかった!」


テーブルの上の空気が凍りついた。


澪は何も言わず、

左手に持ったアイスカフェオレのカップを静かに見ている。


しばらくの沈黙のあと――


雪が、絞り出すように言った。


「……ごめんなさい」


春日の眉が吊り上がる。


「え?、それで済ますんですか?

本山先輩にとって勝負って、剣って、その程度なんですか!」


雪はゆっくり首を振った。


「勝負の大切さは知っています。

剣の大切さも知っています」


少しだけ視線を落とす。


「でも、あの時……」


言葉を選ぶように続けた。


「私は、勝者でいたいわけでも

筆頭に居続けたいわけでもなかったの」


「はぁ?」


春日が眉をひそめる。


「どういう意味ですか」


雪は静かに言った。


「私は……

筆頭でいるよりも」


一瞬だけ、声が震えた。


「父の娘で、ありたかったの」


春日の口が止まる。


「……意味、わかりません」


だが、その瞬間――


胸の奥で、何かが引っかかった。


(どこに居るかじゃない)


亡き父の声がよみがえる。


(どう在るかだ)


春日の身体が固まった。



「……おい、一年」


低い声が割り込む。


蓮だった。


「言葉が過ぎるぞ」


春日は反射的に睨み返す。


「何ですか、先輩。

本山先輩と話してるんです」


学食が静まり返る。


蓮はゆっくり言った。


「雪が、自分から負けを選んだと思うのか?」


春日は黙る。


「勝ちに拘ってるお前が、

わからないはずないだろ」


蓮の目は鋭かった。


「雪は筆頭という場所に拘ってない。

どこに居るか…じゃない!」


そして言う。


「これは、剣士として、

 人として――どう在るかの問題だ」


春日の胸が強く鳴る。


…父の声。


(居つくな)


(居つくと濁る)


春日は、うつむいた。


目の前の雪を見る。


その表情には、

申し訳なさと――


悲しさと、寂しさが同時にあった。


「あ……」


違う。


違うんだ。



春日は深く頭を下げた。


「すみません。本山先輩」


声が震える。


「言いすぎました」


澪がこちらを見る。


「……誠意、足りない」


春日の喉が詰まる。


言葉が見つからない。 半歩 無意識に下がる


逃げるようにその場を離れようとする。


そのとき――


「それ、逃げてるよね」


澪の声だった。


春日は立ち止まり、振り返る。


「……大変申し訳ありませんでした」


深く頭を下げる。


「お父上が亡くなられたのに……

失礼なことを言いました」


澪がゆっくり立ち上がった。


春日の前に歩み寄る。


「まぁ、今日は……」


柔らかく笑う。


「これで」


右手を差し出す。


春日は安堵した。


(助かった……)


澪先輩が場を収めてくれる。


春日はその手を握った。


「春日君」


「はい」


その瞬間。


澪は左手に持っていた

アイスカフェオレのカップごと


春日の右頬をぶん殴った。


バガァン!!!


プラカップが破裂する。


カフェオレが四散した。


学食に爆音が響く。


春日の顔面がカフェオレまみれになる。


そのまま澪は握っていた右手を引き――


躊躇なく小手投げ。


ガシャーン!!


テーブルごと春日が吹き飛んだ。


床に転がる春日。


髪も顔も制服も、カフェオレまみれ。


学食は完全に沈黙していた。


春日は呆然と座り込む。


何が起きたのか理解できない。


澪が怒鳴った。


「今すぐトイレ行って顔洗え!」


学食に響き渡る声。


「出直して来い!」


「はい!!」


春日は反射的に返事をした。


そして全力でトイレへ走っていった。


静まり返った学食。


蓮がぽつりと言う。


「……おい、澪」


力が抜けた顔だった。


雪は呆然としている。


澪は椅子を戻しながら、床に転がっているプラカップを拾う。


「うん」


軽く肩をすくめる。


「ちょっと誠意、足りなかったから」


蓮が苦笑する。


「……お前の誠意、だいぶ重いな」


その言葉に、雪がふっと笑った。


ほんの少しだけ。


張りつめていた空気が、静かにほどけていく。


学食の外では、

昼の光が変わらず降り注いでいた。



そして――


数分後。


顔をびしょ濡れにした春日が、再び学食の入口に立っていた。


髪も制服の襟も濡れている。

急いで水をかけたのだろう。


先ほどまでの勢いはない。


息を整えながら、ゆっくり歩いてくる。


まだざわめきの戻らない学食の中を。


春日はテーブルの前で止まり、深く頭を下げた。


「本山先輩」


声は、先ほどよりずっと静かだった。


「先ほどは……本当に申し訳ありませんでした」


続ける。


「お父上を亡くされたばかりなのに、

自分のことしか考えない言葉…」


もう一度、深く頭を下げる。


「すみませんでした」


澪は腕を組んだまま見ている。


「鷹宮先輩 お言葉ありがとうございました」


「そして、失礼な態度 申し訳ありませんでした」


蓮は椅子の背にもたれたまま無言。


やがて雪が口を開いた。


「……顔、痛くない?」


春日は一瞬、言葉を失う。


思わず頬に触れる。


まだ少しヒリヒリしている。


「……大丈夫です」


雪は小さく頷いた。


「それなら良かった」


少しだけ沈黙が落ちる。


やがて雪が言った。


「春日君」


「はい」


「あなたが怒った理由、わかるよ」


春日は顔を上げる。


「私が出なかった決勝を、

本気で戦うつもりだったんでしょう?」


「……はい」


「それを奪われたと思った?」


春日は少し迷い、それでも答えた。


「……思いました」


雪は怒らなかった。


ただ静かに言った。


「それなら、怒って当然」


春日は目を見開く。


澪が鼻で笑う。


「まぁ、言い方は最悪だったけどね」


蓮も言う。


「最初の一割くらいは筋通ってたな」


雪は続けた。


「でもね、春日君」


まっすぐに見る。


「あなたが怒ったのは、

勝負が大事だからでしょう?」


「……はい」


「それは、私も同じ」


春日の目が揺れる。


「剣が大事だから、

決勝に出なかった」


静かに言う。


「父の最後の日に、

筆頭を守るための試合は出来なかった」


言い訳ではない。


ただの事実だった。


「私は、あの日は」


少し目を伏せる。


「宗家の娘ではなく、父の娘でいたかった」


春日は黙る。


雪は言った。


「でも」


少しだけ微笑む。


「次は逃げないよ」


春日の目が上がる。


「もし次に当たるなら」


「ちゃんと戦う」



「……はい」


小さく、しかしはっきり答える。


蓮が言う。


「まぁ、その前に」


「澪にもう一回謝っとけ」


春日は振り向き、頭を下げた。


「……澪先輩、すみませんでした」


澪は少し黙り、言った。


「まぁいいよ」


そして指を一本立てる。


「でも覚えときな」


「雪を泣かせたら、次はカフェオレまみれ じゃ済まないから」


一瞬の沈黙。


蓮が吹き出す。


「お前、さっき泣かせてないだろ」


澪は即答した。


「可能性の話」


雪が思わず笑った。


その笑顔を見て、春日は初めて肩の力を抜いた。


学食のざわめきが、ゆっくり戻り始める。


春日はもう一度、雪を見た。


「本山先輩」


「なに?」


「……勝負。

いつか、ちゃんとやりましょう」


雪は静かに頷いた。


その約束は、

言葉よりもずっと重いものだった。


筆頭の剣士と、

それに挑む者の――


静かな約束だった。





澪が自分の左手を見て、ぽつりと言った。


「アイスカフェオレ。トールサイズ」


「はい!」


春日は反射的に立ち上がり、

カフェカウンターへ全力で走っていった。

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