28 心臓に悪すぎるサンドイッチ
ついに実力テスト対決が、いろいろ有耶無耶のままに始まってしまいました。
いつもならば教師が来るまでざわついている教室内だが、実力テストの日はかなり静かだ。みんな、教科書やノートを確認するのに忙しない。
そんな中、上位に行くほどおさらいなどという行為をしなくなるのは少し不思議だ。けれど私も必要かと聞かれれば、今更ギリギリに教科書を見たところで意味がないと思うタイプだった。
なので筆記用具のみ出たシンプルな机の上に指を組んで置き、テスト開始の時を待っていたのだけれど。
「エギン。ここの問いはこれで合っていると思うか?」
「ええ、完璧な解答だと」
「そうか。助かったよ」
「いつでも聞いてくれ」
ねぇねぇねぇ! なんで私を間に挟んで会話しているんですかね!!
おさらいなど今更必要なさそうな殿下が振り返り、私を挟んで後ろの席に座るエーギンハルトに質問をしている異常ぶり。
他のクラスメイトは気にせず勉強しているように見せかけて、意識は確実にこちらへ向いている。困惑と驚愕の意識が教室の中には漂っていた。
殿下はね、絶対に合っているか確認する必要なんてないと思うんですよ。
たぶんこれはわざとだ。先週有耶無耶になった会話を思い出させるため。そう、私に念押ししているのだ。成績対決のことを忘れるなと。
はぁぁ……心臓が痛い。ついでに視線も痛い。
この教室の中でこの異常振りを気にしていないのは突っ伏して寝ているシーヴェルトと、ぼんやり空虚を見ているリーナくらいだ。
ヴィンツェンツは私の後ろの後ろの席なので詳細が分からないが、なんだか睨まれているような気がする。頭になにか突き刺すような視線が……エーギンハルトか、ヴィンツェンツか、いや両方か?
奇しくもまた隣の席であるフィリーネは、面白がっているような視線を送ってくる。後で詳細を聞かせなさいよと言外に聞こえてきて、頭まで痛くなってきた。
ああ、これじゃ成績対決以前に、殿下からのご寵愛を受けているなどと誤解されてしまう。そんな認識になったらクラスメイト、主にご令嬢たちから断罪されてもおかしくない。
王太子妃の座を狙う上位貴族令嬢たちに側室狙いの下位貴族令嬢たち。
フィリーネを筆頭に、全員が彼を狙っているわけではない。けれど、見目麗しく体格も成績も良い殿下に懸想している令嬢はかなり多かった。特にSクラスに入れたということは頭脳の方もなかなかということで、年令も同じだし釣り合いが取れる、なんて言われてもおかしくない立場なのだ。
うぅ、居心地が悪い……。
私は座ったまま微動だにせず、殿下と目を合わせないよう微妙に斜め上を見ている。しかし、ちらちらと艷やかな黒髪が視界に入ってきて落ち着かない。
ていうか、ねぇ、いくらなんでも顔が近くないですか! 机は結構大きいと思うのだけれど!?
でも、怖くて視線を動かせなかった……。
カチコチに固まっている私の耳に、生暖かい風が……うう、これは殿下の吐息……まさか……いや違うわ! 今のはそよ風よきっと! 窓開いてないけど!!
ほどなくして鐘の音が鳴ったとき、私は心底助かった! と思った。教師が入ってくる頃には殿下はもう前を向いていたし、私はばくばくとうるさい心臓をどうにか落ち着かせていた。
あぁ、これでようやくテストに集中できる……。
「――5月の実力テストを開始する」
そんな声と共にテスト用紙が配られた。
午前中は理系のテストで、いきなり数学。計算もあるし記述も多いので、ガリガリとペンを走らせる音でいっぱいになる。
私もクラスメイトと同じようにテストに集中した。だが、内容はさほど難しくないのであっという間に完成してしまう。ふう、と息を吐くが、室内ではまだ必死にペンを走らせる音に満ちていた。
いろいろ考えた結果、実力はきちんと出すことに決めた。手を抜くとどうなるか分からなくて恐ろしいし、やっぱり悪いと思うから。それで殿下に跪かれてしまっても、まぁ、すっごくやりにくいけど……私の中身は現代平民のお陰か、不敬すぎて卒倒する! 切腹しかない! みたいな感覚は他の令嬢よりは少ない気がする。羞恥で死にたくはなるけれど。
それに、やっぱりクラスメイトから距離を置かれた状態なのはつらいものがある。彼ら、彼女らとはこれからの長い人生で末永く関わり合いになるかもしれないのだ。私がこの国で就職をするなら、商売相手にもなるかもしれない。アイドル文化もそのうち貴族にも浸透させたい。そうなると仲良くしておくのは急務でもある。
貴族はファンよりパトロンになりたがる人が多そうなのが課題だけど……。
そんなことをつらつらと考えながら、ぼんやりと前を向くと嫌でも目に入るのが殿下の後ろ姿。彼は背が高いので、まっすぐ前を向くと殿下の肩甲骨辺りがちょうど視界の中心。そこから項や髪もばっちりと目に入っているのだが……。
つい、項や髪の生え際なんかをじっと見てしまう。ああいう部分ってじっと見る機会がないし、殿下の首筋が美しいのは器楽の授業で堪能済み。そうなるとつい魅入ってしまうわけだ。少し日に焼けた首筋に、漆黒がちらちら……うーん、フェチティズムってやつを感じる。
っと、これはないわ。ううん……私って変態だったのかしら。
右手を動かしている殿下の髪は微かに動いている。
ぼんやり見ているとつい、指通りの良さそうな髪に触れて、指で梳いてみたいなどと考えてしまう。
まぁ、実際に触れようものなら右斜め前のシーヴェルトからナイフでも飛んできそう。こわい。
そんな彼も珍しくちゃんと体を起こして問題を問いていた。
ふと、殿下が顔を上げた。何かを思い出そうとしているのだろうか。そう思ってつい視線を向けてしまう。
――と、殿下がちらりとこちらを見た。それは一瞬、教師の方を確認した、くらいにさりげない動きで誰も気づいてはいない。
彼は顔をふと横に向け、視線だけをこちらに――。
流し目、と唇だけが動く。
呆然としている間に私はばっちりと目が合ってしまった。でも、あまりにも一瞬だったので夢か妄想かもしれないと思う。ふと我に返ると、殿下はもう前を向いていた。
な、な、なに今のっ!!
私は反射的に下を向いた。顔がじわじわ熱くなっていくのを自覚する。
殿下は私の視線に気づいて、咎めてきたのだ。だがそれは注意するというものではなく、なんだかこう、もっと甘やかな……意味深なものを感じて、私は一気に恥ずかしくなってしまった。
ううう、なんなの、この感情は……!
良く分からないものに苛まれ、私は無心になるためとっくに解き終わったはずのテスト問題をじっくり見返す作業に没頭した。
***
「それで、今日の朝のは何だったの!?」
「そんなの、私が聞きたいわ……」
購買部でテイクアウトしたサンドイッチを手に、いつもの庭園のベンチで昼食をとっていた。フィリーネは朝の出来事に興味津々で、私は疲れ切ってぐったりしながらエッグサンドをもそもそと食べていた。
あれから、絶対に殿下の方を向かないように視線をそらし続けた。
殿下も休憩時間中はさすがにこちらを向くことはなく、次のテストの準備に余念がないようだった。だが私はいつまた同じようなことが起こってしまうのかとドキドキしてしまって落ち着かず、苦しい時を過ごす羽目になった。
あれってもしかして動揺を誘う作戦だったのかしら? だったら、効果は抜群よ!
それでもテスト問題を解いているときはしっかり集中できたし、前を向けないお陰で見直しも何回もやったから、ケアレスミスはないと思うけど。
「殿下、もしかしてキャリーのことを気に入られたのかしら?」
「まさか。これまでさんざんご令嬢が近くにいらっしゃったでしょう? 今更ぽっと出の私を気にかけるなんて……」
「そんなことないわよ。彼って同い年のご友人が多いじゃない。だから、むしろ小さい頃はご令嬢とほとんど縁がない生活を送っていらっしゃったし、留学されたり、最近はご公務でお忙しいようで、個人的にご令嬢と会っている話は聞かないわ」
実は学園に入るまで私もあまり会ったことがなかった、と苦笑するフィリーネは、殿下のお目に適う容姿や頭脳、家柄を持っている。私が来るまでは女子ではトップだったのだ。
本来なら第二作目悪役令嬢のヴェロニカ・ダブロフスキー侯爵令嬢がトップなのが順当だ。だが、彼女は甘やかされて育ったらしく、勉学はあまりお得意ではないようだと聞いた。
そういえば彼女とはクラスが違うこともあって全然接点がないままだな。
まぁ、ヒロインのリーナ嬢とも大した接点はないけど……あぁ、いや『ある意味』ではがっつりあるけど……。
プロデューサーとしては、彼女のような存在は非常にありがたい。いつか話してみたいなと興味も湧き始めているが、アイドルに近い私が、ファンに近い彼女と話すのは反則かなぁとも思う。
リーナ嬢は、誰が推しなのかなぁ。
ライブ中に彼女だけ見られるわけじゃないし、それに背が低いこともあるからか、見つけられないときもあるのよね。毎回来てくれているみたいだし、何度か最前列で見かけているけど、定位置はないみたいだし……。
推しがいる女の子たちは、アイドルたちの立ち位置に近い場所に陣取るからわかりやすい。
だが、リーナは推しを様々な角度で見たいタイプなのか、単に出遅れているのか同じ場所に立たないのだ。
「キャリー?」
「あ、ごめんなさい。午後からのテストのことを考えていたわ」
「クラストップも狙えるあなたが?」
「……だからこそ、よ」
誤魔化すようにサンドイッチをかじれば、フィリーネは胡乱げな瞳を向けてくる。だが追求するつもりはないのか、ふっと視線を庭園の方へ向けた。私は口の中だけでほっと息を吐く。
う、私の誤魔化しなんて上位貴族の鋭い目にはあっという間に見抜かれてしまうわ……。
「それにしても、キャリーがトップになったら大騒ぎでしょうね」
「ないわよ、殿下がきっちり守られるでしょう」
「どうかしら? だって殿下、1年もミュールズにいたのよ? あちらじゃこの国ほど勉強もはかどらないんじゃないかしら。レベルも劣っているでしょうし」
「あぁ……」
殿下が図書館に良くいたのは、もしかしてあそこで勉強していたのかな。
キャロラインの記憶にはない殿下の様子。それを私は知っているけど、乙女ゲーム上では台詞が決まっていて、何をやっていたかなんて教えてもらえなかった。
ただ優しく語りかけてくれて、笑顔を見せてくれた。そういえば星の話をしてくれるんだったわね、あのシナリオは。午前中最後のテストは天文学で、この国で習ったことなのかなと思うと不思議な気分だった。
ゲームのキャラクターのはずなのに、歩いて話している。意思がある。
笑顔にも色んな種類があることを知ったし、意地悪ななところがあることも知った。腰を折って笑う姿すら知っている。
殿下は、生きている人なのよね……。
抜けるような空。そろそろ暑くなってきて、庭園でご飯を食べるのは潮時かもしれない。そんな美しい青を見上げながら不思議だなぁ、と私は思った。
殿下とエギンサンドイッチの具にされたお嬢様でした。
エッグサンド好きです!




