23 器楽の授業中、謎のアイコンタクト
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さて、お嬢様混乱中ですが器楽の授業です。
私がヒロインなのか悪役令嬢なのかモブ令嬢なのか全く分からず、手の甲の熱さ、手のひらの温かさに頭をグラグラさせていたのは、思ったより短く1分ほどだった。
私的には一生くらい長かったけど!!
ようやく我に返った私は、先程の会話で1番意味が分からなかった部分に言及した。
「……あの、臣下に下るってどういう意味でしょうか?」
「文字通りの意味ですよ、キャロル嬢。貴女が女王となった暁には、私自らクラスでの憂慮は全て取り除きましょう。そして貴女が臨むなら……何だって叶えてさしあげますよ」
ちゅって音がした! もう1回キスされた!!
頭が真っ白になったり真っ黒になりそうだったりと混乱しすぎて辛い。あまりにもとんでもない展開。この国で五本の指に数えられるくらい上位である人から跪かれるだけでも信じられないのに、その上この言葉。夢かな? まばたきをするけど御尊顔が消えてくれないので現実のようだ……。
すぐにお断りします! って言ったんだけど。
その前に午後1発目の授業が終わってしまったらしく、演習場で剣の稽古をしていた男子たちがこちらにやってくる気配が遠く聞こえてきた。そのせいで、回廊での後ろ暗い会話は有耶無耶のまま中断されてしまったのだ。
…………。
あ~……まずい、まずいわ……。
どうにか殿下ともう一度話して、いろいろ撤回してもらわないといけない……。
だがどうやってお目通り願えば良いのだろう。クラスメイトだからって、気軽に話しかけたりしたら袋叩きだよね? 乙女ゲームで良くあるし、そもそも貴族的常識が脳内でアラートを鳴らしている。
午後の2限目、午前から数えると5限目に当たる。本日の一番最後かつ、他の時限よりも倍の時間を使う次の授業は、器楽だ。
ちなみに他の曜日では男子では鍛錬や乗馬、女子なら刺繍や調理の授業などが配置されている。つまり重要かつ、準備などで時間を使うような授業が宛てがわれているのだ。
私は殿下とエーギンハルトから逃げるように、咎められない程度小走りで教室に戻った。すでに移動教室が始まっていて半分ほどの室内。さっと入った私は、そそくさと筆記用具やノートを用意した。そして足早に教室を去る。
階段から彼らが上がってくる様子はない。ギリギリで彼らとは二度目の遭遇をしなくて済んだようだ。
友人、フィリーネは器楽の教室で席を取っていてくれた。中程で窓際というなかなかの席。
器楽の授業は個人での練習時間か前に出て発表、というのが主だから、まぁどの席でもあまり変わらないのだけど。
特別教室での座席は教師からの指示がない限り、大学のようにその都度自由席だ。心配そうな顔をして手招きしているフィリーネの隣に行けば、授業をサボってしまったことを問いかけられるのは確実。
だが、それでも他のクラスメイトの近くに行ったところで無言で居辛いだけだからそこへ向かう。
「キャリー、どうしたの? 気分でも悪かった?」
「えぇと……」
瞬間、ざわっと教室の中が沸き立った。
「あ、殿下……」
フィリーネの声に、背中がびしっと固まる。私は扉を背にしているから見えないが、そこには殿下とエーギンハルトがいるのだろう。
とにかく冷静に……を心がけて移動し、フィリーネの隣に座る。窓際の方を開けといてもらえて良かった。私の隣はフィリーネだけだ。
そして辺りの席も、いい場所だからかすでに埋まっている。
ちらりと目だけ動かして見てみれば、中央列の後ろの方にエーギンハルトが案内したようだった。
その瞬間、教室中の視線がそっちを向いたので、なんだかそらしている方が目立ちそうで私もそっちを向く。
すぐに、攻略対象である青髪の眼鏡ヴィンツェンツと、緑髪のチャラ男シーヴェルトが近づいた。
「さっきの授業から戻ってくる予定じゃなかったのか? エギン」
「ああ、学長に呼ばれてな」
「全く、殿下が学生だと分かっていないんじゃないか、学長は……」
神経質そうに眼鏡の奥の瞳をすがませながら怒りを孕んだ声を上げるのはヴィンツェンツ。シーヴェルトはすでに突っ伏してまどろんでいる。
しかし、息を吐くように嘘をつく男、エーギンハルトよ。
感情の読めない笑顔に身震いする。
他の貴族子息は遠巻きに見つつも、さすがに声をかけに行く度胸はないようだった。令嬢は言わずもがな。
ていうかあの輪に入っていけるのって、あのメンツ全員と幼馴染か、姉妹とかで呼ばれたとかじゃないと不可能だと思う。それくらい身分も高ければ容姿も整っていて、とにかくキラキラしい。眩しすぎてあそこに行ったら目が灼かれると思います。
殿下以下、4名の攻略対象たち。あの辺は会話の感じだと日常的に会っていそうな感じね。久しぶり、などの会話が全くなされていない。
執務を手伝ったりしているのかしら? それとも男同士、訓練で剣でも交えているのか。
あ、そういえばヒロインは誰をうっとり見ているのかな。
彼女が攻略対象を決めることによって、悪役令嬢役かもしれない私にもなにかが及ぶ可能性はなくもない。
しかし私が悪役令嬢役なのかは全く分からない。むしろヒロイン役になぜかなっている可能性すら浮かんでいるのだから。だから彼女を見ても意味はないかもしれないけど……。
うーんと、リーナ嬢は……ええと、あ、いた。相変わらずのステルス能力……。
彼女はヒロインらしく顔立ちは上の中って感じでクラスの5番以内に入りそうなくらいには容姿が整っているんだけど、いかんせんオーラというものがない。
明るく天真爛漫でないし、涼やかで凛としていない。ヒロインが持つ一目置かれる謎の資質のようなものを、彼女は意図して隠しているのか……私には、全く平々凡々なモブにしか見えないのだ。
何のためかは全く分からない。もしかしたら彼女も私のようにこの世界が乙女ゲームのようだと、知っているのかもしれない。
でもできるだけ乙女ゲームのキャラには接触したくない私は、これまでの一月で、後ろの席であるにもかかわらず彼女とは個人的な会話を全くしたことがなかった。だが彼女は前世が知れるような迂闊な独り言などは一度も発していないし、普段の生活も全く普通。
正直、ごく普通の善良なご令嬢にしか見えないのよね……。
そんな彼女は、うっとりと殿下を見つめる男爵令嬢のグループの中、唯一上の空だった。確かに殿下グループに視線を向けているのだが、その視点は全くどこにも合っていない。あの攻略対象揃いに視線を向けているというのに、熱は全く篭っていなかった。
どこか、夢を見ているような黒っぽい色の瞳。
その瞳を私はここではないどこか別の場所でも見たような気がしたが、どこだったかは全く思い出せなかった。
***
はぁぁ~~転生して良かった~~!
感嘆のため息を吐きながら思う。授業中にそんなことをして大丈夫かと聞かれそうだが、全く問題ない。教室中がそんなため息で溢れているからだ。
――器楽の授業が始まって、ようやくクラスメイトは全員前を向いた。
鐘の音と共に教師がやってきて、殿下に目を向けた。話は通っていたのか、彼を迎えるような言葉はなかった。本来ならひとつ前の授業で予定されていたかもしれないが、その本人がいなかったのだから、真相は闇の中だ。
器楽の教師は古き良き女官長と言った感じの、ややふくよかで孫でもいそうなくらいの年齢の厳しい女性。ミスには怒らないが怠慢には厳しく叱責するタイプで、授業中の学生の空気はいつもぴりっとしている。
この国では貴族の社交の道具としても、庶民の成り上がりの道具としても非常に大切な楽器。貴族は幼い頃からレッスンに励んでいるし、庶民も才能あるものはできる限り練習に身を費やす。
だからこの国で楽器を一つも扱えないという人間は存在しないだろう。
本当に、楽器音痴のままだったら社会的に死んでた……。
前世の私は音大でも一目置かれるくらいには実力があった。音楽一族である親族からも、それなりの評価を得ていた。だが、是が非でもプロにと請われるほどの実力ではなかった。
もちろんプロになれないことはないが、海外の、いわゆる業界の一線で活躍するのは不可能だっただろう。
ただ、それは現代日本での話。
中世ヨーロッパな雰囲気の乙女ゲームの世界の中では、私の実力はかなり上の方だ。技術力もそうだが、表現力という一面では他の追従を許さない。
そんな私ですら感嘆のため息を吐いてしまうのだから、全く罪深い人だと言わざるを得ない。
ヴァイオリンを奏でる王太子殿下。
これを見られる学園生、めちゃくちゃお得じゃない!? このためだけに学園に入学してSクラスに所属するまであります。最高にカッコ良い……。
漆黒のブレザーに白と藍色の斜めストライプのタイ。同じ漆黒のスラックス。そんなカッチリフォーマル寄りの制服に隠したがっしりとした肩や胸板。首をそっとヴァイオリンに沿わせることによって浮かぶ首筋の美しさ。
飴色の髪の乙女に寄り添うがごとく……ああ、そんな乙女に私はなりたい。
「大変よろしいですわ、殿下。練習は怠っていないようですね」
「一年振りで腕が落ちたとモニカ先生に言われないよう、しっかりレッスンに励んでいましたよ」
拍手とともに教師からの賛辞を得て、殿下は美しい笑顔を浮かべていた。
完全無欠の王子様。楽器までおできになるとはさすがです。いやまぁ、この国で万が一にも王太子殿下が楽器下手とかありえないだろうし、相当練習はされてきたのだろうけど。
でも、殿下の出す音は好きだなと思った。柔らかくも芯が通っていて、美しく重厚で、ブレがない。
彼の、本質そのものの音がする。
出す音までストライクゾーンとか、一体私の推しはどれだけなんでしょうかね。
「さて、次は殿下ともうお一方でヴァイオリンの二重奏を披露していただきましょうか。どなたか、立候補はありますか?」
あの美しい演奏を披露した美しいお顔の方と、同じ楽器を横並びで同時に披露するなんて音楽と容姿の実力がハッキリと分かってしまう。知ってたけど、あの教師はドS確定だわ……。
案の定、みんな視線で牽制し合うが、誰も手を挙げることがない。
「立候補はないようですね。でしたら殿下、どなたかお選びになって」
「そうですね……」
しかし……なぜか彼がこちらを見ています。
ぱっちりと視線が合うと、殿下はゆるりと目元を緩ませられる。微笑と言うには表情が動いていないけれど、悪い感情を浮かべてはいないのが分かる。しかし一体なぜ。
アイコンタクト? いえ、多分これは……嫌な予感しかしません。
殿下がすでにお嬢様のことを大好きすぎる件について。
お嬢様は全く気づいていません。




