EP 3
「見習い女神様(18万ジャージ)が、賄い目当てで居着いた件」
特大のエビ(死蟲機)を天ぷらにして美味しくいただいた翌日のこと。
ルナ・イーツの昼の配達ピークを終えた拙者は、ポポロ村の拠点に戻り、魔導車(電動アシスト自転車)のメンテナンスをしていた。
チェーンに油を差し、サドルの汚れを拭き取る。ものを大切に扱うのも立派な『善行』であり、システムから微量ながらDP(丼ポイント)が加算されていくのだ。
「ヨシキ、お茶淹れたで。陽薬茶のホットや」
「おお、かたじけないでござるロード氏」
相棒のロード氏が、短い前足で器用に急須を持ち、湯呑みにお茶を注いでくれた。
縁側でお茶をすすりながら、ふと見上げた空はよく晴れている。平和だ。前世のブラック牛丼屋時代には考えられなかった、ストレスフリーなスローライフがここにはある。
――とその時。
突如、拠点の庭先に『天の光』が降り注いだ。
まるで舞台のスポットライトのように真っ直ぐな光の柱が立ち、その中から人影がふわりと舞い降りてくる。
光の粒子が晴れると、そこには頭に神々しい光輪を浮かべた、美しい少女が立っていた。
「我は天界より遣わされし女神、リリス! 辺境の人間よ、ここで起きた強大な瘴気の消失について、包み隠さず……」
ビシッと指を突きつけ、威厳たっぷりに宣言する美少女。
しかし、その言葉は最後まで続かなかった。
『ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……っ!!』
静かな庭に、轟音のような腹の虫が鳴り響いたのである。
少女はビクッと肩を震わせると、突き出していた指をそっと下ろし、顔を真っ赤にしてお腹を押さえた。
「あ、うぅ……。す、すみません、朝から何も食べてなくて……」
「…………」
拙者は急いで手元の陽薬茶を置き、彼女をまじまじと観察した。
頭に光の輪っか(おそらくLEDか何かの小道具だろう)を乗せているが、着ているのは胸元に初心者マークがデカデカと刺繍されたピンク色のジャージ。おまけに足元は、近所のコンビニに行くような健康サンダルである。
(なるほど。さては道に迷って腹を空かせた、コスプレイヤーでござるな?)
異世界にもニッチな趣味の若者はいるらしい。それにしても、あんな轟音でお腹を鳴らすとは、余程ひもじい思いをしているに違いない。
ここで彼女を助ければ、間違いなく『人助け』の善行判定が入るはずだ。
「腹が減っては戦はできぬでござるよ、コスプレイヤーの少女よ」
「えっ? こすぷれ……? あの、私は女神で――」
「まぁ座るでござる。ちょうどお昼ご飯にしようと思っていたところでござるからな」
拙者はシステムを開き、昨日の配達と今のメンテナンスで稼いだDPを惜しげもなく投入した。
「『丼マスター』発動! 来たれ、究極の飯!」
淡い光と共に縁側に現れたのは、蓋付きの立派な漆塗りのどんぶり。
パカッ、と蓋を開けた瞬間、暴力的なまでの甘辛いダシの香りと、揚げたての豚カツの匂いが周囲に弾けた。
「本日のメニューは『極上・黒豚厚切りカツ丼』でござる! さぁ、遠慮なく食うが良いでござる!」
どんぶりの中には、黄金色の衣を纏った極厚の豚カツが、トロトロの半熟卵と甘く煮込まれた玉ねぎと共に、ホカホカのご飯の上に鎮座している。
少女――リリスは、その輝くようなカツ丼を見た瞬間、目を見開き、信じられないものを見るように震え始めた。
「こ、これは……なんですか? 天界の支給品(EPA型)とは、まるで違う……。レンガのように硬い黒パンでもなく、致死量に苦い特製青汁でもなく……こんな、こんなに良い匂いのする食べ物が、下界にあるなんて……!」
彼女は差し出された箸を震える手で受け取ると、夢遊病者のようにどんぶりに顔を近づけ、分厚いカツを一口かじった。
「サクッ……ジュワァァァ……」
「……っ!?」
リリスの時が止まった。
サクサクの衣に染み込んだ甘辛い特製ダシ。噛み切った瞬間に溢れ出す、黒豚の濃厚な脂の甘み。それが半熟卵のまろやかさと絡み合い、極上のハーモニーとなって味覚を蹂躙する。
「あ……ああぁぁ……!」
ポロポロと、リリスの大きな瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼女はもはや言葉を発することすら忘れ、一心不乱にカツ丼を掻き込み始めた。
天界の地獄のような健康食(修行)に耐え続けてきた彼女の胃袋と脳髄は、ジャンクで暴力的な『カツ丼の旨味』によって完全に焼き切られてしまったのだ。
「おいひぃ……! おいひいですぅぅ! お肉が柔らかくて、味が濃くて……! 私、生きててよかったぁぁっ!」
「ふっ、食いっぷりの良い女子は嫌いじゃないでござるよ。落ち着いて食べるでござる」
泣きながらご飯を頬張る姿は、見ていて実に気持ちがいい。
その横で、相棒のロード氏も自分用のカツ丼を美味そうに平らげていた。
「姉ちゃん、ええ食いっぷりやな。ワテもヨシキの飯には胃袋掴まれとるから気持ちは分かるで。……でも、美味いから言うて、ワテの分まで取らんといてや?」
ロード氏が、どんぶりから顔を上げてリリスをジロリと一瞥した。
その瞬間だった。
カツ丼を貪っていたリリスの動きが、ピタリと、文字通り石像のように硬直した。
彼女の持つ『女神の眼(神格眼)』が、無意識に発動してしまったのだ。
目の前にいる、二本足で立つ愛嬌のあるトカゲ。その内側に隠された、絶望的なほどの魔力と神格の奔流。
時空を歪め、次元を喰らい、かつて世界を滅亡の淵へと追いやった神話の頂点存在――『始祖竜クロノ』の真なる姿が、彼女の脳内に直接叩き込まれたのである。
(ひっ……!? し、ししし、始祖竜ゥゥゥゥゥゥッ!?)
リリスの顔から一瞬にして血の気が引いた。
なぜ、歴史の闇に消えたはずの世界最悪のバケモノが、ルナ・イーツの配達バッグを背負って、呑気にカツ丼を食べているのか。
しかも、この平凡で弱弱しい人間に「ヨシキ」と名付けられ、完全に懐いているではないか。
一歩間違えれば、世界が終わる。自分が下手な動きをしてこのトカゲ(始祖竜)の機嫌を損ねれば、天界ごとブレスで蒸発させられる。
逃げ出したい。今すぐこの場から全力で飛び立ちたい。
しかし――彼女の視線は、手元のどんぶりに残った半分ほどのカツ丼に吸い寄せられた。
(でも……このカツ丼、美味しすぎる……っ! 天界に帰ったら、またあの苦い青汁とレンガパンの生活に戻るなんて、絶対に嫌だ……!)
恐怖と食欲。神としての威厳と、胃袋の幸福。
天秤は、秒で傾いた。
「あのっ! そこのお優しい人間様(ヨシキ様)!」
「ん? おかわりでござるか?」
「わ、私、お金がないんです! でも、どうしてもこのご飯がまた食べたいんです! だから……お皿洗いします! 掃除でもなんでもしますから、明日も賄いをお願いしますぅぅ!」
ピンクジャージの女神は、土下座の勢いで拙者に頭を下げた。
「おや、バイト希望でござるか。皿洗いをしてもらえれば拙者もDPが貯まるし、ウィンウィンでござるな。採用でござる!」
「ありがとうございますっ! 一生ついていきますぅ!」
こうして、我が拠点に『食い意地の張ったコスプレイヤーのバイトちゃん(神)』という、賑やかな同居人が増えたのであった。
* * *
【天界・女神ルチアナの自室(通称・コタツ部屋)】
「ぶっ!!」
コタツに入り、芋ジャージ姿で缶ビールを飲んでいた女神ルチアナ(永遠の17歳)は、空中に展開したエンジェルすまーとふぉんの画面を見て、盛大にビールを吹き出した。
『ルチアナ様ァァ! なぜ下界の辺境に始祖竜がルナ・イーツのバッグ背負ってるんですか!? でも、この人間の出すカツ丼が天界の飯より美味いんです! 私は世界を守るため(とカツ丼のため)、ここで皿洗い奴隷になります!』
画面の向こうで、涙目で皿を洗いながら通信してくる後輩女神のリリス。
その背後には、ご機嫌な様子でハーモニカを吹く平凡な青年と、それに合わせて尻尾でリズムを取る『世界最悪の厄災(始祖竜)』の姿がバッチリ映り込んでいる。
「はぁ!? リリスが始祖竜の巣で皿洗い!? ていうか、あの厄災をペットみたいに手懐けてるあの人間、何者よ……!?」
ルチアナは吸いかけていたピアニッシモ・メンソールを灰皿に叩きつけ、頭を抱えた。
「しかも、出してる飯が地球の『カツ丼』じゃない! あんなの、私だって食べたいわよ! ……いや、待てよ。始祖竜が大人しく飯食ってるなら、世界は平和ってことよね?」
管理神としての打算が、彼女の頭を高速で駆け巡る。
「……決定。あの人間のいる場所は、神々すら手を出してはならない不可侵領域とする! 絶対に怒らせるんじゃないわよ!」
こうして、良樹がまったく知らないところで、彼の住むボロアパートは『世界で最も手を出してはいけない聖域』として、天界のリストに登録されたのだった。
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