EP 14
「王の帰還、あるいは死蟲王の最期のエビフライ」
ポポロ村の境界を隔てる「ルナミス帝国式・魔導防衛フィールド」が、かつてないほど真っ赤に点滅し、不吉な警報音を鳴り響かせていた。
村の背後にそびえる天魔窟から、紫色の禍々しい霧が噴出し、村全体を飲み込もうとしている。霧の中からは、ガチガチと音を立てる無数の虫の脚と、湿り気を帯びた羽音が聞こえてくる。
「……来たな。死蟲王サルバロス。数百年前に世界を恐怖に陥れたという、あの本体が出てきおったわ」
ロード氏が配達用バッグを下ろし、初めてその瞳を黄金の竜眼へと変えた。その周囲の空間が、彼が発する魔力だけで凍りつく。
広場では、デューク竜王が愛用の竜撃剣を抜き、ラスティア魔王がブラック・ホールを手のひらに灯し、ヴァルキュリアが黄金の槍を構えていた。彼らは全員、理解していた。この霧の中にいる存在は、これまでの雑魚とは訳が違う。世界そのものを喰らい尽くす、本物の災害であることを。
だが、その殺伐とした戦場の真ん中で、私はせっせと「あるもの」を準備していた。
「皆様! 本日はお客様が多いため、広場を特設キッチンに改造しました! 本日のメニューは、天魔窟直送・死蟲王のフルコースでござるよ!」
私は、システムから召喚した巨大な『魔導・高圧蒸気釜』を広場のど真ん中に据えた。
周りの戦士たちは、唖然として私を見ている。今まさに世界が終わろうとしているのに、私は呑気に巨大なエプロンを締め、調理器具を並べているのだから。
「……良樹よ。貴様、今から何をするつもりだ?」
デュークが呆れ果てた声で問う。
「何をするって、決まっているでござるよ! 昨日の影蟲丼が美味かったのでござるから、その親玉である『死蟲王』も、きっと最高級の味わいでござる! 皆様には、この村を守るために存分に暴れていただき、その後の『収穫』と『調理』を拙者が担当する! これぞ、最強の分業制でござるよ!」
私の迷いのない言葉に、ラスティアが腹を抱えて笑った。
「あははは! いいわ、最高! あの不気味な虫の塊を、食材として調理するなんて……良樹、あなたこそが真の魔王かもしれないわね!」
その瞬間、霧を突き破って、巨大な影が現れた。
天魔窟の主、死蟲王サルバロス。その巨体は村の広場を埋め尽くし、無数の合成死蟲将軍機を従えていた。
「……我を……冷やした罪は……重いぞ……人間共よ……」
サルバロスの声は、耳を塞ぎたくなるような不快な共鳴音となって響く。
だが、デュークは鼻で笑った。
「寝起きで寝ぼけているのか? ここは貴様の餌場ではない。我らが『晩餐会』の会場だ!」
デュークの黄金のブレスが、霧を吹き飛ばす。
ラスティアのブラック・ホールが、無数の死蟲将軍機を吸い込み、圧殺する。
ヴァルキュリアの黄金の槍が、サルバロスの鎧を正確に突き刺し、中身の「海老のような身」を露出させる。
戦場はもはや戦闘ではなく、一方的な「解体作業」だった。
強者たちがサルバロスを蹂躙し、手際よく「食用」に加工していく。私は、飛んできたその極上の身を、空中で受け止めて揚げ鍋へと放り込む。
「良い! この身の締まり、最高でござる! 冷凍睡眠熟成による、驚異の旨味! これぞ、今回のスタンピードの目玉、『死蟲王のキング・エビフライ丼』でござる!」
私は山のような衣を纏わせ、魔法の油で一気に揚げていく。
広場は天国のような揚げたての香りに包まれ、絶望していた村人たちも「……あれ? なんか美味そうじゃね?」と腰を上げ始めた。
ミラース将軍は、行列の先頭に並びながら、涙を流して叫んだ。
「……おい! 早く俺の分をくれ! サルバロスが消えかかっているが、どうでもいい! 俺はあのエビフライが食いたいんだァァッ!」
ミラースの絶叫に、周囲の魔族兵士たちも同調する。
「そうだ! 暗殺なんてクソ食らえだ! エビフライ丼をくれぇ!」
死蟲軍の残党たちが、なぜか列に並び始めた。
「……はぁ、本当に狂った村だな」
サルバロスは、最後の一撃を受けながら、虚ろな目でその光景を見ていた。
自分の眷属たちが、村の行列に並び、調理されるのを心待ちにしている。
自分の体が、黄金色のフライになっていく。
……悪くはない。死ぬ間際に、これほど美味そうな匂いを嗅げるとは。
「……我の敗北……いや……これは……美味なる結末……か……」
サルバロスは、黄金色の巨大な海老天となって、鍋の中に消えた。
その直後、広場には「完成!」の合図と共に、神々しいまでの光を放つ特大どんぶりが鎮座していた。
「さぁ、出来立てでござる! 魔皇国の将軍も、勇者も、神々も、全員で食うでござるよ!」
私がどんぶりを配り歩くと、戦場だった場所は、一気に「お花見会場」のような賑わいを見せた。
死蟲王の亡骸などどこにもない。そこには、みんなの笑顔と、エビフライのサクサクという音だけがあった。
* * *
(天界のモニター室にて)
オリンは、静かにモニターを閉じた。
もう、突っ込む気力もない。
魔皇国の将軍と天使長と竜王が、仲良く肩を並べて「死蟲王の揚げたて」を食っている。
しかも、その料理を作ったのは、何のスキルも持たない(と思われている)ただの配達員。
「……ルチアナ。これ、ゴッドチューブに流したら、どうなると思う?」
「どうなるも何も、今世紀最大のヒット間違いなしね。……ああ、でも困ったわ。これじゃあ邪神デュアダロスが『俺も食いたい、刑務所から出せ』って暴れ出すかも」
ルチアナがぼそりと言うと、モニターの向こうから、封印されたはずの祠が激しく揺れ、中からデュアダロスの怒鳴り声が聞こえてきた。
「ワレェ! サルバロスの天丼だとぉ!? 俺様にも一口よこせぇぇ! でないとダンジョンの門をぶっ壊して脱獄するぞぉぉ!!」
オリンはついに、デスクの上で気絶した。
胃薬も、もはや効かない。
この世界は、もう丼を中心に回り始めているのだ。
* * *
夜が明け、村には静寂が戻っていた。
私は掃除を終え、ほっと一息つく。
ミラースとゼロスが、仲良く庭の掃除をしていた。
「……なあ、ミラース。明日も、あの天丼が食えるかな」
「……食えるさ。ここの配達員は、何が来ても美味い丼に変えてくれるからな」
二人は清々しい顔で笑っている。
私はその様子を、ロード氏と共に眺めた。
「ヨシキ、お前……とうとう死蟲王まで食材にしたな」
「食材に罪はござらん。ただ、美味しくいただく。それが拙者の信条でござるよ」
だが、その安らぎを切り裂くように、庭の地面がまたしても少しだけ震えた。
サルバロスが消えた後の土の中から、小さな、黒い種のようなものが芽を出している。
それは、ミラースが持っていたワイズ神の「呪いの種」ではなく――もっと別の、純粋な好奇心のようなものだった。
「……ん? ロード氏、あれは昨日の種とは違うでござるか?」
「おん? ……あぁ、あれはあかん。あいつ、サルバロスが消える寸前に『何かに託した』もんやろな」
私はその芽に、ジョウロで水をやった。
美味しく育てば、また最高の丼になるはずだ。
私のスローライフは、まだまだ終わらない。
「明日は……そうだな、この『謎の芽』がどんな丼になるか、期待でござるな!」
私は今日も呑気に、明日のメニューを考えながら眠りにつく。
その足元で、何かが静かに、しかし確実に、大きく育ち始めていた。
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