ep2. 窓ガラスの向こう側
第二話、お楽しみください
教室の窓ガラスに映っていた“俺”は、確かに笑っていた。
口元だけを、不自然に歪めて。
ぞっとするほど、俺と同じ顔で。
「――っ!」
思わず立ち上がる。
椅子が大きな音を立て、クラス中の視線が集まった。
「神代? どうした?」
担任が怪訝そうに眉をひそめる。
だが俺は答えられなかった。
窓を見る。
もう、誰もいない。
反射しているのは教室の風景だけだ。
「……気分でも悪いのか?」
「いや……」
喉がうまく動かない。
呼吸が浅い。
心臓だけが異常に速かった。
見間違いじゃない。
あれは間違いなく、“もう一人の俺”だった。
六歳の夏に見た顔と同じだった。
「神代くん」
静かな声。
隣を見ると、篠宮雨音がこちらを見ていた。
その瞳は、どこか怯えているようにも見える。
「……見えたの?」
小さな声だった。
だが、その一言で背筋が冷える。
「お前、何を――」
「先生」
雨音は俺の言葉を遮るように手を挙げた。
「神代くん、保健室に連れて行きます」
「あ? ああ……頼む」
担任は深く考えず頷いた。
教室がざわつく。
俺は何も言えないまま、雨音に促されて立ち上がった。
◇
廊下は静かだった。
授業中の校舎は妙に広く感じる。
窓の外では雨が降り始めていた。
ぽつ、ぽつ、と灰色の空から落ちてくる。
雨音は無言で歩いている。
長い黒髪が、窓から入る風に揺れた。
「……お前、誰だ」
俺がそう聞くと、彼女は少しだけ足を止めた。
「篠宮雨音」
「そういう意味じゃない」
雨音は数秒黙り込み、やがて静かに言った。
「……覚えてないんだね」
「何を」
「わたしのこと」
知らない。
はずだった。
なのに胸の奥がざわつく。
頭の奥に、薄く霧がかかったみたいな感覚。
思い出しかけると、頭痛がする。
「俺たち、どこかで会ったのか」
「会ったよ」
彼女は振り返らないまま言った。
「小さい頃に」
その瞬間。
脳の奥で、何かが軋んだ。
雨の日。
公園。
赤い傘。
泣いている女の子。
知らないはずの光景が、一瞬だけ浮かぶ。
「っ……!」
激しい頭痛に、壁へ手をつく。
「神代くん!」
雨音が慌ててこちらを見る。
その顔を見た瞬間。
また、記憶が流れ込んできた。
暗い団地の廊下。
幼い俺。
そして――
俺の隣で笑う、小さな雨音。
『みなとくん』
幼い声。
頭が割れそうに痛い。
「やめろ……!」
思わず叫ぶ。
すると記憶は唐突に途切れた。
荒い呼吸だけが残る。
雨音は悲しそうな顔で俯いた。
「……やっぱり、始まってる」
「何がだよ」
「侵食」
聞き慣れない言葉だった。
「ドッペルゲンガーに近づくと、記憶が混ざり始めるの」
「……は?」
「本当は、思い出しちゃいけないのに」
意味がわからない。
だが、彼女の声は冗談には聞こえなかった。
「お前、どこまで知ってる」
その時だった。
ギィ……と。
背後で、小さな音がした。
俺たちは同時に振り返る。
廊下の突き当たり。
誰もいないはずの場所に、“誰か”が立っていた。
男子生徒。
制服姿。
俯いていて顔は見えない。
だが。
そいつの右手には、赤いミニカーが握られていた。
――六歳の夏。
俺が持っていたものと同じだった。
「……っ」
全身が凍りつく。
男子生徒が、ゆっくり顔を上げる。
その顔を見た瞬間、呼吸が止まった。
俺だった。
目の前に立っていたのは、
今の俺とまったく同じ顔をした“俺”だった。
そいつは首を傾げる。
まるで、こちらを観察するみたいに。
そして。
笑った。
『見つけた』
次の瞬間。
校内放送が、突然ノイズ混じりに鳴り響いた。
『――あああああああ』
耳障りな音。
教室の方から悲鳴が上がる。
窓ガラスがビリビリと震えた。
その異常音の中で、“もう一人の俺”は口を開いた。
『そっちが、本物なんだ?』
瞬間。
視界が暗転した。
次回第三話、随時更新。




