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異世界最強の節約勇者 〜神も魔王も全員、俺の財布の敵〜  作者: 勇者ヨシ君
第4章:習慣は、呪いより強かった

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「正しいことで、今日も勝った」

 今日の夜営地には、風が吹いていなかった。


 世界の終端に近い場所は、こんなにも静かだった。石と土だけの広場に小さな火があって、その周りに全員がいる。アルスが火の傍で腕立てをしていた。習慣なので仕方ない。グラがベータの肩で眠っていた。ネネが目を閉じ、壁に背をもたせかけて腕を組んでいた。


 田中だけが、まだ起きていた。


 火の明かりで、帳面をつけていた。今日の収支を、明日の経路を、消耗品の残量を。書いて、確認して、また書く。いつも通りの作業だった。


 エリュシアは少し離れたところに立って、その横顔を見ていた。



 田中と出会ってから、数え切れないほどその横顔を見てきた。


 見ていたのはこの場だけではない。46年分、書類として処理してきた記録の中にも、同じ横顔があった。


 夜中まで工場に残って、一人でラインを直した22歳の記録。


 上申書を23枚書いて、全部却下された35歳の記録。


 先輩が死んだ翌朝、誰にも何も言わずに出勤した31歳の記録。


 全部、処理してきた。書類として。数値として。


(あの記録の中の人が、今ここにいる)


 炎が揺れた。田中の横顔が、少し動いた。


 帳面を閉じた。


 誰にも向けずに、小さく言った。


「......正しいことで、今日も勝ったな」


 それだけだった。


 誰かに向けた言葉ではなかった。誰かに聞かせようとした言葉でもなかった。ただ、記録するように言った。それだけだった。


 エリュシアだけが、その言葉を聞いた。



(正しいことで、今日も勝ったな、と言いました)


 夜の空気の中で、その言葉が静かに広がった。


(田中さんは、23年間)

(正しいことをするたびに負けていました)

(書類で知っています)

(全部、私が処理しました)


 声には出さない。出すことではない。


(今日は、勝ちました)

(この世界では、正しいことをして、彼は勝ちました)


 炎が小さく揺れた。田中は帳面を膝の上に置いたまま、空を見ていた。


(この世界を選んだのは、私でした)


 それは一度、正式に言語化しなければいけない言葉だった。


(無自覚な贖罪でした)

(気づいていませんでした)

(田中さんが一度くらい正しいことで勝てる世界を選びたかった)

(それだけのことが、46年分の書類管理から漏れ出ていた)


 田中がまだ空を見ていた。表情は読めない。いつも読めない。


(田中さんが削り切りました)

(私が選んだ世界で)

(田中さんが削り切りました)


 少しの間があった。


(本当に......よかった)


 声には出さない。


(ごめんなさい、とも)


 この言葉は特に、出せない。


(田中さんに届けられる言葉ではありません)

(届けたところで、田中さんは「常識だろうが」と言って前を向きます)

(そういう方です)

(知っています)


 エリュシアが小さく息を吸った。


(どちらも声には出しません)

(声に出すことで変わることは、何もありません)


 田中が空から目を落として、また帳面を開いた。何かを書き足している。


(行動だけが変わります)


 それだけだった。それだけで、十分だった。


 エリュシアが田中を見た。炎に照らされた横顔を、46年分の記録の最後に、一枚だけ加えた。


 「行動だけが変わります」という言葉は、声に出さないまま、確かに決まっていた。



 壁に背をもたせかけていたネネは、目を開けていなかった。


 その後も、目を開けなかった。


 聞こえていたが、何も言わなかった。


(......そういうことだったか)


 ネネは目を閉じたまま、少しだけ深く息を吸った。


(田中がこの世界を選んだわけではない)

(この世界で、正しいことで勝ちたかった人間がいた)

(......我も、同じだったかもしれない)


 それ以上は考えなかった。考えることではなかった。


 目を閉じたまま、眠るふりを続けた。


 グラが「グゥ」と一声鳴いて、また眠った。


 炎が揺れた。



「行くぞ」


 夜明けに、田中が言った。


 いつも通りの声だった。


「......はい」


 エリュシアが答えた。


 いつも通りの声だったが、少しだけ違う「はい」だった。それが違うことを知っているのは、エリュシアだけだった。


 全員が立ち上がった。荷物を持った。グラが田中の肩に乗った。


 田中が前を向いて歩き出した。


 世界の終端まで、もう少しだった。


******


※その頃、神界では——


「......田中が、なにか言ったみたいですよ」とカーヴェが言った。


「聞こえましたか」


「エリュシアだけに聞こえたみたいです」


 ウルダが少しの間を置いた。「……エリュシアは」


「何も言いませんでした」


「そうですか」


「行動だけが変わる、というやつかもしれません」


「寛大に」とウルダが言った。「見守ります」


「寛大です」


「......悪くないな」


カーヴェ「珍しくちゃんと見ていましたね」


ウルダ「SEGAですから」


カーヴェ「それ関係ないですよ」



神界業務日報 第95回


今日は書けません。


以上です。


担当:エリュシア(神界第七課・業務継続中)


******


魔王の家計簿 第95回


支出:なし


田中が「正しいことで、今日も勝ったな」と言った。

誰にも向けずに言った。

我は聞こえなかったことにした。


聞こえなかったことにしたが、書いた。

書かなくていいことだが、書いた。


エリュシアが聞いていた。

何も言わなかった。

でもなんか、顔が違った。


明日がある。

以上。


******


ベータの観測記録 第三回


本日の観測:


観測できなかった場面があった。

夜、田中が何かを言った。

エリュシアが聞いていた。

ネネも聞いていたと思う。


計測値:取れなかった。

理由:わからない。


初めて記録できなかった場面があった。

それだけ書く。

記録する。

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