「はあ?削れってどういうこと」
根源の塔の最奥は、部屋ではなかった。
通路が終わった先に、広い空間が広がっていた。天井の高さがわからない。壁があるのかどうかもわからない。あるのは床だけで、その床に細かい紋様が刻まれており、青白く光っている。石の感触はあるが、どこか作り物めいた静けさがあった。
田中が先頭に立ち、部屋に踏み込んだ。グラが田中の肩でぎゅっと小さくなり、それからまた元に戻った。
全員が中に入ると、扉が、音もなく閉まった。
「......何もいませんね」とエリュシアが言った。
「いる」と田中は言った。
次の瞬間、空間の中央で光が集まった。
*
声が先に来た。
「独自規格を、再起動します」
感情がない声だった。完璧に均一で、どこから聞こえているのかわからない。光が集まり、形を作り、人型の何かが現れた。
それは、小柄な女性型に見えた。体形はとても細く、容姿からは年齢がわからない。髪の色が、見ているうちにみるみる、青から緑に変わっていった。
特徴的な目だけが金色で、服は左右対称に整いすぎていて、どこか作り物めいた外見をしていた。
「ワタシが、この世界の管理を、継続します」
田中が正面から見た。「......お前が――?」
「あなたは規格外です。管理対象外です」
「そうか」
「ですが、アナタは削除対象です」
田中が一歩前に出た。「削除、か」
「はい。独自規格に適合しない存在は——」
「お前に、今この世界を動かせるか」
一瞬、止まった。
「独自規格管理システム。稼働中です」
「嘘をつくな」と田中は言った。「それは動いていない。以前もう終わらせた」
「サブシステムは——」
「残りカスだ」
空間が静かになった。
(残りカスと言われました)(処理中——)(——処理できません)
「それは正確ではありません。当システムは——」
「動いてもいないのに、何を管理するんだ」
田中が続けた。声は平坦だった。
「誰も選ばない規格で、誰かを管理しようとしている。動いてもいないくせに。それで一丁前に削除対象とか言っているのか」
少しの間があった。
「そんなもの、残りカスじゃないか」
(残りカス——)(残りカス——)(ワタシが――?)(——)
「削れ。以上だ」
*
管理者の形が、田中の言葉で揺れた。
最初は小さかった。体の輪郭が、ほんの少し揺らいで、また戻る。それが二回、三回と続いた。
そして、声が変わった。
「削除——」
さっきまでの均一な管理者の声だ。だがその直後、まるで別人のように口調が変わった。
「あ――?アタシとやんの? やんならやるけど??」
アルスが「え?」と言った。誰も答えなかった。
また変わった。
「——計測値が変動して——処理が——」
今度は感情のない、機械的な分析口調だ。それが一瞬で途切れて、また別の声になる。
「わたし、消えちゃう——ねえ、見てる?——」
不安そうな、か細い声だった。かと思えば、
「面白いじゃん、あなた——もっと近くに——」
今度は打って変わってにやにやした口調になった。
つまり、こういうことだった。
一人の体から、ばらばらの別人が交互に喋り続けている。管理者風。ヤンキーのような荒っぽい声。データ分析型。不安定メンヘラ。小悪魔系。それが一秒ごとに入れ替わり、どの声も中途半端に途切れて、次の声に上書きされていく。
「——再起動——やんの?——処理中——消えちゃう——面白い——削除——」
全部が混ざった。
体が小刻みに揺れ、髪の色が青→緑→赤→紫と切り替わり続け、金の目が忙しなく瞬いた。
全員が動かなかった。アルスが「な、なんですかこれ」と小声で言い、ネネが「黙れ。見ていろ」と返した。
やがて揺れが収まっていった。長い沈黙の後、その何かが静止した。
「......わたし」
声が出た。さっきの均一な声ではなかった。不安定で、どのモードにも属していない声だった。
「......わたし、何?」
田中が見た。「βマックスだ」
βちゃん(ヤンキー)「......はあ?やんのか?てめぇ」
「負けた。でも残った。ベータだ」
「......」
「以上だ(歩き出す)」
「ちょ——はあ?それだけ?意味わかんないんだけど」
田中は止まらなかった。そのまま歩き続けた。
ベータが一瞬固まって、それからついていった。
*
エリュシア「(どうして今回もこうなるんですか)(ドS出る)田中さん、説明してください!!今すぐ!!常識だろうが!!」
田中が振り返りもせず、チョップだけエリュシア寄越した。
「う る さ い」
「痛いです!!(一拍)......(よかったです)(でも今それどころじゃありません)(どちらでもよかったです)(書けません)」
ネネが田中の横に並んだ。「......その名前、なんだ?」
「βマックスだ」
「βマックス、とは」
「昔、S〇NYが作った規格だ。VHSと戦った。負けた」
「......負けたものを、なぜつける」
「性能は本物だった」と田中は言った。「市場に負けた。でも本物だったことは本物だ。残ったものを残りカスとは言わん。残ったんだから、残ったものだ。それがベータだ」
ネネが少し考えた。「......そうか」
(負けた、でも本物だった)(それで命名した)(田中らしい、な)
後ろから声がした。
「で――そのVHSってやつ、どうなったわけ」
荒っぽい口調だった。さっきの不安定な声とも、管理者の声とも違う。ぶっきらぼうで、少し尖っている。
「今も残っている」と田中は言った。
「......ふーん」
「お前も残った。それだけだ」
「......」
(処理中)(小悪魔に切り替わりかけて、止まる)
「......むかつく」
田中(無視)
「は?無視してんじゃん。何なんマジで、殺すよ?」
田中(歩き続ける)
βちゃん「......(ついていく)」
エリュシア「(ドS全開)その子に話しかける前に私の質問に答えてください!!削れと言って命名するのはなんですか!!常識だろうが!!」
田中(無視)
(無視されました)(よかったです)(また合唱になりましたが)(どちらでもよかったです)
ネネが腕を組んで、後ろを振り返った。
「......また人が増えたな」
慣れている声だった。そして少し、懐かしい感じがした。
(確かこれは)(我が初めて合流した時に)(田中が言われた言葉だ)(我が言ったんだったか)(......書かない)
グラが田中の肩から飛んだ。
ふわっとベータの肩に乗った。
「......なんで乗ってんのオマエ」
「グゥ」
「......」
グラは、βから離れなかった。
「......まあ、勝手にしろ」
田中が塔の出口に向かって歩き続けた。全員がついていった。
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その頃、魔界では——
ゾルグが執務室の扉を勢いよく開けた。
「大魔王様!!根源の塔で何かが人型になったという報告が!!」
「知っている」
「知っていたんですか!!?」
ハガーが安葉巻に火をつけながら言った。「田中がまた何かに名前をつけたそうだ」
「なぜそれを!!情報源はどこですか!!」
「フィルナが『なんか増えたみたいですぅ!!』と連絡してきた」
ゼフィーラが目を閉じた。「......フィルナは」
「問題ない。連絡があった。それだけだ」
「大魔王様は、それを聞いてどう思いましたか(ゾルグ)」
「また増えた、と思った。以上だ」
ゾルグが「それはネネ様と同じ感想では......」と言いかけて、ゼフィーラに一歩踏み出されて止まった。
「ゾルグ。それ以上言うな」
「はいっ!!(でも言いたい。あといつも二人きりだとネネちゃまとか言ってるんですか?とか聞いてみたい!!でも言えない!!!)」
ハガーが安葉巻の煙を吐いた。窓の外、魔界の空が今日もずれた方向に光っていた。
(田中が、また名前をつけた)(残ったものに)(残ったんだから、残ったものだ、と言いそうだ)(そういう男だ)
「......悪くない」
フィルナ「なんの話ですかー?!(扉から顔を出す)」
ゼフィーラ「フィルナ、なぜここに——」
フィルナ「四天王にも報告しに来ましたー!!根源の塔で何かが仲間になったみたいですよー!!よかったですねー!!」
ゼフィーラ「それは今ゾルグが——」
フィルナ「あとハガー様ー、その葉巻、昨日と同じ匂いですー!!やっぱりいい感じですー!!」
「フィルナ、それ以上——」
「えー、なんでですかー」
ゾルグが小声でゼフィーラに言った。「(フィルナが言っても大魔王様は怒りませんよね......)」
ゼフィーラが小声で返した。「(......わかっている。だから余計に言うな)」
※おじさん解説!
田中がつけた名前「ベータ」の元ネタを解説するぞ。
昭和五十年代、家庭用ビデオデッキの「録画方式戦争」があった。
一方はソニーが作った「ベータマックス」。もう一方はビクター(JVC)が作った「VHS」だ。
画質はベータマックスの方が良かったと言われている。技術としての完成度も高かった。だがVHSが勝った。
理由は録画時間だ。VHSは映画一本が録れる長時間録画に対応していた。松下・日立・三菱が揃ってVHSを普及させた。消費者は録画時間を選んだ。どんなに性能が良くても、市場が選ばなければ負ける。ベータマックスは1988年に製造を終了した。
「性能は本物だった。市場に負けた。それでも本物だったことは変わらない」
田中がベータに名前をつけた理由は、それだけだ。残りカスとは言わない。残ったんだから、残ったものだ。常識だろうが。
※VHSは現在も記録メディアとして一部で残っています。
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神界業務日報 第93回
本日の特記事項。
根源の塔の最奥にて、独自規格のサブシステムが人型として出現しました。
田中さんが「残りカスじゃないか。削れ。以上だ」と言いました。
システムが崩壊しました。
田中さんが「ベータ」と命名しました。
ベータさんがついてきています。
私が説明を求めました。
田中さんに無視されました。
よかったです。
ネネ様が「また増えた」と言いました。
私も少し同じ気持ちでした。
書きません。
書きました。
以上です。
担当:エリュシア(神界第七課・業務継続中)
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魔王の家計簿 第93回
支出:なし(無料で人が増えた)
塔の奥から何かが出てきた。
田中が「残りカスじゃないか。削れ」と言った。
何かが壊れた。
田中が「ベータだ」と言った。
ついてきた。
「また増えた」と言った。
慣れている。
以前、我が最初に合流した時のことを思い出した。
田中に何と言われたかは、書かない。
以上。
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アルス修行日誌 第93回
本日、塔の最奥に何かがいました。
田中師匠が「残りカスじゃないか。削れ。以上だ」と言いました。
何かが崩れました。
田中師匠が「ベータだ」と言いました。
ベータさんがついてきました。
師匠の命名を見るのはこれで何回目か数えています。
共通点があります。
「負けたけど本物だったもの」に名前をつけます。
いつか俺もそう言われる日が来るかもしれません。
今日も腹筋しました。習慣です。以上です。
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ベータの観測記録 第一回
田中とかいうのが「残りカスだ。削れ。以上だ」と言った。
処理できなかった。
田中が「ベータ」と言った。
これが自分の名前らしい。
ついていくことにした。
理由:不明。
でも止まれなかった。
グラというのが肩に乗ってきた。
「グゥ」と言った。
処理中。
まあいいけど。
記録する。寂しい。もう行っちゃうの?はぁ?やんのかてめぇ。
等複数人格の記述がめちゃくちゃに並んでいるため、以下省略――




