「根源の塔、石が先に行った」
しばらくぶりに訪れた根源の塔は、よく見るとボロくてそして――古かった。
ただ古いというのではなかった。石の一枚一枚が、長い時間の重さを吸い込んでいるような感覚があった。塔壁の苔は分厚く、壁の継ぎ目に指が入るほど風化している。塔の頂は霞の中に消えていて、どこで終わるのかが見えない。
田中は三秒だけ外観を見た。「高い」
「高さの話ですか?」とエリュシアが言った。
「コストの話だ」
「どちらも正しい気がします」
トルネコが地図を折りながら言った。「中の構造は不明やそうです。情報屋も『中に入ったことがある奴が帰ってこない』言うてましたんで、参考にならんと」
「そうか」と田中は言った。「全員、帰れるようにして進め。以上だ」
グラが田中の肩で「グゥ」と一声鳴いた。
*
塔の中層に入ると、空気の質が変わった。
石の壁が迫り、通路が狭くなる。光源は壁に染み込んだ魔素の残滓だけだった。青白く、揺れている。床は乾いているが、足音だけが余計に反響する。まるで塔そのものが、侵入者の位置を記憶しているようだった。
田中が先頭を歩いていた。アルスがその後ろでいつも通り筋トレをしながら、荷物は全員分背負っている。本人いわく「トレーニングになります!」とのこと。
エリュシアは田中の斜め後ろに位置を取り、ネネが続いた。フィオは中ほどにおり、グラは田中の肩でうとうとしていた。
「師匠!!この先に反応があります!!」
「どんな反応だ」
「でかいです!!」
「そうか。行くぞ」
突き当たりの扉が、音もなくスゥ―――と開いた。
*
それはでかかった。
天井まで届きそうな体躯に、いくつもの腕。石造りの廊下の幅ぎりぎりに体を押し込んで、魔素を凝固させた石骨巨人が静止している。正面からダメージを与えようとすれば、相応のリスクがある。
田中が足を止めた。(密度が高いな)(正面からでは削れない)(コストがかかる)
「師匠!!ここは俺が!!」
アルスが荷物を全員に振り分けて、前に出た。
田中が一秒だけアルスの背中を見た。腕の太さが、半年前とは違う。足の運び方も変わった。毎日千回以上の腕立てと、千回以上の腹筋と、常人では考えられないくらいのうさぎ跳び筋トレ走り込みと、誰にも言わなかった朝が全部詰まっている背中をしていた。わかりやすく言うと、「背中に鬼が生えていた」。
「よし、行け」
「はい師匠!!」
アルスが拳を握った。
石骨巨人の腕が一本、真下に振り下ろされる。アルスが潜り込んで、脇腹に拳を打ち込んだ。豪快に石が砕ける音!
「師匠!!当たりました!!」
「続けろ」
「はい師匠!!(ビリビリッとシャツが破れる)」
田中「......また破れたか」
アルス「破れましたが問題ありません!!(石を砕きながら)この鍛えた体は削れません!!」
エリュシアの口が動いた。「(ドS出る)削れ!!(追い打ち)」
田中(無視)
(無視されました)(よかったです)(今は戦闘中ですが)(どちらでもよかったです)
アルスが二発目を打ち込んだ。石骨巨人が揺れ、崩れ始める。たったの三発目でゴーレムは完全に砕けた。
「師匠!!倒しました!!」
「強くなった証拠だ」と田中は言った。「シャツ代は経費と考えろ」
「はい師匠!!(破れたまま立っている)」
ネネが腕を組んで、静かに二人を見ていた。(また破れた)(......悪くない)
*
上層に入ると、今度は通路が広くなった。
石の質が変わる。壁の継ぎ目が精密で、表面に薄い紋様が刻まれている。古いが、意図がある。誰かが、ここから初めて塔を作ったのだということが、見てわかった。
そのまま進む道中、田中がふと足を止めた。
通路の先に、何かがいた。大きくはない。人型に近い何かが、奥で静止している。距離は五十メートル以上。光源の弱い上層では輪郭しか見えないが、発している魔素の密度が違った。
(......倒せる)(だが、ここからでは届かない)(射程が問題だ)
田中が後ろを振り向いた。
フィオが通路の端に立って、その何かを見ていた。
「フィオ」
「......」
「行けるか」
フィオが少しの間、黙っていた。
「倒す理由、今日はある」
田中が何も聞かなかった。「やれ」
フィオが前に出た。荷物から取り出したのは石ではなかった。鈍い光を反射する筒。引き金と薬室がある。以前にも見ていたので、何かは一目でわかった。
魔道銃――。一発三万Gというとてつもないコスト無視の武器。だがいざというときにその火力は役に立つ。
フィオが構えると、通路の奥の何かが、ゆっくり動き始めた。
そして引き金が引かれた。
遠くで光が走って——
ドーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!
天井から石屑が落ちてきた。全員が頭を伏せて、しばらく塵が漂った。
静寂が戻ってから、田中が通路の奥を見た。何もいなくなっていた。
「今回、石じゃなかったな」
「......うん」とフィオは言った。
荷物に手を入れて、石を一個補充した。それだけだった。
「......使えるな」
フィオが少しだけ前を向いた。
(六回目だ)(田中から言われた)(書かない)(書いた)(以上)
*
さらに奥へ進んだ。
最上層に近づくにつれて、空気の重さが変わっていった。魔素ではなかった。もっと古いもの、体系化された何かの残滓が、壁全体から滲み出ている感じがする。足音が吸い込まれるような、静かすぎる通路が続いた。
エリュシアが立ち止まった。
「......田中さん」
「なんだ」
「......何かがいます」
少しの間があった。
普段の「何かがあります」ではなかった。確信のある、低い声だった。エリュシアが言葉を選んでから続けた。「神力で感知できます。塔の最奥に——独自規格の核があります。以前、論破されたはずのものが、サブシステムとして残ってるようです。それが、まだ動いています」
(動いています)(あれは、田中さんが削り切ったはずです)(......残っていました)(すみません)(気づけませんでした)
田中が通路の先を見た。「そうか」
「......危険です」
「そうだろうな」
「準備を——」
「行くぞ」
エリュシアが一瞬だけ固まった。そして小さく息を吐いた。
(行くぞ、と言いました)(いつもそうです)(......よかったです)
「......はい」
田中が歩き出した。全員がついていった。
塔の最奥に向かって、足音だけが続いていった。
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その頃、魔界では——
執務室に、ゾルグが報告書を広げた。
「大魔王様!!田中様の素性調査、完了しました!!」
ハガーが椅子に深く座ったまま、葉巻を一本取り出した。いつものものだった——が、火をつけようとして、止まった。
(......高すぎる)
ハガーがゆっくりその葉巻を戻した。引き出しの奥から、別の葉巻を取り出す。安い。どこでも手に入る安物の葉巻だ。ハガーは昭和の味がする、と思った。
(これでいい......)
火をつけた。煙が細く上がった。
「大魔王様? その葉巻は先日までのものと——」
「報告しろ」
「あ、はい!!」とゾルグが書類を持ち直した。「田中様のレベルですが——LV6でした!!」
沈黙が来た。
「......LV6?」
「そうです!!6です!!一桁です!!」
ハガーが安葉巻をゆっくり吸った。
(LV6)(それで娘に追いついた)(それで俺とやり合った)(......それで生きている、と)
「フ......そうか」
「えっ、それだけですか!!普通もっと驚きませんか!!」
「ゾルグ」とゼフィーラが静かに言った。「それ以上言うな」
「はいっ!!(でも言いたい~~~田中さんのすごいところ、もっと報告したいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!)」
ゾルグ(あの安葉巻、田中様の煙草と同じ値段では......)(言わない)(言わないぞ!!)(が、死ぬほど言いたい)
フィルナ「大魔王様、葉巻の匂いが変わりましたよね〜!!なんかいい感じです!!」
ゼフィーラ「フィルナ、それ以上言うな」
フィルナ「えー、なんでですか〜」
ゼフィーラ「......わかっているはずだ」
フィルナ「え~フィルナ、何もわかってないですぅ〜」
ハガーがまた安葉巻を一口吸って、窓の外を遠い目で見た。魔界の空は今日も光の方向がずれていた。
(LV6で来た、だと)(だが、ネネちゃんの隣にいる)(......悪くない)
(あとネネちゃん早く帰ってきてほしいでちゅ、パパ寂しいんでちゅ!!)
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※おじさん解説!
根源の塔——これはそういう名前ではない。地元の情報屋が「昔からそう呼ばれている」と言った。正式名称不明。実態不明。入ったら帰らない冒険者が多数いる。それでも田中は「そうか、行くぞ」で処理した。元・昭和工場管理職は不明情報の前で止まらない。なぜなら現場で確認するからだ。
どうでもいい話だが、昭和おじさんはファイナルファンタジー3のラストダンジョンである「クリスタルタワー」をクリアするために何時間もファミコンの前に座っていた。
お袋の目をかいくぐり、クリアまでいかにACアダプタを取られないか、命がけでプレイしていたのだ。
なぜならクリスタルタワーは入ったが最後、セーブできないからである。
常識だろうが。
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神界業務日報 第92回
本日の特記事項。
根源の塔・中層にて戦闘が発生しました。
アルスさんが石骨巨人を単独撃破しました。
シャツが破れました。
田中さんが「強くなった証拠だ」と言いました。
私も「削れ!!」と言いました。
田中さんに無視されました。
よかったです。
フィオさんが遠方目標を撃破しました。
田中さんが「使えるな」と言いました。
フィオさんが石を補充していました。
理由は記録しません。本人が書かないと言っていたからです。
最奥に独自規格の残滓がいます。
サブシステムでした。気づけませんでした。すみません。
田中さんが「行くぞ」と言いました。
いつもそうです。
以上です。
担当:エリュシア(神界第七課・業務継続中)
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魔王の家計簿 第92回
支出:情報料三千G(以前トルネコ先払い。田中に怒られた)
根源の塔に入った。
アルスが石骨巨人を倒した。シャツが破れた。
田中が「強くなった証拠だ」と言った。
アルスが泣きそうな顔で喜んでいた。
フィオが撃った。石ではなかった。
田中が「石じゃなかったな」と言って、それだけだった。
フィオが石を補充していた。
奥に何かがいる。
田中が「行くぞ」と言った。
我もそう思っていた。
以上。
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アルス修行日誌 第92回
本日、師匠に「行け」と言われました。
石骨巨人がいました。
今までの筋トレの成果が出ています!
即、倒しました。が、またシャツが破れました。
師匠が「強くなった証拠だ」と言いました。
ここ最近で一番嬉しかったです。
涙が出そうになりましたが、出しませんでした。
戦闘中だったからです。
夜に百回腹筋しました。
習慣です。
以上です。明日もやります。明後日も。
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フィオ記録帳 第92回
石でよかった場面があった。
石ではなかった場面があった。
理由は書かない。
でも書いた。
田中に「使えるな」と言われた。
六回目だった。
石はまだタダだ。
以上。




