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異世界最強の節約勇者 〜神も魔王も全員、俺の財布の敵〜  作者: 勇者ヨシ君
第4章:習慣は、呪いより強かった

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「娘を頼む(流された)」

 魔界の朝は、普通の世界とは空の色が違う。

 暗いわけではない。ただ、光の方向が少しずれている——ような気がする。赤とも橙とも言えない、独特の雰囲気を出している。


 田中は居城の中庭に出て、朝の一服で煙草に火をつけた。出発の準備はすでに終わっている。荷物は最初からまとまっていた。魔界に来てから三日。無駄のない滞在だったと思う。


 アルスは、庭の隅で腕立てをしていた。魔界に来ても習慣は変わらない。シャツは今のところ無事だ。フィルナが欠伸あくびをしながら荷物を背負い、グレインがその横で腕を組んでいる。リリはどこかから椅子を持ってきて、脚を大胆に広げたギャル座りのままメモか、帳簿らしきものをじっと眺めていた。


 エリュシアは田中の斜め後ろに立って、昨夜のことを引き続き考えていた。


(昨夜、ハガー様が「娘を頼む」と言いました)

(田中さんは流しました)

(ハガー様は酔っていました)

(私も少し赤かったと思います)

(処理中)


 ネネは中庭の端に立ち、魔界の空を見上げていた。


(昨夜は酔っていたから――)(あれは万年の銘酒の戯れ)(今日は我は、何も言わないぞ)(......それでいい、はずだ)


 居城の大扉が、重い音を立てて開いた。


 ハガーが出てきた。万年大魔王。でかい。とにかく巨大な体躯と傷だらけの外見は、見送りの朝でも覇気が損なわれていない。昨夜の酒が完全に抜け、目が醒めている。


「田中」


「なんだ」


「娘を頼む――」


******


 三秒、沈黙が場を包んだ。


「田中は煙草を一口吸ってから言った。「昨夜も言っただろうが」


「あれは酔っていた」


「......じゃあ今は」


「シラフだ」


「違う」と田中は言った。「そういう関係じゃない。昨夜も言っただろうが」


「言った」


「わかったのか」


「わかっていない」


「......」


「娘を頼む」


「だから違うと言っている」


「言っておくものだ」


「話が噛み合っていないぞ」


「噛み合っている。以上だ」


 田中が煙草を指の間で止めた。「......まあ」


 そこで言葉が止まった。


 ハガーが視線を動かした。田中から、ネネへ。でかい体躯がゆっくりと向き直り、万年大魔王が娘の前に立った。


「......わが(いと)しき娘よ」


 声が変わった。さっきまでの「以上だ」口調ではない。荘厳で、重く、一万年の重みがある。


「魔王ネネよ」


ネネ「父上......?」


「何も言うな」


 ハガーが片手を上げた。拒絶でも制止でもなく——『すべてを知っている者』の仕草で。


「すべてわかっておるわ」



「わかっておらん」と田中が言った。


 誰も聞いていなかった。


(千年生きた)(今日いちばんの一言が届かなかった)(田中ですら届かなかった)


「パパ——!!あっ」


 声が、出た。出てしまった。


 ネネが固まった。全員の視線が集まった。


「ち......ちち——父上!!違う!!そういうことでは——!!」


 ハガーは振り返らなかった。ただ、でかい背中の肩のあたりが——ほんの少しだけ、上がっていた。


「すべてわかっておるわ」


「父上、わかっておらん!!」


(今、父上と同じ口調になった)(気づいた)(余計に()()()()()


 リリが椅子から立ち上がりながら言った。「今、パパって言いかけたじゃん〜」


「言っておらぬ!!」


フィルナ「パパ、かわいいね〜」


「かわいくない!!」


「(今日は何も見ていない)(聞かなかったことにする)(以上)」グレインは目を両手でふさぎながらそう考えた。


 エリュシアは田中の後ろで静止フリーズしていた。


(ネネ様が今パパと言いかけました)

(ハガー様が「すべてわかっておるわ」と言いました)

(処理中)

(処理中)

(処理中)

(む、む、む娘を頼むってもうそれ、アレじゃないですか、アレしかないじゃないですかぁ!?)

(ネネ様は一体どういう気持ちなの――)

(絶対に......書けません)


アルス「師匠!!ネネ様が——!!」


田中「うるさい」 デコピン。


アルス「いてっ。すいません師匠!!(腕立てに戻る)」


*******


 パパ騒ぎが一通り落ち着いてから、ハガーが田中の前に立った。周囲が自然と引いた。でかい背中と、新しい煙草に火をつけた田中の沈黙が向き合っている。


「......お前みたいな奴が娘の隣にいるとは思わなかった」


 荘厳な口調ではなかった。小さい声だった。


()()()()


 田中がポケットから煙草を一本取り出した。


「ハガー」


「なんだ」


「子供はいつか遠くへ行く。それだけだ」


 差し出した。ハガーが受け取り、黙ってうなづいた。どちらも、それ以上は言わなかった。言葉は、もう要らなかった。


 田中がきびすを返しかけた時、肩のグラが一声鳴いた。


「うるさい」


 ハガーが振り返った。手乗りサイズの青緑の翼竜が、でかい大魔王をまっすぐに見ている。


「......悪くない」


******


「もう行くぞ」


 田中が歩き出した。


 リリが素早く立ち上がって田中の前に回り込んだ。「精算するよ~」


「わかってる」


 金が動いた。きっちりした金額で、どちらも淡々としている。一言も要らなかった。


リリ「ネネ〜また遊ぼうね〜。パパって言いかけたの、かわいかったよ〜」


ネネ「だーかーら、言っていない」


リリ「はいはい〜」


フィルナ「リリちゃんまたね〜!!」


リリ「フィルナはいつでも来ていいよ!!」 


グレイン「なるほどね......(なんか、ネネ様とフィルナで態度が違うな)」


 リリが手を振りながら、田中たちとは別の方向へ歩いていった。


 アルスが庭の隅から走ってきた。「師匠!!出発ですか!!」


田中「ああ」


アルス「はい師匠!!」


 走ってきたアルスは筋肉の膨張でまたシャツが破れた。


田中「......削れ、シャツ代」

エリュシア「(ドS出る)削れ!!(追い打ち)」


田中(無視)


(無視されました)(よかったです)(合唱でしたが)(どちらでもよかったです)


 ネネが居城を一度だけ振り返った。ハガーは大扉の前に立ったまま、こちらを優しそうな目で見ていた。それは父が愛する娘に向けたまなざしだった。


(父上)


 何も言わなかった。ただ、少しだけ頷いた。


「......行くか」


 千年魔王の口角が、ほんの少し上がっていた。グラが田中の肩に乗って、首元に落ち着く。


 田中が魔界の出口に向かって歩き出した。空の光の方向は、相変わらずずれていた。でも田中は確認しなかった。前を向いていたから。


******


その頃、神界では——


 ウルダのモニターに「大魔王:見送り完了」の通知が届いた。


「......田中が出たか」


カーヴェ「娘を頼む、と言ったみたいですよ。二回。昨夜は酔ってて、今朝はシラフで」


ウルダ「魔王と勇者が......ぷぷぷ、田中は」


カーヴェ「二回とも否定しました。二回とも流されました。『すべてわかっておるわ』で押しつぶされたみたいです」


 ウルダが少し間を置いた。「それは......SEGAでも分析できませんね」


カーヴェ「全面的に同意します」

※おじさん解説!


 『ファイナルファイト』(1989年・カプコン)の主人公の一人、マイク・ハガー市長。娘が誘拐されたと知った翌日、市長業を放り出してスラム街に単身乗り込む。政治家なのに素手のプロレス技で制圧する。昭和的な父親の権化だ。


 田中の命名基準は「娘のために単身乗り込む」「素手で戦う」「父親」の三点だ。シラフで「娘を頼む」と言いに来て「すべてわかっておるわ」で全員を押しつぶすあたりも、完全に一致している。


******


神界業務日報 第91回


本日の特記事項。


ハガー様がシラフで「娘を頼む」を言いました。昨夜に続き二回目です。

昨夜:酔っていました。

本日:シラフでした。


田中さんが「違う、そういう関係じゃない」と二回否定しました。

ハガー様が「すべてわかっておるわ」と言いました。

田中さんの否定が届きませんでした。

私の処理も届きませんでした。

処理区分:未分類。


田中さんが煙草を一本渡しました。何も言いませんでしたが、全部入っていたと思います。田中さんはそういう方です。知っていました。


グラさんが「うるさい」と言いました。ハガー様が「悪くない」と言いました。私も悪くないと思いました。書いてしまいました。消しません。


以上です。


担当:エリュシア(神界第七課・業務継続中)


******


魔王の家計簿 第91回


支出:煙草一本(田中→ハガー)


父上がシラフですごいことを言いに来た。


昨夜は酔っていたから酒のせいにできると思っていた。

シラフで言われた。酒のせいにできなかった。


「すべてわかっておるわ」と言われた。

わかっておらん、と言い返した。

田中も言っていた。

誰も聞いていなかった。


パパ、と言いかけた。言い直した。聞かれた。全員に。


父上は振り返らなかった。肩が少し上がっていた。

知っている。あれは笑っている時の顔だ。


書かないと決めた。

――が、やっぱり書いた。

以上。


******


大魔王(ハガー)の独り言 第三回・最終回


昨夜は酔っていた。

だから今日、シラフで言いに行った。


()()()()


田中は流した。煙草を一本くれた。昭和?とかいうものの味がした。


翼竜が「うるさい」と言った。悪くなかった。


「パパ」と聞こえた。

笑ってしまったので、振り返らなかった。


すべてわかっておる。


悪くない男が、娘の隣にいる。

それは人間だ。

以上だ。

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