「酒が飲めるか」
殴り合いの後、魔界の城に、酒の席が設けられた。
なぜそうなったのかは、エリュシアにも理解できなかった。
(昼間まで殴り合っていた)(なぜ今日は酒を飲んでいるんですか!!)(ドS)(私もたまには飲みたいです!)(複雑です)
ハガーがゾルグを呼んだ。
「......”大魔界吟醸”を出せ」
「ええっ!?」とゾルグが言った。「だ、大魔界吟醸ですか!?あれは万年に一度の秘蔵品では?!」
「よいのだ。出せ」
「……は、はい!!(なぜですか!!でも出します!!)」
ゾルグが酒蔵へと走っていった。
ネネが壁際から父を見た。(大魔界吟醸)(パパが万年間大切にしまっていたやつだ)(もちろん、我も飲んだことがない)(田中に出すのか)(......)
「......父上」
「なんだ?わが娘ネネよ」(あーネネたんめっちゃかわいいでちゅ、はやく二人きりになりたいバブー、もうちょっと我慢ちてね)
「……いや、なんでもない」
ネネ(田中が気に入られている)(なぜか、我は恥ずかしくなってきた)(書かなくていい)
ゾルグが埃のついた瓶を抱えて戻ってきた。「お持ちしました!!大魔界吟醸・万年熟成・魔界最高峰の一本です!!」
「そこに置け」
「置きます!!(泣いている)(なぜ泣いているかは自分でもわかっている)」
ハガーが酒の瓶を田中の前に置いた。
「飲めるか」
「飲める」と田中が言った。ハガーが酒の封印を解く。
田中が受け取り、一口飲んだ。「……うむ、これは強いな」
「魔界の酒だ。人間には強すぎる」
「常識だろうが」と田中が言って、もう一口グイッと飲んだ。
ハガーが「(飲んだ)(強い酒だぞ)(それでも飲んだ)(……悪くない男よ)」と一瞬だけ目を細めた。
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しばらく、二人は黙って飲んでいた。
なんともなしに、田中が煙草を出したて火をつけた。フゥーと煙が立った。
「……その煙草は何だ」とハガーが言った。
「昭和の習慣だ。知らんか」
「知らん」
「そうか」と田中が言って、神タバコを一本渡した。
ハガーが受け取った。一口吸う。黙りながら、頷いた。
「......渋いな」
「そういうものだ」
ハガーがゆっくりと煙草をふかした。煙が天井に向かって広がった。田中も一口ふかした。二人分の煙が混ざって、消えた。
二人がまた黙った。酌み交わす酒と煙草の煙だけが動いていた。戦った男たちに、会話は必要かったのだ。
ネネは、壁際からじっと二人を見ていた。
(パパと田中が黙って飲んでいる)(何を話しているわけでもない)(でも)(……まあいい)(何回目かわからん)
リリが「……なんかお父さんが二人に増えたみたいじゃん」と小声でネネに言った。
「そうかもしれん」
「ネネもそう思うのー?」
「やつを見てると……たまに思う」
「よかったねぇ」とフィルナがおっとり言った。
「何がだ」とネネが言った。
「なんとなく〜」
(なんとなくで返すな)(でも)(......否定できない)
******
酒が進んだ頃、アルスが鍛錬を始めた。
場所は関係なかった。時間があれば始める。それがアルスだった。
腕立てを十回やったところで、シャツが破れた。
「師匠!!また破れました!!」
「強くなった証拠だ」と田中が言った。飲み続けていた。
ハガーがアルスを見た。シャツが破れた腕を見た。そのまま腕立てを続けているのを見た。
(シャツが破れた)(続けている)(なぜ続けているんだ)(でも止まらない)(……)
「……お前の弟子か」とハガーが田中に言った。
「そうだ」
「鍛えているな」
「当たり前だろうが」と田中が言って、煙草を一口吸った。
ハガーがもう一度アルスを見た。(強くなろうとしている)(まだ途中だ)(でも続けている)(……そういうものか)
「……そうか」とだけ言った。
アルスが「師匠!!腕立てを見ていただきました!!」と言った。
「見ていない」と田中が言った。
「見ていたと思います!!」
「いや、飲んでいた」
「師匠ぉぉぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォォ!!」
ハガーが口の端を少し上げた。それだけだった。
******
宴もたけなわというころ、ハガーがネネを見た。
「ネーネちゃん、ちゃんとごはん食べてまちゅかー」
静寂が部屋を包んだ。
全員が止まった。
(パパ)(場所をわかってくれ)(田中がいる)(リリもいる)(フィルナも)(アルスも)(全員いる)(全員だぞ)(てか、酔っぱらっておるなこれ)
「……父上」とネネが言った。声が低かった。
「なんでちゅか」とハガーが言った。
(全然気づいていない)(万年大魔王が)(全然気づいていない)
「……みながおりますゆえ――す」
「おるな」とハガーが言って、酒を一口飲んだ。
(気にしていない)(気にしていないんだ)(万年大魔王が)(酔っぱらうとパパこれだから)
リリが「……ハガー、変わってないじゃん」と言った。
「そうか」
「全然変わってないじゃん」
「そうか」
(あたし的にはもうちょっと反応してほしかった)とリリが内心で思った。
フィルナが「ネーネちゃん、かわいいね〜」と言った。
「やめろ」とネネが赤面しながら言った。
「よかったねぇ」
「何がだ」
「なんとなく〜」
(また、なんとなくで返すな)(二人そろって)(幼馴染だからか)(……まあいい)
アルスが「ネーネちゃん……」と小声で呟いた。
「おいアルス」
「はい師匠!!(腕立てを再開する)(シャツが再び破れる)」
ハガーがアルスを見た。(また破れた)(また続けている)(……そういうやつか)と静かに納得した。
田中が「削れ。シャツ代がかかりすぎだ」と言った。
エリュシアが「馬鹿筋肉、削れ!!(ドS即発動)」と言った。
田中がデコピンを入れた。
「いたっ(よかったです)(書けません)」
ハガーが「(また叩いた)(また嬉しそうだ)(相変わらず理解できん)」と一瞬だけ眉を動かした。
ネネが壁際で「(パパが見ていた)(全部見ていた)(最悪だ)(いや、最悪ではない)(……書かなくていい)」と静かに処理した。
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夜が深くなった。
酒の瓶がいくつか空になっていた。ハガーと田中はまだ飲んでいた。ほかの面々は少し離れたところで思い思いに時間を過ごしていた。
「……娘は、強くなったか」とハガーが田中に言った。声が低かった。
「知らん。ネネは最初からずっと強かった」と田中が言った。
「……そうか」
「ネネが弱かったことはない。よくやっている。それだけだ」
ハガーが「(田中が言った)(弱かったことはない)(……そうか)(そうだ)」と煙草を一口吸った。
「……お前は、娘をどう見ている」
「魔王。以上だ」
「それだけか」
「今は、それだけだ」
ハガーが「(今は)(今は、と言った)(……まだ決めていないのか)(だが今は、と言った)(……悪くない)」と酒を一口飲んだ。
「……そうか」
二人がまた黙った。煙草の煙だけが動いた。
しばらくの沈黙ののち、ハガーがぼそりと田中だけに聞こえるようにつぶやく。
「娘を、よろしく頼む――」
それに田中からの返事はなかった。だが、何も言わないことこそが、確かな返答だとハガーは感じていた。
ネネが遠くから二人を見ていた。何も聞こえなかった。でも見えた。(パパが)(田中と話している)(……まあいい)(今日は何回言ったかわからない)(書かなくていい)
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その頃、神界では——
「本日の特記事項です。田中剛と大魔王様が深夜まで酒宴をされていました。煙草の交換も確認しています」
「……深夜まで」
「ネーネちゃん発言は本日二回です」
ウルダの口元が動いた。動いて、止まった。「……寛大に」
「笑われそうになったことも記録しません」
「毎度寛大で感謝の至りです」
「寛大一回。記録しました」
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さらにその頃、魔界の別室では——
「大魔王様と田中殿が深夜まで飲んでいます!!」とゾルグが報告した。
「知ってるわ」とグレインが言った。「見ればわかるだろ」
「なんか仲良くなってますよね!!昨日殴り合ってたのに!!」
「なるほどね。男はそういうものだ」
「なるほどねって何がですか!!」
「殴り合えばわかる、と言っていただろう。大魔王様が」
「なるほど(少しわかった)」
「なるほどね(少しだけ)」
フィルナが「ハガー様、田中さんのこと気に入ったんだね〜」とおっとり言った。
「……なるほどね(これは正しい)(認めてない)」
「よかったねぇ」
「何がですか!!(ゾルグ・泣きながら)」
「ネネちゃんも、なんとなくよかったんじゃないかな〜」
全員が静かになった。
ゼフィーラが書類から目を上げた。「フィルナ」
「え〜なに〜?」
「それ以上言うな」
「え〜なんで〜?」
ゼフィーラが書類に戻った。今日も理由は言わなかった。
※おじさん解説!
昭和の職場では「とりあえず生」という文化がありました。宴会が始まると、飲めても飲めなくても全員が生ビールを頼む。上司が飲み干すまで席を立てない。二次会・三次会が当たり前。翌朝も普通に出社する。それが昭和のサラリーマンでした。田中も二十三年間そうしてきました。
今は違います。異世界の魔界で、大魔王と二人で好きな酒を好きなペースで飲んでいます。誰も「とりあえず生」と言いません。上司もいません。田中が飲みたいものを飲んでいます。田中史上、おそらく初めての飲み方です。
酒場といえば、ウィザードリィというゲームがあります。一九八一年にアメリカで作られ、日本ではファミコンに移植されました。ゲームの始まりは「酒場でキャラクターを作る」ことです。冒険者が酒場に集まり、仲間を雇い、ダンジョンへ向かう。酒場が冒険の出発点でした。昭和のゲーム少年には「酒場=強い人が集まる場所」というイメージがあります。
田中と大魔王が深夜まで飲んでいた光景は、ウィザードリィの酒場に少し似ていると思います。ただし二人とも最初は殴り合っていました。
以上です。(おじさん調べ)
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※神界業務日報 第九十回
本日の特記事項。
大魔王様と田中さんが深夜まで飲んでいました。
なぜこうなったんですか、と言いました。無視されました。
よかった気がします。複雑です。
デコピンされました。よかったです。
ネーネちゃん、と聞こえました。二回。記録しません。
以上です。
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※魔王の家計簿 第九十回
パパと田中が深夜まで飲んでいた。
煙草を渡していた。田中が渡した。
二人とも黙っていた。
(パパが)(田中に何かを言っていた)(聞こえなかった)(聞かなくていい)
支出:酒代(魔界持ち)。田中は飲むだけ飲んだ。田中らしかった。
以上。
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※大魔王の独り言 第二回
人間・田中と酒を飲んだ。悪くなかった。
煙草をもらった。昭和とやらの味がした。
強くなろうとしている弟子がいた。シャツが破れていた。続けていた。
田中は「ネネたんがずっと強かった」と言った。
……そうだ。よくわかっている。
奴は悪くない男だ。だが。まだ認めていない。
以上だ。




