「グラ、うるさい」
パーティは宿を探していた。
田中が格調ある宿の前で足を止めた。「ここに——」
あと一歩。足が動かなかった。
体が勝手に、隣の安宿の方を向いていた。石造りの古びた外壁。看板の文字が半分消えかけている。窓が狭い。田中の体が魂の力で「《《ここだ》》」と言っていた。
(……体が言うことを聞かない)(俺には格調が必要なはずだ)(だが、足が動かない)
「格調ある宿にしてください!!」
エリュシアの声が飛んだ。田中の台詞を奪いながら指差している。
田中が「(うるさい)(だが体が正しい方向に向いている)(認めたくない)」と内心だけで言った。
「……体は正直だな」とネネが静かに言った。
「《《うるさい》》」
グラが田中の肩で「グゥ(うるさい)」と返した。
「お前もか」
「グゥ」
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昼前。アルスがいつものように鍛錬を始めた。
昨日、田中にシルクのシャツを買うよう命じられたので、言われた通りに買ってきていた。一枚で千Gもした。アルスがこれまで買ったシャツの合計より高かった。
腕立てを十回やったところで、肩口が裂けた。
「師匠ぉぉぉぉ!!シルクが!!」
「もっと上等なものにしろ。生地が薄い。足りなかった」と田中が言った。
(......も、もったいない)(だがそれは今の俺の台詞ではない)(格調だ)(格調のある発言をしろ)
田中の眉が、かすかに動いた。
アルスが腕立てを再開した。今度は十一回目で背中が裂けた。十三回目で袖が落ちた。
「師匠!!全部いきましたあああああああああああああああああああああ!!」
(千Gが)(布になった)(一回の鍛錬で)(無駄だ)(待て)(格調だ)(いや無駄だ)(格調)(無駄)(格調)(無駄)
田中の拳が、わずかに握られた。
「……もっと破ってしまえ」
「はい師匠!!」
(俺の手が)(こいつを殴ろうとしている)(なぜだ)(格調だ)(黙れ格調)
エリュシアが「シャツ代を削れ!!」と叫んだ。田中が「格調だ」と言い返した。エリュシアが「格調を削れ!!」と言った。誰も聞いたことのない台詞だった。
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夕方。エリュシアがまた叫んでいた。
「削れ!!常識だろうが!!論外です!!格調など——」
「うるさい」
どこかから声が、した。
エリュシアが止まった。田中が止まった。アルスが止まった。
ネネだけが「……とうとう来たか」と小声で言った。
グラが田中の肩の上で、静かに座っていた。そのサイズは以前よりも大きくなっていた。成長したのだ。
「……お前、縮まれ」と田中が言った。
グラが縮んだ。手のひらに乗るサイズになった。
「……でかくなれ」
グラがでかくなった。田中の肩では収まらないサイズになった。
「なんで今まで言わなかった」
「うるさいグゥ」
グラが二回目を言った。
全員がまだ動かなかった。
「……使えるな」
田中が歩き出した。四回目だった。
エリュシア内心:(グラさんに先を越されました)(私が言いたかったです)(なぜ悔しいのですか)(書けません)
「アルスさん」とネネが言った。「感想は」
「グラがしゃべりました」とアルスが言った。「うるさい、と言いました」
「そうだな」
「俺にも言ってくれますか?」とアルスがグラを見た。
「グゥ(うるさい)」
「師匠!!俺にはしゃべってくれません!!」
「常識だろうが」と田中が前を向いたまま言った。
グラが田中の肩に戻った。ちょうどいいサイズに縮んで、そこに収まった。
******
その頃、神界では——
「グラ・一号(田中命名)が初言語を発しました。内容:うるさい、三回です」
「……三回」
「田中剛も同日『うるさい』を一回発しています。一致しています」
ウルダが書類を閉じた。「……育ってますね」
「どちらがですか」
「……見守ります」
「見守り一回。記録しました」
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さらにその頃、魔界では——
魔導ケータイが鳴った。
「魔王様!!グラが言葉を喋りました!!内容は『うるさい』だったそうです!!」
ゾルグが息を切らして報告した。
「知っている。我も現場にいたからな」とネネが言った。
「現場に!!では魔王様はご無事で!!」
「無事だ」
グレインが横から割り込んだ。「ゾルグ、まとめろ。要点は何だ」
「グラの初言語が『うるさい』で、田中と一致しています!!」
「なるほどね。つまり田中の語彙がグラに移った」
「そういうことです!!」
「なるほどね」とグレインがもう一度言った。腕を組んで少し考えた。「……それで?」
「それ以上はないです!!」
「なるほどね(何もわかっていない)」
フィルナが「田中さんって、グラに一番伝わってるんだね~」とおっとり言った。
「(それは正しい)」とグレインが内心だけで思った。「認めてない」と声に出した。
「よかったねぇ」とフィルナが言った。
「何がですか!!」とゾルグが言った。
「ネネちゃん、楽しそうだったんじゃないかな~って」
全員が静かになった。
「…………」とグレインが沈黙した。
「(そこを突くな)」とゾルグが内心で思った。泣いた。理由は自分でもわからなかった。
※おじさん解説!
ゲームのお供といえば「攻略本」ですが、昭和のゲーム少年にとって最大の謎は「ファミコンを吹くと直る」でした。カセットの端子に息を吹きかけるアレです。なぜ直るのか誰も知らないまま全員やっていました。科学的には逆効果だそうです。それでも直った。昭和はそういう時代でした。良い子のみんなは、接点復活剤で端子を磨きましょう。
グラがサイズを変えられることを今まで言わなかった件について、田中は「なぜ言わなかった」と聞きました。グラは「うるさい」と言いました。ファミコンを吹いたら直った時と同じ顔を田中はしていたと思います。理屈はわからないが、使える。それで十分です。
なお昭和のペットといえば「ミドリガメ」が定番でした。屋台で買って、気づいたら大きくなっている。グラに近いものがあります。
ほかにも「金魚」と「カラーひよこ」がよく見かけられました。縁日の金魚すくいで取ってきた金魚は、だいたい一週間で死にました。カラーひよこは祭りの屋台で売っていた、絵の具で染められたひよこです。かわいいのですが、これもすぐ死にました。昭和の子供は生き物の儚さをペットで学んでいました。
以上です。(おじさん調べ)
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※神界業務日報 第八十三回
本日の特記事項。
グラさんが「うるさい」と言いました。私より先でした。
悔しいです。理由:書けません。
「削れ」は本日も複数回出ました。記録を省略します。
以上です。
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※魔王の家計簿 第八十三回
グラが言葉を覚えた。最初の言葉が「うるさい」だった。田中語だ。
田中が「使えるな(四回目)」と言った。
我への四回目はまだない。今後の課題とする。
支出:シルク代(アルスが全部破った)。
以上。
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※グラの一日 特別枠・第一回
グゥ(うるさいと言った)
グラ(縮んだ)
グゥ(でかくなった)
グラ(田中が使えると言った)
グゥ(うるさい)
以上だ(田中語で覚えた)
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※アルス修行日誌 第八十三回
グラがしゃべりました。うるさい、と言いました。私にも言いました。
シルクのシャツが全部破れました。三千Gも浪費しました。
師匠が「もっと破れろ」と言いました。ぜぇんぶ破れました。
師匠の拳が少し動いていました。気のせいかもしれません。
明日は綿のシャツに戻します。師匠には言いません。
以上です。




