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異世界最強の節約勇者 〜神も魔王も全員、俺の財布の敵〜  作者: 勇者ヨシ君
第4章:習慣は、呪いより強かった

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「腹筋は関係ないでしょ!!」

 昨日より悪くなっている気がした。


 根源の塔に向かう前の朝。


 それだけははっきりしていた。

 (いつもより少し高級な)宿の前に出た田中が空を見上げた。


 晴れていた。根源の塔が遠く見える。昨日と同じ景色、昨日と違う自分。その違和感が、まだ続いている。


「今日の行程はどうしますか」とエリュシアが聞いた。


「格調ある宿で英気を養ってから進む」


「——論外(アウト)です!! 行程を削れ(コストカット)!! 常識だろうが!!」


 一拍あった。


 エリュシアが自分の口を手で押さえた。

(三つ出ました)(田中さんの台詞が)(三つ同時に出ました)(処理中)


「……今日は三回だったな」と田中が言った。


「数えていたんですか!!」


「俺の台詞だからわかる」


「返してください!!」


「返し方がわからん」


 ネネが腕を組んで二人を見た。「……昨日より悪化しているな」


「悪化していません!!」とエリュシアが言いかけて、止まった。

(……しています)(認めます)(でも声に出しません)

「……悪化しています」


「認めたな」とネネが言った。

「認めていません!! 今のは処理中です!!」


「同じことだ」と田中。「格調が上がっているということだ。問題ない」

「問題しかありません!! 削れ!! 常識だろうが!! 論外(アウト)です!!」


 田中が静かに言った。「……今日は何回目だ」

「四回目です!! 数えさせないでください!!」


「何回でも良い」とネネが言った。「話を進めるぞ」


 全員が静かになった。ネネが正気の顔で二人を交互に見た。


「ネネ様だけが正気というのは……辛いですね」とアルスが小声で言った。


「やっと言ってくれたか、はぁ」


******


 道中に鍛具屋があった。


 アルスが足を止めた。「師匠!!ここに鍛錬用の器具が——」


「月額会費が高い上等な施設(ジム)で鍛錬するべきだ。そういう場所を探せ」と田中が言った。


 全員が止まった。


 アルスが田中を見た。田中が店の前を素通りしながら言う。「格が落ちる。石床より上等な床材の施設に行け」


「あ、あの師匠が!?」「そんなことを!?!?」「言っているゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?!?!?」とアルスが三回に分けて絶叫しながら再確認していた。


「言っている」


 アルスは(師匠が言っている)(どういうことだ)(......腕立てしよう)と三段階で結論を出し、その場で腕立てを始めた。

 考えるより動く方が早いと判断した結果だった。


 そして、三回目で、シャツが破れた。びりっ。


 アルスが立ち上がり、破れた肩口を見た。「師匠!!また破れました!!」


 田中が振り返った。「次は……シルクにしろ」


「えっ」


「上等な生地でないと鍛錬の格が落ちる。次は店で一番高いシルクのシャツを買え」


「シ、シルクですか!?」


「格調だ。常識だろ——」


「シャツ代を削れ!!お前なんか布キレでいい!!常識だろうが!!」


 エリュシアの声が飛んだ。ドSが全開になった顔で田中を指差している。


 田中が静かに言った。「……それは全部、俺の台詞だろうが」


「今は私の台詞です!!」


「返せ」


「返せません!!口から出てしまいました!!」


「どうやって出した」


「勝手に出ました!!」


 アルスが破れたシャツのまま二人を見比べた。「あの、師匠と女神様の言ってることが……《《逆》》になっている気がするんですが」


「気のせいではない」とネネが言った。「術式のせいだ。我だけが正気だ」


「ネネ様……ご苦労様です」とアルスが言った。


「誰も言ってくれなかった。ありがとう」


 ネネが少しだけ目を細めた。アルスが「はい師匠!!(破れたまま続ける)」と腕立てを再開した。何の師匠かは本人にも分かっていなかった。


挿絵(By みてみん)


******


 昼過ぎ。街中を探し回ったが、上等な体育施設というものは、道中に見当たらなかった。


 田中が石畳の広場の前で止まった。「……ここで鍛錬できないか」


「石畳です」とネネが言った。「格調はない」


「では格調ある石を探せ」


「石に格調の差はない」


「ある。削れた石と削れていない石がある」


 ネネが一瞬だけ目を閉じた。(……正気の我に言わせるな)


 アルスが自主的に腹筋を始めた。広場の石畳の上で黙々とやり始めた。


「師匠!!上等な床材ではありませんが始めます!!」


「……格が落ちる。やめろ」


「体が止まりません!!」


「腹筋は関係ないでしょ!!」


 エリュシアの声が、広場に響いた。


 全員が動きを止めた。エリュシアも、言った直後に固まった。

(……合っていました)(でも出どころが)(ドSから出てきました)(田中さんの立場から出てきました)(複雑です)


「……俺が言う立場を奪うな」と田中が言った。


「今は私が正しいです!!」


「それも奪った台詞だ」


「今回は本当に私が正しいので返しません!!」


 アルスが腹筋を続けながら「女神様の言ってることが師匠みたいになってる……」と呟いた。


「なっていない」とエリュシアが言った。「……なっていませんよね?」と後半はネネに向かって言った。


「なっている」とネネが言った。「我だけに聞くな。全員に聞け」


「全員になんて聞けません!!」


「なぜだ」


「……恥ずかしいからです」


 ドS成分が一瞬だけ引いた声だった。ネネが少しだけ得意げにドヤ顔をした。

「ふふん。我に聞いてよかっただろう?」


「……ありがとうございます」とエリュシアが言った。声がやや小さかった。

(正気なのは魔王様だけです)(神界業務日報に書きます)(書けません)


 グラが田中の肩で「グゥ」と一声鳴いた。


 田中が「行くぞ。格調ある宿を探しながら進む」と言った。


「格調ある宿は削れと——(止まる)……」


 エリュシアが深呼吸して歩き出した。アルスが腹筋の途中で立ち上がり、破れたシャツのまま続けた。


「格調ある生地はシルクです師匠!!」


「そうだ」


「高いです師匠!!」


「格調にはそれだけの価値がある」


「シャツ代を削れ!!(エリュシア)」


「それが聞きたかった(アルス)」


「言わせないでください!!(エリュシア)」


「……正気の我に誰も聞かなかった(ネネ)」


 グラが「グゥ」と鳴いた。それ以上は言わなかった。


******


 その頃、神界では——


「本日の田中剛・担当女神エリュシア経過報告です。価値反転(バリュー・リバース)デバフ継続中。エリュシアの外部発話回数:三十四回を確認しました」


「……三十四回」


「うち田中剛の確定台詞と一致したもの:三十一回。新規発話:三回です」


 ウルダが書類を置いた。「うぷぷ……エリュシアちゃんらしいですね」


「どのあたりがですか」


「……見守ります」


「見守り一回。笑い我慢一回、記録しました」


「寛大に......お願いします」

※おじさん解説!


 シルクのシャツといえば、バブル期のサラリーマンにとっての「格上の証明」でした。接待・飲み会・ディスコと、とにかくシルクを着ていれば「できる男」に見えた時代です。田中が二十代の頃、工場の先輩がボーナスでシルクシャツを買って自慢していたのを覚えています。「これ一枚で給料三日分だぞ」と言っていました。田中は「洗濯が面倒だろうが」と言い返したそうです。


 そもそもシルクは昔から命がけの商品でした。一九八七年にタイトーから出た『虹のシルクロード』というゲームがあります。シルクを求めて砂漠や遺跡を駆け抜けるアクションゲームで、ファミコンにも移植されました。アルスくんの旅と方向性は一緒です。シャツのために命を張っているという点でも一緒です。


 ゲームといえばドラゴンクエストシリーズにも「きぬのローブ」という高級装備が登場します。シルクは昔からゲームでも高かった。現実でも高い。変わりません。


 なお信長の野望シリーズでは「絹」が最重要交易品のひとつです。織田信長もシルクの価値は知っていた。歴史が証明しています。


 田中本人は当時も綿百パーセントのシャツを着ていました。洗濯が楽だからです。


 以上です。(おじさん調べ)


******


※神界業務日報 第八十二回


 本日の特記事項。


 「削れ」と言いました。三十四回言いました。言い過ぎました。

 田中さんが「それは全部俺の台詞だろうが」と言いました。

 三十五回目は少し控えました。

 「腹筋は関係ないでしょ!!」も言いました。合っていました。複雑です。

 アルスさんのシャツが破れました。シルクを勧められていました。

 私が削れと言いました。正しかったです。田中さんの立場から言いました。

 複雑です。以上です。


******


※魔王の家計簿 第八十二回


 本日も正気だった。誰にも信じてもらえなかった。


 ただし、アルスが「ご苦労様です」と言ってくれた。嬉しかった。書いてしまった。

 エリュシアが「恥ずかしいからです」と言った。正気の我だから聞けた。

 支出:削減済み(エリュシアが削れと言ったため)。

 以上。


******


※アルス修行日誌 第八十二回


 今日も師匠がおかしかった。女神様もおかしかった。ネネ様だけ正常だった。

 ご苦労様です、と言ったら喜んでいただけた。

 シャツが破れました。師匠にシルクを勧められました。

 女神様に削れと言われました。

 どちらが正しいかはわかります。でも師匠がシルクと言いました。

 明日、シルクの値段だけ確認します。

 腹筋は広場でやりました。石畳でも問題ありませんでした。

 以上です。

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