「価値が、逆さになった」
朝、出発前にトルネコが地図を広げた。
「SONYさんの本丸、わかりましたで。地元の情報屋から取りました。『根源の塔』言いまして——この山道を半日ほど行った先にある古い塔です。中に何かがある、とは昔から言われてるんですが、誰も詳しいことは知らんそうで」
「いくらだ」
「情報料は三千Gです〜。先払いでいただきました」
「領収書を出せ。あと今度先払いにしたら殴る」
「あちゃあ。もちろん出します出します〜」
田中が地図を一度見て、畳んでポケットに入れた。「行くぞ」
根源の塔に向かう道は、思ったより整っていた。石畳こそないが、誰かが踏み固めた形跡がある。商人か、盗賊か。以前に踏み込んだ冒険者のものかもしれない。
だが、いずれにしても田中には関係のない話だった。
「師匠、もし道中に強敵が出た場合は——」と、移動筋トレをしながらアルスが言いかけた。
「来たら倒す。それだけだ」
「シンプルすぎますぅぅ!!」
グラが田中の肩で「グゥ」と一声鳴いた。
木々が迫り、岩が増えた。空気がじわじわと重くなっていく。足元に薄い霧が漂い始めた頃、エリュシアが足を止めた。
「……何かあります。古い術式の残滓が、塔の周囲に」
「SONY様か」
「おそらく。最後の仕掛けかもしれません。田中さん、近づく前に——」
「よし、行くぞ」
「話を聞いてください!!」 さーい さーい さーい
エリュシアの叫びはむなしく空にこだました――。
******
塔の入口は、古い石造りで出来ていた。
苔が壁をビッシリと覆い、扉の上に見慣れない紋様が刻まれている。光ってはいない。だが空気が、かすかに震えているような雰囲気であった。
田中が三秒だけ扉を見た。「ここが根源の塔だな」
「……ええ」エリュシアが言った。
その瞬間だった。
紋様が、音もなくピカッと光った。青白い光が広がり、田中とエリュシアを包んで——間もなく消えた。
誰も動かなかった。グラだけが「グゥ」と一声鳴いた。
「——このあたりの宿は安すぎる。もっとよい宿に泊まらせろ」
「……はあ?」
アルスが聞き返した。
「格調のある宿でないと、英気が養えん。一番よい施設を用意するぞ」
静寂――――。
エリュシアが目を見開いた。
(田中さんが)(なんと)(格調ある施設がですって?!)
そして自分の口が、勝手に動いた。
「そんなの——"論外"だ!! 常識だろうが!! 削れ!!」
全員が固まった。
エリュシア本人が、いちばん固まっていた。
(ええ?……いま)(私が)(田中さんの台詞を)(なぜ私が!?!?)
「……なぜこれが私の口から出るのでしょう」
「削れと言ったのはお前だろうが」と田中が言った。「しかも俺の台詞を奪った」「パクリだ。パクリは重罪だ。著作権料をよこせ」
「奪っていません!! 口から勝手に出てきたんです!!」
「同じだ」
「違います!!」
ネネが二人を交互に見た。「……お前ら、なんか入れ替わっていないか」
「入れ替わっていません!!」とエリュシアが言い、「……上等な宿を探せ。これは必要な出費だ」と田中が言った。
「入れ替わっているな」とネネが静かに言った。
スクワットをしながらアルスが恐る恐る手を挙げた。「あの、師匠は普段、高い宿は削れっていう立場だったと思うんですが」
「そういう時代もあった」と田中が言った。
「そういう時代なんて、一度もありませんでした!!」とエリュシアが言った。「そして今の台詞も、本来は私が言うべきでは——」
「なぜだ」
「なぜなら私は普段、内心でだけ言っているからです!!」
「今は外に出てるだろうが」
「出したくて出してるんじゃありません!!」
******
ネネが田中の前に立った。「田中。お前、なんかおかしい。わかるか」
「……格調の問題だ——」
「それはお前の台詞ではないだろ」
田中が、止まった。
(俺は今)(なぜ格調などという言葉を)(不快だ)(これは)
「……なんだ、これは」
「入口にあった術式だろう。魔界の書物で見たことがある。"価値反転"——その者が最も拠り所にしているものを逆転させる仕掛けだ。SONY様の最後の置き土産だろうな」
エリュシアが即座に言った。「魔王様だけが正気ということですか!?」
「そうなるな」
「なぜですか!!」
「魔王属性は支配への反抗が本質だ。反転させる支配系の術式が効かない」
「……魔王だからだ」と田中が言った。
ネネが少しだけ得意げな顔をした。「……我のおかげか」
「そういうことになる」
「……まあ、認める」
エリュシアが深呼吸した。
(正気なのは魔王様だけ)(信じがたい状況ですが事実です)(処理します)
「解除するには、術式の根幹に当たるしかないということですね」
「それは塔の中にある。進むしかない」とネネが言った。
エリュシアが田中を見ると、田中が「ではセーブポイントとして、上等な宿を確保しながら進むぞ」と言った。
エリュシアの口が動いた。「——削れ!!(勝手に出た)……」
目を閉じた。「……はぁ」
ネネが腕を組んで、静かに見ていた。「……慣れろ」
「慣れられません!!」
「我は慣れた。一刻で」
「一刻で慣れないでください!!」
田中が塔の入口へ向かって歩き出した。「行くぞ。格調ある施設と高貴な設備を確認してから慎重に進む」
「格調ある施設など、塔の中にはありません!!」
「削れと言っているのに進むな、とも言った。どちらが本音だ」
「どちらも本音です!! 今は状況が!!」
グラが「グゥ」と鳴いた。
アルスが小声でグラに言った。「……なんか、すごいことになってきたな」
グラが「グゥ」と返した。それ以上は言わなかった。
******
その頃、神界では――
報告書がウルダの手元に届いた。
「根源の塔・入口付近にて"価値反転"が発動。田中剛・担当女神エリュシアの行動特性が反転した模様です」
「……そうですか」
「なお魔王様は無効とのことです」
ウルダがしばらく目を閉じた。「エリュシアちゃんの様子は」
「内心発言が全部、外に出てしまっているとのことです」
「……心中お察しします」
補佐官が記録した。「本日:お察し一回。増刷した却下印:使用ゼロ枚。残り三百枚」
「寛大に、見守らねば」とウルダが窓の外を見た。
「寛大一回。記録しました」
※神界業務日報 第八十一回
本日の特記事項。
根源の塔・入口付近にて術式が発動しました。
私に何が起きているかは把握しています。
「削れ」と言いました。一回目です。田中さんの言うセリフでした。
なぜ私が言っているのですか。理由:処理中。
内心が全部出ています。困っています。私の他の内心が出るかと思うと......。
これ以上書くと記録量が増えるので以上です。次回は三行にします。
******
※魔王の家計簿 第八十一回
本日から我だけが正気になった。
支出:宿代。田中が「一番いい宿がいる」と言った。阻止した。効果:あり。
エリュシアが「削れ!!」と叫んだ。田中の顔をしていた。
田中が「格調が必要だ」と言った。エリュシアの顔をしていた。
田中が「魔王だからだ」と言った。理由として正しかった。
少し誇らしかった。書いてしまった。
******
※アルス修行日誌 第八十一回
今日、師匠と女神様の様子がおかしくなりました。術式のせいだそうです。ネネ様だけ正常だそうです。
師匠が「格調ある宿がいる」と言っていました。いつも言わないことを言っていました。
今日の出来事を記録します。いつか師匠に話す日が来ると思ったからです。その時に師匠は「削れ」と言うと思います。
腹筋は今日も続けています。シャツは今日は大丈夫でしたが、結構パンパンです。
以上アルスでした。




