「長い。削れ。市場が選ばなかっただけだろ」
名前が長い組織ほど、自分の名前に守られたがっている。
削れば残るものがある。
残ったものだけが、本物だ。
ソレイユの中央通りに、使者が来た。
朝の市場が開き、砂漠の乾いた空気に香辛料の匂いが混じる時間帯に、黒い外套を纏った男が三人、田中たちの宿の前に立っていた。外套の胸元に、ヴェルム商会の紋章ではない別の紋章が刻まれていた。ヴェルムの者たちとは少し雰囲気が違い、我々は格が違う、と言わんばかりの圧をしていた。
先頭の男が、巻物を広げた。
「ヴェルム・テオドラート・エクシオン・ゼイオス商業連合体・砂漠地区統括管理機構・ソレイユ支部運営評議会の名において——」
「長い」と田中が言った。
男が止まった。巻物を持つ手が、微妙な角度で固まっていた。
「続けろ」
「……ヴェルム・テオドラート・エクシオン・ゼイオス商業——」
「削れ」
「……は」
「名前が長い。削れ。以上だ」
使者が、口をぽかーんと開けたまましばらく動かなかった。宿の前の石畳に朝の光が差し込んでいて、砂埃が細かくきらめいていた。その中で三人の外套が風に揺れている。絵としては威厳があった。ただ田中の一言で、その威厳の重心が少し、いやだいぶずれて、”間抜け”だった。
トルネコが帳面を開きながら「……名前、長いですわな〜」と小声で言った。「しかもこの長さで全部が一つの組織でっか〜。たまりまへん〜」
「これがS〇NYだ」と田中が使者を見たまま言った。
「……それは、何でしたっけ」とエリュシアが田中の隣に立ちながら静かに聞いた。今回は止めなかった。どうせ止められないことを、もう知っていた。
「独自規格で市場を囲い込んだ会社だ。自分の規格だけに名前をつけて、外から入れなくした。長い名前も同じ理屈だ。正式名称が長いほど、他の言葉で呼ばれたくない。自分の枠から出したくない。そういう構造だ」
「……なるほど(多分わかっている)」とギルが腕を組んだまま言った。書類を処理し続けてきた目が、使者の紋章から巻物の文字へと静かに動いていた。「長い名前の裏に、権利の層が重なっている。一つ削るたびに、また別の名前が出てくる仕組みだ」
「そうだ」
「……削れば終わる、ということか」
「削れば残るものがある。残ったものだけが本物だ」
ギルが少し黙って、それから短く頷いた。何かを確かめるような、静かな、そして確かな頷きだった。
******
「ソレイユを含む砂漠地区全域の流通権を、当機構が管理することになっている」と使者が巻物を読み直しながら言った。声に、先ほどより慎重さが滲んでいた。「市場規約の変更・物品流通への課税・農村への物資供給の制限について、正式な通達として——
「まず、書類を出せ」と田中が言った。
「こちらが正式な——」
「その巻物に効力を持たせるための上位許可書を出せ。ない場合は口頭の主張と同じだ。法的根拠がない。印鑑でもいいぞ。ほらどうした」
使者が一拍、止まった。組織からの使者として、この男は何度もこの巻物を使ってきたはずだった。普通の者なら、これであきらめるはずだった。
長い名前を読み上げるだけで相手が引いた経験が、体に染みているのだろう。田中の返し方は、その経験や、理の外側にあった。
そういわれて、使者は巻物を閉じ、外套の内側を探っていたが、その手も少しの時間の後、何もないことを悟って諦めた。
使者たちはすごすごと引き返していった。
******
昼前、宿の一室に書類が積まれた。
カーヴェが神界から降りてきたのは、朝の使者が引き上げてから二時間後のことだった。白いラボコートの胸元に自分のケータイが光っていて、エリュシアを見つけると「予告通りです」と言って書類の束を机に置いた。イースからの記録写しと、ゼフィーラが神界文書を精査して抜き出した許可証の原本が含まれていた。
イースの手紙は短かった。
『田中剛へ。800年分の記録から、ヴェルム系列の流通権設定の変遷を抜き出した。添付の通りだ。記録することと、使われることは別の話だと思っていたが、今日は使われてもいい気がした。——古木の森イース』
「イース、使えるな」と田中が読み終えて言った。
「私も一言」とカーヴェが書類の端を整えながら言った。「神界側の許可証の原本に、ヴェルム系列への流通独占権の付与を示す文書が三点あります。ただし、いずれも正規の審議を経ていません。決裁印が一つ欠けています」
「欠けているのは誰の印だ」
「ウルダさんの一つ上の承認者です」
エリュシアが書類を一枚手に取り、丁寧に確認してから顔を上げた。神力出力が制限されていても、書類を読む目に曇りはない。
「……この三点が無効になれば、流通独占権の根拠がなくなります」
「ふむ。お前、処理できるか」
カーヴェは「……処理します」と静かに、でも迷わずに言った。
それだけで話は終わった。エリュシアが書類を三点手に取って、自分の帳面を広げた。その手が、少しだけ速かった。
******
午後、使者が戻ってきた。
今度は五人だった。外套の紋章も違う。先ほどの三人より上位の者が混じっている編成で、ソレイユの中央通りに馬が繋がれていた。砂漠の午後の熱が石畳を揺らし、馬が鼻を鳴らしていた。
田中が宿の前に出た。
書類を一束、持っていた。
「正式な通達を持ってきました」と先頭の男が言った。「流通管理の権限に基づき——」
「根拠書類を確認した」と田中が言った。「神界承認印が欠けている。三点とも無効だ。書き直してから出直せ。以上だ」
「……神界の承認印など、確認できるはずが——」
「確認した。書類がある」
田中が一枚を渡した。男が受け取って、読んだ。目が動いた。ゆっくりと、また最初に戻って読んだ。
砂漠の午後の風が、外套の裾を一度だけ揺らした。
「……誰が、これを」
「書類の出所を聞くのか」
「…………」
「根拠があるか否かだ。あるかないかを言え」
男が口を閉じた。隣の男と視線を交わした。どちらも答えを持っていなかった。名前が長い組織の中で動いてきた者たちは、自分たちの名前の枠外からくる問いへの答え方を持っていない。
「ない、ということだな。以上だ。とっとと帰れ」
五人はその言葉でまたもや引かざるを得なかった。
馬がヒヒンと鼻を鳴らし、砂埃が細く舞い上がり、砂漠の大通りを遠ざかっていった。
「過剰書類、削減完了。節約完了だ」
エリュシアは、その一言を聞いて少しだけ目を伏せた。
(削った後に、届くものがある)
******
静かになった通りで、ギルが田中の隣に並んだ。
日が傾き始めていて、石畳の影が長く伸びていた。ソレイユの市場の声が遠くから様々な音が聞こえてくる。今日も人がいて、いろんな商品が売れていた。
「……削れたのだな」とギルが言った。
「そうだ」
「でも、また奴らは来るぞ」
「来るだろう。名前を変えて来るが――、次も削る。ただ、それだけだ」
ギルが少し間を置いた。砂漠の夕方の光の中で、少し目を細めながら前を向いていた。
「……削った後に残るものが、本物か」 そういって田中を見ながら、フ――、とわずかな笑みを浮かべる。
「そうだ」
「……父の記録が、今日も使われた」
「そうだ。四回目だな」
ギルが一度だけ目を閉じた。それから、一呼吸。目を開いて前を向いた。
「……使えるな、と言うのか」
「そうだ」
「……それも、四回目だ」と、ギルは静かに言った。
カウントが、田中のものと同じになっていた。エリュシアがそれを少し離れたところから見ていて、帳面に一行書いた。
(ギルさんが、自分から言いました)
(田中さんが言う前に)
(……ギルさんも、積み上がっています)
(あと、私も言われた...い)
(そもそも私、ほとんど何もしてなくないですか今回!?)
(勇者の相棒として、これでいいの私!?)
(頑張れエリュシア、貴女はやればできる女神なのよ――!)
エリュシアは自分で内心ツッコミを入れながら、必要な事項を書いてから帳面を閉じた。閉じる前に、もう一行だけ付け加えた。
(書く欄:ありました)
******
その頃、神界では——
カーヴェが執務室に戻ったのは夕方で、ウルダが窓の外を見ながら腕を組んでいた。砂漠の空は夕焼けが鮮やかで、その色が窓から切り取られてウルダの輪郭を染めていた。
「ヴェルム系流通独占権の根拠書類、三点が無効化されました」とカーヴェが書類を机に置きながら言った。「女神エリュシアが処理しました」
「……ほう、エリュシアが」
「「処理します」と言って、迷いませんでした」
ウルダが窓から顔を動かして、カーヴェを見た。
「古木の森、イースさんから800年分の記録が届いていました。「今日は使われてもいい気がした」と書いてありました」とカーヴェが続けた。「ゼフィーラさんからも、神界文書の精査結果が届いていました。どちらも正規ルート外でしたが」
「……寛大です」
「何が寛大なんですか」
「800年書き続けた記録が、今日使われました。エリュシアさんが「規定外」を選びました。ギルさんが自分で「使えるな」と言いました」とウルダが静かに言って、また窓の外を見た。砂漠の夕焼けがゆっくりと暗くなっていくのを、しばらくそのままにしていた。「今日、たくさんのものが削れましたね」
「……残ったものが本物、ということですかね?」
「それが、寛大なことです」
今日のウルダの顔は、珍しく、穏やかだった。
■神界業務日報 第77回 記録者:エリュシア
本日の命名:ヴェルム・テオドラート・エクシオン・ゼイオス商業連合体・砂漠地区統括管理機構・ソレイユ支部運営評議会→SONY。
長さについては特に申し上げません。
書類を三点、処理しました。規定外でした。
「処理します」と言いました。今度は言えました。
イースさんの手紙に「使われてもいい気がした」とありました。
書く欄:ありました。以上です。
■魔王の家計簿 第77回 記録者:ネネ
本日の支出:なし。
流通独占権の根拠書類:無効化された。
書類三点で片付いた。材料費:ゼロ。
ギルが「使えるな」を自分で言った。
田中より先に言った。
記録した。我は見ているだけであった。以上。
■イースの記録帳
今日、田中剛が神界の設計者に市場論理を説いた。
800年で最も記録しにくい日だ。
使われた。悪くなかった。
■ギル修行(仮)日誌 第5回
「使えるな」と自分で言った。
田中に言われる前に言った。
言えた。
四回目だ。
■※おじさん解説!
今日は「SONYの規格戦争」の話をするぞ。
VHSとBetamaxの戦いは72話で話した。
でもSONYの「独自規格で囲い込む」戦略は、その後も続いた。
【メモリースティック】
SONYが1998年に作った記録メディアだ。
カメラやウォークマンに使える。
問題は「SONYの製品でしか使えない」ことだ。
他のメーカーはSDカードを使っていた。
市場はSDカードを選んだ。
メモリースティックは2010年代にほぼ消えた。
【ATRAC】
SONYが作った音楽圧縮形式だ。
ウォークマンで聴ける。
問題は「SONYのウォークマン以外では聴けない」ことだ。
市場はMP3を選んだ。
ATRACは2012年にほぼ終わった。
【MD】
1992年にSONYが発売した音楽記録メディアだ。
CDより小さくて、録音もできる。持ち運びに便利だった。
当時のおじさんはMDウォークマンを持ち歩いていた。
好きな曲を録音してタイトルを入力して、それが楽しかった。
でもMDも独自規格だった。
PCとの連携がATRACを通さないとできなかった。
iPodが出た。音楽がPCから直接入れられた。
市場はそちらを選んだ。
MDは2013年にほぼ終わった。
田中的評価:「使いやすかった。でも囲い込んだ。削れ」
おじさん的追記:「MDのタイトル入力は面倒だったが好きだった」
【共通の構造】
技術は本物だった。
でも「自分の規格だけで囲い込んだ」。
市場は、開いている方を選んだ。
田中的結論:
「独自規格で囲い込んで、市場に負けた。それだけだ。削れ」
―――――
ここからはゲームネタだ。規格戦争の話が続く。
【セガサターン vs プレイステーション(1994年〜)】
セガとSONYが家庭用ゲーム機の覇権を争った時代だ。
セガサターンは基板設計が複雑で、開発が難しかった。
プレイステーションは開発しやすかった。
ゲームメーカーが集まった方が勝つ。
市場はプレイステーションを選んだ。
セガはその後ドリームキャストを出した。
「GD-ROM」という独自規格のディスクを使った。
DVDが普及し始めたタイミングで、独自規格は弱かった。
セガはドリームキャストを最後に、ハードから撤退した。
田中的評価:「SEGAだ。やることは派手だが外し続ける」
(※ウルダさんの命名理由はここから来ています)
【PSP と UMD(2004年〜)】
SONYが出した携帯ゲーム機PSPは、「UMD」という独自ディスクを使った。
UMDで映画も見られる、という触れ込みだった。
でもUMDで映画を見られる機器はPSPしかなかった。
市場はDVDを選んだ。UMDの映画ソフト展開は数年で縮小した。
田中的評価:「また独自規格だ。学習しない。SONYだ。削れ」
【任天堂の場合】
任天堂は独自規格を作ることもあるが、「ゲームが面白い」を最優先にしてきた。
ゲームボーイは性能が低かったが、電池が長持ちして外で遊べた。
DSは二画面という独自設計だったが、「タッチで遊ぶ」という体験が本物だった。
市場は体験を選んだ。
田中的評価:「任天堂様だ。本物を作る。手堅い。質がいい」
(※田中さんの最高評価がここから来ています)
長い名前も、同じ構造だ。
自分の枠で相手を囲い込もうとした。
田中が「削れ」で一言で終わらせた。
残ったものが本物だ。常識だろうが。




