「飯を食え、生きていればそれでいい」
田ノ里の飯は、変わらずうまかった。
変わらないものが、ここには残っている。
それだけで充分だと、田中は思う。常識だろうが。
一行が砂漠を出ると、空気が変わった。
乾いた熱が引いて、草の匂いが混じり始める。田ノ里まであと半日という道の途中で、ネネが「ようやく、砂漠ではなくなったか」と言った。
「そうだ」と田中が答えた。
「草があるぞ!牛も、馬もおるな」
「そうだ」
「……悪くない、我は良い気分じゃ」
「そうだ」
ネネが少し間を置いた。「......”そうだ”を連発するな」
「そうだ」
「また言ったな!!」
そのやり取りの中、アルスが、いつものうさぎ跳び筋トレでぴょんぴょん跳ねながら「(ぴょん)田ノ里は師匠が以前行ったところですか!!(ぴょん)」と言った。
「そうだ。飯がうまい」
「(ぴょん)なら、飯が目的ですか!!(ぴょん)」
「それだけじゃない。ハドソンの確認がある」
「(ぴょん)ハドソンさんとは!!(ぴょん)どんな方ですか!!(ぴょん)」
「三代目だ」と田中が前を向いたまま言った。それだけで終わった。
「(ぴょん)三代目!!(ぴょん)何の三代目ですか!!(ぴょん)」
「うるさい、話すか筋トレするかどっちかにしろ。削れ」
「(ぴょん)はい!!(ぴょん)」 ゴツン! いつも通り田中の制裁が下った。――が、アルスは筋トレをやめることはしなかった。
エリュシアが内心で補足した。
(田ノ里は、前の世界から来た先代の足跡が残っている場所です)
(田中さんが「懐かしい匂いがする」と声に出した、数少ない場所の一つです)
(書く欄:ありました)
(あと相変わらず動きがキモいのに、もう見慣れてしまいました...)
フィオが形の良い石を一つ拾って磨き始めた。歩きながら磨いていた。砂漠でも磨いていたが、草地でも磨いていた。フィオにとって石は場所を選ばないらしい。
「……フィオさん、ずっと磨いていますね」とエリュシアが言った。
「習慣だ」
「田中さんと同じ言葉ですね」
「違う」
「でも今、同じ言葉を——」
「違う」
フィオが少し早口になった。エリュシアが内心で「(言い切りました)(でも顔が少し赤いです)(草地の風のせいだと思います)」と書いた。
******
田ノ里に入ると、前回と少し違う空気があった。
引き戸の間から子供の声が聞こえる。前回は静かだった。路地を歩く住人の顔が、わずかに柔らかい。「田」の字の家紋が並ぶ通りに、小さな露店が二軒出ていた。手作りの干物と、発酵させた野菜の漬物、納豆等を売っていた。
田中が露店を一秒見た。
「……仕入れたか」
声が聞こえたのか、露店の奥からハドソンが出てきた。前回と同じ口下手で真面目な顔だが、目の下のこわばりが少し取れている。
「来てくれたか」と言った。前回より、わずかに早かった。
「来ると言った」と田中が答えた。
「……帳面をつけ始めた。前回に教わった通りに」
「見せてみろ」
ハドソンが帳面を差し出した。田中が受け取って、黙って読んだ。
......一ページ、二ページ。
アルスがぴょんぴょん跳ねながら「(ぴょん)ハドソンさんは田中師匠のお知り合いですか!!(ぴょん)」とハドソンに話しかけた。
「……お前は何をしながら歩いているんだ」
「(ぴょん)腹筋です!!(ぴょん)移動中も鍛えられます!!(ぴょん)」
「移動しながら腹筋ができるのか」
「(ぴょん)習慣です!!(ぴょん)師匠に教わりました!!(ぴょん)」
ハドソンが少し間を置いて田中を見た。田中が帳面から目を上げずに「弟子だ」と言った。
「……なぜ跳ねているんだ」
「習慣だ。気にするな。気にしたら負けだ」
ハドソンが「……わかった」と言って、跳ねているアルスから目を離した。
「数字が合っている」と田中が帳面を返しながら言った。「前回より精度が上がった。誰かに教わったか」
「田中さんの書いた手順書を何度も読んだ」
(「使えるな」は、言いませんでした)
エリュシアが内心で記録した。
(でも帳面を返した手が、少し丁寧でした)
(田中さんの「よく見た」という意味の動きを、私は知っています)
(書く欄:ありました)
ハドソンが露店の方に目を向けた。「先代の記録に『余ったものは外に出せ。人に渡せ。それが投資になる』とあった。やってみた」
「いくら動いた」
「一日で十二G 動いた」
「悪くない。続けろ」
ハドソンが「……わかった」と言った。その「わかった」は、前回よりずっと早かった。
その横で、フィルナが露店の干物を覗き込んで「わあ!! ここのお店、すごく手が込んでいますね!!よかった!!」と言った。
「……売り物だ」とハドソンが言った。
「たくさん買います!!」
「……ありがとう」
「ネネちゃんの分も買います!!買えてよかった~!!」
「……ありがとう」
ハドソンの表情が少しだけ緩んだ。田中がその顔を一秒見て、前を向いた。
(露店に初めてお客さんが来た顔ですね)
(でも、これからはきっと、もっと――)
エリュシアが内心で記録した。
(フィルナさんは、天然で正しいことをすることがよくあります)
(書く欄:つくります)
******
昼前、ハドソンが誘ってくれたので、全員で飯を食わせてもらうことになった。
味噌に近い発酵調味料の汁物と、固めに炊いた穀物と、干し肉の煮付けだ。田ノ里の飯は、前回と変わっていなかった。変わっていないことが、ここでは正しかった。
アルスが一口食べて「(ぴょん)うまいです!!(ぴょん)」「筋肉に効きますかね――?」と言った。
「跳ねながら食うな、みっともない」
「(ぴょん)すみません!!(ぴょん)でも本当にうまいです!!(ぴょん)」
「跳ねるな。行儀が悪い」
「(ぴょん)体が覚えてしまっています!!(ぴょん)」
「食事中だけやめろ。常識だろうが」
「(ぴょん)はい!!(ぴょん)……(ぴょん)」
ビシッ!!田中の激しいチョップがアルスの頭に直撃する。
が、筋トレで鍛えられた体には、チート無効中の田中の攻撃はさほど効いていないようだ。
「まだ跳ねてるのか」
「(ぴょん)すみません体が!!(ぴょん)」
田中は――諦めた。
ネネが汁物を一口飲んで、黙って飲み続けた。グラが膝の上でおとなしくしていた。フィオが干し肉を一口食べ、保存状態を確認するように噛んで「……燻製の温度管理が正確だ」と言った。料理の感想ではなかった。
「おいしいとかじゃないんですかぁ~?!」とフィルナが言った。
「うまい。技術が高いという意味で言ってる」
「あ、褒めてたんですね!!わかんなかった。でもよかったぁ!!」
「……そうだ」とフィオが言った。少しだけ間があった。
田中が汁物を飲んだ。飲み終えたら、椀を前に出した。
「おかわりだ」
ハドソンが「……もう三杯目だが――」と言った。
「何杯でも飲む。うまいから飲む。以上だ」
ハドソンは、それ以上何も言わずに椀に汁を注いだ。その手が、少しだけ満足そうに動いていた。トルネコが「田中さん、田ノ里来るたびに一番食べてますな〜」とにやにやしながら言った。
「飯がうまい店に金を落とすのは当然だ。常識だろうが」
「感想やなくて経済論になってますやん〜!!」
エリュシアが内心で書いた。
(田中さんが四杯も食べています)
(感情の出し方が、田中さんらしいです)
(ていうか塩分大丈夫でしょうか)
(書く欄:たくさんありました)
******
食後、ハドソンが奥の部屋から一冊の薄い手帳を持ってきた。
「……祖父が、先代の荷物の中に残っていたと言っていた。日本語で書かれていた。前回、見せようとして機会を逃した」
田中が受け取った。
表紙に、見慣れた文字が書いてあった。日本語だ。
前半はほとんど同じ内容だった。「今日も飯を食った。生きている」が続く。何十ページも。字が乱れない。どんな日も同じ筆跡で書き続けている。
田中がページをめくり続けた。
残り数ページのところで、文章が変わった。
『飯を食え』
それだけ書いてあるページがあった。
次のページ。
『生きていればそれでいい』
次のページ。
『今日も飯を食った。生きている』
それで終わっていた。
田中がしばらく、最後のページを見ていた。
何も言わなかった。
しばらくの時が過ぎて、手帳を閉じ、ハドソンに返した。
「……何か書いてあったか」とハドソンが聞いた。
「飯を食え。生きていればそれでいい」
「それだけか」
「それだけだ」
ハドソンが少し間を置いた。「……先代らしい」
「そうだな」と田中が言った。
それだけだった。
田中が椀を前に出した。
「もう一杯もらえるか」
「五杯目だが」
「五杯でも飲む。以上だ」
ハドソンが注いだ。
エリュシアが、少し離れたところから、それを見ていた。声には出さなかった。出せなかった。
(……飯を食え。生きていればそれでいい)
(田所一郎さんが書きました)
(田中さんが読みました)
(何も言いませんでした)
(おかわりしました)
(それが、田中さんの「よくやった」なんだと思います)
(声になりませんでしたが)
(わかりました)
(絶対に書きます)
フィルナが「田中さんって、本当にあの汁物が好きなんですね!!ほんとによかった!!」と言った。
「……よかったとは何がだ」とネネが聞いた。
「おいしいものをおいしいって言える人だってわかったから、よかったな、って!!」
ネネが少し黙った。
「……そうだな」
グラが「グゥ」と鳴いた。田中は前を向いて汁物を飲んでいた。
******
午後、田ノ里の路地を歩いていた。
田中が足を止めた。
路地の端、日当たりのいい空き地で、子供が三人しゃがんでいた。石ころを地面に並べて、何かを作っていた。碁石のように並べる子。棒で地面に線を引く子。石を一個ずつ動かしながら何かのルールで競っている子。
田中がそれを見ていた。
三秒。
五秒。
(……昭和にあった)
田中の視線が、石から地面の線へ、線から子供の手へ、手から並んだ石の配置へと動いた。
(あれは)
(……作れる)
(いや、違う。あれじゃない。もっと別のやつだ。動かせる。音が出る。絵が出る)
(……作れるか)
(作れる。昭和にあった。ならば、作れる)
何も言わなかった。歩き出した。
エリュシアだけが、田中の足が止まったことに気づいていた。
(……何か見ていましたね)
(子供たちの遊び)
(田中さんの目が、何かを計算していました)
(聞けません)
(でも)
(いつか教えてくれると思います)
(その時まで、私が、記録しておきます)
フィオが子供の遊びを横目で見ながら「……石を使っている」と言った。
「そうだ」とネネが言った。
「石はいい。タダだ」
「田中と同じことを言ったな?」
「違う」
「今日二回目だ」
「……うるさい、魔王は黙ってろ」
フィオが石を磨く速度が少し上がった。顔はやっぱり少し赤かった。
******
夕方前、出発の準備をしながら、トルネコが帳面を見ながら田中に話しかけた。
「田中さん〜。道中の荷物がだいぶ増えてきましたわ〜。地図を毎回広げるのも手間でっしゃろ〜。在庫の管理と地図が一個になったら最高ですわ〜。何かいい方法ありますかね〜」
田中が少し止まった。
「……有用だ。考える」
「お! 前向きな返事が来ましたで!!」とトルネコが帳面を叩いた。「期待してまっせ〜!!」
「考えると言った。まだ作ると言っていない」
「でも検討段階には入ったってことでっしゃろ〜!! 田中さんが『考える』と言った時は、たいてい翌週には何かできてますわ〜!!」
「……そうだな」と田中が前を向いたまま言った。
エリュシアが内心で記録した。
(「有用だ。考える」を言いました)
(これは田中さんの中で何かが動いた時の言葉です)
(「有用」「考える」が連続して出た時が一番危ない組み合わせです)
(何ができるのかは、まだわかりません)
(楽しみだと思っていることは、書けません)
ハドソンが村の入口まで見送りに来た。田中がハドソンを一度見た。
「次に来た時、また飯を食わせてもらう」
「……待っている」
「帳面をつけ続けろ。投資を惜しむな」
「わかった」
田中が歩き出した。今回の「わかった」は、かなり早かった。
ハドソンがその背中を見送りながら、小さく言った。
「……先代も、こういう人だったのか」
田中は振り返らなかった。
歩き続けた。
******
その頃、神界では——
「田ノ里の再訪確認が取れました」とカーヴェが書類を置きながら言った。「ハドソンさんが帳面をつけ始めたそうです。田中さんが味噌汁というものを、五杯おかわりしました」
「……五杯も」
「はい」
「田所一郎の手帳が出てきました。最後のページは『飯を食え。生きていればそれでいい』だったそうです」
ウルダがしばらく黙っていた。
「……田中さんは、何と言いましたか」
「おかわりしました」
「それだけですか」
「それだけです」
また沈黙があった。
「う……寛大なことです」
今日は、静かな声だった。少しだけ、遠くを見ているような目をしていた。
カーヴェが書類をもう一枚置いた。「田中さんが路地で子供の遊びを五秒ほど見て、何かを考えていたそうです。エリュシアさんが記録していました」
「……何を考えていたのでしょうね」
「わかりません。でも目が、計算していました」
「……寛大に、見守ることにします」
その顔は、少しだけ、心配そうだった。
■田所一郎の日記
今日も飯を食った。生きている。
それと、飯を食え。
生きていればそれでいい。
■神界業務日報 第75回 記録者:エリュシア
本日、田ノ里を再訪しました。
ハドソンさんの帳面の精度が上がっていました。
田中さんが五杯おかわりしました。感情の出し方が、田中さんらしいです。
田所一郎さんの手帳の最後に「飯を食え。生きていればそれでいい」とありました。
田中さんは何も言いませんでした。おかわりしました。
わかりました。
田中さんが路地で立ち止まって子供の遊びを見ていました。
何を考えていたか、聞けませんでした。
書く欄:今日はたくさんありました。全部は書けません。
以上です。
■魔王の家計簿 第75回 記録者:ネネ
本日の支出:田ノ里での食事代(田中が払った)。
田中が五杯食べた。
先代の記録に「飯を食え」とあった。
田中が読んだ。おかわりした。
フィルナが「おいしいものをおいしいと言える人だとわかった」と言った。
……我も、食べた。三杯。うまかった。
以上。
■※おじさん解説!
今日は「飯を食え」の話をするぞ。
昭和という時代、日本人にとって「飯を食え」は最上級の言葉の一つだった。
心配している。気にかけている。元気を出せ。
全部その四文字に入っていた。
昭和のおじさんは感情を言葉にしない。
「頑張れ」と言う代わりに「飯食ったか」と聞く。
「大丈夫か」と言う代わりに「飯でも食っていけ」と言う。
それが全部だった。
田所一郎(元工場職人・享年不明)が最後に書いたのが「飯を食え。生きていればそれでいい」だった。
剣を一生持たなかった。土を耕して死んだ。
神界には「使えない」と判断された。
でも田中剛(享年46歳・現在現役)はその記録を読んで五杯おかわりした。
言葉はなかった。
それで充分だ。常識だろうが。
―――――
ここからはゲームネタだ。
【牧場物語シリーズ】
1996年にスーパーファミコンで発売された農業シミュレーションゲームだ。
主人公は都会から田舎に来て、荒れた農地を耕し、作物を育て、家畜を飼い、
村人と交流しながら暮らしを立てる。
剣は持たない。魔王も倒さない。ただ土を耕す。
田所一郎は剣を一生持たず、土を耕して死んだ。
神界に「使えない」と判断された。
でも田ノ里の三代目は今日も帳面をつけている。
牧場物語の主人公と、やっていることが同じだ。
田中的評価:「農業は先行投資だ。土地と習慣があれば経費は最小だ。常識だろうが」
【MOTHER】
1989年に任天堂が発売したRPGだ。昭和の日本をモデルにした世界観で、
主人公のネスが宇宙人の侵略に立ち向かう話だが、見た目は完全に「昭和の子供」だ。
このゲームには「おかあさんに電話する」というコマンドがある。
電話するとHPが回復する。理由はない。おかあさんに電話するだけだ。
感情を言葉にしない。行動だけが変わる。
田所一郎が「飯を食え」と書いた。
田中剛がおかわりした。
MOTHER的に言えば「電話した」と同じだ。
田中的評価:「……電話代は経費だ。でも行動が正しい。以上」
【どうぶつの森】
2001年にニンテンドウ64で発売された生活シミュレーションゲームだ。
村で暮らす。虫を捕る。魚を釣る。住人に話しかける。
劇的なことは何も起きない。毎日少しだけ変化がある。それだけだ。
田所一郎の日記は「今日も飯を食った。生きている」が何百ページも続く。
どうぶつの森のプレイ日記に似ている。
何かを達成しようとしていない。ただ毎日を積み上げている。
それが全部だった。
田中的評価:「積み上げたものだけが本物だ。常識だろうが」




