「三万Gか」
石はタダだ。
だからこそ、石を置いた時の重さがわかる。
今日だけ、彼女は石を置いた――。
お風呂事件の翌朝、グレインが「偵察は終わった。認めてないが満足した。戻る。認めてないが――!」と言い、ゼフィーラが「現地確認は完了しました。業務に戻ります」と言い、カーヴェが「神界側で動きがあります。確認しに行きます」と言って、三人がそれぞれ砂漠の空に消えていった。
フィルナだけが「またね!! よかった~!!バイバイ!!」と手を振り続けていた。
田中が前を向いたまま「行くぞ」と言った。
******
ソレイユの郊外に、小さな農村がある。
砂漠の縁に沿って集落が点在し、地下水脈から水を引いて細々と香辛料を作っている。流通は行商人頼りで、値段の交渉力などない。田中が市場の調査がてら一度だけ通ったことがある場所だった。
午前中、フィオからケータイに連絡が入った。
一行での連絡だった。『村が動けない。来い』
田中が「行く」と返す。
「ソレイユ石貨の件が尾を引いているんでっすかね〜」とトルネコが荷物を持ち直しながら言った。
「そうだな、市場の通貨両替を崩されたことへの報復だろう」と田中が言った。「S〇NYは既得権を守る。規格外を許さない。商会が直接動いてきた」
エリュシアが内心で一行書いた。
(田中さんは昨日から知っていたのかもしれません)
(昨日の夜、地図を見ていました)
(今日のために見ていたのかもしれません)
(.......聞けません)
******
村に着くと、入口に商会の旗が立っていた。
ヴェルム商会の紋章だ。市場の中だけにあるはずの旗が、村の入口に二本、立っている。傍らに見張りが四人。装備が重い。商会の用心棒というより、排除のために来た顔をしていた。
村の中からは音がしなかった。
田中が入口に進んだ。見張りの一人が前に出た。
「この村はヴェルム商会の管理下に入りました。部外者は立ち入り禁止です」
「根拠を言え」と田中が言った。
「商会の決定です」
「書類はあるか」
「……」
「書類がなければ口約束だ。口約束なんてものに根拠はない。立ち入り禁止の効力はない。以上だ。出ていけ」
見張りが田中を見た。田中が見張りを見た。見つめ合う二人。動かなかった。
少しの膠着状態ののち、見張りが横に動いて、後ろの三人に目配せした。
三人が前に出てきた
「……師匠」とアルスが言った。腹筋をやめていた。珍しかった。
「やれ」と田中が言った。
******
今や筋肉お化けとなった、勇者?アルスが前に出た。
四人と正面から当たった。LV12だが、鍛え抜かれた体幹が砂地を踏んで、最初の一人をあっという間に弾き飛ばした。そしてポージング。
二人目が側面から来たが、アルスが腕で受けて押し返した。またもポージング。
三人目が魔道具を取り出したところで、田中が「アルス、下がれ」と言った。
「まだお見せしていないポージングがあるのに......(ぴょん)」
アルスが下がりつつ筋トレを再開すると、三人目の魔道具が光りはじめた。
広範囲に圧力がかかった。空気が重くなる感覚だ。田中は動けないが、エリュシアの神力が一瞬反応して、また沈んだ。ネネが唇を結んだ。魔力を使えばまだ動けるが、消耗が早い。
押し合いが続いた。
一分ほどして、田中が「フィオはどこだ」と言った。
「……来ます」とエリュシアが言った。「少し前から、気配があります」
「そうか」
田中が前を向いたまま、小さく頷いた。
それだけだった。
******
村の裏手の砂丘の上に、フィオがいた。
ずっとそこにいたのか、田中たちが来てから来たのか、誰も確認していなかった。砂色の砂丘に溶け込むような格好で立っていて、村全体を見下ろしていた。
右手に、石があった。
構えた。
届かなかった。距離がありすぎた。石が弧を描いて砂地に落ちた。
フィオが落ちた石を見た。――少し間を置いた。
一呼吸の後――、フィオは石を、砂丘に静かに置き、今までも一度も使ったことのない、腰の魔道銃に手をかけた。
引き抜く前に、フィオが村の方を一度だけ見た。視線が止まった場所がある。家の陰から顔を出している子供が一人、こちらを見ていた。フィオと目が合った。子供が引っ込んだ。フィオが前を向いた。
「……今日だけだ」と、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
魔道銃を引き抜いた。
******
遠くから、光が駆けつけてきた。
砂丘の上から、一本の光の線が走る。ソレイユの日差しの中でも視認できるほど鋭く、まっすぐで、その音は、後から追いついてきた。
まず三人目の魔道具が、弾き飛んだ。四人目が後退した。入口の見張り二人が座り込んだ。砂が舞い、敵は全員銃の威力で服がびりびりに破れ、真っ裸にさせられた。それから静かになった。
田中が砂丘の上を見た。フィオが銃を下ろしていた。
「今日は、石じゃなかったな」と田中が言った。
フィオが砂丘を下りてきた。田中の前に立って、短く言った。
「今日だけあるんだ。理由が」
「そうか」
「……一発、三万Gだ」
「三万Gか」
「そうだ」
田中が少し間を置いた。それから前を向いた。
「今日は使っていい。以上だ」
フィオはそれに何も言わなかった。銃を腰に戻して、村の入口を見た。
商会の見張りが全員、撤退していた。旗だけが砂地に残っていた。
田中が旗を一本抜いた。折って、荷物袋に入れた。
「証拠になるか」とギルが言った。
「証拠になる。書類に添付して訴える」と田中が答えた。
そして最後に一言ポツリとつぶやいた。
「今日は、節約未完了......」
******
村の中に入ると、住人が少しずつ顔を出した。
田中が村長らしい老人に状況を確認し、被害の記録を取らせた。トルネコが聞き取りを補助し、ギルが書類の形式を整えた。アルスが負傷した村人の手当を手伝いながら腹筋を再開した。フィルナが泣いている子供に声をかけた。「大丈夫だよ!!よかった!!」と言いながら。
エリュシアが少し離れたところから、フィオを見ていた。
フィオは村の端の井戸の縁に腰かけて、石を磨いていた。いつものフィオだった。銃はまた腰にある。さっきのことは終わった、という顔をしていた。
エリュシアが内心でまとめた。
(石投げの方が、今日は石を投げませんでした)
(石を――置きました)
(そして銃を使いました)
(「今日だけあるんだ。理由が」と言いました)
(理由は言いませんでした)
(……でも)
(その前に、一度だけ村の方を見ていました)
(誰かを見ていました)
(書けません)
(でも書けない理由が、今日だけわかった気がします)
ネネが井戸の近くでグラを膝に乗せたまま、フィオの横に静かに座った。何も言わなかった。フィオも何も言わなかった。砂漠の風が二人の間を抜けた。
田中が記録作業を終えて、村長に「書類は必ず保管しろ。次に来た時に使う」と言い残した。
「……また来るのか」と村長が言った。
「来る。この村の問題はまだ終わっていない。以上だ」
村長が黙って頭を下げた。田中が前を向いた。
帰り際、砂丘の上を一度だけ見た。石が一つ、砂の上に残っていた。フィオが置いた石だ。田中は何も言わなかった。
歩き出した。
帰り道、田中が歩きながらステータスを確認した。数字を見た。前と変わっていなかった。
勇者 田中剛
LV:7 チート:無効
スキル:昭和製造法(習慣・技能・経験値のみ有効)
魔王 ネネ
LV:5 魔力:低下中(回復中)
女神 エリュシア
神力出力:制限中(通常の1割以下)
アルス
LV:12 筋力は常人の100倍以上
「まだか」と田中が前を向いたまま言った。
誰に言ったのかわからなかった。たぶん誰にも言っていなかった。
******
その頃、神界では——
「ヴェルム商会の排除部隊がソレイユ郊外の農村に展開しました」とカーヴェが書類を広げながら言った。「田中さんたちが介入。フィオさんが魔道銃を初めて使用しました」
ウルダがしばらく黙っていた。
「……魔道銃を」
「はい。一発。三万G 相当です」
「使った理由は」
「フィオさんが「今日だけあるんだ。理由が」と言ったそうです。以上です」
また沈黙があった。
「……理由は」
「田中さんは、聞きませんでした」
「……聞かなかった」
「「今日は使っていい。以上だ」と言って終わりにしました」
ウルダが窓の外を見た。砂漠の空の方角を、しばらく見ていた。
「……寛大にしましょう」
今日は、静かな声だった。
■神界業務日報 第74回 記録者:エリュシア
本日の特記事項:石投げの方が、石を投げませんでした。
置きました。そして銃を使いました。
理由は言いませんでした。
でも一度だけ、村の方を見ていました。
……書けません。
でも書けない理由が、今日だけわかった気がします。
以上です。
■魔王の家計簿 第74回 記録者:ネネ
本日の支出:なし。
ヴェルム商会の旗:一本を田中が折った。証拠になるそうだ。
フィオが銃を使った。石を置いた後だった。
我は何も聞かなかった。
フィオも何も言わなかった。
砂漠の風は静かだった。
以上。
■ゾルグ魔界管理日誌 第74回
本日の報告。
田中さんより「S〇NYの動きを警戒しろ。以上」の一言連絡あり。
一言でした。三行より短かったです。
悔しいです。正しいです。
魔界:異常なし。以上。
■※おじさん解説!
本日、フィオさんが使った魔道銃は一発三万G だ。
1G ≒ 15円なので、三万G は約45万円だ。
45万円のパンチだ。
普通は撃てない。撃てば財布が死ぬ。
フィオさんが石を投げ続けているのはそういう理由だ。
石はタダ。財布が死なない。正しい判断だ。
参考までに昭和のゲームで一番弾代がかかったのは:
スペースインベーダーやギャラクシアンのレーザー砲だ。
百円玉を入れて撃ちまくる。
一ゲーム100円・十分で終わると600円/時間。
昭和の子供には高かった。
でもゲームセンターで100円の射的をやるよりは安かった気もする。
フィオさんの石はタダだ。
それが一番強い経済学だ。
田中的結論:「弾代はコストだ。石はタダだ。常識だろうが」
ただし今日は使ってよかった。
理由がある時は使え。以上だ。




