「石投げとけ(当たらない)」
石というものは、意外と届かないものだ。
届いた時のほうが大抵、問題になる。
今日の教訓:フィオの石は全部回収して、翼竜に渡せ。
夜明け前、砂漠の夜は冷えるが、明け方になると石壁がじわりと熱を持ち始める。
田中が宿の自室の扉を開けると、ネネがすでに廊下に立っていた。最近、いつものことである。
「早いな田中」
「お前もな」
「我は習慣になったようじゃ」
「同じ習慣だ」
それだけ言って、二人は歩き出した。
エリュシアが部屋の扉の隙間から、こっそりと二人の背中を見ていた。
(……また行くんですか)(私をおいて)
(朝、いません)
(毎朝です!!)
少しの間。
(……行きます)(もう我慢できません!)
(——エリュシア、いっきまーす!!!!)
心の中でだけ、ガッツポーズをした。女神なので声には出さなかった。
扉を静かに開いて、廊下に出た。二人の背中が見える。消えないくらいの距離を保ちながら、後ろを歩いた。
ギルが階段の踊り場から、その三人を見ていた。田中、ネネ、エリュシアの順で廊下を横切り、宿の外へ消えていく。
(……三人か)
(毎日、やっているのか)
(……習慣、ということか)
何も言わなかった。一段降りて帳面を開き、続きを書き始めた。
******
ダンジョンの入口、田中が一度だけ足を止めた。
振り返りはしなかった。前を向いたまま、「来るなら距離を詰めろ。迷子になる」と言った。
エリュシアが内心で一行書いた。
(……来てよかったです)
ネネが横目で後ろを確認してから、前に向き直った。口元が少しだけ緩んでいた。声には出さない。黙っていてやる、そういう顔だった。
三人が並んでダンジョンに入っていく――
******
洞窟をしばらく進んだところで、エリュシアの足が止まった。
左の岩盤に、うっすらと発光石の層が見えた。神力が制限中のはずなのに、ランタンの灯が一段明るくなった。
「……また反応しました。すみません、権限——」
「謝るな。索敵に使え」と田中が前を向いたまま言った。「お前も来るなら効率に入れる。歩きながら光る石を拾え。習慣にしろ」
エリュシアが三秒、動かなかった。
(役割になりました)
(いきなりです)
(早朝初参加で、いきなりです)
(……でも)
(う、嬉しいです!)
(書けません)
「……わかりました」
返事が少し大きくなった。ネネが前を向いたまま、口の端を上げた。声には出さない。
エリュシアが、左の岩盤に向かって歩き出した。制限中の神力が、石にだけ、正確に反応し続けた。
******
魔物を倒しながら三名が鍛錬していると、日中、アルス、フィオやトルネコなどの本隊メンバーがダンジョンに潜ってきた。
田中たちが魔物と対峙しているのを見つけ――フィオが石を一つ拾って構えた。
「あれを石で倒す」
全員が一秒止まった。
「やめろ!投げるな!」と田中が言った。
「(今回は)当たる」
「今まで何回外したんだ」
「……今回は当たる!」
「根拠を言え」
「感覚だ」
「却下だ」
フィオが黙った。田中が前に進んだ。三歩進んだところで、背後から小さな音がした。
「(……ぽいっ)」
投げた。弧を描いた石が、トルネコの荷物にめり込んだ。
「また荷物でっかーーーーー!!」トルネコが荷物を抱えながら叫んだ。「三回目でっせ!! 命中率は荷物にしかないんでっか!! 三回連続でっか!!」
「……狙いが外れた」
「前も言いましたやーーーーん!! 毎回言ってますやん!! そういう問題やないんですよ!!!大体、魔物おりませがな!!」
ギルが一歩引いた。荷物を持っていなくてよかった、という顔をしていた。というかドン引きしていた。次は俺の番かとドン引きしていた。
「次は《《当たる》》」とフィオが石を拾い直していた。
アルスが腹筋しながらぴょんぴょん跳ねて、「(ぴょん)次は俺が目標になりますよ!!(ぴょん)」と宣言した。
「目標になっちゃあきまへんーーーーー!!」とトルネコが叫んだ。
「当たっても鍛錬です!!(ぴょん)」
「そういう話ちゃいまんがな!!!!」
フィオが次の石を構えた。アルスが腹筋をやめずに的になろうとしていた。ギルが「……やめろ」と言って腕を引っ張ったが、アルスは「師匠の許可があれば!!(ぴょん)」と言って続けた。
「やめるな」と田中が言った。
「はい!!(ぴょん)」
「田中はーーーーーーーーーん!!」とトルネコが天を仰いだ。
フィオが石を投げた。――どう見てもギルの方向に飛んでいた。つまり明後日の方向ってワケ。
その瞬間、グラが石の軌道に入った。
「グゥ!!」
石をくわえ――そのまま、前方の魔物に向かって、ためらいなく投げ返した。
ドスっ。
命中した。魔物が倒れた。
広場が静かになった。全員が、グラを見ていた。
グラが田中の肩に戻って、「グゥ」と嬉しそうに鳴いた。
「グラの方が当たる」と田中。
フィオは動かなかった。石を握ったまま、五秒そのままでいた。
六秒目に、足元に石を置いた。
「——」
彼女は何も言わなかった。
「師匠!!(ぴょん)グラさんがすごかったです!!(ぴょん)」
「経費ゼロだ。先行投資の回収が始まった」
グラが「グゥ」と鳴いた。満足そうだった。
ネネが静かにグラを呼んだ。グラがネネの肩に移って、「グゥ」と鳴いた。ネネが一度だけ目を細めた。
「……よくやったな」
よしよし、とグラの頭と嘴を優しく撫でる。
トルネコが荷物をさすりながら「……グラはんはほんまに使えるようになりましたな〜」と言った。「でも荷物はもうやめてくださいよ〜……傷がついとります〜……」
「荷物、丈夫だな」とギルが言った。
「三回も当たったら傷つきますやろ!! 私の心もボロボロでっせ!!!」
エリュシアは、今回の件を内心でまとめていた。
(本日の石外れ:三回。うち命中:トルネコの荷物・二回、アルスの腹部・一回。正式な標的への命中:ゼロ)
(グラが石をくわえて命中させてました)
(田中さんが「先行投資の回収」と言いました)
(ネネさんが「よくやった」と言いました)
(同じことを、違う言葉で言っていました)
(書く欄:ありました)
「次は当てる」とフィオが言いつつ、性懲りもなくダンジョンの石を拾い集め始めていた。
「また拾ってるやないかーい!!こりてないがなぁ~~~」とトルネコが叫んだ。
「......あきらめろ、やらせとけ」と田中が言った。
******
その頃、神界では——
「エリュシア担当官が、早朝活動に初参加しました」とカーヴェが書類を捲りながら言った。「自分から後をついていった形です。内心ではガッツポーズをしていたらしいですよ。記録に残っています」
「残してはいけません」とウルダが言った。
「残してしまいました」
「削りなさい」
「削りました」
ウルダが腕を組んだまま窓の外を見た。「田中が一度も振り返っていないのに『距離を詰めろ』と言ったようです。」
「……それは」とカーヴェが手を止めた。「気づいていた、ということですよね」
「たぶん最初からです」
少し間があった。
「……私も」とカーヴェが静かに言った。「行こうかしら、あちらに」
「何しに行くんですか」とウルダが振り返った。
「索敵要員が一名増えれば効率が上がります。私もいじられに……いえ、技術支援に」
「言い直しましたね」
「言い直しました」
「寛大に、見守って差し上げます」
その顔は、寛大では、なかった。
■神界業務日報 第71回 記録者:エリュシア
本日、早朝活動に参加しました。
初日です。
田中さんは振り返りませんでした。
でも「距離を詰めろ」と言いました。
私のことだったのかどうか、聞いていません。
聞きません。
聞けません。
索敵要員になりました。
……来てよかったです。
以上です。
■魔王の家計簿 第71回 記録者:ネネ
本日の支出:なし。
早朝活動:参加者が一名増えた。
女神は声に出さなかった。
我は黙っていた。
グラが石を命中させた。評価:すごかった。
フィオが石を置いた。
支出管理帳に「プライド」の欄は設けていない。
以上。
■グラの一日 特別記録
グゥ(起きた)
グゥ(ネネの肩に乗った)
グゥ(ダンジョンに入った)
グゥ(石が飛んできた)
グゥ(くわえた)
グゥ(投げた)
グゥ(当たった)
グゥ(師匠に褒められた)
グゥ(ネネにも褒められた)
グゥ(最高だった)
※田中注:経費ゼロ。先行投資の回収が始まった。




