「魔界(と筋肉)がやばいことになっています」
ゾルグが三行報告に成功し、田中たちが魔界に向かいます。
一方筋肉も悲鳴をあげつつあるようです。
それが田中クオリティです。常識だろうが。
夜明けより早い時間に、この男は起きる。毎朝同じ時刻。誰にも言わない。誰も聞かない。それが、このおじさんのやり方――。
ネネが目を開けたとき、隣の毛布が空だった。
宿の外に出ると、空はまだ暗い。石畳の先、丘の向こうにダンジョンの浅層入口が見えた。そこに見覚えのある誰かが入っていった。ネネは何も言わず、そのまま人影の後ろを歩き出した。
浅層の一階。松明もない中、田中が壁際のスライムを一体ずつ仕留めていた。短刀一本。最短の動作。無駄がない。
(......やはり田中は、できる男だ)
ネネが隣に並んだが、田中は振り返らなかった。「邪魔だ」とも言わなかった。ネネも何も言わなかった。ただ反対側のスライムに向かって歩き出した。
グラが、どこからか付いてきていた。肩の上で「グゥ」と鳴いた。
田中は前を向いたまま「邪魔だ」と言った。
グラが悲しそうに「グゥゥ...」と鳴いた。
田中が短刀で次のスライムを仕留めた。
「グラァ!」グラが得意そうに鳴いた。それだけだった。
二人と一匹で、浅層を黙々と一周した。時折鳴くグラの声以外、
会話は、なかった。
宿に戻ったのは夜明け前だった。宿の入口で、ちょうどフィオが情報収集《石投げ》から帰ってきたところだった。
田中が汗をかいていた。ネネも汗をかいていた。グラが肩の上で「グゥ」と鳴いた。
「……何してた」とフィオが聞いた。
「朝の散歩だ」と田中が言った。
「(二人と翼竜で散歩か)(なぜ汗をかいている)(聞くな、という顔だ)」フィオは何も言わなかった。
朝飯の席で、アルスがフィオから話を聞いた。「……師匠とネネさんが、汗をかいて帰ってきた?」「散歩と言っていたが」
(散歩で滝汗が)(何をやっていたんですか)(聞けない)
「師匠、朝から何を——」
「いいから飯を食え」
「は、はい!!」
怒られた。アルスは筋トレしながら箸を取って食事をかきこんだ。
(なぜか怒られた)(なぜ嬉しいのか、うおお筋トレが足りない!!)
エリュシアは内心でメモしてた。
(田中さんに叱られています)
(うらやまし、いいえ......)
(書きます)
******
「ところで師匠!!鎧が入りません!!」
出発の支度をしていたアルスが、胸当てを両手で持ったまま立っていた。どう考えても入らない。肩回りも限界だった。
「……育ったな」
「育ちました!!でも遠征中に装備が入らないのは困ります!!」
「削れ。裸でいい」
「裸で冒険に行くんですか!!」
「布代の節約だ」
アルスが完全に固まった。田中はもう帳面を見ていた。
エリュシアが内心で記録した。
(どうみても、筋肉量がLVを超えています)(神界にそういう書類様式はありません)(書類様式の新設を検討します)
「トルネコさん、上着持ってますか」とアルスが隣を向いた。
「ありまっせ〜」トルネコが荷物から一枚取り出した。「入るかはわかりまへんけど〜」
アルスが袖を通した。一瞬でぴりっ、と音がした。
「……破れました」
「布代がかかった。損だ」
「師匠のせいでは」
「育ちすぎだ。削れ」
「何を削るんですか!!筋肉は削れません!!」
トルネコが横でそっと別の上着を出した。「……二着目でっせ」エリュシアが内心でメモした。
(在庫二着目まで来ました)(記録します)
ギルが静かに目を閉じた。(冒険に出ることより鎧とコストの話が長い)(なぜだ)(もう聞かない)
アルスが二着目に袖を通した。
ぴりっ。
「……また破れました」
「損失が重なった」と田中が言った。
「師匠のせいではないですか!!裸でいいと言ったのは師匠ではないですか!!」
「育ちすぎだ。計画性がない」
「育てたのは師匠です!!腕立て千回・腹筋一万回を命じたのは師匠です!!」
田中が帳面から顔を上げた。アルスを一秒見た。また帳面を見た。
「……三着目はあるか」とトルネコに聞いた。
「ありまっせ、でも在庫がそろそろ——」
「計上しろ。アルスの被服費だ」
「師匠ぉぉぉぉぉ!!」アルスはみっともなく号泣した。
「先行投資だ。育てた分の請求書は後でいい」
アルスが止まった。(先行投資)(……師匠が育てたと言いました)(今、そう言いました)(言いましたよね)(聞けません)(聞けませんが聞こえました)(涙が、泊りません)
ギルが静かにそっと目を開けた。(……言った)(今の)(その流れで先行投資か)(この人は)(やっぱりすごい)
******
荷物がだいたいまとまったとき、田中の腰の小袋が小さく震えた。魔導糸電話の着信だ。
「ブブッ」
「田中さん!!魔界が!!反乱が!!ネネ様の名前を使った組織が!!現在進行形で!!」
「三行以内」
短い沈黙があった。ゾルグが息を整えている音がした。
「反乱・組織化・ネネ様の名前を使っている。以上(三行)」
「……よし、行く」
ブツッ、と通話が切れた。
部屋が静かになった。
「……行く、と言ったのか」とネネが呟いた。声が、少し低かった。
「そうだ。お前の魔界だろうが。砂漠は後だ。行くぞ」と田中がすでに荷物を手にしながら言った。
「後悔するなよ」
「しない。無駄だ」
ネネがその背中を一秒見た。(……来る、と言った)(呼んでいないのに来ると言った)(この感覚に、名前がなかった)
エリュシアがネネの隣を通り過ぎながら内心でメモした。(ネネさんの顔が少し違います)(書けません)(書きます)
(いえ、その前に魔界って最後に行くとこですよね?!)
(敵の本拠地に行くってことですが、あーもういろいろとアレですわ!)
(とにかく勢い!もうどうとでもなーれ!)
そんな無茶苦茶な心情だったが、
「ネネ様、大丈夫ですか」とエリュシアが言った。気持ちが、声に出てしまった。
「何がだ」「……何でもありません」「そうか」
二人とも前を向いた。それだけだった。
「師匠!!」とアルスが立ち上がった。また二着目の上着が少し突っ張った。「魔界に行くんですか!!」
「そうだ」
「はい!!腕立て五十回してから行きます!!」
「移動しながら五十回にしろ。出発が遅れる」
「了解です!!」アルスが泣きながらその場で腕立てを始めつつ、旅立ちの準備もしだした。
「イチ!!ニ!!サン!!パーフェクトマッスルボディへの道は一回一回の積み重ねです!!」
「黙ってやれ」
「ハイ!!シ!!ゴ!!――筋肉が、喜んでるよ~~っ!!」
トルネコが小声でギルに「……腹筋マン、本気でっせ」と言った。ギルはもう何も整理するのをやめていた。
フィオは自分の腰にある魔道銃を触りながら、アルスを遠目に眺めていた。
(三万Gの弾が必要なときが来るかもしれない)(が、まだ使わない)(石はタダだ)と思った。
そして、全員の荷物が玄関前に並んだ。いよいよ出発という段で、田中のザックから「グゥ」の鳴き声。
「……出てこい」
荷物の口からグラが顔を出した。得意そうな顔だった。
「邪魔だ」
「グラ」
「肩に乗れ」
「グゥ」
グラがザックから飛び出して田中の肩に戻った。ネネが「(荷物に入っていたのか)(バレるとわかって入っていたのか)(この翼竜は)」と内心で整理した。
エリュシアが「(荷物管理にグラ費目が必要になりそうです)(書類様式を更新します)」とメモした。
トルネコが小声で「翼竜も込みの先行投資でっせ」と言った。田中は何も言わなかった。それが答えだった。
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**その頃、神界では――**
報告書が二枚、同時にウルダの机に届いた。
「魔界反乱レポートです。組織化確認。四天王・第二席次グレインが現在対応中とのことです」
「もう一枚は」
「田中剛、魔界へ向かうとのことです」
ウルダが二枚の書類を持ったまま、動かなくなった。
「……田中が、魔界へ」
「はい。向かいます」
「……魔界へ」
「……はい」
頭を抱えるウルダ。
「……寛大に、見守ります」
「寛大です」
部下が小声で隣に言った。「今日は三回ありました」「魔界と田中案件が重なると増えるようです」「……寛大ですね」「寛大です」
**※おじさん解説!**
悪魔城ドラキュラというゲームがある。コナミが一九八六年に出した横スクロールアクションだ。主人公が鞭一本で吸血鬼の城に乗り込み、骸骨騎士やコウモリを一体ずつ仕留めていく。顔色一つ変えない。鞭を振る。倒す。前に進む。ある種の人間は、理由を言わないまま動く。習慣というのはそういうものだ。常識だろうが。
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**ゾルグ魔界管理日誌 第十四回**
三行報告が、成功しました。反乱・組織化・ネネ様の名前を使っている。以上。田中さんが「行く」と言いました。
なぜ泣きそうなのかわかりません。でも泣きそうです。以上です。
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**神界業務日報 第六十四回**
朝、田中さんがいませんでした。ネネさんもいませんでした。帳面に何か書き足されていました。理由は聞きませんでした。
本日の業務:魔界へ向かう決定。田中さんが一秒で「行く」と言いました。ゾルグさんが三行報告に成功しました。成長しています。アルス様の上着が二着破れました。被服費を計上します。
以上です。
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**魔王の家計簿 第六十四回**
朝の支出:0G。ダンジョン浅層に入った。田中がいた。何も言わなかった。我も何も言わなかった。スライムを倒した。
経験値を得た。グラも来た。「グゥ」と鳴いた。一周した。記録する。
田中が「行く」と言った。魔界に来る。
千年、魔王をやっているが、我の危機に「行く」と言った者が実際に来たことは、なかった。
記録する。支出:0G。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:6 チート:無効
魔王 ネネ LV:4 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
アルス LV:12
筋肉量:LV基準値の347%超過/鎧:入らない/上着在庫:残一着/体脂肪:完全除去済み
※神界書類様式に「LV超過筋肉量」の記載欄なし(エリュシア:申請予定)




