「石が飛んできた」
今回から行脚が本格化します。
フィオが先に来ています。あいかわらず石を投げながら。
あと、アルスに重大な問題が発生しているようです。
ある明け方。まだ夜が「朝に負けました」と認めていない時間帯。
この男は、誰も見ていないのをいいことに、ひとりで起きて、ひたすら走っていた。鍛錬である。たぶん。本人はそう言い張るだろう。
夜明け前、宿の連中がぐっすり寝ているあいだに、ひとりで外へ出る。
ひとりで帰ってくる。
しかもなぜか、帳面を持っている。汗だくのうえ、帳面は汗でビショビショだ。わりと肩で息もしている。なのに理由は言わない。聞かれても答えない。いや、そもそも誰にも聞かれていない。勝手に朝練して勝手に帰ってきただけである。
それが、この(元)おじさんのやり方だった。昭和の頑固な男のやり方。
努力は見せない。弱音も吐かない。説明もしない。
……いや最後のは、ただコミュニケーション能力が昭和で止まっているだけでは?
常識だろうが――。
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古木の森を発ち、一行が次の宿場町に入った朝のことだった。
|フィオナ・ヴァル・クレス《フィオ》が宿の前の通りに立っていた。
「また先に来てまんがなでんがな~」とトルネコが帳面を抱えながら言った。
「先行偵察だ。問題ない」とフィオが短く答えた。
田中が横を通り過ぎようとして、止まった。フィオを上から下まで見た。フィオが「……何だ」と言った。
「汗をかいている」
「走ってきた」
「どこから」
「砂漠の手前まで。往復した」
田中が三秒、黙った。
「……朝飯は食ったか」
「まだだ」
「食え。体が資本だ」
「わかった」 そういうと同時になぜか石を投げた。アルスに当たった。
「いてっ!」
「また人に当ててまんがな~!!」トルネコが言った。
それで終わった。エリュシアが内心で処理した。
(田中さんも今朝、汗をかいて帰ってきていました)
(二人とも、走っていました)
(何も言いませんでした)
(理由は、聞きませんでした)
(あとまた石を人に当てています)
フィオが宿の中に入っていく田中の背中を、一秒だけ見た。
(……散歩、ではないな。あの汗は)
(でも聞かない。顔が「聞くな」と言っていた)
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朝食の途中で、アルスが箸を置いた。深刻な顔だった。
「師匠」
「何だ」
「……最近、筋肉が育ちません」
全員が止まった。
「腹筋は継続しています。腕立ても続けています。食事量も増やしました」アルスが続けた。「なのに、育たないんです。それどころか——」
少しだけ、目が揺れた。
「食べているだけでは、太ってしまいます!!」
ネネが「……深刻な顔だな」と言った。
「深刻です!!勇者として太るわけにはいきません!!師匠、どうすればいいんですか!!」
田中が椀を置いた。腕を組んだ。短く考えた。
「蛋白質が足りん」
「……たんぱくしつ」
「筋肉の材料だ。飯を食うだけでは追いつかん。別で補給しなければならない」
アルスが目を見開いた。「そんな便利なものがあるんですか!!」
「ある。豆か乳があれば作れる」
「この辺り、豆も乳もありますわ〜」とトルネコが即座に手帳を開いた。「安いですよ〜。仕入れますか〜?」
「仕入れろ」と田中が言った。「作るか」とアルスに言った。
「作ります!!!何でも作ります!!!」
エリュシアが内心でそっと記録した。
(勇者が栄養補給の問題を抱えていました)
(田中さんが三秒で解決しました)
(「豆か乳があれば作れる」)
(……この方は、本当に何を知っているんですか)
「材料費を計算してから出直せ」とトルネコに言った。
「もっともですわ〜!!」
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食後、フィオが地図を広げた。砂漠方面の街道筋に、小さく印がついている。
「砂漠の手前の交易路に、変な商会が入り込んでいる。通行料を取って、独自の取引証を持たない商人を締め出している」
「根拠はあるか」と田中が言った。
「見てきた」
「どうやって」
フィオが少し間を置いた。
「石を投げながら歩いていたら、見えた」
全員が黙った。
「また……石を投げながら、歩いたのか」と田中が繰り返した。
「そうだ。投げると、見える」
「何故だ」
「わからない。でも投げると見える」
田中がフィオを七秒、見た。フィオが返した。どちらも表情が変わらなかった。
「……情報は正確か」
「正確だ」
「ならいい」と田中が言った。帳面に書き始めた。「石を投げながら歩くのは自由だ。情報が取れるなら投資対効果は高い。石はタダだ」
「師匠が認めた!!」とアルスが言った。
「投げ方を認めたわけじゃない。結果を認めた。常識だろうが」
フィオが地図を指で押さえた。「商会の名前は現地で調べた。砂漠側に本拠地があるらしい。詳細はまだわからない」
「行く」と田中が言った。それで全部決まった。
ギルが横で腕を組んでいた。「……独自の取引証で締め出す。贵族の封鎖令と似た構造だ」
「そうだ」と田中が言った。「権利を独占して、通る者から搾る。古いやり口だ」
エリュシアが一拍、息を止めた。
(古い、と言いました)
(……SONYの話を、思い出しました)
(同じ構造が、また出てきています)
「行程に入れる」と田中が帳面を閉じた。「ギル、貴族の封鎖令の書式を教えろ。対抗できる」
「……わかった」とギルが答えた。「役立てる」
田中が「そうだ」と言って立ち上がった。
ギルが内心で言った。(三回目の——いや、まだカウントしない)(でも、少し、私にもわかった気がする)
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**その頃、神界では――**
ウルダの机に今日も書類が届いた。「フィオナ・ヴァル・クレス、砂漠方面の情報収集を単独で石を投擲しながら実施。田中一行と合流・情報共有」
「……い、石を投げながら、ですか」とウルダがいう。
「そう書いてありますね」
「投げると見えるそうです」
「……」
「何故でしょう」
「……寛大に、見守りましょう」
「やはり主は寛大です」「今日の『寛大』は少し、困っていましたね」「気のせいでしょう」「そうですね……」
**※おじさん解説!**
蛋白質——プロテインというのは、筋肉を作る材料だ。炭水化物や脂質と並ぶ三大栄養素の一つで、筋肉・皮膚・臓器を構成する。運動をしている人間が食事だけで補おうとすると、必要量に追いつかないことがある。特に筋肉を増やそうとしている場合はなおさらだ。
昭和の工場では「飯をしっかり食え」が基本だったが、昭和後期からプロテインドリンクが普及し始めた。大豆由来のソイプロテイン、乳由来のホエイプロテイン。作り方の原理は単純だ。豆か乳のたんぱく質を抽出・乾燥・粉末化する。昭和の製造管理おじさんなら知っている。ちなみにホエイにはWPI/WPCと含有量によって違いがある。常識だろうが。
アルス・ラナ・ファーレン(二十歳・勇者)は、今日初めてプロテインを知った。
なお田中剛(四十六歳)は毎朝、誰も見ていない時間に走っている。聞いていない。以上だ。
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**アルスの修行日誌 第十三回**
本日の特記事項。
筋肉が育たない問題を師匠に相談しました。
「蛋白質が足りん」と言われました。
豆と乳から作れるそうです。
師匠が「作るか」と言いました。
私は「作ります!!!」と言いました。
なぜか、泣きそうになりました。理由はわかりません。
筋肉が育つ日が、近い気がします。
石を投げると情報が見えるそうです。
師匠が黙りました。
私も黙りました。
七秒、黙りました。数えました。
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**神界業務日報 第六十三回**
本日の特記事項。
田中さんが「蛋白質が足りん」と言いました。豆と乳から何かを作るそうです。記録します。
フィオさんが「石を投げると見える」と言いました。田中さんが七秒黙りました。認めていました。記録します。
本日の特記事項その二。
朝、田中さんがいませんでした。フィオさんも走って帰ってきていました。二人とも何も言いませんでした。
私も、何も聞きませんでした。
以上です。
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**魔王の家計簿 第六十三回**
本日の支出:豆・乳(仕入れ予定)。
アルスが「筋肉が育たない」と言っていた。深刻な顔だった。田中が三秒で解決した。田中はいつも三秒か七秒だ。それ以上かかった記憶がない。
フィオが「石を投げると見える」と言った。田中が七秒黙った。七秒というのは、この男にとっては長い沈黙だ。記録する。
砂漠の方向に変な商会がいるそうだ。SONYの話を思い出した。田中も同じことを思ったと思う。顔を見ればわかる。聞かなかったが。
支出:豆・乳代。筋肉への先行投資だ。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:4 チート:無効
魔王 ネネ LV:3相当 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
アルス LV:11




