「八百年前にも、いたのか」
古木の森に、また来た。
イースは八百年記録している。何が新しく見つかるかは、まだわからない。
グラは覚えている。
古木の森の入口で、グラが静止した。
田中の肩の上で首をめぐらせ、ひとしきり何かを確かめるように鼻を動かしていた。それから「グゥ」と一声だけ鳴いて、田中の肩を蹴って飛んだ。
「…………」と田中が言った(何も言っていない)。
「グゥグゥ!!」とグラが言いながら、森の奥へまっすぐ飛んでいった。
エリュシアが内心で処理した。
(グラが飛びました)
(またイースさんのところに行きました)
(前回と同じです)
(学習しています)
(田中さんではなくイースさんに向かって飛んでいます)
(これは先行投資の何かがおかしい方向に回収されている気がします)
「……また飛んだ」とアルスが言った。そして筋トレを始めた。
「恒例だ」と田中が言った。
「恒例になったんですか(ぴょん)」
「なった」
ギルが森の入口を見上げていた。ここは、大樹の枝が天幕のように重なりあって、昼間でも光が斜めにしか差さない。「……ここが、古木の森か。王都の蔵書に記載があった。千年以上前から記録者が住むと——」
「知識だ。役立てろ」と田中が言った。
「……わかった」
トルネコが帳面を開きながら歩いている。「八百年の記録者ということは、古い地図や通商記録もお持ちやないですかね。買い取れるとありがたいんですが〜」
「記録は商品ではありませんよ」とエリュシアが前を向いたまま女神らしい物言いをした。
「商品とはちゃいますけど〜、情報には価格がつきまっせ〜」
「つけてはいけません」
「手厳しいですなあ〜……田中さん、どうですか〜」
「言い値を聞いてから判断する」とトルネコに向けて田中が言った。
エリュシアが止まりそうになった。
(田中さんが値段交渉を肯定しました)
(情報の現物取引に前向きです)
(私の「つけてはいけません」は何だったの!?)
(でも否定されてちょっと嬉しいのは何故なの...!)
トルネコが「さすが田中さんですわ〜!!」と言ってにんまりした。エリュシアは何も言わなかった。何か考えて顔が少し赤くなっていたのは秘密だ。
ネネが「......エリ、またか」と小さい声でぼそっとつぶやいていた。
******
大樹の根元に、去年と同じように記録帳が積み上がっていた。
その前に、イース・リーセル・ア・ヴァン・フィアルナ——通称アドルが座っていた。田中たちが来る気配を感じたのか、すでに顔を上げている。グラが肩の上に止まっていた。
「……また来たのか」とアドルが言った。
「アドル」と田中が言った。
「……田橋名人《田中》」
「干物は作ったか」
「作った」
「よし」
「よくやった」
それで終わった。トルネコが「なんか挨拶がなじんでますなあ〜」と小声で言った。
ギルが前に出て、背筋を伸ばした。「私はベルド・ア・ヴァン・カミュ——」
「ギルだ」と田中が即座に言った。
「……今、私が名乗ろうとしていたのですが」
「長い。削れ。アドルは八百年記録している。時間が惜しい」
「……ギル、か」とアドルが言った。「よく削れたな」
「……」ギルは返せなかった。八百年生きた記録者に「よく削れた」と言われるとは思っていなかった。
ネネがグラを見て悔しそうに言う。「……我よりアドルに懐いている」
「古い魔力に引き寄せられるのだろう」とアドルが言った。「この子は感覚が鋭い。千年に一度の翼竜かもしれない」
「資産価値が上がったな」と田中が言った。
エリュシア
(評価の基準が、全部資産なのですね)(いつもどおりです)
――アドルはその間、ずっと筋トレをしていた、もう気持ち悪い動きに誰も何も言わなくなっていた。ぴょんぴょん。
******
本題は、アドルが新しい巻物を広げたところから始まった。
「お前たちがいつか来るだろうと思って、また古い棚を確認した。そうしたら、新しく見つかったものがある」
薄い羊皮紙に、びっしりと文字が連なっていた。その端の一部が、きれいに消えていた。
「……削除跡ですわね」とエリュシアが言った。
「ある。この消し方は、前回、田橋名人たちに見せた跡と同じだ」
「いつの記録だ」とエリュシアが訊いた。
「八百年前だ」
広間が静かになった。
「……八百年前」
「名人たちが前回見せてくれた削除の跡——あれは、田所一郎という人間の記録に近いものだった。年代は五十年前。私はその一致に引っかかって、もっと古い棚を調べた。そうしたら同じ消し方の痕跡が出てきた。今度は八百年前の年代のものだ」
田中が一歩、巻物に近づいた。三秒見た。
「……田所の前にも、同じやつがいたのか」
「詳細は削除されているので断言はできない。ただ、記録の前後から推測できることがある」とアドルが続けた。巻物を指で押さえながら、消えている部分の前後を示した。「ここに来ていた人間は、剣を持っていなかった。土を耕した。計算が正確だった。——田所一郎と、型が同じだ」
「別の田所だ」と田中が言った。
静かな断定だった。
エリュシアが、声を出さずに息を止めた。
(八百年前にも)
(同型の人間がいた)
(記録が、同じ消し方で消されている)
(これは田所さんが特別だったのではなく)
(何かが、ずっと前から)
(同型の人間の記録を、意図的に——)
「削除の時期はいつだ」とエリュシアが言った。声が一段、静かになっていた。
「削除が始まったのは、その人間が消えてから数十年後だ。生きている間は消されていない。死んだあと、痕跡を順番に消していった」
「……順番に」
「田所の記録も、同じだ。ゆっくり、外側から消していった。——八百年分、同じやり方だ」
トルネコが帳面を下ろした。ギルが腕を組んだ。アルスも筋トレが自然と止まっていた――が、すぐに再開した。ぴょん。
田中が巻物から目を上げた。
「同じやり方で消している。同じやつが、長くやっている」
それだけ言った。帳面を出して、一行書いた。
「アドル、写本をくれ。代金は干物で払う」
「……それで構わない」とアドルが言った。
トルネコが「田中さん、干物で支払えるんですか〜」と言った。田中が「現物取引だ。常識だろうが」と言った。
「……なるほど」とアドルが静かに言った。
(この八百年で、この言葉を言う人間に会ったのは二度目だ)
アドルは声に出さなかった。記録帳に、一行だけ書いた。
******
**その頃、神界では――**
報告書がウルダの机に届いた。「古木の森・再訪。記録者より削除痕跡の写本を入手。対象:八百年前の事案。現在分析中」
ウルダが書類から目を上げなかった。
「……いつから気づいていたんですか、アドルは」と部下が言った。
ウルダが少し止まった。
「……八百年ずっと気づいていたのかもしれません」
「……では」
「見守ります」
「寛大です」
「……今日は『寛大』とだけ言います。それだけにします」
部下が記録した。「本日:一回。発言前に、五秒の沈黙があった。貧乏ゆすり:多め」
**イースの記録帳 第二回**
本日の来訪者:田中剛(再訪):通称田橋名人。田中のほうが短いはずだが、私に与えられたニックネームのほうが偉大らしいので今回も田中に合わせた。
例の翼竜は元気だった。干物も作っていた。記録した。
八百年前の削除痕跡を見せた。田中が「同じやつだ」と言った。
私も、八百年そう思っていた。
声に出したのは、今日が初めてだ。
写本を渡した。代金は干物だった。現物売買はひさしぶりだ。
今日は記録が書きやすい。理由はわかる。書かない。
******
**神界業務日報 第六十一回**
本日の特記事項。
古木の森を再訪しました。イースさんより八百年前の削除痕跡の写本を受け取りました。
田中さんが「同じやつだ」と言いました。
私も、同じだと思いました。声には出しませんでした。
干物で支払いが完了しました。通貨換算は困難なため記録しません。
怒られませんでした。何かが足りない気がします。
以上です。
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**魔王の家計簿 第六十一回**
本日の支出:グラの干物代・実物支出。
グラがまたアドルに飛んだ。恒例になったそうだ。我のところにも飛んでくるが、アドルのところに飛ぶ回数が増えた。気にしていない。やっぱり気にする!
八百年前にも、田所に似た人間がいたそうだ。記録が消されていた。
田中が「同じやつだ」と言った。静かな声だった。
エリュシアがその場で息を止めていた。我には見えた。
田中がいる場所には、何かがある。千年生きてきたが、この感覚は初めてだ。言葉にならないので、書けない。
支出:干物代。記録する。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:3 チート:無効
魔王 ネネ LV:3相当 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
アルス LV:11
**※おじさん解説!**
古代の森の管理者の元ネタはイースの主人公からだ。イースとはファルコムが一九八七年に出したアクションRPG。主人公の名はアドル・クリスティン。赤髪の冒険者で、行く先々で遺跡に飛び込む。理由は「何かあったから」だ。シリーズは今も続いている。二〇二四年時点でイースXまで出た。三十七年間、続いている。名作は時代を選ばん。常識だろうが。
ところで昭和の工場では「同じ消し方」に気づく人間がいた。作業ミスの記録が、同じやり方で消えていく。ヒヤリハットの報告書が、同じ手順で棚から消えていく。「消す側」は気づかれていないと思っている。だが記録をつけ続けた人間は気づく。八百年分でも、五十年分でも、三年分でも、継続した記録は正直だ。証拠は残る。消しきれない。以上だ。




