「認めてないから!(任せた)」
採掘組合の幹部が広場にやってきたのは、午後も半ばのことだった。
頭がはげているでっぷりと太った中年の男で、大量の書類を小脇に抱えていた。胸のバッジがやけに光っていた。田中が安全帯の点検をしていると、遠慮がちに近づいてきて、遠慮がちではない声で言った。
「こちらの安全帯だが、ギルド側で規格を統一する方向で話を進めたい。今後の流通・品質管理は組合を通してもらう。手続きについては——」
「中抜きだろ」と田中が言った。
「い、いや、規格の管理という意味でして——」
「名前を変えても構造は同じだ。論外だ」
それだけ言って、田中は帳面に視線を戻した。幹部が書類を広げた。「しかし手続き上、直接取引には組合の承認が——」
ギルが一歩前に出た。没落した貴族服はまだぼろぼろのままだったが、書類に向ける目つきは静かに整っていた。斜めに一度だけ眺めて、幹部に返した。
「この書類の様式、三年前の旧規定のものだ。改正後の直接取引条項に基づけば、組合の介入は任意——強制できない」
幹部が止まり、ギロリとギルをにらむ。「……どこで調べた」
「貴族の家には法令書がある。読んでいた。それだけだ」
幹部は大量の書類を持ったまま、小さく会釈して広場を出ていった。トルネコが横でにんまりした。「ギルさん、ええ仕事しますなあ〜。貴族の知識がここで光りましたで」
「……別に」とギルが言った。誇る気にも、照れる気にもなれなかった。なぜかわからなかった。
「ちなみにお礼に一割ほど分けてもらえると〜」とトルネコが続けた。
「商人の嗅覚だな。削れ」とギルが言った。
「田中さんみたいな返しを——」
「論外だ」
「かないませんわ〜!!」
田中が帳面を閉じた。「発光ランプのセット販売、次の工程に入れ。アルス、見本品を持ってこい」
「はい!!師匠、腹筋は続けながらでよいですか!!」
「好きにしろ」
「続けます!!(ぴょん)」
ギルがアルスを見た。腹筋うさぎ跳びの姿勢のまま木箱を両手で抱えて移動している。荷物が揺れていない。「……なぜあの姿勢で荷物を持てるんだ。しかも揺れていない」
「習慣で培った技術だと思います」とエリュシアがやれやれだわ、という面持ちで静かに言った。
「……そういうものか」
「私も、よくわかりませんが、そういうものです」
アルスがぴょん、と段差を越えた。木箱が一ミリも動かなかった。ギルは何も言わなかった。鉱夫の一人が小声で「腹筋マン、化け物か」と言った。田中が振り向かずに言った。「腕立て千回・腹筋一万回の成果だ。常識だろうが」
その言葉には誰も何も返せなかった。
******
同じ頃、魔界では――。
ゾルグが魔導糸電話の糸を握ったまま、硬直していた。グレインがその腕をひとさし指で押さえていた。
「田中に繋ぐな」
「し、しかしグレイン様、反乱分子の動きが——」
「魔王様のお心を煩わせてはいかん。俺が片付ける。田中に頼む前に、俺がやる」グレインが短く言い切った。腕を組んで、広間の奥を向いた。「口出し無用」
ゾルグが糸を下ろした。フィルナがその横で、柔らかく首を傾けた。「グレイン様、私もついて行きます〜」
「来るな」
「はい、参ります〜」
グレインが振り返った。「お前、話聞いてたか」
「聞いていましたよ〜。でも何かお役に立てるかもしれませんし〜」
「……来い」
******
「三方から囲む。俺が正面、お前は左から——」とグレインが言いかけたとき、フィルナがすでに別の方向を歩いていた。
「フィルナ」
「あら〜、こっちにも一人いますよ〜」
グレインが舌打ちした。作戦を言い終わる前に四方向になっていた。(偶然だ)(認めない)
「……拾いました〜」
フィルナが首根っこを押さえて戻ってきたのは、物陰に潜んでいた偵察役らしき男だった。にこにこしたままだった。
「グゥ」とグラがグレインの肩に——グレインは思った。いない。ドルガンだ。なぜかグラを探していた。
舌打ちした。(なぜ探した)(関係ない)(翼竜に頼るつもりはない)(ただ、肩が少し軽い)(関係ない)(やっぱいてほしい)
グレインが正面の扉を蹴り開けた。
反乱分子が七人、一斉に振り向いた。目を剥き「第二席次だ!!」と誰かが叫んだ。
「う る さ い」
その一言で、三人が一歩後ずさった。
「魔王ネネ様がおられないのは、今でしかできない仕事をなさっているからだ。サボりじゃない。魔王様は魔界にいる——我々の言葉は、魔王様の言葉と思え。以上」
声が広間に落ちた。首謀者らしき男が歯を食いしばったが、グレインの目を見て、視線を逸らした。
鎮圧。所要時間、二十三分。
******
帰り道、グレインはフィルナの横を歩いていた。
「グレイン様って、田中さんみたいなこと言いますね〜」とフィルナが言った。
「認めてない」
「あら、でも確かに『以上』って——」
「認めてないから!!」
フィルナがほわっと笑った。「でも格好よかったですよ〜」
グレインが黙った。頬が少し赤くなっているのを見て、フィルナは柔らかい笑みを少し浮かべていた。
******
ドルガンで帳面を見ていた田中の手元で、魔導糸電話がブブッと鳴った。
「田中さん!!グレイン様が!!反乱が!!鎮圧が——!!」
「三行で言え」
ゾルグが一瞬だけ止まった。「反乱・グレインが片付けた・報告以上」
田中が少し黙った。
「グレインに任せとけ。以上」
ブツッ。
ゾルグが糸を持ったまま、動かなかった。
(……一秒でした)
(初回よりは長かった気がします)(気がするだけかもしれません)(次から計ります)(何のために計るのかはわかりません)(でも計ります)
******
魔界の広間で、グレインはゾルグの顔を見た。ゾルグが糸を持ったまま何かを言おうとして、言えなかった。
「……何だ」
「田中さんから。『グレインに任せておけ』と」
グレインが動きを止めた。腕を組んだ。窓の外を向いた。
(任せておけ、と言った)
(……認めてないから!)
(でも、任された)
「……報告はそれだけか」
「はい。一秒で切れました」
「ならいい」とグレインが言った。視線を戻さないまま、肩を一度だけ落とした。ほんの一瞬だった。誰も見ていなかった——フィルナ以外は。
「グレイン様、お顔が——」
「言うな――」
「はい〜。でもみんな、よかったねぇ~」
フィルナが小さく笑った。グレインは前を向いたまま、何も言わなかった。
******
**その頃、神界では――**
ウルダの執務室に報告書が届いた。「魔界小規模反乱。魔王四天王・第二席次グレインが単独鎮圧。所要二十三分。被害なし。魔導糸電話にて報告・勇者田中より一秒で権限委任の言葉あり」
ウルダが書類から目を上げた。「……一秒で」
「はい」
「……委任を」
「はい」
「……ドルガンから、糸で」
「はい。帳面を見ながらだったとのことです」
ウルダが目を閉じた。「……寛大に、見守ります」
「寛大です」
部下が小声で隣の者に言った。「今日は声が少し細かったです」「お疲れではないでしょうか」「でも『寛大です』と言われました」「それが主神の強さですね」「……そうですね」
**※おじさん解説!**
中間搾取というのは昭和の現場では当たり前にあった話だ。問屋・組合・ギルド——名前は何でもいい、構造はどれも同じだ。作っている側でも売っている側でもない、ただ間に入って話を通すだけで利益を抜いていく。昭和の製造業が少しずつ利益を絞られていった理由の一つが、この「中に入りすぎた層」の問題だ。無駄だ。削れ。常識だろうが。
ところで皆さんご存じ、スーパーマリオブラザーズというゲームがある。任天堂が一九八五年に出した名作で、知らない人間はいない。あの世界にも組織があって、勇者(配管工だが)が姫を救いに行く。お城についたら「姫は別のお城にいます」と毎回言われる。これはある種の壮大な中抜きだ。
ゴールを駆け抜け続けて、挑戦者のコストだけが八面分積み上がっていく。田中が見たら「そのクッパごと論外だ、削れ」と言うだろう。
だが、マリオは黙って次のお城へ向かった。説明しない。立ち止まらない。そのメンタルは昭和の現場と同じだ。――しかし、それも含めて当時のプレイヤーはコスト(時間)をかけて熱狂したのだ。これも常識だろうが。
******
**グレイン状況報告 第一回**
任務:魔界小規模反乱の鎮圧。
結果:完了。所要二十三分。被害なし。
フィルナが偶然役に立った。認めていない。
田中から「グレインに任せろ」という連絡があった。
一秒で切れた。
認めていない。でも任された。
三行で書けた。以上だ。
(四行になった。認めていない)
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**神界業務日報 第六十回**
本日の特記事項。
魔界にて小規模反乱が発生しました。グレイン様が単独で鎮圧されました。
田中さんがグレイン様に「任せろ」と言いました。一秒で切りました。
怒られませんでした。私の「何かが足りない」は次回以降に記録します。
以上です。
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**魔王の家計簿 第六十回**
本日の支出:なし。
グレインが反乱を片付けた。魔界の経費が増えなかった。
「魔王様は魔界にいる——我々の言葉は、魔王様の言葉と思え」とグレインが言ったそうだ。ゾルグが教えてくれた。我は今、ドルガンにいる。田中がいる場所に我がいる——それが我の居場所だ。
我には信頼できる仲間たちがいる。千年間、なかったものだ。記録する。
支出:0G。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:3 チート:無効
魔王 ネネ LV:3相当 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
アルス LV:11




