「また来た、あの勇者が」
シーラに着いた。ここは港だ。潮の匂いがした。
住民が田中を知っていた。田中は特に何も言わなかった。
常識だろうが。
シーラまでの街道は、ドルガンへの分岐より先に海側へ折れる。
潮の匂いが先に来た。ネネが気づかれない程度、少しだけ歩幅を広げた。それに田中は気づいたが、何も言わなかった。
「トルネコ、シーラの相場は」
「海近だけあって、干物と塩漬けが安いですわ〜。港やから海産素材は豊富でっせ〜。あと防水布の原料になる海草が取れます〜」
「素材の買取先は」
「三件、目星つけてますわ〜。着いたら顔つなぎしてきますよって〜」
「頼む」
ギルが荷物を担ぎ直しながら言った。「港町は商流が独特だ。鮮度が命だから取引が速い。慣れていないと足元を見られる」
「経験があるのか?」
「……父が港の卸問屋と取引していた。交渉の立会いに何度か出た」
「使える。トルネコに同行しろ」
「わかった」
トルネコがにやっとした。「ギルはん、よろしゅうおたのみしますわ〜」
「……貴族が商人の補佐をする日が来るとは思わなかった」
「貴族より商人の方が稼ぎますで〜」
「それは知っている」とギルが静かに言った。「家が潰れる前に知っておくべきだった」
誰も何も言わなかった。
トルネコがそっと先を歩き始めた。ギルがついた。
******
港町の入口に差しかかったとき、前から人が来た。
荷を抱えた中年の男だった。田中を見て、足が止まった。
「……あんた、もしかして」
「何だ」
「節約の勇者さんじゃないか。去年、神殿の連中をやっつけたっていう」
田中が一秒止まった。
「……どこで聞いた」
「どこって、みんな知ってるよ。行商人が話を持ってきてね、神殿の寄付を根拠で論破した勇者がいるって。シーラでも神殿への義務払いを断る人間が増えてね」
男が続けた。「去年よりうちの商売、少し楽になりましたよ。直接はあんたのおかげとは言えないけど、まあ……ありがたかった」
男が荷を抱え直して、歩いていった。
エリュシアが田中を見た。田中は前を向いていた。特に何も言わなかった。
エリュシアが内心で一行書いた。
(……住民が勇者の名前を知っていました)
(田中さんは特に反応しませんでした)
(私だけが、少し何かを感じました)
(書けません)
(というか女神なので複雑です...)
アルスがキモ筋トレ(うさぎ跳び腹筋)をしながら小声で言った。「(ぴょん)師匠……」
「何だ」
「……何でもないです(ぴょん)」
アルスが腹筋しながらついてきた。いつもより少しだけ、静かな跳ね方だった。
******
港の広場に出たところで、田中が立ち止まった。
石畳の端に、女性の人影があった。
その女性は、切りっぱなしのポニーテール。腰に魔道銃。右手に石を一つ持って、海の方を見ていた。
「……待ってたぞ」とフィオが振り返りもせずに言った。
「また会ったな」と田中が言った。
「早かったな」
「お前の方が早かったろうが」
「そうだ」とフィオが言った。石を海に向かって軽く投げた。水面に当たって跳ねた。三回跳ねた。「――先に着いた」
「何日前だ」
「二日」
「何をしていた」
「石を投げていた」
田中が三秒止まった。
「それだけか」
「それと、港の商人から話を聞いた。あとダンジョンに一回入った」
「ダンジョンの場所は?」
「知っている。港の南、崖沿いだ。そこの魔物から海産素材が出る。奥に防水結晶がある」
「使えるな」
フィオが初めて田中の方を向いた。
「褒めているのか」
「事実確認だ」
「……そうか」
ギルがフィオを見た。フィオがギルを見た。
「ところで……お前は誰だ」とフィオが言った。
「こいつはギルだ」と田中が言った。
「私は自分で名乗れる」とギルが言った。「ベルド・ア・ヴァン——」
「長い」とフィオが言った。「ギルでいい」
「お前まで削るのか!!」
「短い方がいい」
「田中と同じことを言ってるなお前も!!」
トルネコが小声でギルに耳打ちした。「ギルはん、この方も節約勇者でっせ〜。同族嫌悪ならぬ同族共鳴でっか〜」
「共鳴したくない」とギルが言った。
フィオが石を一つ選んで、軽く投げた。アルスの腹筋中の腹に当たった。
「(ぴょん)ぐほっ!!(ぴょん)」
「……外れた」とフィオが言った。
「当たってます!!(ぴょん)俺の腹に当たりました!!(ぴょん)」
「狙ったのはそこじゃない」
「どこを狙ってるんですか!!(ぴょん)」「でも鍛えた筋肉のおかげで全然痛くありません!!(ぴょん)」
フィオはそのツッコミには答えず、また次の石を選んでいた。
エリュシア内心
(思いっきり、アルスに石が当たってますけど!?)
(でも狙ったところではないそうです......)
(また石を拾う意味がわかりません)
(記録します)
******
宿を取った後、田中がフィオに声をかけた。
「ダンジョンは明日攻略する。今日は港を見る。一緒に来い」
「……なぜ私に声をかける」
「先行情報を持っている。使える」
「また”使える”か」
「そうだ」
フィオが少し間を置いた。
「……わかった」
夕方の港を、二人と一竜で歩いた。グラがフィオの肩に乗ろうとした。フィオが少し驚いた顔をした。
「……乗るのか、私に」
「グゥ」
「なぜ私に」
「グゥ~」
「答えになっていない」
田中が言った。「こいつの先行投資だ。気にするな」
「翼竜が先行投資をするのか」
「するらしい。こいつは賢い」
フィオがグラをそのまま肩に乗せた。グラが「グゥ」と満足そうに鳴いた。
港の商人が田中を見て少し目を丸くした。「あんた、去年来た節約の——」
「そうだ」
「また来たのか」
「来た」
「うちの干物、また買ってくれるか」
「相場を出せ。値切る」
「……そりゃそうだよな」と商人が笑った。
フィオが小声で言った。「……この町、お前を知っている」
「聞こえたぞ」
「知っていたのか」
「今知った」
「驚かないのか」
「驚いても何も変わらん」
フィオが少し間を置いた。
(……そうだ)
(驚いても何も変わらない)
(石はタダだ)
(何があっても、それは変わらない)
「……そうだな」とフィオが静かに言った。
グラが「グゥ」と鳴いた。
******
夜、宿の食堂で全員が夕食をとった。
干物の盛り合わせが出た。ネネが一切れ食べて目を細めた。
「……うまい」
「塩加減だ」と田中が言った。「明日、干し方を確認する」
「食べている最中に仕事の話をするのか」
「飯と仕事は切り離さない。常識だろうが」
「……我は切り離したい」
「食いながら覚えろ。効率だ」
ネネが干物をもう一切れ食べた。
「……効率が美味しいのは腹立たしいな」
「そうか」
アルスが腹筋しながら干物を食べようとして、皿が揺れた。
「(ぴょん)すみません!!(ぴょん)」
「座って食え」
「(ぴょん)はい!!」
「跳ねてる」
「体が!!(ぴょん)」
フィオが無言で石を一つ取り出した。アルスを見た。
「投げるな!!(ぴょん)食ってる最中です!!(ぴょん)」
「狙っていない」
「じゃあそれを、しまってください!!(ぴょん)」
フィオが石を戻した。なぜかその顔は――残念そうだった。
ギルが干物を一口食べて、少し黙った。
「……シーラの干物は、実家でも食卓に出ていた」
誰も何も言わなかった。
「没落する前の話だ。気にするな」
「気にしていない」と田中が言った。
「……そうか」
「うまかったろうが」
「……うまかった」
それだけだった。ギルが干物をもう一切れ取った。
エリュシアが内心で一行書いた。
(……今日、この町で田中さんの名前が二回、知られていました)
(田中さんは両方、何も言いませんでした)
(でも夕食は干物を三切れ、食べていました)
(記録します)
******
**その頃、魔界では――**
ゾルグが糸電話を手に取った。
「田中さん!! ゾルグです!!
本日の報告です!!
魔界状況:平常。以上です!!」
一秒あった。
「二行と言っただろうが。以上」
ブツッ。
「……実際は、三行でした」とゾルグが静かに言った。
「お前の一行は長いんだろ」とグレインが言った。
「一行を一文で書くと長くなります!!」
「句読点を削れ」
「田中さんみたいなことを言わないでください!!」
「認めてない」
フィルナが小首をかしげた。「ねえ、句読点って何〜?」
「フィルナは、黙りなさい」とゼフィーラが言った。
「はーい〜」
魔界は今日もあわただしいが、平和だった。
******
その頃、神界では――
ウルダが報告書を受け取った。
「シーラの住民二名が田中剛を認識、感謝の意を表明。田中は無反応。エリュシアが内心で記録」
「……そうですか」
「住民が広めたのは神殿論破の件だそうです。波及が確認されました」
ウルダが少し間を置いた。
「……神殿論破の件、私が却下印を押した案件です」
「はい」
「……そうですか」
補佐官が何も言わなかった。
ウルダが窓の外を見た。長い間、見ていた。
「……見守ります」
「寛大です」
「……今日は、本当に、そう思います」
補佐官が記録した。「本日:一回。追記:『本当に』なし。笑み:〇・九回分。貧乏ゆすり:なし」
補佐官が小声で言った。「……貧乏ゆすりがないのは初めてです」
「記録しなくていいです」
「記録します」
※おじさん解説!
桃太郎電鉄というゲームがある。
ハドソンが1988年にファミコンで発売した鉄道経営ボードゲームだ。サイコロを振って全国の物件を買い、収益を増やして、目的地に先に着く。物件には地域の特産品が使われている。
このゲームの面白さは「いかに効率よく物件を増やすか」だ。いい物件は早く押さえた者勝ちだ。港町の物件は食品系が多い。干物・海産物・塩。地味に見えて安定して稼ぐ。
田中がシーラで干物の干し方を確認して素材を仕入れて売るのと、同じ発想だ。
地域の特産を活かして稼ぐ。当たり前のようで、意外とできない。桃鉄は四十年近く続いている。今もシリーズが出ている。地域と経済を組み合わせた設計が強い証拠だ。
常識だろうが。
******
**※神界業務日報 第五十六回**
本日の特記事項。
シーラ到着。住民が田中さんの名前を知っていました。二名確認。
田中さんは特に反応しませんでした。
私だけが、少し何かを感じました。書けません。
フィオさんがシーラに先行していました。二日前着だそうです。
石をアルスさんの腹に投げていました。狙ったところではないそうです。
記録します。
夕食:干物三切れ(田中さん)。
いつもより一切れ多かったです。
記録します。書く欄:今日は十分ありました。
以上です。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:2 チート:無効
魔王 ネネ LV:3相当 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
******
**※魔王の家計簿 第五十六回**
本日の支出。
宿代:田中が値切った(今回も金額は聞いていない)
夕食・干物盛り:支払い済み
住民が田中を知っていた。
田中は何も言わなかった。
我には少しわかった。
感謝を受け取るのが、得意でない顔をしていた。
千年生きて、初めてそういう人間を見た気がする。
家計簿に書いてよいかわからないが書いた。
追記:干物がうまかった。
実家で食べた味だった。
記録した。




