「皿、一回も落としてないです」
懐かしのベッカーに戻ったらルコが立っていた。
皿を持っており、落としていなかった。
常識だろうが。
鉱山都市ドルガンへの街道はベッカーを経由することになる。
「トルネコ、寄り道になるが構わんか」
「かまいませんで〜。ベッカーには卸先が何件かありますさかい〜、ちょうどよかったですわ〜」
「そうか。例の支店の話もある」
「支店、でっか〜?」トルネコの声が少し弾んだ。「ほう、いよいよでんな〜」
エリュシアが内心で整理した。
(ベッカーはトルネコさんの流通拠点になりえます)
(素材の仕分けと販売のハブがあれば、各地への転送コストが下がります)
(……田中さんはドルガンへ行く前にそこまで計算していました)
(なるほ......記録します)
ギルが荷物を担ぎながら言った。「支店とは何の話だ」
「商売の話だ。お前には関係ない」
「……そういう言い方をされると気になる」
「気になるなら覚えろ、常識だろうが」
ギルが少し立ち止まった。
(削る、覚えろ、常識だろうが。この男の語彙はだいたいその三つで動いている)
(なのになぜか、全部筋が通っている)
グラが肩の上で「グゥ」と鳴いた。田中に完全同意しているように聞こえた。
******
ベッカーに到着した一行。
王道亭の扉を開けると、昼の食堂はまだ動いていた。
三つのテーブルに客が座っている。トメさんが厨房で何かを切っている音がした。そのかたわらで、小柄な人影が皿を運んでいた。
ルコだった。
冒険者になりたそうな感じで田中に師事(※1章参照)していたのだが、結局、商人になるといった男の子。今はここで働いているようだ。
見た目は、以前より背が少し伸びた。動きが整っており洗練された。皿を四枚、前腕に重ねて運んでいる。段差を越えたが、揺れずに安定していた。
皿をテーブルに置いたが、音がしなかった。
田中が三秒、それを見ていた。
「おい、ルコ」
ルコが振り返った。一瞬、目が大きくなった。
「た……田中さん!!」
「皿、あれから何枚落とした」
「一回も落としてないです!!」
間がなかった。即答だった。
「帳面は」
「全部つけています。今日の分も昨日あらかじめ入れました」
「見せてみろ」
ルコが厨房の脇から帳面を持ってきた。田中が受け取った。
三秒で返した。
「無駄がない、よくやった」
それだけだった。
ルコが少し間を置いた。
「……すべて、田中さんに教わりました」
また間がなかった。声が静かだった。それだけで全部言っていた。
エリュシアが少し離れたところから、それを見ていた。
(三秒だけ)
(見たことのない顔でした)
(書く欄:今日は少しだけありました)
ネネがルコの帳面をちらりと見た。「……文字も数字も綺麗だな」
(我は、字が汚い......少し、恥ずかしい)
「あっネネ様!」とルコが少し驚いた顔をした。
「我も帳面をつけている。参考になった」
「あ、ありがとうございます……」
「礼はいらん。次からも精進せよ」
「……はい」
ルコが皿を持ち直して、厨房に戻った。その背中を、トメさんが「すっかり様になってきたね」という顔で見ていた。
******
昼食の後、田中とトルネコが隅のテーブルに座った。
「支店の話をする」
「待ってましたで〜」とトルネコが帳面を出した。
「ベッカーを商いの中継拠点にする。各地の素材をここに集めて仕分け、売先ごとに振り分ける。在庫管理はルコに任せる」
「ルコはんに、でっか〜。あの子、使えますの〜?」
「ああ。人への投資は先行投資だ」
トルネコが少し嬉しそうな顔をした。差分のみ出します。
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**変更前**
トルネコが少し嬉しそうな顔をした。「トルネコ・田中商会ベッカー支店、でっしゃろか〜」
「順番が逆だ。田中・トルネコ商会だ」
---
**変更後**
トルネコが少し嬉しそうな顔をした。
「トルネコ・田中商会ベッカー支店、でっしゃろか〜」
「長い。削れ」
「どこまで削りますのん〜」
「田商ベ」
「意味わかりませんわ!!」
「……田中商会ベッカー支店だ」
「最初からそう言うてください!!」
「削りすぎた」
「認めましたやん!!あとトルネコの名前も消えてますわ〜!!」
「順番も逆だ。ドラクエ4は第一章ライアンから始まる。お前が出てくるのは第三章だ」
「ゲームの話でっか〜!? てか田中さんはどこに出てきますのん〜」
「俺は出てこん。俺は現実だ」
「……それが一番怖いですわ〜」
「で、ルコはんが支店長代理でっか〜。あの子、喜びそうでんな〜」
「喜ばせるために言うんじゃない。できるからやらせる。以上」
「……田中さんらしいですわ〜。でもそっちの方が、あの子はよっぽど嬉しいと思いますえ〜」
田中はそれ以上、何も言わなかった。
エリュシア(相変わらず長い名前は無理なんですね)
(書けません、書いても意味がなさそうです)
ギルが向かいのテーブルからその会話を聞いていた。
(拠点。中継。在庫管理。振り分け)
(貴族の物流管理と構造が同じだ)
(この男、どこで覚えた)
「ギル」と田中が言った。「貴族の流通経路は鉱山ルートと街道ルートで別れるか」
「……別れる。鉱山系は採掘権者が中間を持っていることが多い」
「ドルガンは」
「父が関わっていた採掘組合がある。名前が通れば話が早い」
「使える」
ギルがまた止まった。
(今日で三回目だ)
(「使える」と言われるたびに、何かが積み上がっている)
(積み上がると思っていなかったものが、積み上がっている)
******
夕方、田中がルコを呼んだ。
「支店長代理になれ」
ルコが一秒固まった。
「……え」
「ベッカーを拠点にする。在庫管理と帳面が仕事だ。できるな」
「……で、できます!やらせてください!!」
「トルネコが流通を仕切る。お前は数字を持て。わからんことはショウに聞け」
「……はい。えーとトルネコってショウさんのことですね」
「(無視)一つ言っておく」
田中がルコを見た。
「皿を落とさなかったのは、繰り返したからだ。帳面が綺麗なのも、毎日つけたからだ。支店長代理も同じだ。繰り返せ。以上だ」
ルコが少し間を置いた。
「……皿は、最初に三枚落としました」
「知ってる」
「でも次から落とさなかったら、田中さんは落とした分を聞いてきませんでした」
「数字は今日の話だ。昨日の失敗は今日に入れるな」
ルコが静かにうなずいた。
エリュシアがそれを少し離れたところから見ていた。
(……田中さん)
(あなた、ずっとそうやって動いてきたんですね)
(23年間も、今日だけを続けてきたんですね)
(書けません)
******
その頃、魔界では――
フィルナが走り込んできた。
「ゾルグ〜!! ルコって子が支店長代理になったって〜!!」
「どこからその情報を……!!」
「なんとなく〜」
ゾルグが拳を握った。「……魔王様の腹心である我が、子供に先を越された……!!」
「ゾルグ、それは違う」とゼフィーラが書類から顔を上げた。「子供に先を越されたのではない。あなたはそもそも、田中のパーティにいない」
「なぜいないんですか!!」
「食費が四人分増えると言われたからだ」
「食費……!! 食費で弾かれました……!!」
「全員同じ理由だ。黙って管理しろ」
グレインが壁に立ちながら言った。「認めてないが、田中は人の使い方がうまい」
「認めてんじゃないですか!!」とゾルグ。
「認めてない」
その時、糸電話がわずかに震えた。全員が止まった。
田中「三行で言え」
ゾルグが背筋を伸ばした。「ベッカー支店設立・ルコ代理就任・おめでとうございます、以上!!」
「よし」
ブツッ。
一秒だった。
フィルナが「……三行で話せて、よかったねぇ~」と言った。
「……一生に一度かもしれません、ウォォン」とゾルグが静かに言いながら、また泣いた。
******
その頃、神界では――
ウルダが書類を受け取っていた。
「トルネコ・田中商会ベッカー支店(通称、田中商会ベッカー支店)本日設立。支店長代理:ルコ。田中剛、帳面を三秒確認後『無駄がない』と評価」
「……そうですか」
「ルコが皿を一回も落としていなかったことも確認済みです」
ウルダが少し間を置いた。
「……皿を落とさなかった、ですか」
「はい」
「それを田中さんが確認した」
「はい」
穏やかな顔が、少しだけ柔らかくなった。
「寛大に……見守ります」
「寛大です、主神。」
補佐官が記録した。「本日:一回。却下印:一枚消費。笑み:今日は0・8回分」
※おじさん解説!
いただきストリートというゲームがある。
エニックスが1991年にファミコンで出したボードゲームだ。サイコロを振って街を進み、お店を買い、増資して高くして、相手の財産を奪う。人生ゲームに似ているが、もっと商売寄りだ。
このゲームの面白さは「どこに投資するか」だ。安くて地味な物件を早めに買って、少しずつ増資していく。派手な高額物件を狙うより、地味な積み上げの方が長期では強い。
ルコが皿を落とさなかったのも、帳面をつけ続けたのも、同じ話だ。一回一回は地味だ。でも積み上げると本物になる。
支店長代理は肩書じゃない。積み上げた記録の結果だ。常識だろうが。
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※神界業務日報 第五十四回
本日の特記事項。
ショウ・田中商会ベッカー支店、設立確認。
帳面確認:三秒。評価:「無駄がない」。
支店長代理:ルコ。就任。
田中さんが「繰り返せ」と言いました。
ルコさんが静かにうなずきました。
三秒だけ、見たことのない顔でした。
記録します。書く欄:今日は少しありました。
以上です。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:2 チート:無効
魔王 ネネ LV:3相当 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
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※魔王の家計簿 第五十四回
本日の支出。
王道亭宿代:田中が値切った後の金額(今回も聞いていない)
昼食:トメさん分は支払い確認
支店設立費用:初期投資あり(詳細はトルネコが管理)
ルコが皿を落とさなかった。
田中が「無駄がない」と言った。
ルコの顔が少し変わった。記録した。
繰り返せ、と言っていた。
我も千年、繰り返してきた。
同じことを言う人間は、時代を問わず現れる。
【現在のステータス】
勇者 田中剛 LV:2 チート:無効
魔王 ネネ LV:3相当 魔力:低下中
女神 エリュシア 神力出力:制限中(通常の1割以下)
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※ルコの商人見習い帳 第一回
今日から書くことにした。田中さんに「書け」と言われたわけじゃない。自分で決めた。
皿は一回も落とさなかった。三枚落とした分は、去年の話だ。
支店長代理になった。意味はまだ全部わかっていない。でも帳面と数字ならわかる。それだけは自信を持って始める。
田中さんが「繰り返せ」と言った。
繰り返す。




