「カーヴェが来た」
朝の王都宿の一室は、ぎゅうぎゅう詰めに人数が多すぎた。
田中がテーブルで書類(※前話参照)を広げ、エリュシアが隣で補足を入れている。
ゼフィーラが書類の発信元を一枚ずつ確認し、グレインは壁際で腕を組んで読んでいた。
フィルナはお茶を全員分配り終えてにこにこしており、
ゾルグは昨日の号泣の目元が少し残ったまま直立していた。ネネはグラを膝に乗せて書類を覗き込み、アルスが部屋の隅で腕立てをしながら、その話を聞いていた。
「アルス。いい加減腕立てをやめろ」と田中が言った。
「はいっ!! でも体が——!!」
「座れ」
「はいっ!!」
アルスが座った。――が、三秒後に自分でも気づかないまま、また腕立ての姿勢に戻った。
エリュシアが内心だけで言った。
(……習慣です。田中さんも気づいています。でも二回目は言いません。そういう方です)
ゼフィーラが書類に目を落としたまま言った。
「この迂回決裁の経路、一段階まだ追えていない部分がある」
「原本が必要だな」と田中が言った。
「原本を持っているやつが来るまで待て」
エリュシアが田中を見た。
「……来ると、わかっているんですか」
「必ず、来る」と田中が言った。それだけ言って書類に目を戻した。
それから十分ほどで、扉がノックされた。
* * *
カーヴェが入ってきた。
白衣のクールビューティー女神。
腕に分厚い書類ファイルを二冊抱えており、部屋の中を一瞬で把握する鋭い目をしていた。
「野球盤の件、問い合わせが三十二件になってたわよ。増えてる」
「把握しているか」とエリュシアに田中が視線だけ向けた。
「……把握しています」
「それ、把握してない顔ね」とカーヴェが言った。
「把握した上で優先順位を——」
「三十二件、全部後回しにしてる顔だわ」
エリュシアが口を閉じた。カーヴェが口の端を少し上げた。
「ということで、その間にこっちをやってきたわ」
書類ファイルを机の中央に置いた。どさり、と音がした。
「ずっと別口で追っていた分よ。神界が並行世界への介入に使っていた決裁経路の原本と、削除される前の記録の複写。それと——」
もう一冊を重ねた。
「昭和製造法の技術記録への神界側のアクセスログ。あなたの仕組みを、上が観測していた証拠よ」
部屋が静かになった。
カーヴェは、「私もそろそろ決まり以外の事をやってみようかと思って」と続けた。その言い方はさらりとしていて、とても軽かった。
エリュシアが書類ファイルの表紙を見たまま、動かなかった。
(……PCエンジンちゃん)
声には出なかった。出なかったが、胸の奥で何かが少し動いた。温かいものと、一トーン低くなる何かが、同時にあった。
「カーヴェ」とエリュシアが言った。声が、いつもより微妙に低かった。
「なに」
「……なぜ一人でやっていたんですか。相談すればよかったのに」
「あなた、連絡できる状況じゃなかったでしょ。書類を隠した後で」
「それは——」
「それだけよ。私は私で、できることをした。それだけ」
エリュシアが少し間を置いた。
(……できることをする。あなたがよく使う言葉ね)
(田中さんも似たようなことを言います)
(なぜ似てくるんですか)
(声には出しません)
田中がすでに書類ファイルを開いていた。ゼフィーラが横から覗き込んで、カーヴェが続きを説明し始める。グレインが書類を一枚取って黙って読んだ。
「……なるほどね」と、グレインが言った。
アルスが即座に口を開いた。「——なるほどって、また言った」
「うるさい!!」
「でも今——」
「うるさい。筋が通ってるのを確認しただけだ」
「それを——」
「腕立て千回してから話しかけてこい」
グレインがアルスを一睨みすると、アルスが黙り、腕立て姿勢に戻った。
* * *
昼過ぎ、宿の入り口の方から足音がした。
フィオだった。
切りっぱなしのポニーテールに、石の袋を肩にかけている。部屋に入ってきて、机の上の書類の山を見て、それから田中に向き直った。
「……増えたな、だいぶ」
「書類か、人数か」と田中が言った。
「両方だ」
「正解だ。座れ」
フィオが座った。カーヴェが書類の概要を手短に話す。フィオが黙って聞いていた。
話が「並行世界への介入記録」まで進んだとき、フィオの手が石の袋の上で止まった。
「……これは」
「お前が送り込まれた記録も入っているか」とカーヴェが確認するように言った。
「ある。書類として存在する」
フィオが少しの間、動かなかった。
「……知っていたか」と田中が言った。
「一部は。命令として節約を課されていると聞いていた」
「書類として見たのは初めてか」
「……初めてだ」
フィオが書類の一ページを手に取った。自分の名前と、「他世界勇者素材・節約特化型・投入承認」という文字列が並んでいる決裁欄を見た。
田中は、何も言わなかった。
フィオが書類を置いた。石を一つ、袋から出して手の中で転がした。重さを確かめるように。
「……神界に怒りを覚えるか?」とネネが言った。
「怒っていない」
「そうか」
「石はタダだ。書類があろうがなかろうが、何も変わらん」
田中が前を向いた。
「変わらんなら続けるだけだ。使えるものが揃った。それだけだろうが」
フィオが石を握ったまま、少しだけ田中を見た。
「……そうだ」
短く言って、前を向いた。
* * *
アルスは、フィオに気づいたのが少し遅かった。
なぜなら、腕立てに集中していたからだ。汗だくの顔を上げたとき、フィオが机に向かって座っているのが見えた。
「(ぜぇぜぇ)フィオさん!! お戻りですか!!」
「……ああ」
「(ぜぇ)改めて、同門ですね!!」 スクワットを始める。
「違う、と何度言えばわかる」
「(ふっ、ふっ)でも師匠が——」 スクワットでだいぶ足がぷるぷるしている。
「お前に師匠と呼ぶ権利はない。俺には師匠はいない」
「(ふっ、ぜぇ、ふっ)でも同じ場所に集まった仲間——!!」 ――限界を迎えた筋トレで、アルスは崩れ落ちた。
「仲間は仲間だ。同門じゃない」
田中が疲れ切ったアルスに、振り向かずに言った。「アルス。腕立て追加千回だ」
「はいっ!!師匠!!」
フィオが石を袋に戻した。
「俺も腕立てをすればいいのか?」
「違う。お前はずっと石投げとけ」
「……わかった」というと、フィオは石袋を持って外に飛び出していった。
――窓の割れるガシャーンという音が、聞こえたような、聞こえてないような気がしたが、田中たちは無視した。
エリュシアが内心だけで呟いた。
(アルスとフィオさんが並んでいます)
(理由は違いますが同じ繰り返す訓練になっています)
(なぜこうなるのでしょう)(田中さんが引力なのかもしれません)(声には出しません)
ゾルグが端から様子を見て、目元が少し潤んだ。
「……皆さんが、うっ、集まって......」
「泣くなみっともない。男だろ」と田中が言った。
「申し訳ございません!!」
「泣くなら後でやれ。今は書類を読め」
「はっ!!」
フィルナが全員を見回して、にこにこした。
「みんないるねぇ~!! 仲良しさんでよかったぁ~!!」
誰も返事をしなかった。でも誰も嫌な顔をしなかった。
グラが「グゥ」と一声鳴いて、ネネの膝からカーヴェの腕に飛び移った。カーヴェが驚いて一歩引いた。
「……これ、なに」
「グラだ」と田中が言った。「資産だ」
「翼竜の幼体……経費は」
「餌代ほぼゼロだ」
「なるほど、効率的ね」
エリュシアが内心だけで言った。
(……カーヴェまでその反応をしています)
(この宿に来ると全員グラの経費を聞きます)
(なぜかわかります)
(わかりますが、声には出しません)
田中が書類ファイルの最後のページを閉じた。
「これですべて揃ったな。明日から動く――」
誰も異論を言わなかった。
* * *
夜、廊下でカーヴェがエリュシアに声をかけた。
「一つだけ言っておくわ」
エリュシアが立ち止まった。
「あなたが先に書類を隠してくれたから、私も動けた。順番が逆だったら、私は動いていなかったと思う」
エリュシアはしばらく何も言わなかった。
沈黙の中、廊下の端で、どこかの部屋からアルスの筋トレの音が聞こえていた。
(あの人、まだトレーニングしてますね)(明日も速いんだから早く寝てください)
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
カーヴェが踵を返しかけた。
「カーヴェ」
「なに」
「……問い合わせの三十二件、明日処理します」
「処理する、でいいの? 無視とかじゃなくて?」
エリュシアが少しだけ間を置いた。
「処理します。私の判断で」
カーヴェが小さく笑った。
「なるほどね」
「そういうことです」
廊下が静かだった。カーヴェが部屋に戻っていく足音が遠ざかり、エリュシアはしばらくそこに立っていた。目を閉じて、また開いた。
(……同期は、厄介です)
(声には出しませんが)
(……少しだけ、よかったです)
(あと、なるほどね、はいろいろと危ないです)
エリュシアは部屋に戻った。夜は更けていく――。
******
※おじさん解説!
昭和のパーティゲームといえば人生ゲームだ。
タカラが1968年に日本で発売した。
元はアメリカのミルトン・ブラッドレー社が作ったゲームで、
日本向けに作り直した。
ルーレットを回して自動車型のコマを進め、
就職・結婚・子供・老後を経てゴールを目指す。
途中でお金を稼いだり払ったりする。
田中剛(四十六歳)の場合、このゲームで問題が起きる。
「結婚マス、スキップできないのか」
「できません」
「コスパが悪い。次の就職マスに直行したい」
「そういうゲームではありません」
「無駄だ。削れ」
スタートから三マスで進行が止まった。
このゲームのルールに「コスト削減」という選択肢はない。
それが昭和の限界である。
なお今回のパーティには四天王・魔王・女神・
他世界勇者・神界技術担当・翼竜が一室に集まった。
人数は十人を超えた。
人生ゲームの最大プレイ人数は六人だ。
全員では遊べない。
人数の問題は、経費で解決できないらしい。
※神界業務日報 第四十七回
本日の特記事項。
カーヴェが書類を持参しました。
「私もそろそろ決まり以外の事をやってみようかと思って」とのことでした。
記録します。
問い合わせが三十二件になっていました。
明日処理します。私の判断で。
フィオさんが戻ってきました。
書類を見て、石を握っていました。
「変わらん」と言いました。
記録します。
夜、廊下でカーヴェと話しました。
「ありがとうございます」と言いました。
初めて言えた気がします。
声に出たかどうか、記録しておきます。
……出ました。
以上です。
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※魔王の家計簿 第四十七回
本日の支出
宿代 三十五G
食費 十三G
書類保管用棚(追加) 八G
カーヴェが来た。書類が増えた。棚を買った。
フィオが戻ってきた。石を一つ握っていた。
「変わらん」と言った。
千年生きたが、そういう人間を我は何人も知っている。
変わらないことが力になる人間がいる。
田中もそうだ。
家計簿には書けないが、書いた。
グラが今日も元気だった。
支出:〇G。
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※フィルナのおたより 第三回
みなさんへ。
今日カーヴェさんが来ました!
前に来た時より書類が多かったです。
エリュシアさんの声がいつもより少し低くなっていました。
なんか仲いいのかな~と思いました!
フィオさんも戻ってきました。
アルスさんが「同門ですね!!」と言ったら「違う」と言われていました。
アルスさんは懲りないですね~!
でもその後二人でそれぞれ筋トレと石投げをしていました。
仲良しですね~!!
グレインちゃんが「なるほどね」って言ったあと
アルスさんに「また言った」って言われてました。
いつも通りでした。よかったです!
ネネちゃんは今日も元気でした。よかったです!
フィルナより




