「節約は、この世界では犯罪らしい」
第一世界を越えた田中たちは、次の世界へ降り立つ。
そこは、魔法工業が発達した美しい大国。
ただし――節約は、犯罪だった。
グラの背から新しい世界に降り立った瞬間、田中剛が最初にしたことは、値踏みだった。
ここの空は薄い紫色をしていた。
街を走る魔道馬車は音もなく滑らかで、御者も馬もいない自動運転だ。
看板はどれも魔法の光で点灯し、建物の窓ガラスには強化の刻印が彫られている。軒先のランタンは空中に浮かび、自動で色とりどりに明滅していた。
美しいと言えば、美しい。
だが田中は、それらを見て三秒で結論を出した。
「......高い」
エリュシアが隣で降り立ちながら、静かに溜め息をついた。
(着地の第一声が「高い」でした)
(どこの世界でも変わりません)
(変わってほしいとは思っていませんが)
(以上です)
ネネは少しだけ街を見渡してから、静かに目を閉じた。
ここでは、我の魔王権限は――。
試した。通じない。
少しの間、ただそれだけを確認する。
それでいい。
第一世界で魔王だった自分。
この世界では、ただの同行者。
その事実は少しだけ彼女の小柄な体には重かったが、ネネは何も言わなかった。
田中が、すでに歩き出していたからだ。
「行くぞ」
「どこへだ?」
「宿だ。まず固定費を確認する」
「この世界に来ても最初が宿代なのだな、お前は」
「当たり前だろうが」
グラは田中の胸ポケットの中で丸まっていた。
手乗りサイズまで小さくなっている。世界移動の入口で気配を消してから縮んだまま、「グゥ」と一声鳴く。
「うるさい」と田中が小声で言った。
「何か言いましたか」とエリュシアが聞いた。
「独り言だ。以上だ」
ベータは少し離れた場所で、魔法で浮かぶ案内板を見上げていた。
【都市美化課より】
【低品質品の持ち込みは、街の価値を下げます】
【消費こそ、市民の誇りです】
【節約行為を見かけた場合は、すみやかに価値管理局へ通報してください】
ベータが小さく呟く。
「......価値の定義が変」
「節約が通報対象」
「むかつく」
「記録する」
誰も聞いていなかった。
******
田中一党は宿を探した。
街の中心部には、「最高級魔道宿・一泊450G〜」という看板が浮かんでいた。
その隣には、「高級魔道宿・一泊220G〜」。
さらに隣には、「標準魔道宿・一泊80G〜」。
すべての看板が魔法で発光している。
発光する分だけ、コストがかかっていた。
田中は目を細める。
「......裏通りに行く」
「まだ何も見ていませんよね」
「見た」
「看板だけでしょう」
「十分だ」
(いつものことです)
(でも今回はまだ何も起きていません)
(穏やかな出だしです)
(よかったです)
エリュシアがそう思った直後。
裏通りに入ったところで、六人の衛兵に取り囲まれた。
全員が魔法鎧をまとい、魔法ランスを構えている。鎧は無駄に光り、肩の装飾だけで小型の盾くらいあった。
先頭の男が腕章を突き出す。
「価値管理局だ!! 全員、手を上げろ!!」
田中が少し止まった。
「......何が問題だ」
「安物所持の価値観犯罪現行犯だ!!」
「......どれのことだ」
「この期に及んで......その荷物全部だ!!」
衛兵が田中の背負い袋を指差した。
「この街では、一定基準以下の品を所持すること自体が法律違反だ!!」
田中は自分の荷物を確認した。
煙草。
帳面。
最低限の着替え。
小さな工具。
宿代の銅貨。
いつものものだった。
「......常識だろうが」
「何がだ!!」
「安ければ問題ないはずだ。どの世界でも同じだ」
「この世界では違う!!」
「......そうか。いくらかかる?」
「逮捕だ!! 費用の話じゃない!!」
エリュシアが小声で言った。
「田中さん、今回は費用より先に逮捕の話をしています」
「......そうか」
田中は少し考えた。
「逮捕に手数料は」
「ない!!」
「なら安い。以上だ」
衛兵たちが一瞬、動きを止めた。
「い、いや、逮捕だぞ!?」
「無料だろ」
「無料だからいいという話ではない!!」
「宿代が浮く」
「浮かせるな!!」
ネネが感心したように頷いた。
「なるほど。牢屋を宿として見るのか」
「見るな!!」
エリュシアが額を押さえながらため息をつく。
(ふぅ......やめてください)
(魔王が学習しています)
(しかも変な方向に)
(以上です)
グラが胸ポケットから顔を出した。
「グゥ」
衛兵の一人が反応する。
「今、鳴いたな。無許可小型魔獣所持も追加だ」
田中の目が細くなった。
「ペット料金は」
「ある!!」
「グラ、引っ込め」
「グゥ!?」
「今すぐだ。固定費が増える」
「グ......」
グラがしゅるんと胸ポケットへ沈んだ。
衛兵が叫ぶ。
「隠しても無駄だ!!」
「見えていない。以上だ」
「そういう問題ではない!!」
全員が連行された。
******
牢屋の石壁は、やたらと頑丈だった。
魔法補強済みと石に刻まれている。田中が一目見て、「補強費がかかっている」と思った。
ベータは「価値計測困難」の判定が出たらしく、取調室に放り込まれたまま放置されていた。
トルネコは逃げ足が速く、気がついたらいなかった。
エリュシアとネネと田中の三人が、同じ房に入れられる。
エリュシアが腕を組んで石壁を見た。
「......田中さん。初日から牢屋ですか」
「そうだ」
「......どこの世界でも、ですか」
「どこの世界でも、だ」
(答えないでいいところでした)
(でも正直なのが困ります)
(よかったと言えばよかったです)
(よくはないのですが)
田中が腰を下ろして帳面を出した。
計算を始める。
しばらくして、顔を上げた。
「......牢屋代は取られるか」
エリュシアが固まる。
「......たぶん、取られません」
「なら安い。以上だ」
「宿代が浮いたな、節約完了」
「牢屋で決め台詞を言わないでくださいますか!!」
もちろん田中は無視した。エリュシアの声が、石壁にむなしく反響した。
(節約完了しました)
(逮捕中に)
(神界書類にどう書けばいいのですか)
(わたし、女神なのにつかまってるんですけどぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉおぉ!!)
ネネが石の床に静かに腰を下ろした。
威厳があった。なぜかあった。
「......なぜ逮捕されたのか、整理する」
「安物を持っていたからだ」
田中は帳面を見ながら答えた。
「この世界では、安物を持つことが犯罪らしい。常識が逆だ」
「......常識が、逆」
「どこかが狂っている。調べれば出てくる」
ネネは少しの間、それを考えた。
「......狂っている常識を、削ると言うのか」
「そうだ」
「......なるほど」
エリュシアは二人を見た。
(魔王が一番早く理解しています)
(毎回です)
(毎回なのです)
(なぜですか)
グラが胸ポケットから顔を出した。
「グゥ」
「お前はここにいろ。見つかると面倒だ」
「グゥ」
「返事は小さくしろ。牢屋でペット料金を取られたら困る」
「グ......」
グラが引っ込んだ。
ネネが真面目に頷く。
「ペット料金。確かに危険だ」
「そこではありません」
エリュシアが小さく突っ込んだ。
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その頃、神界では――。
副官がウルダに報告書を差し出した。
「田中たちが価値管理局に逮捕されました。新世界到着から三十分です」
ウルダが執務机から顔を上げる。
「......荷物の品質で逮捕される世界なのですね、ぷ......」
「はい」
「......田中さんは?」
「牢屋代が無料なので安い、と」
「......うぷぷ」
「なお、小型魔獣のペット料金を警戒し、グラさんを胸ポケットへ収納しました」
「......収納!」
「はい」
ウルダは目を閉じた。
「寛大に、見守ります」
「寛大です」
「......声が少し細かったです」
「そうですね」
「でも、まだ見守っています」
「寛大です」
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※おじさん解説!
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価値管理局、と書いたが、品質管理という概念自体は昭和の製造業に深く根ざしている。
QC活動、検査工程、規格外品の廃棄。
これらは「一定基準を下回るものを排除する」という意味では、この話の管理局と同じ発想だ。
違うのは、排除する対象が製品ではなく、人間の持ち物になっている点である。
昭和の現場では「規格外は出荷するな」が常識だったが、「安いものを買うな」は言わなかった。
むしろ、「安くて丈夫なものを選べ」が現場の知恵だった。
安いだけなら危ない。
だが、安くて使えるなら強い。
ゲームで言えば、初期装備や拾い物を馬鹿にしてはいけない。
『ドラゴンクエスト』でも、最初の布の服やこんぼうがなければ旅は始まらない。
安物でも、使いどころを間違えなければ立派な攻略装備だ。
それが常識だろうが。
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※神界業務日報 第百一回
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本日、第二世界に到着しました。
到着から三十分で逮捕されました。
理由:安物所持の条例違反。
田中さんの荷物は、この世界の基準では全品が条例違反に該当します。
田中さんのコメント:「なら安い。以上だ」
牢屋の石壁には魔法補強の刻印がありました。
田中さんはそれを見て「補強費がかかっている」と言いました。
正確です。
追記。
グラさんがペット料金扱いされる前に胸ポケットへ収納されました。
収納という表現でよいのかは不明です。
以上です。
エリュシア
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※魔王の家計簿 第百一回
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本日、新しい世界に着いた。
空が紫だった。
我の権限を試した。
通じなかった。
それでいい。
支出:なし。
逮捕されたため、宿代もなし。
田中が「なら安い」と言った。
正しい。
追記。
ペット料金という危険な固定費があるらしい。
グラは胸ポケットに隠れた。
賢い。
ネネ




