007 都市伝説の女児のわたし
「……そうね。アンタは姿かたちは同じ。けどね。黒姫さまは強くて、格好よくて。とっても頼りになる人」
「……」
「アンタはダルそうなカオで。愚図な動きして。まったく正反対」
天井の照明を見上げたココロクルリさん。遠い目をする。
「ここの喫茶店さ。わたしが初めて黒姫さまと出会った場所なんだよ。ちょうどこの席でさ、――まだわたしがただの小学生だった頃、クソな連中に絡まれてて……。そのとき声をかけてくれたのがあの人」
まだ何も語りもしないのに、わたしの脳内にある映像が浮かんだ。
海の底に沈んでいた記憶に光を当てられて、一気に救い上げられたような感覚。
◆◆
ゲームテーブルの周りに5~6人の女子中学生がたむろして騒いでいる。
すぐそばの床に、小学生の女の子が土下座させられていた。グチャグチャに乱れた髪で、頬を腫らし、両の鼻から血を垂れ流している。1本折れた歯が足元に転がっている。
学校帰りなのか、ランドセルの中味が全部ひっくり返されていて、足形をつけられたノートや教科書が千切れ破かれて散乱している。
息が詰まったのか、ヨレヨレになった服のすそで鼻を押さえた女の子の顎あたりに、容赦のない蹴りが跳んだ。
「ウッ?!」
一瞬ビクンと身体が跳ね上がり、沈んだ。小刻みに痙攣したと思ったら唐突に嘔吐した。
「きったねぇな」
「あーゲームオーバーだぁ。もうコイツの金、無くなっちゃったよー」
「家から持って来させようよ」
「駅前のリーマンつかまえて、パンツでも売らせたらどうよ」
「い、……いやです……そんなことしたくない」
髪の毛を掴まれ乱暴に持ち上げられる。「ひー」と怯えの混じった苦痛を漏らす。
「だったら! 早くメガネのお友だちを連れて来いよ!」
「金取りに行くって言ったまま、ちっとも帰って来ないだろーがよ」
「逃げたんじゃね?」
怒鳴りと下卑た嗤いが店内に乱雑に響いた。
「だいたいさ。あの逃げたメガネのオトモダチがよ、ウチらの友だちをチクったんだぜ?」
「しょーがいとゴートーと……えーと、なんだっけ? 当分、年少(=少年院)から出れないじゃね?」
「チクって悪かったと思ってんの?」
「……すみません」
詳しい事情は分かんない。
けどココロクルリさんが酷い目に遭わされているのは直ぐに分かったし、こいつらがどーしよーもないクズだってのも判った。
なによりもムカつくのは、これほどまでの騒ぎになっているのにここの店員はカウンターから一切出てこようとしない。やかましくがなり立てているテレビの野球中継に目を向けている。
「それとあの、何て言ったっけな。……なんとかってガキ。アイツにあーしらの先輩が……」
「言うなよ、それ。ウチらまで赤っ恥じゃん。フツー小学女児さんに中学生が負けるかよ? ありえねーよ」
「もしその都市伝説がマジだとしたら、諸センパイ方もうこの町歩けねーぜ?」
「カッコわるー」
大笑いした女子のひとりが肩を掴まれた。
「あーん……?」
と怪訝に振り向く……間もなく、数メートルぶっ飛んだ。殴られたのか、別のコトをされたのか。とにかくその子は白目を剥いて地べたで失神している。
「な、なんだ?」
「なんだ? やない。――アンタらの言う都市伝説の女や」
小学生姿のわたしが立っていた。
「――なぁアンタら。その小学生にうらみでもあんの?」
「はぁ? 女児、オマエあのメガネの代理か? だったら早く金渡せや」
「チョイ待って。そのゲーム、わたしがしたいねん。オバサンどいて」
「お、オバサン?!」
女子中学生らが色めき立った。
少女――わたしは連中をムシし、それまで占拠していた年上女子を押しのけて着座した。
ショートパンツのポケットをまさぐって小銭をテーブル上に並べ、何食わぬ顔でゲームを始める。
「うーん。まぁ面白いな。自分のお小遣いで遊ぶんなら、誰への遠慮も要らんのやない?」
けどさ。と立ち上がる。
やはり小学生ではあるので上目遣いになり、女子中学生らを睨みつける。
「アンタら。ひょっとしてスケバン? スケバンって弱いもんイジメするもんなの?」
「こいつ……」
一人のスケバンが通学カバンからナイフを抜いた。目が血走っている。
背後から静かに近づき、首すじ目がけて無言で突き出した。しかし後頭部にも目があるかのように、サッとかわすわたし。同時に反撃し、彼女の鼻っ柱を裏拳でボコった。
絶叫と鼻血がほとばしる。
「な? 痛いやろ? でもこの子、歯まで折られてさ。もっと痛かったはずやで?」
ブンッとハイキックが飛んだ。
鼻血スケバンの隣に立ったスケバンの、上アゴが一瞬捻れた。「グギャ」と上げた悲鳴が喉の奥で押し潰された。
「都市伝説の女児……」
最後に残ったリーダー格のスケバンが目を細めて距離を取った。
瞬時に仲間3人がやられ、さすがに迂闊に飛び掛からない。
「なぁ? なんでわたしが黒姫なんて恥ずかしいあだ名をつけられてるか分かる?」
「知らねぇよ……と言いたいところだけど、――アンタ、魔法使なんだろ?」
「ふふ。合ってる合ってる。血も涙もない腹黒魔法使やから、そんなあだ名をつけられたんや」
リーダー格が左の手の平を掲げた。
「――へえ?」
見せたのは赤紫鈴。魔法使の証、魔法の使い手の証明。
「言っとくがな、アタイだって訳もなく番張ってるわけじゃねーんだよ。その気になればここら一帯焼け野原にだって出来るんだぜ?」
ようやくわたしの眉間にしわが寄った。実力を怪しんだとかじゃなく、「こんな場所で、本気かオマエ」と言った正気を疑う気持ちが湧いたためで。
現に店員はこの期に及んでようやく「ケンカなら他所でやりなさいよ」とか慌てだした。
呪文を詠唱しだすリーダー格のカオは本気だった。
完全に周囲が見えなくなり、とにかく目の前の気に食わない小学女児を殺してやりたい一心で、とっておきの爆裂魔法でも発動させようとしている。
「あのな」
とわたしはオデコをかいた。
「詠唱してる時点でオバサンの負けや」
リーダー格の足元にぽっかりと穴が開いた。
円状の淵からはプスプス……と、焼け焦げたにおいを漂わせた黒煙が昇っている。
「火弾程度なら、せめて詠唱無しでこなさな実戦には不向きやで?」
リーダー格と店員は呆然としてその場に立ち尽くした。
「新台入ったからって勇んできたけど、なーんか興が削がれた。今日は帰る」
「こ、こらっ。そこの床どーすんだ?!」
「はーん? 半死半生の小学生には知らん顔すんのに、それはないやろ?」
ココロクルリさんがよろよろとわたしの腕を掴む。
「別にわたし、助けてもらってないから」
「うーん。別にキミは勝手に助かっただけちゃう? つーか、ずーっと反撃の機会を狙っとったやろ? ……その肝っ玉、めっちゃ格好いいで?」
わたしが店を出るまでココロクルリさんはジーッとわたしを目で追い続けた。
そして店員に向かってこう叫んだ。
「あの人ここの常連なの?!」」
「あ……? ま、まぁ。いわゆる不良よ」
「わたしがここでバイトして店の修理代払います」
「……は? 小学生なんて雇えないわよ」
「ただ働きでいい。毎日わたし、ここであの人を待つから! 弟子入り頼むから!」