006 まだ、消えないで
朝になる。
寝不足気味で鏡の前に立った瞬間、イヤな予感がした。
理由なんて無い。
けども、何となく分かってしまう。
◆◆
教室に入る。
いつも通りの光景で。
いつも通りのクラスメートや先生のはずやのに。
違う。
席につく。
そっと、となりを見る。
「……あ」
いる。
ルリ。
ホッとした、……のに。
「……薄い」
昨日より明らかに……。
ものすごく輪郭があいまい……。
「おはよ」
笑いかけてくるルリ。
せっかくの愛想、でも届くあいさつには。
乱れたノイズが混じっていた。
「……うん。おはよー」
普通に返す。
普通にしようって思った。
そうしないと、この子がいっぺんに壊れそうで。
「ねえ」
こっちを見てる気配。
「今日も、一緒にいて」
今日も……って。
少しだけ、その言い方に引っかかる。
今までは、
ただ、そこにいる【だけ】やった。
今は……。
わたしに――すがってる。
「……うん。いいよ。一緒やで」
とりあえず頷いた。
たったそれだけで。
ルリは、安心したような顔になった。
◆◆
授業が始まる。
先生の声も。
黒板の音も。
全部、ちゃんと聞こえてるのに。
となりが気になって集中できない。
ちら、と見た。
ルリ……ジッとこっちを見てた。
目が合う。
「ねえ」
小さく囁く。
「甘いの、好きでしょ?」
一瞬、固まる。
「……え?」
「ほら。この前も――」
そこでルリは、ふと言葉を止めた。
「……ううん、なんでもない」
笑ってごまかした。わたしも笑った。
あいまいに合わせるわたしは、ルリの言う【この前】を知らない。
――のに。
なんで知ってんの?
ざわつく。
「……うん。好き、や」
とりあえず答える。完全に誤魔化し。適当。心が苦しい。
でも「そっか……」とルリは、嬉しそうに笑った。
怖くなった。苦しくてガマンできんくなった。
休み時間になる。
席を立った。
理由はない。ただ、彼女から離れたくなり。
「……どこ行くの?」
すぐに声が追いかけてくる。
振り向くと、ルリが立っていた。
「ちょっと、だけ」
ルリのカオが歪む。
「……すぐ戻る?」
「うん。……すぐ戻る」
間を置いて、思い付いて頷く。
その一瞬。
ほんの一瞬だけ。
ルリの輪郭が、ぐらりと崩れた。
耳が痛くなるほどのノイズが走る。
「……っ」
息を飲む。
「……ごめん」
ルリが小さく謝る。
何に対してなんか、分からない。
でも。
その声は、明らかに震えていた。
「ねえ」
一歩、近づいてくる。
距離が、近い。
「いなく……ならないよね?」
とたんに心臓が強く、大きく鳴る。
そんなの答えられない。
答えていいのかも、分からない。
「……いなくならないよ?」
気づいたら、返してた。
ウソかどうかも分からないまま。
ルリは、ほっとした顔をした。
――その瞬間。
教室全体の空気が変わった。
ぜんぶの音が遠くなる。
時計の秒針が止まる。
息が詰まった。
……来る!
ワケもなく、そう思った。
――でも。
何も起きない。
ただ。
整った、だけ。
あふれていた違和感が消える。
そしてまた、元に戻る。
「……ねえ」
ルリが。
弱まっている。
「わたしのこと。ハナヲは消えてほしい?」
また世界が止まる。
言葉が出ない。
違う、って言いたい。
だけれども。
何が正しくて、何が間違っているのか。
昨日の、サラの言葉がよぎった。
排除。
胸が痛い。
「……わたしは」
震えだす口。
その先が続かない。
我慢強く、そして健気に、ルリは耳を傾けている。
この子は待ってる。
わたしの返事を。
でも。
言えない。
答えられない。
沈黙が落ちる。ずしり。ずしり。ずしり……と。
少しして。
ルリの方が先に、小さく笑った。
「……そっか」
その笑顔は。
どこか、諦めているみたいやった。
しばらくして。
ぽつりと。わたしの方から。
「じゃあさ……」
言葉を切る。ゆっくり。小さく吐く息。……そして吸い。
「わたし、黒姫になればいいの?」
その瞬間。
空気が、凍った。
何かが大きくズレる。
なに。
なんやの? 理解不能。
この揺らぎ。この不快。
判るのは。
それが【間違った答え】やったってこと。
「……どうかな」
ルリの返答に、続きが話せない。
嬉しそうなルリの輪郭は。
今までで一番、崩れていた。
「けど、そうね。そしたらたぶん、わたし消えないよね」
独り言のその声は。
ほとんど聞き取れなかった。
わたしは確かにいま、そこにいるルリを、見ているしかなかった。
消えかけている。
どうにかまだ、そこにいる。
そんな彼女をただ【見ているだけ】しかできなかった。
何も。
できんかった。




