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梅見坂奇譚  作者: 真桑瓜
9/13

織姫の願い事

織姫の願い事


                    1


織姫が来て生活が一変したのは僕だけでは無かった。アパートの住人達も変わった。

先ず、玄関に乱雑に脱ぎ散らかされていた靴が、綺麗に揃えられた。

廊下をパンツ一丁でうろついていた住人が一掃された。

織姫効果だろうか?

彼らは僕に羨望の眼差しを向けた。織姫が僕の彼女だと思っているらしい。

まぁ、その方が織姫にとっても好都合なのだろうが。


僕はといえば、相変わらず下手な小説を書いて糊口を凌いでいる。

今日も日がな一日、文机の前に座って無意味な文章で原稿用紙の升目を埋めていた。

小説家なんてものは、嘘八百を並べ立ててお金を貰っているのだから詐欺師のようなものだ。

そう言うと、織姫は笑ってこう言った。『でも、私は先生の小説のお陰で立ち直ったのよ。とても感謝しているわ』

まあいいか、多少なりとも人の役に立っているのなら後ろめたさも軽減される。

そんなことを考えていると、ドアが二度ノックされた。

「先生、居る?」

「居るよ、鍵、開いてるから」

「あのォ、お願いがあるんだけど・・・」

妙におずおずと織姫が入ってきた。

「なんだい、今日はやけに神妙じゃないか?」

「実は・・・」

織姫はそこで一度口籠もり、思い切ったように口を開いた。

「私と夫婦になって欲しいの・・・」

「・・・えぇっ!」心臓が口から飛び出しそうになった。

「もちろん、お礼は弾むわ」

「お、お礼?」

「今度、私の職場でパーティがあるの。お得意様もたくさん見えるんだけど、男性が多いのね」

「そ、それで?」

「自分で言うのもなんだけど、私ってそこそこ美人じゃない」

「自分で言うか?」

「だからぁ、その男どもが煩いわけよ。でね、先生に虫除けになって貰おうと・・・」

「ああ、ビックリした!それを先に言えよ!」

僕はまだドキドキしている。

「嫌だよ、僕は忙しい」売れない小説家が忙しい筈は無い、織姫もそれは分かっている。

「お願い先生、人助けだと思って!」

織姫は僕に向かって手を合わせる。

「いったいどんな会社なんだ?」

「アパレル関係の会社なの。いまの職場を失ったら私、また元の木阿弥よ」

織姫は必死に僕に訴えた。

せっかく織姫が更生したのに、ここで断ったら後悔するに決まっている。僕はその時の気分を想像して溜息をついた。

「しょうがないなぁ。で、いつなんだい?」

「今度の土曜日、市内のホテルの式場を借り切って行われるの」

「分かったよ、空けておく」

「わっ!先生ありがとう。恩にきます!」

そう言って織姫は、嬉しそうに出て行った。僕はもう一度深い溜息を吐いた。


                   2


次の土曜日、僕はホテルのロビーにいた。

慣れないネクタイを緩めながらソファーに座っていると、織姫がやって来た。

日頃の服装とはまるで違う、シックな花柄のワンピースを着ている。

とても似合っていて、ちょっとドキリとした。

「あら〜、その髪とメガネ何とかならないかしら?それじゃまるで売れない小説家だわ」

頼む時にはあれほど手を合わせていたのに、失礼なことを言う。

「その通りだから仕方がない」僕は憮然として言い返した。

「まっ、いいわ。せめて堂々としていてね」

どう見ても貧相な僕が、堂々としていたら帰って違和感があるだろう。

「さっ、腕を組んで出発よ!」

僕が立ち上がると、織姫が僕の左腕に右手を絡めてきた。

意識し過ぎて歩き方がぎこちない。

「先生、ちゃんと歩いてよ」織姫が小声で文句を言った。

クロークにコートを預ける時、黒服のフロントマンが声をかけて来た。

「孔雀の間のお客様ですか?」

「そうですわ」 織姫は余所行きの声を出した。

「本日は、当ホテルのサービスとして、最上階ラウンジの招待券を差し上げることになっております。おかえりの際、このコートの引き換え番号でくじを引いて頂きますので、無くさないようにお持ちください」

「あら、そうなの?」

「失礼ですが、ご夫婦でいらっしゃいますか?」

「そ。ね、ダーリン」

僕は黙って頷いたが、全身に鳥肌が立っている。

「では、どちらかが当たれば、ペアでご招待致します」

「まぁ、それは楽しみだわ」織姫は鷹揚に頷いて僕を見た。

「さ、行きましょ、ダーリン。パーティーに遅れるわ」

織姫は僕を促して早足でエレベーターに向かう。

「お願いだから、ダーリンはよしてくれないか・・・」

フロントマンが僕たちを怪訝そうな顔で見送った。


                     3



エレベーターを降りると、正面が孔雀の間だ。受付で名前を書く時、僕は織田太一と書いて妙な気分になった。

会場に入ると、既にパーティは始まっていた。立食形式のビジネスパーティで、あちこちで談笑しているグループが見える。

「先生、何飲む?」

「え、え〜と、ビールかな?」

「じゃ、取って来てあげる。ついでに食べ物も持って来るからその辺で待っててね」

織姫がいなくなると、僕は急速に不安になった。窓際に寄って所在無く立っていると、一人の男が声を掛けて来た。

「織田美姫さんの旦那さまですか?」

高価そうなスーツを来た、背の高い男だ。髪はポマードでテカテカに光っている。

「は、はい。そうですが」

「私は高嶋と云います。美姫さんには随分とお世話になっているのですよ」

「そ、そうですか」

僕の緊張は一気にマックスになった。下手な事は答えられない。

「失礼ですが、どこかでお会いしたような・・・」

「いえ、そのような事は無いと思いますが」

「ご職業は?」

「しょ、小説家です」

「小説家?それは美姫さんに相応しい。で、お名前は」

「秦太一・・・」しまった!と思った。「ぺ、ペンネームですが」

「秦太一・・・秦、あっ!幻想作家の秦太一先生ですか!」

「そ、そうです、でも先生なんかじゃ・・・」

「いや〜、嬉しいなぁ、僕、ファンなんですよ。読みましたよ、あれ、なんと云いましたっけ・・・あっ、そうそう、幻想三部作。あれは良かった」

「あ、ありがとうございます」織姫、早く帰って来ないかなぁ。僕はキョロキョロと辺りを見回す。

「どうです、お近づきの印に今晩中洲のクラブにでもご一緒しませんか?もちろん僕がご招待しますよ」

「い、いえ・・・あのぅ」

「あら、高嶋さん、いつも有難うございます。宅の主人とお友達ですの?」

やっと、織姫が帰って来て僕は心底ホッとした。

「いや〜、僕が一方的にファンなだけで。ビックリしましたよ、秦先生が美姫さんのご主人だなんて」

「あら、言っておりませんでしたっけ?」すっとぼけた顔で織姫が言う。

「今夜中洲にお誘いしていたんですよ」

「あら、残念ですねぇ、今夜は私達結婚記念日ですの。これが終わったら最上階のラウンジでお祝いをしようかと思っているのですよ」

「そうですか、それは残念です。秦先生、ではまたの機会にお付き合い願いますよ」

そう言って高嶋は、他の客のところに去って行った。

「あの男、しつこく私を誘ってくるの、大嫌い!」

織姫は顔に嫌悪感を露わにして言った。

「先生、はい、ビール。それからオードブルも持って来たから食べて」

「あ、有難う」僕は緊張して喉がカラカラだったので、ビールを一気に飲み干した。

トレーを持った従業員にグラスを渡しおかわりを注文する。また織姫にいなくなられては堪ったもんじゃない。


「私、ちょっとお得意さんに挨拶して来るわね」

僕の思惑も虚しく、織姫は壁際で談笑している数人の男女の輪の中に入っていった。


「ちょっと失礼してよろしいですか?」

後ろから声をかけられて、僕の内臓は縮み上がってしまった。

そっと振り向くと、立派な中年の紳士が立っている。

「お聞きしましたよ、小説家の秦太一さんでいらっしゃる。美しい奥様をお持ちで羨ましい限りですな。それに引き換え内の愚妻などは・・・」

「あ、あのぅ・・・」

「あ、これは失礼。私、福南大で教鞭を執っております中村という者です。織田さんにはいつもスーツを選んで頂いておるのですよ。あ、因みにこれも織田さんに選んで頂いたものです」

そう言って中村はスーツの裏地を返して見せた。

なるほど、高い物は裏地にも凝っている。

「ところで、私はまだあなたの小説を読んだ事が無いのですよ。何から読めばよろしいかな?」

「い、いえ、僕の小説など立派な先生方が読むようなものではありません」

「また、ご謙遜を。高嶋くんが言っておりましたよ。近頃評判の小説家だと」

「め、滅相もない」

さっきの高嶋と云い、この中村と云い、何が目的なのだ。僕を値踏みしているのか?

中村の背後から歩いてくる織姫の姿が見えた。

「中村教授、ご無沙汰をしております」織姫が慇懃に挨拶をした。

「おお、織田さん。今ご主人と貴女の事を話していたのですよ」

嘘をつけ、僕を値踏みしていたくせに。

「今度、お二人でうちに遊びに来ませんか?美味くは無いが家内の手料理でおもてなししますよ」

「それは有難うございます。でも、近頃主人の仕事が忙しくって、今日も無理を言って来て貰ったのです。いずれ必ず暇を見つけてご連絡差し上げますわ」

「そうですか、売れっ子の小説家は大変ですな、わっはっはっ」

中村は軽く手を挙げて飲み物のカウンターへと歩いて行った。



「織田君、僕にご主人を紹介してくれないか?」

気がつくと僕の横に男が立っていた。三十代前半だろうか、とても感じの良い男だ。

背がスラリと高く、細身のスーツがよく似合っている。

「あっ、社長。何処にいらしたんですか?」

「ずっと会場の中にいたよ。君は僕のことなど眼中にないんだね?」

「そんな事はありませんわ。あ、ご紹介が遅れました、主人の織田太一です」

織姫が僕を男に向き合わせた。

「お、織田です。家内がいつもお世話になっております」

僕はやっとそれだけを言った。

「樫山です。織田君はとても優秀な社員で助かっています」

「そ、そうですか・・・それは」

「ところで織田君、この前の話考えてくれましたか?」

僕の言葉を最後まで聞く事無く、樫山は織姫に質問した。

「あ、えっと、本社の営業担当にならないかというお話ですね」

「そうですよ、如何ですか?」

「お話はとても有り難いのですが、主人が今とても大事なところなのです」

「大事なところとは?」

「主人は物書きです。ご存知かと思いますが物書きにとって環境はとても大切なのですよ」

織姫は適当なことを言った。原稿用紙と万年筆さえあれば、どこでも小説は書ける。

「作家さんでいらっしゃる?」

「は、はい、一応・・・」

「それで、今の住まいを変えたくは無いのです。本社に通う事になれば引っ越しをしなければなりませんでしょう?それに、私は今のお店が大好きなのです。現場で販売員として働く方が性に合っていますわ」

「ぼ、僕は気が小さいので今の環境が変わったら書けなくなる可能性がありまして・・・」

僕も僅かながら援護射撃をする。それだけでも冷や汗ものだ。

「そうですか、分かりました。僕はいつでも構いません、気が変わったら連絡を下さい」

「有難うございます。そう致しますわ」織姫は物怖じせずに答えた。

「じゃあ、僕はお得意様にご挨拶をして来ますから」

樫山はそう言って来客の中を泳ぐように去って行った。


「若い社長さんだね」

「そう、とっても良い人なの」

「じゃあ、君は・・・」

彼と結婚したら良いじゃ無いか・・・という言葉を、僕は呑み込んだ。もし織姫にその気があるのなら、僕にこんなことを頼みはしない。

「先生、あと一時間くらい我慢してね」

「あ、ああ、なんとかやってみるよ」

それから一時間、僕は苦行に耐えた。いったい何人の男達が織姫を狙っているんだ?


「先生、そろそろ出るわよ。こういう事は引き際が肝心なの」

「う、うん・・・」

織姫が僕の手を引いて出口付近に移動した。

「今よ、社長が挨拶を始めたわ!」

人の目が雛壇に集中した時、僕たちはパーティ会場を後にした。

エレベーターで一階に降りてクロークへ行くと、黒服のフロントマンがいた。

「お帰りですか?」

「ええ、少し酔ったみたい。早めに帰るわ」

「でしたらクジをお引きください」フロントマンは丸い穴の開いた箱を差し出した。

「ダーリン、先に引いて」

僕は背中に悪寒を感じながら、プラスティックの札をフロントマンに渡し、箱に手を突っ込んで番号の書いてある紙切れを取り出した。

「残念、ハズレです」フロントマンが言った。

「私の番ね」織姫が紙切れをフロントマンに渡す。

「おめでとう御座います」

「わっ、当たったのね!」

「はい、間違いありません」

「やった、今夜はついてるわ!」

「織姫、はしたない・・・」僕は小声で注意した。

「では、このペア招待券をどうぞ。ラウンジでなんでもご注文下さい」

「ありがと、貰っておくわ」

織姫はフロントマンにウィンクして、僕の手を取ってエレベーターに向かった。

「織姫、今の人知り合いかい?」

「別に・・・さ、先生、呑みなおしましょ」織姫はさりげなく僕の質問を躱した。


・・・全く、今日はなんて日だ。でも、ま、いっか。今日の織姫は特別可愛かったから・・・



                    4



あ、頭が・・・痛い

さっき、ドアをノックする音が聞こえた気がするが・・・

言って来ま〜す・・・って、あれは織姫の声だったか

確か昨日、ホテルのラウンジで・・・

カクテル・・・そうだ、ブラッディ・マリー

血まみれのマリーだなんて、不吉な名前のカクテルだ・・・

織姫は何ともなかったのか?

朦朧として部屋の前に着いた・・・タクシーに乗ったんだっけ

肩・・・織姫が肩を貸してくれた

華奢な割に力強かった・・・さすが拳法の・・・

ありがとう・・・そう聞こえた

頬に湿った感触があった・・・今日のお礼よ

お礼?・・・そう、約束したでしょ

じゃ、またね・・・せ・ん・せ・い

部屋の明かりが消えた・・・


僕が目を覚ましたのは、もう、日が西に傾く頃だった。

頭痛は何とか収まったが、まだ気分が悪い。もともと酒は強くない、カクテルなんて何年ぶりだっただろう。

ノロノロと寝床から這い出し、台所で蛇口に口を当て喉を鳴らして水を飲んだ。

「ふ〜、やっと人心地がついた」


ドアが二度ノックされた。あの叩き方は・・・織姫

「ただいま〜」

「おかえり・・・って、ここは君の部屋じゃ無い!」

「あら?先生、今起きたみたいな顔してる」

「今起きたんだよ」

「呆れた、いつまで寝てるんですか?」

「君は・・・何ともないのかい?」

「別に・・・あ〜!昨日のカクテルが効いたんでしょ?」

「僕は下戸だからね」

「先生、可愛かったわよ。ぼ、ぼ、僕は・・僕は・・酔ったんだろうか?・・なんちゃって」

「か、からかうなよ!」

「ごめんなさ〜い」織姫がペロッと舌を出した。

「じゃあね、バイバイ!」


手を振って織姫は出て行った。まったく勝手な奴だ、昨日は可愛いと思ったのに。

単なる気の迷いだったのだろうか・・・?









                  5



トントン、とドアがノックされた。

「は〜い、どなた?」

「え〜と、秦だけど・・・」

「あら、先生珍しいわね」

私はドアに寄って鍵を開けた。先生が所在無げに立っている。

「え〜と、そろそろ寒くなって来たんでセーターを買おうと思うんだけど・・・」

「そうね、もう必要な時期かな」

「で、なんと云うか・・・その、付き合ってもらいたいんだけど」

「え、なに、それセーター選びについてこいって云う事?」

「そ、そう云う事になるかな・・・」

「わぁ!嬉しい。ちょっと待っててね、すぐ着替えてくるから」

私はドアを閉め、手早く着替えを済まし軽く化粧をした。いそいそとドアを開けるとまだ先生が立っている。

「あら、先生。部屋で待っててくれれば良かったのに」

「ああ、そうか。気がつかなかった・・・」

私たちは、はるみ荘の玄関を出た。

「ねえ、私たちなんだか新婚の夫婦みたいね、そう思わない?」

「そ、そうかな?」

「ね、腕組んでいい?」

「い、嫌だ!」

「じゃあ、手を繋ぐのだったらいいでしょ?」


返事も聞かず、私は半ば強引に先生の手を取って歩き出した。






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