梅見坂奇譚
梅見坂奇譚 作 秦太一
1
梅田メイは市電に乗っていた。ここでは二つの世界が少しずれて存在する。
黄泉の世界と現実の世界だ。
現実の世界では、すでに市電は廃止されていたが、黄泉の世界では未だ健在である。
黄泉の世界の時間はゆっくり流れているのだ。
メイは不思議な能力の持ち主だ。黄泉の世界と現実世界を自由に行き来できる。
市電の窓から見える風景は、メイが子供の頃に見た懐かしいものだった。
顔の無い車掌が切符を売りに来た。
彼らに肉体は無い、従って口もないので声も出ない。直接心に話しかけて来る。
「梅見坂まで」メイは言った。
車掌は頷いた・・・ように見えた・・・切符を渡された。
ここで見える世界は、その人の心が作り上げたものだ。他の人が見れば、また違った世界が見えているに違いない。
メイの目的は、去年亡くなった祖父に会いに行くことである。
『次は、梅見坂、梅見坂〜』車掌の声が心に響く。
メイが降りると、電車はゆっくりと動き出した。カーブを曲がる時、車輪から火花が散るのが見えた。
既に夕闇が迫っている。
左右に梅園のあるだらだら坂を上り切ると、祖父の家の灯りが見えた。
前庭に低い柴垣のある、藁葺きの一軒家の縁側に、祖父が座ってなにやら独り言を言っている。
よく見ると、庭に小さな餓鬼どもが五、六匹駆け回っている。
一ツ眼の餓鬼、二ツ眼の餓鬼。角が一本の者二本の者、様々である。
「ほれ、もう暗くなる。今日は帰るが良い、また明日遊びにおいで」
%$#’##”!&!・・・何やら訳のわからない言葉を残して、餓鬼たちは闇の中に消えて行った。
祖父はゆっくりとメイの方を向いた。
「メイ、良く来たな。呼び出したりして済まんかった」
「良いのよ、お爺ちゃん。それより元気そうね・・・って、やっぱ変か?」メイが微笑む。
メイの母方の祖父、王丸翁はニッコリ笑ってメイを見た。
「お前には笑顔の方が良く似合う、去年の葬式の時は儂の方がオロオロしたぞ」
「だって、もう逢えないと思ったんだもの。悲しかったわ」
メイは、そのあまりの悲しみの故にこのような不思議な能力を手に入れたのかも知れない。
「済まん済まん。ところで今日呼び出したのは他でもない。お前にやってもらいたいことがあっての」
「なぁに?」
「妖怪を一匹退治して欲しいのじゃ・・・正確には半妖じゃが」
「半妖って?」
「半分妖怪、半分人間の中途半端な妖怪の事じゃ」
「どんな奴なの?」
「名前は、半魂鬼。姿は人間の男と変わりないが怒ると変化する」
「なぜ私に?」
「お前が、黄泉の国と現実世界を自由に行き来できるからじゃよ」
「だって、お爺ちゃん達だってできるじゃ無い」
「よいか、儂等に実態は無い。お前には昔のままの姿に見えておるのじゃろうが、本当は粒子の集まりが雲のように浮いているだけなのじゃ。まあ、これが一般に霊と言われているものだな。だから、儂らは直接実態に作用することは出来ん。精々、夢枕に立つくらいのものじゃ」
「妖怪は違うの?」
「奴らは、存在の仕方が根本的に違う。奴らは二つの世界に同時に存在する、そして人間が認識した途端実態化するのじゃ」
「よく分からないわ?」
「ほれ、そこの木の枯れ枝の下に黒い影ができておるじゃろう?それは妖怪袖引き小僧じゃ」
「どれ?ただの木の影じゃない?」
「よく見てみぃ」
「あっ、消えた!」
「そうじゃ、奴は今現実世界で実態化したのじゃ。もう少し見ておればまた現れるぞ」
しばらく見ていると、ボウっと木の根元に黒いシミが浮いた。
「あ、ほんとだ。影が戻ってきた」
「奴は今、人間の想念に呼び出されたのじゃな。おそらく、奴を呼び出した人間は板塀の古釘にでも袖を引っ掛けて、驚いて振り返ったのじゃろう。するとそこに小僧の顔が一瞬浮かび上がってびっくりする、その人間はそれを他人に吹聴する、『妖怪が俺の袖を引いた』と、それが袖引き小僧じゃ」
「じゃあ、妖怪は人間の想念が創り出すものなのね」
「奴などは人畜無害の妖怪じゃ。しかし人間の妄念が強まると強力な妖怪を生み出す」
「じゃあ、半魂鬼は・・・」
「奴は怨念の塊じゃ。人間の魂を喰ろうて人間になろうとしておるのじゃ」
「つまり、こういう事ね。お爺ちゃんたちは実態がないので半魂鬼を退治する事が出来ない。で、実態に作用できる私に退治しろと・・・」
「そういう事じゃ、死神局の役人も困っておるでな」
「死神局ぅ?」メイが頓狂な声をあげた。
「予定にない人間が死ぬので、二つの世界のバランスが崩れているのだそうじゃ」
「まだ寿命の残っている人が、無理矢理殺されちゃうのね。それは理不尽だわ」
「奴は強い。儂の一番弟子のお前でも危ういかも知れん。嫌なら断ってもいいぞ」
メイは子供の時から王丸翁に中国拳法を叩き込まれた。
「そこまで言われて、今更やめられないわよ。いいわ、引き受けた」
「そうか、頼んだぞ。お前には世界の安定が掛かっておる」
その夜、メイは久し振りに祖父の隣に布団を敷いた。
拳法の修行は厳しかったけど、いつもメイのことを気使ってくれてた祖父。
夏祭りでは、いつもお多福の面と綿菓子を買ってくれた祖父。
メイは、祖父のことが大好きだった。
「婆さんは元気か?」王丸翁がメイに訊(たず)ねた。
「元気よ、まだ当分は来れないんじゃないかな」
「戻ったら、よろしく伝えてくれ」
「うん、分かった」
翌朝、メイは半魂鬼を捜す為祖父の家を出た。
「メイ、呉々も気をつけるのじゃぞ」
「うん」
「一つだけ言っておく。お前が強く念ずればこの世界ではなんでも実態化出来る。例えば武器を念ずれば手にする事が出来る」
「じゃあ、機関銃で撃ち殺しちゃえば早いわけね」
「いや、奴を倒すには剣で心臓を串刺しにするしか方法は無い、他のことはやっても無駄じゃ」
「なんで?」
「この世界での決まり事じゃ。こればかりは前提を疑ってもしょうがない、ゲームのルールみたいなものじゃよ」
「ややこしいわね」
メイは祖父に手を振って梅見坂を下って行った。
「さて、何処から捜そう」メイは歩きながら考えた。
すると、何かが足に纏わり付いて来た。驚いて身を躱すと一ツ眼の餓鬼が転んだ。
「あら、御免なさい。ちょっとビックリしちゃった」
%$&’”#!・・・・「なぁに、半魂鬼の居場所知っているの?」・・・%&”#!’&$$#
「ふ〜ん、顔を知ってるのね?それで、ついて来てくれるの?」
&%#$”!
「え、お爺ちゃんに頼まれた?分かったわ、じゃあ、お願いしようかしら。あなたお名前は?」
%$#&・・・?
「えっ、無いの?それは困ったわねぇ。いいわ、私がつけてあげる。そうねぇ、え〜と鬼太郎はどう?」
&%#・・・!
「えっ、嫌だ。何、女の子なの?それじゃあ・・・」
[・・・ここまで一気に書き上げて、太一は顔をあげた。「あの子、なんて名だっけ?。確かカナとか言ってたよな、私も出るの?って。餓鬼に名前つけたら怒るだろうなぁ。だけど、女の子が出てくる予定は無いもんなぁ。う〜ん、どうしよう・・・」
太一は、腕を組んで何度も首を捻っていたが、やがて、思い切ったように呟いた。
「よし、カナにしよう」・・・]
「カナでは、どう?」
$#”%$&!
「そう、気に入った?」
$%”#& !!
「じゃあ、今からあなたはカナよ」
メイは、カナを従えて昨日市電を降りた停車場に立った。
停車場に立つと、北の方から電車がやって来るのが見えた。目の前に停まった電車には、行き先の表示が無い。
メイとカナが乗ると車掌がやって来て行く先を訊いた。
「半魂鬼の所」と、メイが答えると車掌はジッとメイを見詰めた。
車掌は徐に切符を切ってメイに渡す。それには『梅見坂⇨半魂鬼』と書いてあった。
「なんだか都合良すぎ無い?」
[・・・「いいんだよ、ファンタジーにはなんでもありなんだから」原稿用紙にペンを走らせながら太一が呟いた・・・]
電車の行き先表示が変わった、もっともメイには見えなかったけれど。
電車は海沿いを走り、やがて鄙(ひな)びた停車場に停まる。
「ここに、半魂鬼がいるの?」
車掌は、この電車ではここまでですと答えた。メイとカナが降りると、電車は走り去った。
魚臭い風を嗅ぎながら歩いていると、時代がかった用水桶の前で、白猫が顔を洗っている、否、明らかにメイ達を招いていた。右手が、クィクィ、と猫の顔の横で動いた。
「私たちを呼んでるわ」そう言ってメイは走り出した。慌ててその後をカナが追う。
猫は人一人がやっと通れるような路地に入って行った。
両側に板塀の続く路地を抜けると、驚いた事に古い街並みが目の前に広がった。
武士や町人が歩いている。気が付くとメイも町娘の格好をしていた。あら?と振り返るとカナも小さな禿に姿を変えていた。
「あなた、人間の子だったの?」
「あい」
「喋れるのね?」
「あい、人の姿になったから」
「あなたなぜ餓鬼道に落ちたの?」
「都に飢饉があった時・・・父ちゃんの肉を喰らったから」
「そう、辛かったわね」
メイが呟いた時、白猫が古びた寺の山門を潜り、一度振り向いて、にゃ〜と鳴いた。
「入れって言ってるわ」
「なんだか怪しい猫でちゅ」
黄泉の国にいる猫なのだ、怪しく無い筈はない。白猫がまた、にゃ〜と鳴いた。
「行くわよ」メイはカナを促して山門に足を踏み入れた。
小さい寺である、正面に本堂が見えた。
本堂の前の賽銭箱に小銭を投げて手を合わせると、奥から野太い猫の鳴き声が聞こえて来た。
ひょいと見ると巨大な招き猫がメイ達を見下ろしている。この寺の本尊仏は猫だったのである。
「何これ、信じられない・・・」メイが呟くと後ろから人の声が聞こえて来た。
「お主達は半魂鬼を探しに来たのであろう」
振り向くと、禿頭の小さな坊主が立っていた。愛嬌はあるのだが、なんとも獣じみた顔をしている。鼻の下に猫のようなヒゲが生えていた。
「ご住職ですか?」と、メイが尋ねた。
「如何にも。この猫寺の住職、木天蓼(またたび)坊じゃ」
「マタタビ・・・」
「変か?」
「いえ、そんな事は・・・ただ、ちょっと言い難いなぁと・・」
「和尚で良い」
「分かりました和尚。では和尚は半魂鬼の居所をご存知なのですか?」
「知らん。じゃがお主を呼んだのは奴じゃ」
「えっ!」
和尚はそこでメイの話を制して庫裏を指差した。
「立ち話もなんじゃ、庫裏に上がらんか?」
「いいのですか?」
「構わんよ、そのつもりで玉を迎えに行かせたのじゃからな」
メイ達をここに誘った猫は玉という名なのだろう。そういえば姿が見えなくなっている、カナの姿も無い。
猫のような坊さんに促されて庫裏の座敷に上がりこむ。薄い茶を出された。
「ご覧の通りの貧乏寺じゃ、なんのもてなしも出来んが・・・」
「いえ、結構です。それより半魂鬼が私を呼んだとは?」
「奴はあと一人分の魂を喰らえば人間になれる。じゃが、現世で人間が半魂鬼を認識する確率は限りなく低い。現世で実態化しなければ人間は喰らえんからの。ところが、奴はこの世界に人間が入り込んだ事を知った。お主、人間じゃろう?」
「私の魂を狙っているのですね?」
「そういう事じゃ。この寺の御本尊に願を掛ければ誰でも呼ぶことが出来る、お主はそれで呼ばれたのじゃ」
「なんだ、追っているつもりが呼ばれていたのね」
「そういう事になるな」
「でも、和尚はなぜそれを私に?」
「半魂鬼を人間にしてしまえば、存在するはずのないものが存在する事になる、そうなれば二つの世界が一つになって混沌が生じ秩序が乱れる」
「よく分からないけれど、それじゃダメなわけね?」
「駄目なのじゃが、儂ではどうする事も出来ん。お主に頼る他ないのじゃ」
「なら、半魂鬼は私が来たことを何処からか見ていた筈ね。待っていれば会える?」
「会えるじゃろう」和尚は自信たっぷりに言った。
その時、ガラリと庫裏の戸が開いた。
「大変でしゅ、半魂鬼がそこに来ていましゅ!」カナが鞠のように転がり込んで来た。
なんとも早い展開である。メイが、慌てて外に出てみると本堂の前に若い男が佇んでいた。
高そうな着物を粋に着こなした若旦那風のイケメンだ。
シャー!と牙を剥いて、玉が男を威嚇している。背中の毛が逆立っていた。
見る間に玉の姿が大きくなり、白虎になった。目は爛々と輝き、鼻の横に刻まれた皺が凶相を際立たせている。
ダッ!いきなり玉が跳んで半魂鬼に突進して行く。
半魂鬼は落ち着いた様子で難なく玉の突進を躱し、向き直って玉に対峙した。
「死ぬぞ・・・」半魂鬼が言った。
玉は、躊躇なく半魂鬼に飛びかかる。一瞬にして半魂鬼の姿が巨大な鬼に変化した、牙を剥き額には一本、大きな角が生えている。
右腕を大きく振り上げて、玉の頭に容赦ない一撃を加えた。
ギャン!と断末魔の声をあげて、玉が地面に転がり元の小さな猫の姿に戻った。
カナが走り寄って、玉を抱き上げた。半魂鬼が動く。
「危ない!」と叫んで、メイが跳んだ。飛び蹴りが半魂鬼の顔面にヒットした。
半魂鬼は二三歩よろめいて蹲(うずくま)り、元の姿に返った。
「やるな・・・」半魂鬼が立ち上がる。「挨拶はこれくらいにしておこうか・・・また来る」
そう言い残して半魂鬼は山門を出て行った。
その夜、本堂では玉の葬儀がしめやかに行われた。
「可哀想でちゅ」カナが両手で顔を覆って泣いた。
「私が居たから死んだのね。私が見たから玉も半魂鬼も実体化したんだもの」
「残念じゃがその通りじゃ、玉には気の毒じゃがどうしようもなかった」
「きっと仇を討ちます」メイは玉の亡骸に手を合わせて誓った。
庫裏に戻って和尚が言った。
「さて、泣いておる暇はないぞ、半魂鬼がいつ来るかわかったものではないからな」
「今夜は交代で起きていましょう」
「じゃあ、あたいが最初に起きていまちゅ」
「二番手は私ね、で、その次が和尚さん」
「分かった、なら今のうちに寝ておこう」和尚は襖を隔てた次の間に入って行った。
「メイさんも寝てくだちゃい」禿姿のカナが言った。
「有難う。でもお互いこの姿のままじゃ動き難いわね、もっと楽な衣装にしましょう」
メイは、目を瞑って集中する。ゆっくりと空中の粒子が凝って二人の躰に実体化した。
「あら、素敵。良く似合うわよ!」
「メイさんもでちゅ」
二人は黒とピンクのジャージ姿になっていた。
「メイさん、なんだか変でちゅよ、起きてくだちゃい」どれくらい経っただろう、カナがメイの耳元で囁いた。
「ん、なあに・・・?」眼をこすりながらメイが訊く。
「しっ!隣の部屋から音が聞こえるんでちゅ」
耳を澄ますと、パキッ、ポキッ、と枯れ枝の折れるような音がする。
メイは飛び起き隣の部屋の襖を一気に引き開けた。
「気がついたか?」
そこには鬼の姿の半魂鬼が、住職の腕を咥えて蹲っていた。
「住職を喰らったのね!」
「ふん、妖怪坊主の肉など腹の足しにもならんわ」
「覚悟しなさい、私が退治してあげる!」
「お前を食らえば、俺は人間になれるんだ」
半魂鬼が立ち上がると、角が天井を突き破った。
瞬間、メイが半魂鬼の懐に飛び込み、勁を発した。勁は中国拳法の奥義である。
「効かんなぁ」
ブン!と半魂鬼の丸太のような腕がメイを横殴りにした。
かろうじて両腕でブロックしたが、メイは障子を突き破り境内に転げ落ちた。
半魂鬼が縁側から跳んだ。メイは必死で身を捩(ねじ)る。
ちょうどメイが起き上がった所に、半魂鬼の踵が落ちて地面に穴を穿(うが)った。
その時、何かが半魂鬼の頭に当たって落ちた。
「こっちでちゅよ!」カナが叫ぶ。
「お前、こんなものを・・・」半魂鬼が住職の足を拾い上げた。
「あたいわ餓鬼よ、こんなもの何ともないでちゅ!」
半魂鬼がカナに気を取られている隙に、メイは念を凝らして剣を創り上げた。
「来い!」剣を正眼に構えてメイが叫ぶ。
「何!」半魂鬼が振り返るのとメイが剣を突き出すのが同時だった。
勝った!と思った次の瞬間、メイの躰は虚空高く飛ばされていた。
半魂鬼の手には、剣が逆さに握られていた。刀身を素手で掴んだままメイを投げたのだ。
腰から地面に落ちたメイは動けなくなった。
「メイさん!」カナが叫んだ。
「来ちゃダメ!」メイの制止も聞かず、カナが半魂鬼の前に立ち塞がる。
「お前も死ぬぞ」
「お前なんか、怖くはないでちゅ!」
「しゃらくさい!」半魂鬼が大きな右足を上げて、カナを踏み潰そうとした。
カナは身軽な動作で、半魂鬼の股の下を掻い潜り背後に出た。
そして軸足のアキレス腱に噛み付いた。
「痛タタタタタ・・」半魂鬼はドウ!と尻餅を着く、しかし同時にカナをその大きな手で掴み上げていた。
「握りつぶしてくれる!」
「カナー!」メイが叫んで半魂鬼に飛びかかろうとしたその時。
ドーン!と本堂の屋根が破れて何かが飛び出して来た。
見上げると白い招き猫が落下して来る。メイは慌てて後退さった。
グシャ!と音がして、半魂鬼はその下敷きになった。
カナを掴んだ手だけがその横から出ていた。
「カナ、大丈夫?」
「大丈夫でちゅ」カナは半魂鬼の手から逃れ、メイの元へ走り寄った。
「このお寺のご本尊が助けてくれたのね。さあ、半魂鬼にトドメを刺さなくちゃ」
メイがそう言うと、招き猫はゆっくりと宙に浮いた。
メイは半魂鬼の手から剣を取り上げ、切先を半魂鬼の左胸に当てた。両手で柄を握り、全体重を掛けて心臓を串刺しにする為力を込めた。
ところが、スッと手応えが消え、メイは危うく転びそうになった。
「半魂鬼が消えた!」
何処にも半魂鬼の姿は見えなかった。
「何処に行ったの!」メイは戸惑った。
カナが言った。「考えられることは一つ、現世で人間が半魂鬼を認識したのでちゅ」
「壁は何処!」メイが叫んだ。
メイは壁を抜けて現世と黄泉の世界を行き来していたのだ。メイが掌で触れると壁にトンネルが出来る。
「本堂に壁がありまちゅ!」
メイは賽銭箱を飛び越え本堂の側面にある廊下に立った。
「あなたはここで待っていて!」
メイが壁に触れると黒い穴がメイを呑み込んだ。
「メイしゃん!」カナが叫んだが穴はすでに閉じていた。
2
「ば、ば、化け物〜!」僧侶が庫裏の渡り廊下で腰を抜かしていた。その付近には古い和綴本が散乱している。
メイは駆け寄って僧侶を助け起こした。ここは現世の寺である。
「どうしたの!何があったの!」
僧侶は震えながら和綴本の一冊を拾い上げた。
「こ、こ、この化け物がそこに〜」
本には、さっき見た半魂鬼そのままの姿が、墨で描かれていた。表紙を見ると『百鬼夜行圖絵』
と書いてある。
「私が古文書の整理をする為に、書庫から持ち出して来たのです。あまりに面白いので立ち止まって見ていると、目の前に・・・」
「半魂鬼が居たのね」
「そ、そうです」
「何処に行ったの?」
「裏の方丈の方に・・・」
「誰かいるの?」
「はい、お客様が一人・・・ただ、その化け物はひどい怪我をしているようでした。私が叫ぶと逃げて行きましたから」
「マズイわね・・・お坊さん、このお寺に刀はあるかしら?」
「はい、あるにはありますが・・・?」僧は怪訝な目でメイを見た。
意外なことだが、寺と神社には刀剣が集まる。神社には奉納の為新しい刀が、寺には供養の為、曰く付きの妖刀や血を吸った刀が持ち込まれる。
「刀を貸してください!」
「えっ!何故?」
「半魂鬼を倒すために必要なのです。詳しく説明している暇はありません、急いでください!」
「わ、分かりました。しばらくお待ちを・・・」僧侶は慌てて駆けて行った。
暫くすると僧侶が短めの太刀を持って戻って来た。
「骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)と言われている妖刀です」僧侶は恭しく太刀をメイに差し出した。
「有難う、お借りします!」
方丈の中で、売れない小説家秦太一は異界の者を目前にして声も出なかった。
締め切りを数日後に控え、編集者の矢の催促を避けるため、自ら寺に缶詰めになったのだ。
物語のラストがどうにも思い浮かばず、心を落ち着けて原稿用紙に向かえば何とかなるだろう、という安易な考えからであった。
ところが、自らが描いた物語の悪役が眼の前にいる。この状況がどうにも飲み込めなかったのである。
「は、半魂鬼?」
「そうだ、お前を喰らえば俺は人間になれる」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それは僕が作り出した物語の上での話だ」
「お前が描いた世界が現実となった。もちろんお前が描かなかった世界もどこかに存在するのだがな」
「そんなややこしい事、僕は知らない!」
「知らなくても、現に起こっている。覚悟するんだな」
「嫌だ、僕にはまだやり残したことが沢山ある、僕はまだ死にたくない!」
「そんな事知るか!」
半魂鬼が牙を剝き出して迫ってきた。
「助けてくれー誰かー!」
3
「助けてくれー誰かー!」
メイは立ち止まって聞き耳を立てた。「こっちね!」
声のする方に走って行くと小さな茶室風の建物が見えた。
「あれが方丈ね」
方丈の障子に二つの影が映っている。一つは巨大な影、一つは背中を丸めた小さな影。
今まさに、大きな影が小さな影に覆い被さらんとしていた。メイは縁側に飛び乗り思い切り障子を引き開けた。
「見つけたわよ、半魂鬼。覚悟なさい!」
「あっ、メイメイさん」見知らぬ男が言った。
「何?メイメイ?私はメイよ!」
「よく来たな、ついでにお前も喰ってやる!」
メイは太刀を引き抜き、鞘を外に投げ捨てる。鞘は乾いた音を立てて石畳の上に落ちた。
半魂鬼は太一には目もくれずメイに向かって突進した。だが、心臓のガードは固い。
半魂鬼は左腕で心臓を庇い、右腕をメイに向かって伸ばした。捕まえて動きを封じるつもりなのだろう。
メイは咄嗟に半魂鬼の小手を斬った。
半魂鬼の手首がドサリと太一の前に落ちた。ギャッ!といって太一が飛び退さる。
「えっ、良く斬れるわ!軽く撫でただけなのに」メイが呆れて刀身を見た。
半魂鬼は自分の手首を見ている、まだ信じられないようだ。
「くそっ!」半魂鬼はメイの横をすり抜け障子を破って外に飛んだ。
その後を追ってメイも飛び降りる。
半魂鬼が着地した所に、太刀の鞘が転がっていた。
半魂鬼は鞘に足を取られ、仰向けにひっくり返る。
「今だっ!」
メイは半魂鬼の胸板の上に飛び降りざま、骨喰藤四郎の太刀を半魂鬼の左胸に突き立てた。
太刀は難なく半魂鬼の心臓を串刺しにした。
残った左手で宙を掴みながら半魂鬼は苦悶の形相を呈したが、やがてゆっくりと手を下ろして動かなくなった。
漸(ようや)く時が止まった。半魂鬼の躰はゆっくりと光の粒になって秋の夜空に拡散していった。
メイは鞘を拾った。鞘にも太刀にも傷一つ付いていない。「不思議な刀ね」メイは太刀を鞘に納めた。
「あ、あの、メイさん・・・」
「あ、まだいたの?喰べられなくて良かったわね。もう大丈夫だと思うけど、今夜は家に帰った方が良くない?」
「そ、そうします・・・」
メイは太一をそこに残し、太刀を僧侶に返しに行った。
「さて、カナの所に戻ろう」
メイは本堂の壁に手を当てた。
「あれ?」
いつもなら抵抗なく壁を抜けられるのに、今は壁がメイの侵入を拒否しているかのようにビクとも動かない。
寺にある他の壁でも試してみたが結果は同じだった。
「もう、あの力はなくなっちゃったのかなぁ?」
「もう一度お爺ちゃんとカナに会いたかったのに」
メイは力無く呟いた。
やがて、フッ切れたようにメイが言った。
「さ、帰ろ。お母さんが心配しているわ!」
太一は不思議な気がした。一体メイはどこに帰るんだろう、彼女は僕が創り出した想像上の人物では無いのか?
ともあれ、小説のラストは決まった。今見た事をそのまま書けばいい。
「これで何とか締め切りに間に合ったぞ!」
太一は夜空に拳を上げて背伸びをした。
4
「オジさん、小説書けた?」
小説を脱稿した次の朝、公園に行くとメイメイとカナが拳法の稽古をしていた。
「お、お陰様で〆切に間に合いました」
「そお、良かったじゃない」
この子はいつも上から目線だ。
「お役に立ちましたか?」メイメイが言った。
「そりゃあ、もう・・・」
「良かった」
メイメイさんはにっこりと微笑んでくれた。
「ねえ、私出てる?」カナが訊いてきた。
「うん、出てるよ」とても餓鬼だとは言えない。
「本、いつ出るの、教えて?」
「う〜ん、再来月あたりかな・・・」僕は答えを濁した。
「月刊幻想小説ね、必ず買うから」
「うん、有難う・・・」
がっかりしたカナの顔が目に浮かぶ。でも、もうここに来なければいいのか。
二人に軽く会釈をして、太一はその場を離れた。
歩きながら太一は考えた。メイは、本来なら絶対に出会う筈の無い人間だったのではないか?
考えれば考えるほど分からなくなる。どうせ僕の頭では答えにたどり着けない。
「まっ、いいか。これで暫くは喰いつなげる」
朝の公園は、散歩の爺婆で賑やかだった。




