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梅見坂奇譚  作者: 真桑瓜
2/13

上野先輩

上野先輩


                      1


「カナ・・・」

「あっ!上野先輩」

「どうして辞めちゃったんだい、ソフトボール部?」

「すみません、先輩に相談もせずに勝手に辞めちゃって」

「いや、それはいいけど。本人の自由なんだから」

「私、拳法始めたんです。中国拳法」

「中国拳法!」上野は頓狂な声を上げた。

「凄い先生見つけちゃったんです。それに私、一人でコツコツやる方が性に合ってるんで」

「そうか、そりゃよかったな・・・所で、もう直ぐ全国大会の予選が始まる、応援にきてくれよな」

「はい、必ず行きます。先輩が投げる所見るの大好きなんです、頑張ってください!」

「ああ、全国大会出場は学校の至上命令だからな。負ける訳にはいかないよ」

「先輩なら大丈夫です。でも無理はしないで下さいね」

「ありがとう、じゃ、きっと見に来いよ」

上野はカナに手をあげてグランドの方に去って行った。

「私、何を無責任な事言ってるんだろう。先輩のプレッシャーは半端なものじゃないのに」

上野聡美はソフトボール部のエースピッチャーであり、いずれは全日本のエースとして将来を嘱望されていた。

カナは複雑な気持ちで正門に向かって歩い行く。

正門を出た所に黒塗りの高級車が停まっていた。中はスモークガラスでよく見えない。

「また、停まってる」カナは眉を顰めて黒塗りの車を見た。

ここ数ヶ月、時折この時間にここに停まっているのだ。

カナの学校にはお嬢様が多い。カナは最初お迎えの車かと思っていたのだが、誰も乗り込む気配は無い。

ジッと見ていると、やがて車は発車した。その場所に立つとグランドがよく見えた。



                     2



「初めまして、葛城カナと云います!」カナは元気よく挨拶した。

「やあ、いらっしゃい」吉田が右手を挙げた。

「カナちゃん、よく来てくれたわね。さあ、上がって」

メイメイは、カナを誘(いざな)ってリビングのテーブルチェアに座らせた。

イギリス風の白いテーブルに猫足のついたチェアは、クリーム色の壁紙と相まって部屋を明るく広く見せていた。

「素敵なお部屋ですね」カナは心からそう思った。壁際のキャビネットも同色で合わせてあってなかなか趣味が良い。

「みんなメイメイの趣味なんだ、僕の趣味に合わせたらきっと和風になってしまう」吉田が笑った。

「暗い色調の多いイギリス家具の中で、この手の家具は珍しいのよ」メイメイはそう言って少し自慢気に眉を上げた。

「カナちゃんは、コーヒーそれとも紅茶?」

「あ、私、紅茶が飲んでみたいです。うちじゃ飲めないから」

「そうなの?」

「コーヒーだってインスタントなんですよ」

「じゃあ、美味しい紅茶淹れてあげるわね」

「私、手伝います」

「いいのよ、紅茶は微妙だから。その代わりお料理の時、手伝ってね」


メイメイがキッチンに引っ込んでから、吉田と二人になったカナは少し緊張した。

「君は、なぜ拳法を習おうと思ったんだい?」緊張をほぐすように吉田が訊いた。

「あ、あのぉ・・そうだ、メイメイさんがカッコ良かったからです!」

「あはは、正直だな。でも、それだけじゃなさそうだね」

「あ、あの・・・私」やだ、この人勘がいい。

「いいよ、言いたくなければ言わなくて構わない」

「い、いえ・・・私」カナは少し躊躇したが思い切って話してみる事にした。「ある人を守りたいんです」

「ある人?」

「ソフトボール部の先輩です。先輩は一所懸命頑張って、夢を叶えようとしているんです。それを、欲深い大人たちに壊させたく無いんです」

「なるほど、君は・・・」

そこに、メイメイがトレーを持って現れた。紅茶の良い香りがしている。

「何を話していたの?」

「うん、これは君にも聞いてもらったほうが良いようだ。食事が終わってからゆっくり聞くとしよう」

カナはちょっとホッとした。その間に話す事を纏めることができる。

「わあ、このティーカップ可愛い!」

小ぶりで薄手のカップには花の模様が描かれていた。手に取ると軽くてとても持ち易い。

中を覗くと、紅茶とカップの境目に金の輪っかが広がっていた。

「これは?」

「紅茶が美味しく入った時の印よ」と、メイメイが微笑んだ。



「ごちそうさまでした!」

美味しい中華料理を、たらふくお腹に詰め込んだカナはとても満ち足りていた。

「気に入ってくれた?」

「はい、とっても美味しかったです!」

「そう、良かった」

カナと吉田も手伝って食器を洗い終わると、メイメイが中国茶を淹れてくれた。

「白茶よ、お腹がスッキリするわ」

「ほんと、果物の香りがする。とっても爽やか」一口飲んで、美味しい・・・と呟く。

「ところで、さっきの話の続きなんだけど。とにかく真っ黒だったのね?」

「はい、車も運転手も何もかも。運転手はサングラスまで掛けていました」

「後部座席は見えなかったんだね」吉田が言った。

「スモークガラスで暗かったから。でも、誰か乗っていたのは確実です、薄っすらとですが影が見えました」

「ふ〜ん、それだけじゃなんとも言えないなぁ」

「それだけじゃありません。先輩の家に脅迫めいた電話が掛かってきたんです」

「脅迫電話?」

「先輩には、絶対に入りたい実業団のチームがあるんです。そこの監督をとても尊敬しています。でも、そこに入ったら無事では済まさないって・・・きっと、ライバルチームの嫌がらせだと思います」

「警察には話したのかい?」

「先輩の両親が心配して相談に行ったんですが、それだけじゃ動けないって。せいぜい学校の周りのパトロールを強化するくらいだろうって」

「う〜む、まあそうだろうな、脅迫電話と黒塗りの車は無関係かも知れないからな」

「それで、あなたどうするつもりなの?」

「先輩のボディガードをします」

「それ、本気。危険過ぎない?」

「だから、拳法を・・・」

「そんな付け焼き刃、役に立たないわ」

「あ、やっぱり・・・」

カナはシュンとなって項垂うなだれた。

「兎に角、はっきりとした証拠を掴むのが先決だよ」と、吉田が言った。

カナは、う〜んと唸って腕を組み目を瞑った。暫くすると徐に眼を開け言った。

「私、その車の後を付けて見ます!」

メイメイがプッと吹き出した。呆れた顔でカナを見詰める。

「車を、どうやって?」

「走って追いかけます。体力には自信がありますから」

「無理よ!」

「じゃあ、チャリはどうでしょう?」

「どうでしょうって・・・」

「カナちゃん、車のナンバーを控えて来てくれないか」静かな声で吉田が言った。

「君の覚悟は分かったけど、もっと確実な方法を考えなくっちゃ」

それは思いつきませんでした・・・とカナが言った。

「幸い僕の知り合いに警察関係の人間がいるから頼んでみるよ」

「よろしくお願いします!」カナは吉田に深々と頭を下げた。




                    3



数日後、カナは二階の教室の窓から正門を見た。いた!黒塗りの車が停まっている。

カナは裏門から学校を出て塀伝いにぐるっと回り、車が見える位置まで移動した。

気付かれないように近づく。

「福岡・な・の10・・」ノートを出して記録する。

それからカナは、素知らぬ顔で黒塗りの車の横をすり抜け、まっすぐ歩いてメイメイのところへやって来た。

「やっぱり中は見えなかったけど、ソフトボール部の練習を見ていた事は間違いありません」

「これがその車のナンバーなのね?」

メイメイがカナの書いたノートの切れ端を見ながらたずねた。

「そうです、これだけでいいでしょうか?車種とか・・・私、車には詳しく無いから」

「きっと大丈夫よ。陽さんが帰って来たら渡しておくわ」

「ありがとうございます」

メイメイがメモをポケットにしまいながらカナに訊いた。

「どう、今から稽古しない?」

「えっ、いいんですか?」

「いいわよ、せっかく来たんだし」

「良かった、今日体育の授業があったからジャージ持って来てるんです。早速着替えます」

「そこのお部屋使っていいわよ」

「はい!」

カナは勇んでスポーツバックを抱えて部屋に入って行った。



                    4



「陽さん、どうだった?」

吉田が帰って来ると、メイメイが真っ先に訊いた。

「うん、川崎建設の車だったよ。会長の専用車らしい」

「そこにソフトボールのチームはあるの?」

「ある。実業団一部リーグのトップだという事だ」

「ふ〜ん、カナちゃんの先輩が入りたがっているのは矢羽田製鐵のチームだったわね」

「そうだ。矢羽田は一部リーグの強豪だが、いつももう一歩のところで川崎建設には及ばない。上野選手が矢羽田製鐵に入れば立場が入れ替わる可能性が十分にある。これは憶測に過ぎないんだが、川崎建設の会長は上野選手の矢羽田製鐵入りを何としても阻止したい。そしてあわよくば上野選手を獲得したいと思っているんじゃ無いのかなぁ」

「あり得る事ね」

「近頃、川崎建設は業務不振でチームの存続も危ぶまれている。もし優勝を逃したりすれば株主総会でチームの縮小または廃止が決定されるかも知れない。会長は自分の作ったチームを潰したくは無いんだと思う」

「だったら、焦って強硬手段に出る事も考えられるわね」

「そういう事だ」

「どうすればいいかしら?」

「もうすぐ、全国大会の予選が始まるんだったね?」

「カナちゃんがそう言ってたわ」

「きっと、スカウトが接触して来る。その時の返事次第で相手の出方が決まる」

「で、どうするの?」

「出来るだけ、返事を曖昧にして先延ばしにする。その間、相手がどう動くかを観察するんだ」

「だったら、カナちゃんに上野さんを説得してもらわなくちゃ。きっときっぱりと断ると思うから」

「そうだね。明日にでもカナちゃんに連絡を取ってくれ」

「そうするわ」


                    5


「先輩、承知してくれました」朝の稽古の前にカナが言った。

「そう、良かった」

「かなり不承不承でしたけど。先輩男勝りですから」

「私、好きよそういう性格。でも今回は眼をつぶって貰わなくちゃならないわ」

「はい、そこの所呉々も短気を起こさないように釘を刺しておきました」

「カナちゃんは試合観に行くの?」

「勿論です。先輩に接触して来る人がいたら、睨みつけてやります」

「そうじゃ無いのよ。よく顔を見ておくの、そして状況を報告してね。私、家か教室にいるから」

「分かりました!」

「じゃ、稽古を始めましょう」


                    6


上野は危なげなく準決勝を制し、決勝に駒を進めた。

スカウトが接触してきたのはこの時が三度目だった。

一度目は、家に電話があった。母親に契約金の提示があったが、娘の気持ちがまだ決まらないと言って断った。

二度目は家に押しかけて来て、かなり強引に契約を迫ったらしい。この時は父親が追い返した。

三度目、業を煮やしたスカウトが直接本人に決心を迫ったのだ。


「メイメイさん大変です。先輩がスカウトを殴り倒しちゃいました!」

カナから電話があったのは、メイメイが夕飯の支度に取り掛かった時だった。

「えっ、大変じゃない!で、スカウトはどうしたの?」

「なんだか、嬉しそうに帰って行きました」

「そう、それはマズイわねぇ。警察でも呼んでくれた方がまだマシだったわ」

「どうしましょう?」

「上野さんの自宅は樫原のマンションだったわね?」

「はい」

「あなたは上野さんと一緒にいて。何かあっても絶対に手を出すんじゃ無いわよ、私もすぐに向かうから」

「分かりました!」

メイメイは吉田に連絡を取ってから、タクシーで上野の自宅に向かった。



                     7



樫原のマンションに着いた時、マンションの前には黒塗りの車とグレーのセダンが一台が停まっていた。

「もう来ている。行動が早すぎる、予定の行動だったのね」

メイメイは、階段を一気に5階まで駆け上がった。ドアの前には見張りが二人立っている。

「なんだお前は?」

メイメイは無言で二人を蹴り倒した。ドアを開けると中から男のくぐもった声が聞こえて来た。

「確かに、私を殴りましたよね?」

スカウトの男の声に違いない。

「警察に訴えられたくなかったら、さっさと契約書にサインしたらどうです?」

「そうだ上野君。儂も事を荒立てたくは無いのじゃ、君の将来のこともあるでな」

会長の声だろう。

わざと乱暴にドアを閉めた。玄関から続く廊下の先に黒服の男の背中が見える。

男が肩越しに振り返った。サングラスをかけている、カナが見た運転手だろうか?

「誰だ!」男が慌ててリビングから出て来る。

前蹴りを放つ。男がうずくまりメイメイは男を飛び越えてリビングに入った。

ラフなポロシャツを着た男と和装の老人がソファーに座ってこっちを見ている。

対面に両親が座り、その後ろに不安な顔をしたカナと上野が立っていた。

「メイメイさん!」カナが叫んだ。

「なんじゃ、お主は?」老人が嗄れた声で訊いた。

「あなた、川崎建設の会長さんね?」老人の問いには答えずメイメイが言った。

「お主は誰じゃと訊いておる」

「名乗るほどの者じゃないわ」

「中国人か?」

「台湾よ、今はれっきとした日本人」

「ふん、その台湾人がなんの用じゃ。関係無い者は去ね」

「残念だけどそうは行かない。もう直ぐ警察が来る」

「なんだと!」ポロシャツの男が立ち上がった。この男がスカウトなのだろう。

「待て、帆足。して、なんの容疑じゃ?」

「脅迫とサインの強要罪ね」

「証拠は?」

「悪いけどここでの会話は前回の分も含めて、全部録音させて貰ったわ」

「何!」

「ご両親にお願いして、そうして頂いたのよ。テープレコーダーはそこのテレビの後ろ!」

帆足がテレビの方に歩み寄る。メイメイが先回りをして立ち塞がった。

「このっ!」帆足が殴りかかって来た。

ひょいと頭を下げて躱す。メイメイの掌が帆足の胸に触れた。

ハッ!と、声を発してメイメイが勁を発すると、帆足はその場に崩折れた。

中国拳法独特の躰の使い方による技、寸勁だ。

「あなたは、自分の欲の為に他人の人生を犠牲にしようとしているのよ」老人に向き直りメイメイが言った。

「余計なお世話じゃ!」

「いいえ、それは絶対に許されない事です。あなたは老い先短いけれど、上野さんには未来があるのよ」

「なんとも辛辣じゃのう・・・」

廊下で黒服の男が立ち上がった。

「定永、帰るぞ。車を出せ!」

老人の一言で、男達はヨロヨロと起き上がり帰って行った。

上野が、メイメイに駆け寄り深く頭を下げた。両親も立ち上がって礼を言った。

「メイメイさん、警察は?」カナが訊いた。

「来ないわよ」

「えっ、でもさっき!」

「ハッタリよ。まだ証拠も提出していないのに、警察は動かないわ」

「じゃあ・・・」

「テープレコーダーも嘘。でもね、もしここに警察が来たりしたら困るのは私達なのよ」

「どうしてですか?」

「だって、上野さんがスカウトを殴ったのは事実だし、私が暴れたのも事実だわ。向こうは只、話し合いに来た、と言えば済む事だもの」

その時、玄関のドアが開いて吉田が入って来た。

「メイメイ、大丈夫か?」

「大丈夫よ」

「ずいぶん暴れたようだね。男たちが這々の体で帰って行ったよ」

「う〜ん、まだ足りないけど」

「困った奥様だ・・・」

「メイメイさん」上野が言った。「ありがとうございました。カナをよろしくお願いします」

「分かったわ、あなたも頑張ってね」

「はい!」

「警察に事情は説明しておいた。何かあったらすぐに警察が動く。まあ、奴らも企業の不利になる事はせんと思うがね」


吉田とメイメイとカナの三人は、上野の自宅を後にしてブラブラと歩いた。流しのタクシーが拾える大通りまで出なくてはならない。

「明日の決勝、観に行くの?」

「勿論です!」

「私達の分まで、応援頼むわね」

「はい、先輩なら大丈夫です。きっと全国大会に出場出来ます」

「そうね、期待しているわ」

「ところで、上野さんから貴方のこと宜しくお願いされちゃった。明日からビシビシ行くから覚悟してね」

「ヒエー!お手柔らかにお願いします」

この二人の会話を、吉田が笑って訊いていた。







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