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梅見坂奇譚  作者: 真桑瓜
11/13

梅見坂奇譚第四部〜東雲庵始末記

梅見坂奇譚第四部〜東雲庵始末記


                 1



僕は非常に困惑していた、否、怒っていたと云っても良い。

なんだって僕がこんな目に遭わなければならないのだ?

僕は遠呂智島から帰った後、一編の小説を書いた。

これが思いがけず評判を得たのだ。

ところが、御多分に洩れず一部の人達には不評だった。

全く、すべての人が納得するような小説なんて、書けはしないのだ。

その中の登場人物が何を言ったって僕の知ったこっちゃ無い。その人物がそう言ったのである。

時には僕の考えと正反対の意見を言う人物も登場する。みんなが同じ考えの小説なんか面白い訳が無いだろう。

だけどこの理屈が分からない無粋な種類の人間がいる。

神を騙って霊感占いや厄払いを生業としている連中だ。

僕はその小説の中で、厄は落とせないものだと書いた。だって厄病神は人が招くものだからである。

それに、神様が謝礼のタカで人を救ったり救わなかったりする筈はない、皆平等に扱うのが神様と云うものだろう。俺は人より多く賽銭を入れたから、人より多くご利益があるはずだと思う人間は卑しい。そんな人間に依怙贔屓(えこひいき)する神様はもっと卑しくはないか?

また、多くの神様は元怨霊であり、祟りを恐れた人間どもが神に祭り上げ、勝手に神域に封じ込めたものだ。人の恐怖心を利用して商売をするために。

僕は小説の中の登場人物にそれらの事を言わしめた。それが、その種の人間には気に食わなかったのだ。


僕は出版社を出た後、二人の男に拉致された。あっという間にワンボックスカーに押し込まれ目隠しをされてしまった。

僕は今、何処かの黴臭い空間に、目隠しをされたまま猿轡を噛まされ、硬い椅子に縛り付けられている。



                    2



「おい、福、敦、秦君の小説読んだか?」稽古の後松岡が訊いた。

「いえ、僕は、そのぅ・・・あまりファンタジーは・・・」

「俺はノンフィクション以外は読まないもんで」敦が言った。

「そうか、俺は読んだが中々のもんだぞ。一度読んでみろ、遠呂智島の事も書いてある」

「へ〜、確かにあれは不思議な出来事でしたが・・・」

「福、お前今から秦君に連絡を取ってみろ、今日暇があったら呑まないかと伝えてくれ」

「分かりました。下の公衆電話から掛けてみます」

「ああ、頼んだぞ。お前達も付き合え」

「俺も、久しぶりに秦さんに会ってみたいと思っていたんです」調子よく敦が言った。

「嘘つけ、秦さんの話なんて一度だって出て来なかったじゃないか」

「今、懐かしく思い出してた所だったんだよ。いいじゃないか固いこと言うな」

「ははは、喧嘩するなよ。じゃ福、頼んだぞ」

「了解です!」





                    3



僕の囚われている部屋の向こうには、沢山の人の気配がした。何かの集会だろうか?

一際大きな人の声が聞こえ、甲高い声で誦経が始まった。大勢の人がそれに唱和する、二、三十人といった所か?

時折、数珠を擦り合わせるような音が聞こえる。仏教系宗教の集まりのようだ。

かなり長い間誦経は続いた、人々の心が一つになって行くのがわかる。

唐突に声が止んだ、鼻腔に微かな線香の匂いが届く。

甲高い声が言った。「さあ、今日は誰の番かな?」

皆、シ〜ンと静まり返っている、咳(しわぶき)ひとつ聞こえない。

「では、こちらから指名しよう。そこの青いシャツの・・そう君だ、立って!」

人の立ち上がる気配がした。

「名前は?」

「岡田です・・・」

「岡田君、君の悩みは何だ?」

「は、はい・・実は」

「よい!皆まで言うな。この私が当てて進ぜよう」

先程とは打って変わった、呟くような誦経が聞こえる。

「分かった!」ややあって、甲高い声が言った。

「君は最近頭痛に悩まされておるのではないか?」

「えっ!どうしてそれを・・・」

「それだけでは無いぞ、金銭問題も抱えておるな?」

「じ、実は・・・」

お〜!と云う溜息が聞こえた。

「心配は要らんぞよ。頭痛は今すぐわしの法力で治して進ぜよう」

また、誦経が聞こえた・・・エイッ!と鋭い気合いが入り僕は飛び上がる程吃驚した。

「どうだ、治ったであろう?」

「は、はい!不思議だ?あれぇ、痛みが嘘のように消えている!」

うお〜!と云う歓声が聞こえた。

「金銭問題の方は、祈祷が必要じゃ。後で別室に来るがよい」

「はは〜!ありがたい、ありがたい・・・」


これを皮切りに、甲高い声は次々と人の悩みを言い当て、そして解決して行った。




                    4



「先生・・・」

「おう、どうだった福?」

「それが、秦さん電話に出ないんです・・・」

「どっかに出掛けているんだろう」

「はい、僕もそう思ったんですが・・・」

「どうした、何か引っかかるのか?」

「一応名刺に書いてあった出版社に電話をしたのですが、そちらにも出て来てないようで・・・」

「いつも出ている訳じゃあるまい」

「はあ、そうなんですが・・・その出版社も数日前から秦さんに連絡を取っているそうなんです」

「居ないのか?」

「先方も困って居ました。出版社の前から数人の男達と車に乗ったのを見た人はいるそうなんですが・・・その時、何かもめていたそうです」

「それは何かあるぞ」敦が難しい顔をして言った。「あの秦さんが何日も家を空けるなんてあり得ない」

「何でだ?」福が訊いた。

「小説家なんて引き籠りのオタクみたいなもんだろ、家にいるのが基本じゃないか」

「まあ、そうだが・・・」

「ここで色々憶測をしても始まるまい、時々出版社にも連絡を入れてみよう。そのうち帰ってくるさ」松岡が言った。

「それしかなさそうですね・・・」



                     5



「どうだ、儂の霊能力は?隣の声が聞こえていただろう?」

甲高い声の男は言った。まだ目隠しをされたままなので顔は分からないが若くは無さそうだ。

他にも二、三人、居るようだが声は聞こえない。

「儂の名は東雲(しののめ)院、知っておるか?」

「・・・」

「おお、そうか。そのままじゃ喋れぬな・・・おい、外してやれ!」

男が誰かにそう命じた。僕は猿轡(さるぐつわ)を外され、大きく息を吸った。

「お前が小説で書いた事は、神への冒瀆である」と男は言った。「今すぐ小説の販売を止めて回収並びに謝罪をすれば良し、さもなければお前がどうなっても責任は持てぬ」

気の弱い僕としては、今すぐ謝罪して小説を回収しますと約束したい気持ちで一杯だった、が、僕は神様が大好きなのである。お地蔵様を見つければ手を合わさずにはいられぬし、古い仏像があると聞けば遠くの寺でも出かけて行く。珍しい鳥居があれば、何はさておき駆けつける。

そんな僕が神を冒瀆する筈が無い。僕が許せないのは神を騙って私腹を肥やす手合がいる事だ。

しかし、そんなことを言っても逆効果だ。そこで僕は黙っている事にした。

「返事をせぬな?よ〜し分かった、もう暫くそのままでいるが良い」

男は甲高い声を残して出て行った。できれば目隠しも取ってもらいたかったのだが・・・



                   6



「これ、黄表紙の戯作者よ。此方を見よ」

誰も居なくなった筈の部屋の中から聞き覚えのある声がした。

「えっ、誰です?見よと言われてもこの状態では・・・」

「良いからもそっと顔を上げよ」

「あっ、貴方は!」

目隠しで見えない筈の僕の目に白い狐の姿が映った。

「覚えておるか?天狐じゃ」

「天狐・・様・・・でも何故見えるのでしょう?僕は目隠しをされているのですよ」

「眼には物質しか映らぬ、私は物質では無いからの。直接お主の脳に働きかけておるのじゃ」

「ああ、そういう事ですか」

「何とも酷い目に合うておるようじゃが助けて進ぜようか?」

「あ、有難うございます・・・でも、何故?」

「お主は約束を守った。世に『転倒』を知らしめてくれたからじゃ」

「でも、謝罪と回収を迫られております」

「その必要は無い、奴らにはいずれ天罰が下るぞよ」

「そりゃ良かった。なら早く助けてください」

「それが、事はそう簡単では無い」

「えっ、でも今助けてくれるって・・・」

「私に実体はない、従って物質に作用する事は出来ぬ。私に出来る事はだれかに知らせる事だけじゃ」

「成る程・・・」僕は妙に納得してしまった。

「誰に知らせたい?」

僕は考えた、警察に知らせても信じてくれる筈は無い。狐が夢枕に立ったくらいで動けば、警察の威信に関わるだろう。ならば、あの時一緒に天狐を見たあの二人に知らせて貰うのが現実的だ。

「遠呂智島で一緒だった、福くんと敦くんに知らせて下さい」

「おお、あの白装束の青年達か?」

「はい、彼等ならきっとなんとかしてくれる」

「分かった。では早速行ってくる」

「ところで、此処は何処ですか?」

「英彦山の廃寺じゃ」

そう言って天狐の姿は僕の目の前から掻き消えた。僕は、メイメイさんの方が良かったかな?と、少しだけ後悔した。



                    7




「・・・これ起きよ。私の声が聞こえぬか、いつまでも意地汚く寝て居るのでは無い」

「・・・う〜ん、誰だこんな夜中に?・・え〜まだ二時じゃないか・・・丑三つ時だぞ・・じゃ、おやすみ・・zzzzz」

「これ、目を覚ませ。脳が寝ておったのでは私の姿は見えぬ!」

福はガバッと跳ね起きた。「えっ、何!何!今の声!」

「私じゃ、天狐じゃ!」

「テンコ〜!って誰だ?」

「もう忘れたか、遠呂智島で会ったではないか」

「あっ、あの時の白いキツネ!」

「そうじゃ、天狐じゃ。その節は世話になったぞよ」

「あ、いえ・・どうも・・・その天狐様が何の御用で?」

「今日は黄表紙作家の遣いじゃ」

「黄表紙?・・・ああ、秦さんの事ですか?」

「秦?・・・ああ、あの黄表紙作家は秦一族の末裔か?」

「さあ、それは知りませんが・・・」

「確か京の太秦の・・・いや、今はそんな事はどうでも良い、その秦とやらが一大事なのじゃ」

「秦さんが!」

「彼人は今、英彦山の廃寺で囚われの身となっておる」

「え〜本当に!敦の悪い予感が当たったな!」

「敦とはもう一人の白衣の青年の事か?」

「はい、奴が言っていたのです、何かあるって」

「ふむ、なかなか勘が鋭いの、お主と違って」

「ほっといて下さい!それより早く助けに行かなくちゃ。詳しい場所を教えて下さい」

「狐火に案内させよう」

「じゃあ、敦に連絡取らなくちゃ!でもこんな夜中に電話するのもなぁ・・・」

「私が行く。何処に連れてくればよい?」

「家の裏にバイクが置いてあります。そこに敦を連れて来て下さい」

「承知した!」


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「何だよ、福。やっぱり本当だったのか?」

バイクの準備をしていると敦がやって来た。

「行って見なくちゃわからないがきっと本当だよ。お前も天狐様にあったんだろ?」

「ああ、夢かと思ったよ。ここに来るまでは半信半疑だったんだ」

「よし、すぐに出発するぞ!」

「おっ、いいバイクじゃないか。いつ買ったんだ?」

「先週さ。自動二輪の試験に合格したからな。ヤマハのXJ750、不人気車種で安かったんだ」

「やっぱナナハンはでかいな!」

「このバイクなら英彦山までひとっ走りさ。初めてのタンデムの相手がお前なのが、少々不満だがな」

「言ってろ。さあ出発だ、そこに狐火が待っている!」

「応!」





                     9



「行って来たぞよ」

ウトウトしていると天狐様が戻って来た。きつく縛られているので手の先の感覚が無い。

「この縄、何とかなりませんかね?」

「残念じゃが・・・」

本当に神様は不便である、頼りになるのかならぬのか分からない。

「それよりも、二人がバイクという乗り物で此方に向かっているぞよ」

「バイク?じゃ、あと二時間は掛かるな。その間に何かやる事は・・・そうだ、天狐様、敵は何人いるか分かったりしますか?」

「うむ、それくらい分かるぞよ。男三人に女が一人じゃ」

「そうですか、あの二人なら何とかしてくれそうだな」

「それがなかなかどうして、強そうなのじゃ・・・ぞよ」

「ぞよ、って・・・」

「背の高い年取った男は、それほどでも無いが、後の二人は若くて角力みたいな体格じゃぞよ」

確かに僕を拉致した男達は大きかった。

「女は?」

「小柄だが躰のキレが良い。あれは武術の心得がある」

「う〜ん、せっかく助けに来てくれるのに、ミイラ取りがミイラになったんじゃ元の木阿弥だ」

「ミイラとは即身仏の事か?」

「違います!・・・それより何か考えなくっちゃ」

「よし、私が背の高い男の夢枕に立とう」

「で、どうするんですか?」

「あの二人が来ることを教えてやろう」

「えっ!ダメじゃ無いですか教えちゃ!」

「いや、そうでも無いぞよ。私が彼奴等に策を授けよう、そしてあの若者二人にそれを伝える」

「そうか、奴等の裏をかくのか!」

「その通りじゃ!」

「天狐様も人が悪い・・いや、狐が悪い」

「天罰じゃ、では行って来る」

天狐様はまた消えてしまった。



                   10



しばらくして天狐様が帰って来た。心なしか項垂れている。

「ダメじゃ、あ奴、私の言う事などてんで信用せん。全部夢だと思っておる」

「何故なんです?霊能力者なんでしょう?」

「だからじゃよ。自分たちのインチキは自分たちが一番良く分かっておるのじゃ」

「だったら狐火でも出してやれば良かったのに」

「勿論出した。出したのじゃが、彼奴め狐火の事を放電現象だとかプラズマだとか言っておってな。どこかの大学の教授に聞いた受け売りらしいのじゃが・・・」

「困ったなぁ・・・」

「それだけでは無い。あ奴『二人が作家を救いに来る』という所だけはしっかり信じおった、虫の知らせだとか言うてな、全く都合の良い」天狐様はブツブツ言っている。

「余計ダメじゃ無いですか!も〜最悪だ!」

僕は頭を抱え込んでしまった。いや、縛られているのでそれは出来ないのだが・・・

「まあ、こうなれば運を天に任せるしか無い」

あなたが神様でしょう!と、喉まで出かかった言葉を、僕は飲み込んだ。

「じゃ、せめてその事を二人に伝えなくちゃ」

「うむ、それは任せてくれ。ついでに敵の人数と配置も伝えておこう」

「頼みましたよ・・・」

僕は本当に二人の無事を神に祈った。



                    11



「よく来たな、待っておったぞよ」

バイクを止めて山門を見上げると天狐様が居た。ライトを消すと漆黒の闇となり、天狐様だけがボ〜と浮かび上がった。

「暗いのォ、私は良いがお主達は不便であろう」

そう言って天狐様は狐火を灯してくれた。お陰で何とか扁額の文字が読めた、東雲院と書いてある。

「トウウンイン・・・か?」

「馬鹿だなぁ、シノノメと読むんだよ」と敦が言った。

「へ〜、どういう意味だ?」

「明け方の事だよ」

「今の状況にピッタリの名前じゃないか」

「どうしてだ?」

「明け方には勝負が決まる!」

「なるほど・・・」敦が感心している。

「コホン・・・実は二人に伝えておく事がある」

天狐様が改まった口調で言った。

「二人が来る事を中の悪党どもにバレてしまった」

「え〜、どうしてですか?」

「うむ、話せば長くなる・・・今は時間がないでな、とりあえず中の状況を説明しておくぞや」

逃げたな!でも本当に時間は無いのだろう。

「山門を潜ると正面に本堂がある、左奥が庫裏じゃ。その更に奥が学堂で秦とやらはそこの倉庫に閉じ込められておる。敵は男が三人女が一人、男のうち二人は屈強な若者じゃ、女は武術の心得がある。悪党どもは庫裏に居るが、もうお主たちの到着には気が付いておろう、そのバイクとかいう乗り物は音が煩いでのぅ」

「しかも、狐火が灯っていると俺たちの位置は丸分かりだ」と、敦が言った。

「そこでじゃ、公平を期すために大量の狐火でこの寺を照らす!」

「は?」

「心置きなく暴れるが良い!」

一瞬で廃寺が真昼のように明るくなって、天狐様は消えてしまった。全く無責任な神様である。



                    12



コトリと音がして扉の開く気配がした。足音が近づいて来る。ジジッと蝋燭(ろうそく)の爆ぜる音がした。

「お元気?」

女の声がした。

「私は織姫、あなたの小説読んだわよ」

「・・・」

「素敵な物語ね」

この女、何を考えているのだろう?

「貴方のお仲間が門前まで来てるわよ」

そういえば、さっき微かにエンジン音がしたような・・・

「東雲院様は、手ぐすね引いて待ってるわ」

「何故、僕にそんな事を?」僕は初めて口を開いた。

「助けてあげましょうか?」

「そんな事を言われても、俄かには信用できないでしょう・・・」

「それもそうね。でもね、私は東雲院様のやり方にウンザリしてるのね、だから今回の事が済んだらオサラバするつもり」

「だったらさっさと逃げればいいじゃ無いですか?」

「まあ、これでも少しはお世話になってるから、黙って逃げるのは後ろめたいのね。それに、あの二人は侮れないわ」

「あの二人って?」

「ああ、御免なさい、見えなかったのね。東雲院様の弟子兼ボディーガード、金角と銀角の事ね」

「金角、銀角?西遊記みたいだ」

「そう、でもとっても強いのね。まともに戦ったら私も危ないわ。そこで、貴方のお仲間に二人をお任せするわ」

「そんな、虫の良い・・・」

「でも、私が参戦すると、お仲間はとっても不利になるのね。良い交換条件だと思うけど?」

「貴方は手を出さない・・・と?」

「私は、東雲院様を守る振りをして黙って見てる。そして事が終わったらドロンするから見逃して欲しいのね」

悪い条件では無い、敵は一人でも少ない方がいい。

「分かりました。でも一つだけお願いがあります」

「なぁに?」

「この目隠しを外して欲しいんです」

「それは出来ない相談ね」

あっ!という織姫の声がして急に目の前が明るくなった。尤も瞼を通して光が網膜に届いているだけで、見えるわけでは無いけれど。

「始まったようね。じゃ、行くわ・・・」

軽やかな足音を響かせて、織姫が部屋を出て行った。



                    13



「本堂を左に回って行けば、学堂に出られるな」

「だが、俺達が来た事は既にバレているんだろう、正面突破が良く無いか?」

「じゃあこうしよう。敦が左、俺が右に別れる。お前が庫裏で敵を惹きつけている間に俺が学堂に飛び込んで秦さんを助ける」

「何だか俺の方が危険じゃ無いか?」

「だって、お前の方が度胸あるじゃ無いか、適任だよ」

「それもそうだな。じゃあ一丁やるか!」

単純だなぁ、と福が呟いた。

「なんか言ったか?」

「いや、何も・・・じゃ、行くぞ!」


敦が庫裡の前にくると、人影が見えた。狐火で影が揺れる所為か大きく見える。

「待っていたぞ!」灰色の作務衣を着た大きな影が言った。「飛んで火に入る夏の虫とはお前の事だ」

「俺はここまでバイクで来たけど、結構寒かったぞ。季節はもう秋だ」

「何!巫山戯(ふざけ)ているのか?」

「俺はいつも通りだよ」

「銀角、気をつけて。その子結構出来るわよ!」庫裡の障子が開いて中から声が聞こえた。

背の高い老人と、赤い作務衣の女が立っている。

「心配ない、織姫。こんな鉛筆のような奴、俺の鯖折りでポキンだ!」

「鯖折りだって、古いなぁ。せめてベアハッグと言ってくれ」

「煩い!」

銀角が股を割った、膝に両手を置いて肩を落とす。右足が高く上がった。

ズシン!

銀角の四股で地面が揺れた。

「ヒエッ、おっかね〜!」

銀角の立合は鋭かった。敦はあっという間に間合いを詰められ、張り手を喰らって本堂の脇まで吹っ飛ばされた。

敦はしばらく起き上がれなかった。脳震盪で頭がクラクラする。

やっとの思いで立ち上がったところに銀角の顔があった。残忍に笑っている。

ガバッ!と胴体を抱き締めた腕が、まるで万力のようだ。

そのまま宙に持ち上げられた、足が地面を離れると背骨にかかる圧力が倍以上になった。

グフッ!敦の口から息が漏れた。ギシッギシッと背骨が不気味に鳴っている。このままでは背骨が折れる。万事休すだ!

「耳よ!耳を狙って!」

女の声が聞こえた瞬間、敦は両手を手刀に変え、自分から思い切り反り身になった。

「チェーィ!」気合いもろとも両手刀を銀角の耳の付け根に振り下ろす。

グワッ!

銀角の腕が緩む。

「もう一度!」織姫が叫んだ。

敦はもう一度海老反り、満身の力を込めて手刀を打ち込んだ。

ギエッ!銀角は両耳を押さえて蹲(うずくま)る。耳が半分ほど削げ落ちていた。

「織姫、お主!」

「ごめんね、東雲院様。私これ以上お手伝い出来ません」

「何故・・・」東雲院は絶句した。

「さあ、強いて言えば彼の小説を読んだからかな」


蹲る銀角の頭頂部に肘打ちをくれて、敦は立ち上がった。

「お姉さん有難う、おかげで助かった!」



                   14



福が本堂の角を曲がると、銀杏の大木がザワザワと風に靡(なび)いた。

ふと見上げると大きな猿が木の枝を揺すっている。黄色い葉っぱと銀杏の実が降って来た。

「わっ、なんだなんだ!」慌てて身を躱すと猿が木から飛び降り、音も無く地上に降り立った。

巨体に似合わぬ身軽さだ。

「ここから先は行かせん」

「えっ、猿が喋った!」

「猿では無い、人間だ」

よく見ると、それは黄色い作務衣を着た人間だった。

「名前は金角。お前の名を聞こう」

「矢留福、秦さんを救いに来た!」

福は、サッと左入り身に構えた。

「ふ・ふ・ふ・・・」

金角は軽く銀杏の木を蹴った。ハラハラと葉が舞い落ちて来る。

葉は徐々にその数を増し、終いには金角の姿を包み隠してしまった。

風が吹き、銀杏の葉が金角の躰を中心に渦のように回り始めた。

福は金角の姿から目が離せなくなった。

「俺の名を呼べ・・・福」

「何?」

「俺の名はなんだ?」

「あ、あんたの名は・・・」

「なんだ?」

「き、金か・・・」

「呼ぶな!呼ぶでない!」

頭の中に天狐の叫び声が響いた。

「て、天狐様!」

「呼べば奴の術中に嵌る!」

いつの間にか天狐が福の目の前に居た。

「チッ、もう少しだったのに!」

金角が宙高く舞った。福は身を沈めて飛び蹴りをやり過ごす。

金角が着地をした瞬間、今度は福が跳んだ。

顔面に福の蹴りがめり込んだ。

金角は仰向けに地面に倒れ、気絶した。

「危うかったのぅ」

「天狐様・・・」

「さ、早う秦を救いに行け!」

「は、はい!」




                    15




福君と敦君が学堂に駆け込んで来たのは、ほぼ同時だった。

「秦さん、無事ですか!」福くんが言った。

「ああ、無事だよ」

「良かった・・・」

「それよりこの目隠しを外してくれないかなぁ。折角の貴重な体験が何も見えなかった」

「呆れた、こんな目にあってもまだ取材を諦めないんですか?」

福君が目隠しと戒めの縄を切ってくれた。

「あっ、そうだ。東雲院は?」

「まだ、庫裏に居るはずだ」敦君が言った。

僕らが学堂を出て庫裏に行くと、渡り廊下に東雲院が倒れていた。

「あのお姉さんは?」敦君が訊いた。

「織姫とかいう人の事かい?」

「さあ、名前までは聞いてなかった。ただ、俺を助けてくれた」

「きっと逃げたんだよ」

「じゃあ、三人を縛り上げて警察に連絡しなきゃ」


「待って!」

その時、本堂の屋根の上から声が落ちて来て、僕らは一斉にその方角を見た。

赤い作務衣がひらりと飛んで、境内に降り立った。

「逃げるのやめた。どうしても貴方達とサシで勝負したいの」織姫は福君と敦君に言った。

「俺達と?何故?」

「武術家の性ね」

「今なら逃げられるのに」僕は織姫に言った。

「私が勝てばそうするわ」

「負けたら?」

「全てを話して罪を償う」

狐火が消えた、否、極端に数が減ったのだ。境内の中だけが薄明るい。

「ここで戦うが良い」

天狐様の声だけが聞こえて来た。

「もう直ぐ夜明けじゃ。夜明けと共に私は消える、存分に闘え!」



                   16



ハッ!

鋭く息を吐いて、織姫は先ず敦君に襲い掛かった。凄い早さだ、とても肉眼では捉えきれない。

僕の目には残像が残るだけだ。敦君は次第に劣勢になって行った。

「ダメだ、躱(かわ)しきれない!」

織姫の蹴りが敦君の鳩尾(みぞおち)に決まろうとした時、福君が飛び込んだ。

「次は僕が相手です」

織姫はにっこり笑って頷いた、凄い余裕だ。

福君は、僕が見たこともない構え方をした。腰を落として首が前に突き出ている。

まるで、蹴って下さいと言わんばかりに。

ところが、意に反して織姫の動きが止まった。

「珍しい構えをするのね」

「師匠直伝です」

「師匠は?」

「無門平助」

一瞬、織姫の顔が喜びに溢れ、そして怖いくらいに真剣になった。

「相手にとって不足は無いわ」


ハッ!

さっきにも増して、織姫の攻撃は激しくなった。見ているだけで怖くなる。

しかし福君は織姫の技を紙一重で躱し続ける。織姫の顔に焦りの表情が浮いた。

「これで最後よ!」

織姫の拳が火を吐いた。その瞬間福君の姿が消えた。

否、消えたのは福君では無い。その動きが消えたのだ。

福君は動いたようには見えなかった、然し構えが裏返っていたのだ。左真半身から右真半身に。

「表裏突き・・・初めて見たわ」

そう言って織姫はドサリと倒れた。東の空が僅かに明るくなっていた。






                   17



「全てを自白したんだって」敦君が言った。

「何を?」

「詐欺の手口さ。金角、銀角と織姫さんは、信者の家のゴミ袋を漁っていたんだって」

「ゴミ袋漁ってどうすんのさ?」福君が訊いた。

「薬の袋とか領収書を探すんだよ」

「あそっか、どんな薬を飲んでいるかが分かればその人の病気が分かるもんな」

「領収書で金の使い方が見える」

「それから、誦経で信者をトランス状態にして催眠術にかける。線香の匂いなんかも一役買っていたんだね」

「秦さん詳しいですね」

「僕は神様を食い物にする連中が許せないんだよ」

「でも、織姫は秦さんの小説を読んで改心したんでしょう?」

「元々嫌だったんだよ、僕の本は只の切っ掛けだ」

「でも、織姫さんチョー美人だったぞ。俺、本気出せなかったもんな」

「オッ、敦、負け惜しみか?」

「そんなんじゃ無いさ・・・一目惚れだったんだよ」

僕も敦君に賛成だ。彼女に勝てるのはきっと・・・メイメイさんくらいかな。


「三人とも、待たせたな」

「あ、松岡先生。この度はご心配をおかけしました」

「秦君、無事で何よりだ。今日はたっぷりその話を聞かせて貰うぞ・・・さあ、まずは腹ごしらえだ!」 

「ごっつあんです!」敦が大きな声で言った。


                           


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