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第1話 田舎者二人、大陸へ

どんなにすごいことがあったとしても、自分の身に降りかからなければそれは対岸の火事に過ぎない。


自分の世界とは、あくまでも自分が見てとれる部分だけで、広い世界なんて最初から他人事。だから、彼女だって、その例に漏れず自分の日常を怠惰に生きていた。


夏を目前にして、島は緩やかに気温が上がっている。もう少し経つと風は生温くなり、日差しは容赦のない熱を生み出す。今は、まだ、涼しくて過ごしやすい頃合い。


木陰はやわらかい風の音が時折すり抜けていくので、とても好ましい。少なくとも、彼女はそう思っている。


お気に入りの木の下には、ひんやり冷たい石が鎮座していて、彼女はいつもそこに座る。静かな世界、自分の本のページをめくる音。誰もいない、彼女だけの世界。


この世界に浸かっているのが、彼女はとても好きだ。


けれど悲しいかな、その世界はすぐに壊れてしまうのだ。いつも。


馬の蹄の音が聞こえたら、お終いといつだって決まっているから。


「ちょっとエミラ!あんたまた学校サボったでしょ!!」


来た。この状況下で最も聞きたくない声。嫌々ながら本を閉じて、彼女は声の主を見た。


「ビーチェ、うるさい」


ビーチェと彼女が呼んだ少女は、一応この島国の王女様だ。ここは一応王国で、彼女はなもなき民草であり、ビーチェは頂きに立つ姫である。


しかし、ビーチェは姫と呼べるほどおしとやかでもなければ、清楚でもない。


ビーチェはいつだって男物の衣服を身につけ、平気な顔で馬に乗る。いつも背負っている筒の中には矢が入っていて、左手には弓。馬上で鳥や野ウサギを涼しい顔で射止めることができる狩の天才で、お姫様とはかけ離れている。


「あんたが学校サボるからでしょ?先生もおかんむりよ」


そして、島の子供たちと同じように唯一の学校に毎日しっかり通っている。基本的に、この国で必要な公務は少ない。一応島の一番高い場所にある城だって、余所者が見たらきっとただの砦か何かにしか見えないだろう。


「だって、学校で習うところなら、もう勉強し終えたし…」


彼女は島で一番の秀才だ。しかし、協調性にはやや欠ける。案の定ビーチェはため息をつく。もはや慣れてしまったことではある。


「あのね?学校は集団行動を習うための場所でもあんの。つまりあんたみたいな自分勝手なやつを矯正するための場所でもあるってこと」


お姫様らしからぬ言動、お姫様らしからぬ姿。性格もさっぱりしていて、ヘタな男よりよほど男前。密かにファンクラブがあるとか、ないとか。


「たかだか数十人しかいないのに?」


この国は小さい。国民の数だって少ない。よって子供はもっと少ない。彼女らの通う学校は、全校生徒三十七人。教員は五人いて、うち一人が校長を兼任している。


「あんたそんなことでどうすんのよ、今大陸では戦争真っ只中で大慌てだってのに」


「こんな地図でも端の端にある、世界の果てみたいな場所に、戦争が飛び火してくるの?」


現在、ここからえらく離れた大陸では、西と東の陣営に別れて大きな戦争が続いている。西はジントラダ、東はアグレア。どちらも大国で、その勢力は拮抗している。この国も、つい最近西側陣営につくと王が宣言したばかりだ。


しかし、ここは世界地図の端の端に載っている点のような島。ここにまで戦火が及ぶとは考えづらかった。


「そりゃ、そうだけど…とにかく、明日はちゃんと来なさいよ!明日は特別授業だってあるんだから」


「あ、そっか…めんどくさいなあ」


どんなにサボりたくてもサボれない授業、それが特別授業。こればかりは、絶対に出なければならない。


「来なかったらあんたの家の蔵書、全部燃やすわよ」


「行きます、行けばいいんでしょ?」


「ったく、手間かけさせて…」


どれほど面倒臭くても、明日は早く起きて学校に行かなければならない。今日は早く寝ようと彼女は決めた。最近の寝る前の楽しみになっていた小説は、帰ったら読んでしまわないと。


その時だった。


パン、と大きく音が鳴った。


近くの木々にとまっていた鳥たちが一斉に飛び立った。二人の顔に緊張が走る。


すぐに動いたのはビーチェだった。ビーチェは開けた場所に出て、空を見上げた。


「ビーチェ、何色?」


見上げる先、城の上空に、赤い煙幕が揺らいでいる。ビーチェの顔が険しくなった。


「赤。急いで帰らなきゃ…」


ビーチェの足はいつだって愛馬のマーラだ。真っ白で毛並みも良い、この島で一番価値のある馬。


近くにつないでいたマーラにまたがると、ビーチェは彼女に手を差し伸べた。


「エミラ、乗って。あんたの出番かも」


「…わかった」


彼女、エミラの顔は、おそろしく真剣だった。


○◎○◎○◎○◎○◎


砦のような城には、珍しく王がいて、臣下達と厳しい顔で何事かを話していた。


王のいる小さな審議室には、臣下達の他に、農夫姿の中年男性、黒いローブをすっぽりとかぶった年齢性別不詳の人物がいて、円卓にそれぞれ座している。


そこに、走って入って来たのがビーチェと、遅れて入って来たエミラだ。


審議室の顔という顔が一斉に二人を見た。


エミラ達は馬を駆ってここまで来たので、髪の毛がすでにボサボサだったが、今はそれどころではない。もちろん誰も何も言わない。


「父さん!何があったの?」


「ビーチェ、それにエミラ…座りんさい。話はそれからだ」


王はひょろひょろした男性で、一応王らしく王冠を載せてはいるが、服は座っている農夫となんら変わらない。頬には土埃の汚れがあって、二人はさっきまで王が農作業をしていたことを知った。


二人の席は、王の座る最奥の席の真向かい、つまり入ってすぐの席になる。おとなしく席につくと、王は笑えないほど真面目な顔で二人を見た。


「ビーチェ、そしてエミラ…とうとう、この日がやって来てしまった」


「父さん、一体何があったの?赤の煙幕なんて、特別授業以外で初めて見たけど」


ビーチェの父親でありこの島国の王は、重々しげに口を開いた。


「…今、大陸間で戦争が続いていることは知っているさね」


「ええ…ランバラルドは西側、ジントラダの傘下に入ることになった」


先日、王は国民に西側陣営に入ると宣言した。今は全くそんな気配はないが、一応この国は戦時中にあるのだ。


「まあそれでね、つい先日、お客さんが来たろう?」


「ええ、船酔いで随分とやつれてたけど」


船旅に慣れていないらしく、随分とげっそりしていた。しばらく医者がつきっきりで世話をしていたからよく覚えている。


王は懐から一枚の上質紙を取り出すと、臣下に渡した。臣下はその紙を重々しくビーチェへと差し出した。


「お客さんはジントラダ政府の使者でね、この文書を置いていった」


受け取ったビーチェの顔は険しい。


「…貴国ランバラルドの英断、誠に感謝する。現在の戦況、熾烈を極める。味方は寝返り敵が仲間に、我が国の勢力の把握も困難極まりなし…味方の証明に、貴国の姫君を我が国に預けられよ。最も安全な場所にて、手厚くもてなすことを約束する…次に月が満ちる頃、パルバタンで姫君を待つ」


最初に口を開いたのは、その隣で聞いていたエミラだった。


「つまり、人質としてビーチェを寄越せと」


王は頷く。


「そういうことさね。拒否権はないし、まあ、こんな日が来ることくらい分かっていたしね…ランバラルドは最果ての辺鄙な島だが、鉄鉱石の鉱脈がいくつもある。両陣営共にこの島を見放してはくれないさ」


対岸の火事は、今や足元にまで迫っている。とうとうこの国にも、戦争の二文字がやって来てしまった。


「父さん、それで私はいつ出立するの?」


人質として来いと言われた張本人は、しかし冷静だった。この文書の意味を、正確に捉えていたから。


「今日の夜、出港さね。今日は満月で、次の満月までしか猶予はない。まあ、大陸に上がってからは馬で駆ければすぐだろうから…」


ビーチェがマーラで突っ走れば、恐らくすぐだ。ランバラルドを真っ直ぐ北上していくと見えるのがジントラダの南端、アローアン。北上するのに一週間、そこから馬で駆れば数日で王都パルバタンに入れるはずだ。


「私はいいけど、エミラは?」


「お付きの侍女として連れて行きんさい。いいかい、ビーチェ。お前は何があってもエミラを守らなければならない」


王と王女は暫し見つめあった。そして、王女は頷く。


「分かってる。エミラは面倒臭がり屋で協調性に欠けるけど、この国の頭脳、私たちの生命線だもの」


「エミラ、頼んだよ。何をすべきかは、分かっているね」


エミラは、ただお付きの侍女としてついていくわけではない。彼女が動くということが何を意味するか、それを王もビーチェも、この国の者は皆理解している。


エミラは席を立つと、すぐ横で王に向かって膝をついた。


「御意」


「さあ、二人とも支度を。特にエミラ、持っていける本には限りがあるからね」


「…わかっています」


「あとは、いいね。さあ、皆、持ち場につきんさい。これからこの国一番の繁忙期だ」


○◎○◎○◎○◎○◎


持っていく荷物はもう決まっている。だって自分で持って歩くのだから、どれくらいまで、というのは分かり切っている。


エミラは非力な娘である。よって、分厚い本なんて持っていけるわけがないのである。


しかも、大陸は戦火にある。となると、走れるだけの身軽さでなければ、命を落としかねない。


皮の肩掛けカバンの中に入れたのは、カンテラ、火打ち石、ナイフ、そして非常食。これだけ。


部屋の壁一面を埋める本棚に、本は一冊も入っていない。すべて、裏庭に放棄した。これから、最後の仕上げをする。


学文書はすべて頭に入れてある。娯楽小説くらいは残しておきたいが、ヘタをすればこの国の土を二度と踏めないかもしれない。なら、置いていく必要もない。だから、すべて捨てる。


それにもし、この国が侵攻された時、何も手がかりを与えてはならないのだ。だから、本という本を消しておかなければいけない。


すでに太陽は沈みかかっている。もうすぐ、出立の時間。この国と、さようならをする時間。


一人きりの家を出て、エミラは何時もの場所に向かった。お気に入りの場所、自分だけの世界。


そこは彼女の家の裏の林の奥にある。いつもはこんな時間に行かないのだけど、今日は特別。


薄暗闇の中、空からの光でちょっとだけ明るい場所を歩いていくと、目的地はすぐそこ。木の下に鎮座している大きな岩、エミラの特等席。


エミラは岩に腰掛けて、空を見上げた。もうすぐ、完全に夜の帳が下りる。


さっきは、気楽にここで本を読んでいた。ビーチェだっていつもの様子で。でも、それももうお終い。戦争の中に、これから行くのだから。


茂みから音がして、エミラは顔を向ける。


「やっぱり、ここにいた。あんた、本は?」


ビーチェは馬ではなく、歩きでここまで来たようだ。マーラのいななきは聞こえない。


「これから捨てる。付き合ってくれる?」


「いいよ、それくらい」


裏庭に、捨てられた本の山。それらがどれくらいエミラにとって大切なものか、ビーチェは知っている。


二人は、家までの道を何も言わずに歩いた。


いつもは先を歩くのはビーチェだが、今日はエミラが先を進んでいる。あくまで、ビーチェは付き添いだ。


林を出ると、山になった本が見えた。先ほど、エミラが一人で積み上げたものだ。


エミラはポケットから火打石を取り出すと、手早く火種に火をつけて、そのままそれを本の山に放り投げた。


すぐに火は燃え広がり、本の山は火の山になった。


「ビーチェ、見ててね。これが、私の覚悟」


「うん」


赤々と燃える火に照らされた横顔を、ビーチェは複雑な思いで見ていた。


「さよなら」


本が燃え尽きるまで、二人はじっと見守った。


○◎○◎○◎○◎○◎


満月ののぼる空の下、二人を乗せた船はランバラルドの港を出た。船には何人かの従者とマーラ、それにしばらくの食料などが積み込まれた。


島総出での見送りになった。二人の学校の生徒も、皆来た。泣いていたり、不安げだったり、意地を張っていたり。けど、最後は二人の無事を祈って大きくてを振ってくれた。


船はそれなりの大きさがあり、二人のいる船室からは海中が見える。今は、真っ暗だ。


「でも普通、朝じゃない?こんな辺鄙なところに見張りとかっているの?」


この国に来るには、船で何日もかけて海を渡り、そして唯一の港から上陸しなければならない。しかし、そんな不審者は今の所いない。


「裏切り者なんて、どこにいるか分からないから」


最初から、あの中にいる可能性だってある。どうやって大陸と通信しているか、という疑問はあっても、可能性はゼロではない。


「まあ、そうだけどさ」


「…夜出たのは、単に朝出るとこの辺の渦潮に巻き込まれる可能性があるから。今から出れば、昼にはそのエリアを抜けられる」


この先に、海流がぶつかり渦になる地点がある。そこにはまると、最悪船が沈む。だからランバラルドを発つ時は、決まって夜なのだ。


「そういうことね。でも、これから一週間は船の上…感覚か狂わなければいいけど」


「ビーチェなら、まあ、大丈夫じゃない?」


「そういうあんたはどうなのよ。言っとくけど、ゆっくり行く暇ないからね」


「わかってる」


あまりもたもたしている暇はない。


今日は満月。次の満月までに、西の都パルバタンへ行かなければならない。


「迎えを寄越さず、私に来いと言ったってことは、私が期日までに行くことが恭順の証になる…つまり、私が死んだら」


「世界地図から、ゴマ粒の島が消える」


「なんとしても、パルバタンへ行かなきゃ」


「意外と、国に着いた思ったら殺されたりしてね」


鉱山が欲しいだけなら攻め込めばいいのである。恐らく、西側の上層部は揉めているはず。


「可能性は否定できないのよね…鉱山の島なんて武器庫にはぴったりだもの」


「どんなにはやい船でも、ランバラルドまでの航路は数日かかる。でも、その中継地点を押さえさられれば戦況はどちらかに傾くかもしれない」


武器庫を手に入れるのは西か、東か。最果ての島だけど、ランバラルドだってかやの外ではない。


「私たち、それなりに重要人物?」


「かもね。大陸では賞金かけられてるかも」


「まあ、どんな大男に襲われたって、あたしは負ける気はしないけど」


ビーチェは強い。腕っぷしだってそこらの男よりずっと強い。でも、お姫様なのだ。


男勝りなお姫様は、エミラを見た。その瞳は笑っていない。


「エミラ、あたしから絶対に離れないで。あんたに死なれたら、ランバラルドは終わりなんだから」


「分かってる。私たちは生命共同体。片方が死んだら、もう片方も死ぬ」


だから、あなたの手は離さない。


「絶対に、パルバタンへ行くわよ」


「うん」


こうして、田舎者は一路、大陸へと向かった。



二ヶ月放置していましたが、真面目に内容を考えていたんです。ほんとうです。


Twitterに結構いるので、構ってくださると嬉しい、な…


http://twitter.com/Yaeko_Tanihara

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