死体探し(後編)
「息子を脅していたのですね」
母親は妹を視線で刺した。
「警察を呼びましょう」
妹を凍りついた。
「ちがうよ母さん」
少年は母親を制した。
「この人は母さんが会っている男の人の娘さんらしい」
「なんですって!」
母親は色を失った。
「知っていたの?」
「うん…」
親子を沈黙が支配した。
妹は少年に危機を救われると同時に
窮地に立たされた。
母親の不倫相手が自分の父親であるなどと
馬鹿馬鹿しい嘘に自分の命運が握られているのだと思うと
妹は泣きたくなった。
露見すれば即座に破滅。
数分前の攻勢が見る陰もなく萎れた。
「二千万円の慰謝料を払わなくてはいけなくて」
「なんて法外!」
「それが払えないなら父さんがもし亡くなった時に
内臓を移植に差し出すことに同意しろと…」
「そちらは現実的…」
「どうしよう母さん」
「どうしようと言われても、二千万なんて払いようも無い
父さんには悪いけどね」
「そんな間単に父さんを売るっていうの!?
「父さんがもし死んだらという条件付きの話でしょう。
ならそれでいいじゃないの。
二千万を払えばその時点で損害が確定する。
どう考えても臓器の方が得じゃない」
「損とか得の問題じゃないだろ!
家族なんだよ!
家族なのになんでそんな事を平気で言えるんだ!」
親子のいさかいに余裕を得た妹は
恐怖で固まった思考をほぐして
打開策を練った。
今の自分の立場は不倫相手が父親であるという
虚偽にのみ支えられている。
ところで母親は臓器提供に乗り気である。
案外あっさりと終わるかもしれない。
「息子さんは先ほど両者を考慮した上で
臓器移植に同意しましたよ」
「なんで今言うんですか!」
「なあんだ、人に家族の情を説いておきながら
自分もしっかり計算しているんじゃないの。
命とお金の重さ比べを」
「う…」
少年は窮した。妹は一気に押した。
「お母さん、これが契約の書類です。
署名をいただければ、慰謝料は免除されます。」
「はいはい、ちょっとハンコ取ってきますね」
なんとかなった、妹は安堵した。
「ちょっと待ってよ、元はと言えば
母さんが悪いんだろ!
母さんが変なおじさんと会うからこんなことに
なったんじゃないか。
父さんも、僕も、関係ない。
母さんが一人で払えば良いじゃないか!」
「なんでよ、家族でしょ」
「あつかましい!自分で家庭を壊しておいて!
とにかく母さんが払ってくれ、父さんは関係ないだろ!」
「そんなの払える訳ないでしょう」
「じゃあその男の人に払ってもらえばいいだろ!
その人の父親に」
「ええ、わかった、あの人に相談します。
二千万をしっかり用立ててくれる。
甲斐性なしの珈琲馬鹿と違ってね。」
「な…」
母親の本性は少年の世界観を変えた。
家族と言えどやはり他人であり
都合が悪くなれば簡単に崩れ去るものなのだ。
少年は他人を疑わねばならぬことを理解した。
「呼んであげましょう、素晴らしい男性を」
母親は携帯を取り出した。
妹は携帯を取り上げた。
「何をするんですか」
「待ってください、君もちょっと聞いて
感情に流されて取り返しのつかない事をしてはいけません。
何千万ものお金です。
その男性だって生活があるでしょう。
冷静にとりなせば一円も支払わず
いえ、いくらかの現金さえ手に入れて
事を丸く収めることが出来るんですよ」
「と、いうと」
「私は本気でお金を取ろうとは考えていません。
単に二千万という金額を提示しただけです。
無茶な金額を比較に出せば
臓器移植にきっと応じてもらえるだろうと思ったのです。
だますようなやり方をした事は謝罪します。
私が欲しいのはあくまでも
移植へのご家族の同意なんです。
同意を頂けるのなら逆にこちらから謝礼をお渡しする用意があります」
「よくわからない事をしますね、慰謝料が欲しかったのでは?
そもそもなぜ移植への同意が慰謝料の代わりになるの」
「それは…それが私の母の願いだからです。
母は昔子供を、生きていれば私の姉になるはずだった
女の子を腎臓の障害で失っているんです。
当時は移植のための法制度も
子供への移植技術もまったく整備されていなくて
母は泣き叫ぶ姉を黙って見ているしかなかったんです。
身を引き裂かれる思いであったと母は言っていました。
そこで同じ悲しみを他人に味合わせまいと
母は臓器移植の普及を願っているのです。
私自身もその理想に賛同し、
またたび総合商社という企業で移植の支援活動に
従事しています。
今回のこの交渉はその一環なのです」
妹は漆のように嘘を塗り重ねた。
「なるほど、まわりくどいけど
わからないでもないね」
「おわかりいただけましたか」
「はい、署名しましょう。
夫の臓器提供に同意します」
母親は万年筆の蓋を外し
ブルーブラックの印墨を軸に吸入し
署名を施そうとしたが
少年が割り込んで万年筆を奪ってしまった。
「何を!」
「母さん、こいつは嘘をついている!
不倫相手の娘なんかじゃない
赤の他人だよ」
「どういうこと」
「自分の父親を「その男性」なんて呼ぶ子供はいないよ。
きっと肩書きも身の上話も大嘘だ。
こいつは詐欺師かなにかだよ。
父さんが弱ったのを良いことに
うちの財産を騙し取ろうとしているに違いない」
ああ!妹は気を失いそうになった。
舌は渇き、足は震え、冷や汗が顳顬を伝う。
綱渡りでなんとか同意まで辿り着けたかと思ったが
今度こそ御破産である。
妹は喫茶店が死を待つための
ホスピスのように感じられた。
「なるほどねえ、でもそれだけじゃ
根拠に乏しくない?」
「なら男の人を呼べば良いよ、それですぐに判る話さ
それと警察もね」
少年は妹から乱暴に携帯を奪い返し母に渡した。
警察に通報した後、
男と二、三、言葉を交わして呼び寄せた。
「すぐに来るって」
すぐに来る、とは具体的に何分何秒なのか。
たくらみが暴かれれば自分はどのような責めを受けるのだろう。
懲罰妄想が心身に絡み付いて妹を殺そうとする。
妹はへたり込んで嘔吐した。
「汚いぞ、店を汚すな!」
少年は妹の顔面に飛び膝を見舞い
返す足で側頭部に蹴りを叩き込んだ。
鈍い音がした。
妹はどうと倒れた。
鼻血が垂れ、ブラウスの襟を赤く濡らした。
「ちょっとやりすぎじゃないの?」
「足りないよ、僕たちに嘘を吐いて
父さんを陥れようとしたんだから」
ドアベルがからんと鳴った。
「何かあったのかい」
「あら早い」
「君に呼ばれればね」
「あなたが」
「そうだ、いわゆる間男というやつだ。
うとましいかい」
「今はいい、それよりこの女が
あなたの娘であると詐称していたんですよ」
「ほう!」
「警察を呼びましたので突き出すつもりです。
その時に証人になってください。
この女は娘ではないと」
「すまないがそれは出来ない」
「なんでです!」
「この子は、まぎれもなく私の実の娘だからだよ」
「え」
「大丈夫か」
初老の間男が妹を抱きかかえた。
妹は目を開いた。
見知った顔があった。
「父さん!?」
「そうだが」
「何やってるの、こんな所で!」
「お前が私を追いかけてきたんじゃないのか?」
「フランスに行ってたんじゃ」
「パリでテロがあってな。
怖気づいて引き返してきたんだ」
「貴方らしい理由ですね」
少年の母が微笑んだ。
妹は訳がわからなかった。
少年を見た。
固まっている。
訳はわからなかったが
どうやら幸運な状況であることはわかったので
叫んだ。
「この子に蹴られた!血が出た!二回も!」
妹は少年を指差した。
「なんだと」
「ち、違う!」
「違ったのはあんたの方でしょうが。
勝手に決め付けて襲い掛かるなんて」
「母さん!」
「娘を痛めつけられたとなれば
見過ごせんよ」
「ごめんなさい、うちの息子が」
「あんたのせいだろ!不倫なんてするから」
「私も君に悪いことをしたと思うよ。
だがね、それとこれとは別の話だ。
間違っているかね?」
「う…う…ああああ」
少年は到着した警察に連行された。
少年の母親は改めて同意書に署名をした。
「ありがとうございます。
企業からの謝礼金です」
妹はカウンターに三百万円を置いた。
「あら」
「少ない…ですか?」
「逆、逆、こんなにもらっちゃったら悪いな」
「もらえるものはもらっておけば良い」
「そういうわけにもいかないですよ。
あなたの娘さんからこんなにお金を取っちゃうなんて
そうだ、このお店をあげる。これで引け目はなし」
「そんな、受け取れませんよ!」
「いいのいいの。
主人が助かったとしても復帰は無理
息子も捕まったし、私も珈琲に思い入れはないし
持っていても仕方が無いんだよ。
それなら活用できそうな人に持ってもらった方が良いでしょう?
総合商社なら店舗の一つや二つ所有していても
おかしくないと思うけど」
「でも…」
「もらえるものはもらっておけば良い」
「そういうこと」
「わかりました、ありがたく頂戴いたします」
妹は少年の母親から権利書を受け取り
自分が最後の客となった喫茶店を出た。
「ありがとう、でも許さないから」
「浮気したことか?それともお前を売ったことか?」
「両方」
「こりゃ怖いな、存分に憎むがいいさ」
「言われなくとも!」
少年の父親の訃報が届けられたのは
帰社してすぐのことだった。




