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親の心

「お前は奴隷としてウチで働く義務がある」


「何でそうなるんだよ!」


「進学をしないのだから就職するのは道理だろう。

 犯罪者のお前を雇う所など何処にもない。

 だから兄として、せめて食い扶持を得る手段だけは

 与えてやろうというのだ。

 感謝されこそすれ文句を言われる筋合いは無い」


「ふざけないで!お父さんとお母さんが帰ってくれば」


「何とかなると?何かしてもらえると?

 世の中がそんな都合良く出来ていると思うか?」


「お父さんとお母さんなら大丈夫だよ!

 私はお兄ちゃんの思い通りになんてならない」


「ふはは、そうかそうか、ならば何も言うまい。

 もうすぐ仕事から戻ってくる頃合だ。

 ゆっくりと、思う存分相談をしてみるがいいさ」


「言われなくとも!」


妹は玄関で待った。じっと待った。

時刻は夜の七時を回ったところである。

ほんの数分が永遠に続くような感覚を妹は持った。

鍵が差し込まれ錠が外す音がすると

妹の鼓動がひときわ高く跳ねた。

扉が開かれるとコートに身を包んだ

初老の男女が立っていた。


「お父さん!お母さん!」


妹は二人に駆け寄り兄の暴虐を余す事なく伝えた。

しかし父は驚く様子もなく

「ふむ、まあそれも仕方ないだろう」と鰾膠にべも無い。

母に至っては関心すら示さず居間に歩いていった。

妹は母に叫んだ。


「どうしたの?お金が盗られたんだよ!」


母は妹に告げた。


「今日は御寿司を買って来たからね。

 みんなで食べよう」


「ちょっとした臨時収入があってな。

 あいつもいるな、おおい飯だぞう」


彼が降りてきた。三人は食事の準備を始めた。

妹は訳がわからなかった。


「おい、何をしているんだ

 早く食べようじゃないか」


妹が立ち尽くしているのを父と母は不思議そうに見詰めている。


「でも、でも、なんで」


「行儀が悪いでしょう、早く座りなさい」


「御父様と御母様がお待ちなのだ。

 さっさと来い」


「はっはっは、気味の悪い呼び方をするな」


妹は憮然とした面持ちで席に着いた。

食卓には寿司桶すしおけが並び

それぞれに鮮やかなねたを抱えた握り寿司がたくさん入っている。

父と母は好みの握りを小皿に載せている。

彼は偏食でシーチキンといくらばかり食べている。

そんな光景をよそに妹は考えに暮れるのだった。


貯金を盗まれたというのに両親はなぜのんきに寿司を食べているのだろう。

私の顔があざだらけになっているのになんで知らぬ素振りをしているのだろう。

その犯人が同じ食卓にいるのはどうしたことなのだろう。


論理を凝らすほど余計に疑問がよじれていく。


「どうしたの?食べないの」


「でも」


「いいから食べなさいな、何のために買ってきたと思ってるの」


母がいくつかの握りを差し出してきたので

妹はその中のうなぎを口に含んだ。

身のやわらかさとか、たれの甘みとか、しゃりの酸味とか

おそらくそういう味がするのだろう。

でもさっぱりわからない、この男のせいで。


「お母さん聞いて」


「ああ、良かった、主役のあんたが何も食べないんじゃ

 奮発したかいがないもの」


「主役?」


「だって決まったんでしょ、就職」


「あ、あ、あの、話が見えないんだけど」


「聞いたぞ、こいつの会社に入ることにしたんだろ。

 おめでとう」


妹は崩れ落ちた。


「どうして」


目を遣ると彼が吹き出すのを必死にこらえている姿が見えた。


「まさか」


「お前なぁ!フゥフゥ、俺が

 何の根回しもしていないと思っていたのか?

 ヒィヒィ、ハッハッ」


「そんな、なんで、なんで」


妹は両親に目を転ずる。

母はにっこりと笑っている。

父はうつむいているが

しっかり寿司を食べている。


「わからないなら俺が言ってやる。

 単純な話だ。

 お前が馬鹿だからだよ。

 お前のような凡人が大学に行ったところで何になる。

 画期的な論文が書けるわけでもない

 まして教授や研究員になれるわけでもない。

 誰にも読まれないくだらん卒論を残して

 どこぞの事務員になり、安月給目当てに生涯を終えるのがせいぜいだ。

 数百万も費やしてこのざまとは、投資対象としてはあまりに馬鹿げている。

 一方で俺のまたたび総合商社はどうだ。

 事業や投資は世界中に拡大し、やがては数百万の雇用を生むことになる。

 関連企業を含めればもっと増えるぞ。

 俺自身が億万長者になるのは当然としても

 それだけに留まらず多くの人間を、やがては世界全てを富ませることになる。

 同じ投資金額でありながらこれだけの差が生じるのだ。

 どちらに金を渡すのが良いか、考えるまでもあるまい」


「そういうこと、この子もあんたも私の子。

 同じ可愛い我が子なら

 より多く稼いでくれる方に援助をするのが

 親として自然でしょう。」


「こいつは私たちの老後の生活を

 完全に保障すると約束してくれたんだ。

 更にはあらゆる所にいつでも好きなだけ旅行に

 行って良いとまで言ってくれた。

 早速私たちは明日フランスへ一ヶ月のバカンスに飛ぶ。

 いやあ、孝行息子を持って幸せだよ。

 だからな、悪いが大学は無しだ。

 こいつに金を出す方が万倍も良いからな」


「う…そ」


「俺のことを窃盗犯だと言ったがな

 貯金の使用はもとより合意の上だったんだよ。

 お前はありもしない被害を勝手に妄想して

 暴れていただけだ。

 俺は兄として戯れに付き合ってやったまで」 


「でも…私の…バイト代…」


「お兄ちゃんを困らせるんじゃありません。

 あんたが大学に行けないのはどの道変わらないんだから

 言い争いはもう止めにしなさい。

 せっかく払い戻し金で買ってきたお寿司なのに…」


「払い戻し金?」


「お兄ちゃんの会社に入るんだから

 高校なんか通ってても無駄でしょう?

 だからね、今日お父さんと退学届けを出しに行ってきてね

 後二週間くらい授業期間が残ってたから

 日割りで残りの授業料を返してもらったの。

 15万くらい戻ってきて、嬉しかったあ

 無駄な授業料を払うなんてまっぴらごめんだからね。

 あ、それとあんたのバイト代だけど

 いままでの生活費として没収させてもらうからね。

 もともと私達のお金で出してたんだから

 返してもらうのは当たり前でしょ

 全額じゃないだけありがたく思いなさい。」


妹の記憶が壊れた。

生きてきた時間の全てが自分を欺いていた。

もう頬を伝うものが何なのかもわからなくなっていた。


立ち上がる力も、立とうとする心も

なにもかも妹から消えうせていた。


彼は微笑を浮かべた。


「いよいよ我が社で働くことになるわけだが

 改めて訊こう、お前は何だ?」


「わた…はど…す」


「聞こえんぞ!」


「わたしは、ど…れいです」


「ようこそまたたび総合商社へ」


食卓が暖かな拍手で満たされた。

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