またたび総合商社 5
「社長は死にました!
この会社はおしまい!」
室内に入ると妹は叫んだ。
炎は部屋の外で燃え上がり
照明や数々の手術道具を
赤く照らしている。
部屋の中央に並べられた
二台のストレッチャーの上に
それぞれ少女と院長の娘が眠っていた。
「焼けたくないなら出て行って!」
妹が催涙スプレーをまき散らすと
医者やカメラマンたちは我先にと逃げ出した。
妹は持ち主のいなくなった
テレビカメラのレンズを睨みつけた。
「またたび総合商社とかいうふざけた組織は
もう失くなりました!みんな帰りなさい!」
すると外の観客席から爆笑する声が聞こえた。
妹は怒りに震えたが
ひとまず院長を助けることにした。
ナイフで院長を捕らえていた縄を切った。
「大丈夫?」
「え…ええ…」
「近頃の若者は
入室時に人を刺すのかね。
ずいぶんと素晴らしい躾を受けたのだね。
いや、それとも血筋かな?」
議員が落ち着いた声で言った。
妹は鋭い目つきを議員に向けた。
「なんでそんな余裕があるのかは知らないけど
あなたの陰謀も失敗に終わる。
この子は絶対に渡さない」
「ふふ、陰謀か、
そんな大仰な事はしていないよ。
私はただ、孫と娘のために買い物をして
ここへ品物を受け取りにきたに過ぎない。
君が思っているような
悪いタヌキみたいな動物では決してない。
それは誤解だ」
「人の命をなんだと思ってるの!」
「他人の命は交換可能な部品だと思っている」
「この!!」
激昂した妹は背負っていた木刀で
議員に切りかかろうとした。
しかし突然飛んできた大型の心電計に吹っ飛ばされ
妹は壁に叩きつけられた。
「う…ぐ…」
「お客様に手を出すなど…最低だなお前は」
「あ…」
妹は目を見開いた。
彼が立っていた。
「死んだはずでは、か?
ふはははは!
無能ぶりもここまで来るとかわいらしい。
一流企業の社長である俺が
お前の襲撃に何の準備もしていないと思うか」
彼がシャツをめくり上げると
体中にくまなく分厚い札束が巻き付けられていた。
胸のあたりに妹がつけた傷があった。
「ナイフに血痕がついているか
確かめもしなかったのか?
さしずめ俺を倒した達成感に酔いしれて
頭の中でヒロイン気取りであったのだろう。
まったく救いようがない阿呆だな」
妹があわててナイフを刀身を見ると
血はまったくついていなかった。
妹は顔をひきつらせた。
「ぐ…!」
「さて…粗相をした社員には
指導をせねばならんな。
社長である俺は
社員の素行に責任をもたねばならぬ
まったく良い度胸をしている。
苦労して企画した俺の番組を潰すとはな…」
彼がシャツの袖をまくりあげると
力強く盛り上がった上腕二等筋があらわになった。
腕全体に太い血管が浮かび上がっている。
彼の体格がかつて自宅で争った時よりも
ずっと大きくなっていることに気づいた。
彼の気迫に圧され、妹の体は震え始めた。
手に力が入らなくなり、ナイフをうまく持てない。
「う…うぅ…こんな…こんな…時に!」
「どうした、怖いのか?
俺はお前が怖い
いきなり片目をえぐられたんだからな。
だから恐怖と向き合い、成長したのだ。
そんな俺が怖いのか?
丸腰の俺が怖いのか?
お前は刃物で武装しているんだぞ
なにを怖がる必要があるのだ」
彼は徐々に距離を詰めてくるが
どうすることも出来ない。
妹は完全に体がすくんでしまった。
「し…死にますよ!」
院長が声を上げた。
手には液体の入った小瓶を携えている。
「その人に手を出すのなら…
ここで死にます」
「ほう…」
彼は口元をゆるめた。
少し楽しそうである。
「本来その子に使うはずだった毒薬です。
私が飲めば、計画は根底から崩れます。
そして私の死体から取った
臓器を娘に移植すれば全て丸く収まる。
最初からこうすれば良かったんです…」
「院長先生!そんなこと」
「いいえ、どの道長くないんです。
私自身も内臓の病気でね。
だから気にしないで」
「えっ!?」
「それは困った、実に困ったなあ、あっはっは。
議員先生のご家族に何かあったとあれば
今後のお付き合いにも差し支えが出てしまう…
先生、如何しましょう」
「では今すぐそれを飲め」
議員は冷然と言い放った。
「なっ!?」
想定外の言葉に院長は驚愕した。
議員は院長に大股で歩み寄るが早いか
思い切り平手を打った。
ぱあんと大きな破裂音がした。
「きゅう!」
院長は崩れ落ちて小瓶を取り落とした。
議員はそれを拾って懐にしまった。
「この女は私の娘であるが、君の社員でもある。
成人した娘をいつまでも甘やかす気はない。
懲戒は君に委ねよう」
「だ、そうだ、困ったお嬢様。
まずはお前から行こうか。
そもそもお前が仕事をちゃんとしていれば
くだらん余興などせずとも
とっくに終わっていたのだ。
会社の貴重な金と時間を浪費させたのだから
その報いは受けてもらわねばな」
彼は拳を握りしめ、院長に向けて振りかぶった。
院長はすかさず体勢を変えて
彼の腕に飛びつき、間接を極めようとした。
しかし院長がどれだけ力を込めても腕は曲がらない。
逆に彼は片手で院長を高々と掲げて、
手近に立てかけてあったワゴンに叩きつけた。
メスや鉗子が床に飛び散る。
院長の体はゴム毬の様に跳ねて
そのまま動かなくなった。
「う…あ…あ…」
「その技が通じるのは格下の相手だけだ。
所詮は見せかけの殺陣でしかない。
圧倒的な力量差のあるこの俺に
そんな子供騙しが通用すると思ってるのか」
彼は院長を引き起こし、
両手で首を締めながら持ち上げて宙吊りにした。
「自殺したいらしいから、
俺が手伝ってやろう
それそれ首締め自殺だ」
彼は両手の親指に力を込めて
院長の喉をぐりぐりと押した。
「ぎぅえぇ…あぁ…がぅあああああ!!」
院長は動物のような呻き声を上げて
唾液をだらだらと垂らす。
両足を振り乱して彼の胸板を蹴るが
抵抗と言うにはあまりに心許ない。
彼は鼻で笑った。
「手を出したら死ぬだと?
自分の内臓を使えだと?
ふはははは、お前もヒロイン病か!
それだけの覚悟があるのなら
問答無用で自殺すれば良いではないか。
死ぬ気など毛頭ないのが見え見えなのだ。
三文芝居を今終わらせてやる」
「あ…が…」
「そもそも馬鹿らしいと思わないのか。
何の犠牲も払わず
親子ともども助かる方法を
教えてやっていたというのに…
一時の感情で情けをかけるからこんな目に遭うのだ」
「そんな目には遭わせない!」
「何?」
妹は背後から彼のシャツをめくり
体中に巻き付いている
わずかに残った灯油をそれにかけると
マッチで火をつけた。
彼の背中から火柱が上がる。
「うぅおおおおお!!」
「そのまま灰になってしまえ!」
「おおおおお!燃えるうううううう!!
というわけにはいかんのだなあ、これが」
彼はシャツに付いている金具をはずすと
ベルトに貼り付けられた札束の山が
体からどさりと落ちた。
紙幣が焦げて燃えかすをまき散らしている。
「すぐに着脱できるようにしておいて正解だった。
お前の悪巧みには
ほとほと手を焼かされているからな。
当てが外れて悔しいか、ん?」
「まだ、まだ、まだ!」
妹は地面に散乱していたメスを片っ端から
彼の顔面に投げつけた。
「おおお!?」
彼はたまらず両手で顔を覆った。
「終わってない!」
妹はその隙を見逃さず、床を蹴った。
彼の懐に潜り込み脇腹を切り裂いた。
刃先が血を引き連れて空を切る。
シャツが血に滲む。
「次は……刺すよ!!」
妹は必死の形相で彼を睨みつけた。
ナイフの柄を持つ手は堅く握りしめられて
ぶるぶると震えている。
「ふはははは!少しは成長したというわけか。
だが甘いな、お前の刃は俺の命を奪うには
遠く及ばなかったぞ」
「だったら何回でもやる!」
妹は叫び声を上げてナイフで切り込んだ。
彼は軽くそれを捌き、妹を投げ飛ばした。
「あきらめろ、お前はもうおしまいなのだ」
「このっ…このおおおお!!」
妹はすぐに起きあがって
また彼に切りかかる。
そこを彼が蹴り倒す。
が、やはり立ち上がる。
妹は何度殴られても食い下がって
その倍以上切り返す。
次第に彼は壁に追いやられ
顔に、腕に、体に赤い傷が増えていった。
「ぬぅ…ずいぶんと粘るじゃないか。
そうまでして戦う理由は何なのだ」
「あの子に…院長先生に…
手は出させない!」
「それほど二人が大事か」
「大切な人だから!仲間だから!」
「本当か?」
「は?」
「うーん、前から疑問に思っていたのだが…
その二人はそもそもお前の味方なのか?
一言でもそう断言したのか?」
「馬鹿らし…ぐぁっ」
妹の後頭部に激痛が走った。
恐る恐る振り返ると
院長が木刀を持って立っていた。
「あの…ごめん…なさい…
子供の命には…変えられません
それに…その…私…やっぱり…死にたくないです…」
「う…そ…そんな…」
妹のすがりついていた希望が砕けた。
体の全てから力が奪われて
床にへたりこんだ。
「はははははは!
こういうことだ。
時局を見て有利な方に、
自分の利益になりそうな方につく!
処世術の基本ではないか。
院長は聡いから
己の過ちを認め、反省し、改めたのだ。
かたくなに愚行を続けるお前とは出来が違う」
「なんで、ひぐっ…なんでぇ!」
妹の瞳から涙が雫れる。
掠れた泣き声に耐えられなくなったのか
院長は妹から目を逸らした。
「なんでって…
こいつは臓器養殖場の元締めとして
働いていた女だぞ。
これくらいのことはやってのける」
「養殖…場…」
「お前がいたあの施設のことだよ。
表向きには児童養護施設の
看板を掲げてはあるがな、
あそこは身よりの無い人間、
とりわけ騙しやすい子供を
誘い込んで臓器候補生として養育する施設なのだ。
あそこにいたガキどもはみんなそれというわけ。
こんな仕事は普通の神経で勤まるものではない。
俺が人材探しに難儀していると
この女が二人分の内臓はないかと接触してきたから
俺が施設の話を持ちかけると
二つ返事で仕事を引き受けたのだ。
お前が信じたこの女はそういうやつだ。
自分や子供が助かるためなら手段は選ばない。
そういう普通の人間なんだよ」
「あぁ…あ…あなたはぁ!!」
妹は院長を怒鳴りつけた。
「その…ごめんなさい、
でも、仕方ないじゃないですか…
誰だってそうじゃないですか
あなただって…」
「あなたと一緒にしないで!
くぅ…うぅぅぅ…」
妹は声を殺して泣いた。
己のふがいなさに
他人の頼りなさに
「んん…」
手術台の上で眠っていた少女が
眠りから覚めようとしていた。
「あっ」
少女の声を聞いた妹は
残っていた気力を振り絞って
手術台に寄り添った。
どれだけの理不尽に遭おうとも
自分を信じてついてきた
この子の命だけは守れた。
その事実が妹を絶望から奮い立たせた。
「おっと、大丈夫なのか?
用心したほうが良いのではないか?
院長がこのざまだしな」
「ありえない!ありえない…
この子だけは…」
「ん…おねえ…ちゃん…」
「あぁ!目が覚めたんだね!
お姉ちゃんと逃げよう!」
「…おねえちゃんは…本当にばかだね」
少女はナイフを奪い
妹の腹に突き刺した。
「あ…ああぁ……痛い…痛いよお…
痛ああああああいい!!!!」
腹からとめどもなく血が溢れ出てくる。
床につぎつぎと血痕が生まれ
妹の衣服に赤い染みが広がっていく。
少女は手術台から飛び降り
もう一度妹の腹に刃を突き立てた。
「あ…あ…あうっぅ…!
どう…してえっ…」
妹の、涙で滲んだ視界の中で
少女が笑っているように見えた。
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
院長は耳を塞いで泣いていた。
「あーはっはっはっは!
そらみたことか、
理不尽がこの世の道理なのだ。
なにが起きても自然なことなのだ」
「おじいちゃんいえーい」
「イエーイ」
議員と少女はハイタッチをした。
「それじゃあね、ごほうびをあげよう」
「うん、なあに」
「天国へいけるお薬だよ」
議員は少女の口を強引にこじ開け
小瓶に入った毒薬を流し込んだ。
少女は全身を激しく痙攣させ、
ものの数秒もしないうちに
ぴくりとも動かなくなった。




