またたび総合商社 2
妹は嬉しくて仕様がなかった。
敵に対して容赦する必要など一切ないと
理解できたからである。
凍り付く観客をよそに舞台袖に入ると
持ってきた荷物がそのままになっていた。
手早く着替えて共演者たちの荷物をあさってみると
灯油入りのポリタンクやダガーナイフやら
面白い品々がいろいろと出てきたので
あらかたボストンバッグにつめこんで
妹は劇場を出た。
夕暮れ時のぬるい風が妹を迎えた。
腕時計は午後六時を指している。
彼の演説が一時間後に始まる。
妹は必ず院長たちに追いつけると思い
ゆっくりと歩き始めた。
市街地は幹線道路から路地裏にいたるまで
どこもかしこも隙間なく自動車で埋め尽くされていた。
見栄坊で小心者の彼のことだから
演説に際して全社員に動員をかけたに違いない。
市民病院は高い丘の上にあって
車かバスでなければ行くことが出来ない。
大人数を呼び寄せれば必然的に渋滞が生まれる。
共演者たちは荷物も放り出して
あわてて逃げ去っていった。
ということは院長の負傷が、
本来の予定を変更しなければならなくなるほどの
重大な事態であったということがわかる。
この近辺で院長の治療をするのに
適した場所は、
彼の支配下に置かれているあの市民病院しかない。
つまりこの渋滞のどこかに
院長らの乗った車が紛れているのだ。
どうやって見つけだそうか
横断歩道の前で妹が思案に暮れていると
一台の車から老爺が出てきて
にやにやと笑いながら妹に近付いてきた。
老爺は獲物の品定めをするような
いやらしい目つきで妹の体を睨め回した。
他の車の乗員も、みなこちらをじっと眺めている。
間違いなく追っ手の社員たちである。
なるほどわかりやすい。
妹は苦笑した。
今この街は道路を境目にして
社員とそうでない者が一目瞭然に分かたれている。
社員は敵だ。
こいつらは人間ではない。
猫だ。
またたびに群がる猫なのだ。
情けをかける必要はない。
「ねえ、君、どこへ行こうというんだい」
「ちょっと燃えてください」
「は?」
妹はボストンバッグからポリタンクを取り出した。
タンクに接続されたポンプを起動させると
モーターが金切り声を上げ始めた。
ポンプから伸びるノズルを老爺に向け
勢いよく灯油を吹きかけた。
老爺の体のすみずみにまで灯油が染み込んでいく。
「うわっ何をするんだ」
「避難訓練ですよ」
妹はポケットから取り出したマッチに火を点け
老爺に放り投げた。
全身から火の手が上がり老爺を舐め回す。
妹は老爺を道路へ蹴り飛ばした。
助けてくれえ、助けてくれえと
甲高い悲鳴を響かせながら
車の隙間を縫って走り回る。
妹は後を追い、老爺の進路上にある車に
片っ端から灯油を浴びせていった。
すると火が軌跡を描くように
次々と車に燃え移った。
煙に巻かれ、火に煽られた猫どもが
そこかしこでうるさく喚き出して
幹線道路は大混乱に陥った。
妹は歩道に退避して事のなりゆきを見守った。
炎はますます勢いを増して
ついにはあちこちで車が爆ぜて
火柱が上がるようになった。
「おもしろいなぁ…」
妹は小声でつぶやいた。
「面白いなぁ!!」
妹は大笑いした。
空には数台の消防ヘリが到着して
消火を始めた。
素早い仕事振りに妹は感心した。
老爺は走り疲れたのか
道端で消火剤まみれになって泣いていた。
少し気の毒だったので
所持金から十万円をあげた。
歩道には車から脱出した
社員の群れが雪崩込んできた。
その中に舞台衣装に見を包んだ
顔見知りたちの姿があった。
少女は男の一人に背負われ、
院長は仮面の王の肩を借りて
よろよろと鈍い動きで歩いている。
読みが的中し、妹はほくそ笑んだ。
妹はボストンバッグから大量の煙玉と爆竹を取り出して
共演者たちに放り投げた。
突如足下から立ちってきた白煙と
空気が癇癪を起こしたような爆音に
みな驚いて足を止める。
続けて妹は催涙スプレーと木刀を取り出し
共演者たちに猛然と襲いかかった。
スプレーをこれでもかとかけまくる。
少女と子供たちに当たらないよう配慮はした。
スプレーの一吹き一吹きに涙を流して餌付くものだから
妹は興が乗って、男たちを木刀で片っ端から叩きのめした。
視界を奪われ、おまけに催涙ガスを吸わされた状態で
一方的に殴られ続けた男たちは力尽きて伸びた。
妹はシートを敷き
眠りこける少女を寝かせた。
「さて」
妹は倒れていた
院長の髪を鷲掴みにして引き起こす。
「用があります」
引き千切らんばかりの力を込めて
髪を引っ張り、院長を歩かせた。
「いた…いぃ」
「重いんだよこの足手まとい!」
妹は院長のすねを蹴ってよろめいたところを、
頭を掴んで建物の壁に叩きつけた。
「きゃう!」
妹は木刀で院長の頭頂部に一撃を見舞った。
閉じかけた傷口を
もう一度開かせてやろうという
妹なりの配慮である。
「が…あ…あぁ…」
院長は頭を押さえて転げ回った。
「全部教えて
あの時劇場で何をするつもりだったの?
こんな物騒な道具そろえちゃって」
妹はボストンバッグをどすんと置いた。
「わかりま」
妹は木刀で院長の喉を殴った。
「え”っ…え”…あえっ…」
院長の口から血の混じった唾液が垂れた。
「嘘は良くないよ、言わなきゃ」
「言え…ません…」
妹は木刀で側頭部を叩いた。
皮膚が切れ、血が噴出す
「ぐうっ!」
「どう?思い出したかな」
「どれだけ痛めつけたって…無駄ですよ…」
「学校の先生が言ってたんだ。
あきらめちゃいけないって」
「えっ」
妹は大きく息を吸い込み
木刀を大上段に構えると
剣先を院長の脳天に額に後頭部に
首に次々と打ち込んでいく。
院長は悲鳴を上げるが
妹に動揺は全くなく
メトロノームのように規則正しく
院長の頭部を滅多打ちにするのだった。
その時、倒れていた仮面の王が妹に叫んだ。
「やめろっ!やめてくれ!
それ以上やったら院長が死んでしまう!」
「当たり前じゃん、殺す気でやってるんだから」
「頼む!降参だ!降参する!
なんでもするから、お願いだから
院長を、お嬢を殺さないでくれ!」
「座…ちょう…」
「へえ」
妹は仮面の王に興味を持った。
院長の身に何かが起きることは
敵にとって致命的な事態なのだと確認できたし
なんでもしてくれるというのは
実に魅力的な提案であった。
「そうだね、じゃあ…
あの人を殺すから手伝ってほしい」
「社長を…か?」
「寒くなってきたし焚き火でもする?」
妹は院長に灯油をかけた。
「ああぁ…ああ…」
院長の顔は恐怖に歪み、
瞳からは涙がこぼれていた。
「うう…わかった、協力しよう」
「殺すには、あの人の裏をかく必要がある。
だから知っていることは全部喋ってもらうよ。
あの後、劇場で本来はどうする予定だったの?」
「その子を殺し、
殺害の責任をあんたにおしつけ
病院で社長が懇意にしている議員先生の孫娘に
移植手術をほどこす予定だった。
そのひきかえに社長が政治的支援を得る
手はずになっている」
「じゃあなんでこの子を殺さなかったの?」
「院長が寸前でためらってな。
毒薬を睡眠薬に変えたんだ。
自分の子と同じ年頃の子を殺すことは
出来なかった」
「その院長の子って」
「そうだ、その子が議員先生の孫娘
院長は議員先生の実の娘だ。
臓器移植のパイプ作りのために
入社して社長に接触したんだ」
「なるほど、大事にされていると思ったら…
子を救いたい母親と祖父か。
これは脅しに使えるねえ。
あの時の夫婦の内臓を取ってこいという依頼は
この本来の狙いを隠すためのでまかせか…
あなたが協力しているのはなんで?」
「経営していた劇団が倒産してな。
社員になれば再建の資金と専用の劇場までくれると言われた。
それに院長は以前うちの劇団に所属して
よく働いてくれたからその縁もある。
何かに取り憑かれたと思うくらい演技が上手かったからな」
「それだけなの?」
「それは…」
仮面の王は言い淀んだ。
「まあいいや、今、空に消防のヘリが飛んでるから
一機をここに降ろしてほしい。
この街は会社の支配下にあるから出来るよね。
あと演説会場の病院にも子供を確保したと連絡を」
「院長を…さらうのか!?」
「そりゃ連れて行かないと脅しにならないし」
「なら、俺もついていく」
「いえ、座長は…ここに残ってください…
私は大丈夫ですから
倒れているあの人たちを見て上げてください」
院長がかすれた声で言った。
「しかし」
「私のせいで、どのみち計画は失敗してるんです。
自分のために他人の子を殺すなんて間違っていたんです。
罪滅ぼしじゃないですけど、
せめて…この人の役には立ちたいんです」
「…わかった、死ぬなよ
あんたも、殺そうとするなよ!」
「わかってるよ」
仮面の王はトランシーバーを使って
上空の消防ヘリを一機、近くの広場に呼び寄せた。
風とともに轟音が響きわたる。
ボストンバッグなどの荷物を積み終わると
妹たちを乗せたヘリコプターは
燃えさかる街を後にして飛び立った。




