『合図』
◇C県、深い山中。
「それじゃあ裕くん、頼んだよ。我々は狙撃ポイントに着いたら連絡する」
「了解。……合図はどう送ったらいいですか?」
「そうだな……左手を挙げてくれ」
◇
『こちら高槻、アンナくんと共に配置に着いた。辿り着き次第説得を開始してくれ』
無線の声を背に、俺は木々の間を抜けた。
その場所だけ不自然に空間が開けていた。
木はなぎ倒され、岩は粉砕され、野生動物たちが無残な姿で転がっている。
その中心に、彼女はいた。
「やあ」
俺は努めて穏やかに話しかけた。少女は振り向いたが、明らかに様子がおかしい。
青白い顔で、両手で頭を押さえている。
「頭が痛い……寄らないで……」
「話をしに来たんだ」
「……拳銃とナイフを持って?」
少女の指摘に、俺は迷わずそれらを目の前で地面に捨てた。
「これで素手だ。武器はない」
「私を捕まえに来たんでしょ……?」
「いいや、話しに来ただけだ」
「嘘だ!」
叫びと共に、目に見えない衝撃波が俺の体を吹き飛ばした。
何本もの木をへし折り、巨大な岩に叩きつけられる。
「がはっ!」
内臓が潰れる感覚。
派手に吐血し、視界が一瞬ブラックアウトする。
「大人はみんな嘘をつく……!」
「嘘じゃない……っ! 俺も、お前と同じ実験体なんだよ!」
「……え?」
少女の動きが止まった。
「わかるだろ? 普通の人間なら今のだけで死んでる。俺は裕。ナノマシンの実験体で、再生特化型だ。だからほら!怪我ない!」
「確かに……死んでない……」
そこから、俺たちは少しずつ話し始めた。少女の名前は“ミナ”というらしかった。
◇
「実験って、どんなことをされてたの?」
「……頭の中を覗かれたり、掻き回されたりする感じ。無理やり薬を注射されたり、縛られて電気を流されたりもした」
「キツかったな……」
「ああっ……!」
不意に、ミナが頭を抱えて蹲った。
「どうした! 頭が痛いのか?」
「頭が痛い……割れそう……! 近づかないで!」
再び衝撃。俺は今度は上空、5、6階建てのビルに相当する高さまで跳ね上げられた。
そのまま地面に垂直に叩きつけられる。
「ぐおっ!」
体が文字通りバラバラになりそうな衝撃。
ミナは自分の意志とは無関係に超能力を暴走させていた。
「ミナ! 落ち着け!」
「近寄っちゃダメ……お願い……っ!」
今度は後ろに吹き飛ばされた。岩場に思い切り叩きつけられ、骨が何本も折れる音が体の中で響く。
「……こ、殺して……」
「え?」
「私を殺して! 自分でも制御できないの……苦しい、早く……!」
「そんなこと言うな! 何か助かる方法があるはずだ!」
「これは治らない……っ! 投与された薬の副作用なの!」
「高槻博士! ミナが副作用で苦しんでる! 落ち着かせる方法は!?」
無線に叫ぶが、高槻の返答は非情だった。
『軍に薬漬けにされていると言っただろう。脳が既に壊れ始めている。無理だ。……レールガンを撃つか?』
「やめろ……うわっ!」
今度は重力が増したかのように地面にめり込まされる。
ミナはその隙に、俺が捨てた拳銃を震える手で拾い、自分のこめかみに押し当て
「やめ……!!」
引き金を引いた。
――カチッ。
運悪く、不発。あるいは彼女の無意識の障壁が火薬の燃焼すら阻んだのか。
「助けて……」
ミナは泣いていた。
近づこうとすれば拒絶の力が働き、その度に俺は地面や木に叩きつけられ、ボロボロになっていく。ナノマシンの再生が、ついに追いつかなくなってきた。
(これ以上、何をすればいい?)
彼女を救う唯一の方法は、本当に“これ”しかないのか。
「お願い……」
震える声で懇願するミナの瞳を見て、俺はついに
――左手を、高く挙げた。
◇狙撃ポイント
「合図だ」
高槻の言葉に、スコープを覗くアンナは硬直していた。
狙いを定める相手は、いつも明確な“敵”だった。
しかし、今回の標的は自分よりも小さな、年端もいかない少女。
アンナの指は震え、銃身に伝わるほどに冷や汗が流れる。
「アンナくん?」
「う、撃てないよ……こんなの……っ」
◇
合図を送ってから数秒。おかしい。レールガンの閃光は走らない。
目の前では、ミナが狂おしいほどにもがきながら、周囲の空間を破壊し続けている。
「早く殺して……!」
「アンナ……!」
俺は無線に怒鳴り散らした。
『裕ぁ、こんなの無理だよ……撃てないよぉ……っ』
「アンナ! ……撃て! ……頼む……!」
俺は泣きながら言った。
『嫌だよぉー!』
アンナも泣きじゃくっていた。
……そうだ。アンナには無理だ。彼女にこの引き金を引かせるのは、あまりにも残酷な命令だった。
「……わかった。俺がやる」
俺は超能力が渦巻く嵐の中、ミナが一度投げ捨てた拳銃を拾い上げた。震える手で不発弾を取り除きマガジンを込直し、一歩、また一歩と彼女に近づく。
そして、溢れる涙を拭いもせず、震える声で聞いた。
「ミナ。……言い残した言葉はあるか?」
激痛に顔を歪め、ミナもまた泣いていた。
「……人として……話してくれて、ありがとう……」
俺は、引き金を引いた。
――タァンッ!
前回は透明な壁に阻まれた弾丸が、今度は拒絶されることなく、まっすぐに彼女の心臓を貫いた。
ドサッ。
小さな体が、音を立てて崩れ落ちる音だけがやけに大きく響いた。
倒れる瞬間、彼女の唇がわずかに、微笑んだ気がした。
俺はその場に膝をついた。
「すまない……本当に、すまない……」
何度も、何度も謝り続けた。
一頻り泣いた後、俺は彼女の開いていた瞳を優しく閉じさせ、胸の上で小さな手を組ませた。
静まり返った山の中で、俺は静かに冥福を祈った。
(もう痛くないからな……ミナ)




