243話 接触 其の1
鋭く、軽い音が空を斬る。声に驚いたのはほんの僅か。次の瞬間、伊佐凪竜一は手に持つ刀を鞘から抜き放った。光を反射し鈍色に輝く刃が空を滑り――
「初めまして」
「あ、青ッ!?」
不自然に停止した。滑らかに空を斬り裂く刀が動揺に止まった。眼前に立つ女の髪色を見て、彼は驚き目を丸めた。蒼天よりも濃い青い髪にツクヨミを想起したとなれば無理もない。
青い髪は潜性遺伝の銀髪とは違い自然発生せず、また旗艦においては好んで髪を染める文化が浸透していない理由もあって絶対数は少ない。具体的には今現在で0人と2機。内、ツクヨミは行方不明。そして、もう片方が伊佐凪竜一の前に立つ。
ガブリエル。ザルヴァートル財団が擁する最高戦力セラフ、その一機。しかし、彼はそんな程度の情報も持っておらず、よって見覚えない無機質で整った女の顔を凝視した。
「疑うのも無理はありませんが、先ず恩義に報いるべきですよ?」
交わる視線に事態の打開が見込めないと判断したガブリエルが、先んじて口を開いた。が、本人は何が言いたいのかサッパリと困惑する。
眉をひそめ、「何のことだ?」と追及する彼の顔は真剣そのもの。少なくとも敵ではない。ただ、言葉が通じても会話が成立しなければ意味はない。原因は伊佐凪竜一側。混乱と疲弊、そして無知が拍車を掛けている。
「助言と、それからイヌガミが一機としてアナタを捕捉出来なかった理由ですよ」
「え、あぁ……そうなんだ。ありがとう」
彼は意外にも驚かなかいどころか、割とすんなりと話を受け入れた。どうやらイヌガミの特性と余りにも上手く進む状況に多少の違和感はあったらしい。
「で、あの……誰です?」
敵意と刀を納めた伊佐凪竜一が改めてガブリエルに問う。そこに先ほどまでの険しい顔つきは既になかった。平時の、平々凡々とした普通の男がいた。
「セラフ、と言えば分かりますよね?伊佐凪竜一」
「セラフって確か、えーと?」
「おや、ご存知ない?無知……いえ、誰かがアナタの私生活一切を補助していたのですね。知らぬと言うならば先ずは自己紹介が先でしょう。私、ザルヴァートル財団に忠誠を誓うセラフの一者、ガブリエルと申します。以後、お見知りおきを」
「え、あ、ハイ。どうもガブリエル、さん」
対照的にガブリエルは終始無表情のまま、淡々と疑問に回答しながら――同時にゆっくり距離を詰め始めた。ともすればマイペースにさえ映るセラフの態度に面食らった伊佐凪竜一は、何ともしどろもどろな反応しか出来ず。
「呼び捨てで結構ですよ。私を含めたセラフ全員が式守……機械ですから」
油断、隙ともとれる伊佐凪竜一の態度にガブリエルは相も変わらず、微塵も臆さず、無表情のまま距離を詰め――だが間近まで迫った刹那、目にも止まらぬ速度で銃を引き抜いた。
感情の読み取れない無表情な瞳と無骨な銃口が伊佐凪竜一の眉間を照準に定め、ピタリと止まる。真意は不明、行動理由も同じく。だが、何かを間違えば戦いが始まる予感が両者の間を吹き抜けた。
「その名前はルミナの……」
「その程度はご存知でしたか。では、そのルミナが祖母であり財団前総帥アクィラ=ザルヴァートル殺害容疑で指名手配されている事もご存じでしょう?」
「本人から直接、全てを聞くまで信じも疑いもしない」
「それは本心ですか?」
逃走を助けたかと思えば銃口を突きつけるという矛盾した行動、その真意をガブリエルは短い一言に集約した。どうやら彼の本心が知りたいらしいが、感情を全く感じさせないこの女が何を求めているか、など分かる訳がなく。伊佐凪竜一は考えあぐねるが、直ぐに口を開いた。
「アイツは誰かが死ぬ事を極端に嫌がる。殺す事を躊躇わない訳じゃないけど、それにしても何か理由があっての行動だ。それを知るまでは何も考えない」
「私が聞きたいのはそう言う事ではありません」
伊佐凪竜一はルミナへの全面的な信頼を隠そうともしない。ただ、ガブリエルには不服らしい。なんて事ない否定に僅かな圧が滲む。
「何が言いたい?」
まどろっこしいやり取りが苦手とばかりにストレートに尋ねる伊佐凪竜一。
「彼女を信じますか?」
ガブリエルが無機質に、一言で答えた。
は、と驚く伊佐凪竜一。何故そんな事を、しかも財団に忠誠を誓うセラフが聞きたがるのか。ルミナを信じると言えば、つまりそれは財団と敵対すると捉えられかねない。敵か味方か確認したかったのか。しかし、そんな程度をわざわざ直接問い質す必要があるか――と、問われれば確実にない。
「当たり前だ」
迷い、戸惑う私とは対照的に伊佐凪竜一は淀みも迷いもなかった。嘘偽りなく相手の質問に答えるその姿は、僅か前の平々凡々な男とは全くの別人に見えた。戦闘も辞さない、そんな覚悟を感じる。
ただ、迂闊ではないか。セラフの真意は分からないにせよ、少なくとも数時間前にルミナ達と刃を交えた事実から判断すれば、伊佐凪竜一の味方をする理由は見当たらない。
――結果は、杞憂だった。緩い風が流れる中、相対するセラフは相変わらず無表情のまま「そうですか」と、それだけを呟くと銃を下ろした。
彼女の表情は何処か優し気に見えた。いや違う、確実に微笑んでいた。一方、私は蚊帳の外だ。確かに傍観しているからその通りではあるのだけど、何が何だか分からないままに変化する状況についていけない。
「目的は何だ?」
まるで私の意を汲んだような質問が耳を掠めた。ガブリエルが正直に話す保障などないが、現時点でアドバンテージを握っているのは間違いなくあの女。
今はイヌガミと監視カメラに介入してこの場への接近を阻んでいるが、真意を汲み取り適切な回答をしなければ間違いなく戦闘が始まる。しかも、今度はヤタガラスと守護者にセラフまで加わる。
駄目押しに、彼はつい先ほど連合中に指名手配された。そして、万能に近い特製IDも掲示板に投稿された噂話やヤタガラスへの通報までは消去できない。つまり、市民の誰かが彼を通報し続ければ逃亡は極めて困難となる。
奇しくも、神魔戦役時に伊佐凪竜一とルミナを追い詰めた無自覚な悪意が再来する。まだその兆候は無いが、半年前に白川水希が焚き付けた時と同じく、誰もが面白半分で、あるいは真剣に伊佐凪竜一とルミナの足跡を追うだろう。
忌まわしい過去は何も知らず特訓に明け暮れる日々の中で癒える筈だった。ツクヨミが彼の補佐をする中で、悪意の片鱗が僅かでもあれば徹底して排除した。だから彼は見る機会すら無かった。が、癒える前に次の戦いが起き、何かに先導されるかのように大多数の市民が英雄を非難するようになった。
ガブリエルの無機質な瞳が伊佐凪竜一を見つめる。同じく、伊佐凪竜一の熱の籠った眼差しがガブリエルを貫く。互いに、動かない。
時は待ってくれない。このままここで無駄に時間を使った結果、通報を受けたヤタガラスが駆けつける可能性は否定出来ない。そのまま戦闘が始まれば、勝手を知らぬ彼が追跡から逃げきることは今度こそ不可能。
「お話しします。ですので、少しお待ちください」
状況はどう転がるか。好転するか、悪化するか。実力では劣りながらも情報という一点で圧倒的優位に立つガブリエルは、彼の返答にやはり無表情で答えや通信を開いた。




