242話 寂れた工場跡地にて
追撃の手は止まず。ならばと二度目の戦闘の後に彼が選択したのは逃げの一手。
「クソ、何処だ!?」
「見つけねぇと何言われるか分かんねぇぞ、探せェ!!」
耳をつんざく警報に混じる怨嗟に伊佐凪竜一は息を殺し、気配が去るのをじっと待つ。怪我こそ負っていないが、泥や汚れに黒ずんでいる。その身形にかつての英雄の面影は無く。
「戦いたくないのに」
身を隠す最中、ふと本音を漏らした。精神的な疲弊だろうか。誰かを守る為、不幸から守る為に自由を削り、鍛え上げた力は、しかし現実にはかつての仲間に、守るべき者に向かう。
だから彼は逃げ続ける。どれだけ心身が疲れていても、見つかり、戦闘が発生する位ならばと敵に背を向ける。しかし、その決断を残酷な現実が襲う。
伊佐凪竜一の黄泉脱獄。守護者は元英雄を連合成立以後最悪のテロリストとして全域に指名手配――
最悪の一報は旗艦だけには止め置けず、連合全域にまで広がった。これにより元より真面な援護など期待できなかった伊佐凪竜一はいよいよもって追い詰められ、少なくとも人通りの多い場所を進む事すらままならなくなった。当然、アマテラスオオカミが用意した特製IDもゴミ同然に成り下がった。
「オイ、23区担当からの連絡は!?」
「繋がらない。多分……」
「嘘だろ!?100人以上に守護者と黒雷もいただろ!?それを1人で……クソ、俺達も行くぞ!!」
通信を傍受した。予想通り、身を潜める伊佐凪竜一に待つのは絶え間ない増援。だが、彼もこんな状況で身を隠す意味は薄いと思考を巡らせたのか、追っ手から慎重に距離を取りながらも何かを探し始めた。
不幸中の幸いか、逃走の末に彼が辿り着いた場所は食料品の生産加工工場跡地。追手以外に人の気配はなく、また身を隠せる場所も多い。
幾つもの工場に家畜を放し飼いしていたと思しき広大な土地。食品として加工していたであろう大規模な施設。遠く離れた場所に不自然な位にポツンと建つアパートや一般家屋の群れ。
居住区域外に住居があるのは単に企業が住居から食事までを提供していたからに過ぎない。が、当然の如く企業が去れば人も去る。見渡せども人の姿は何処にもなかった。今、目の前に広がるのは生産活動の抜け殻、あるいは残骸だ。
「何処も変わらないな」
視界に広がる物寂しい景色を見た本音が伊佐凪竜一の口を衝いた。どこか懐かし気な口調に逃走時の悲壮な雰囲気はない。追っ手を撒いた安堵か、それとも似た景色を見た覚えがあるのか。寂れた風景に人の気配さえ無い静寂が横たわる様は、否応なく不気味さを演出する。
彼がゆっくりと歩く街並みは、地球の田舎町と酷似している。歪な建て増しのまま放置された古い建物はまるで廃墟の如く野放図に広がり、移転により人が離れた影響で雑草は雑然と生い茂り、不法投棄されたのか、それとも元からあったのかは定かではないゴミがその辺に放り捨てられ、建物やその仕切りのあちこちに錆らしき赤茶色の斑模様が浮かぶ。
建造物は旗艦法に違反しない限り基本的には企業、居住者の裁量に委ねられる。よって、場所によっては違法スレスレの建て増しが行われる事もしばしば。
特段の不利益が無ければ基本的に自由を認める神の方針によるものだが、しかし基本的に居住区域ではまず見られない特異な光景だ。
そんな有様に企業の撤退が重なれば、地球の片田舎と同じだなんて揶揄もされた。唯一違う点といえば虫が集っていない位だが、宇宙を旅する超巨大な艦と地球の違いがその程度では悲しくもなる。
かつては楽園と言われた旗艦アマテラスも今は昔。視界に映る景色は楽園崩壊の証。至上とまで言われた楽園はもうどこにもなく、失った物はもう二度と取り戻せず、そして最も認めたくない事実――楽園と呼ばれようが一皮剥けばこの体たらくという非常な現実を私に突き付ける。
整然とした駅付近とは真逆のうらぶれた光景も神魔戦役と無関係ではない。原状回復義務の機能不全。移転などにより不要となった土地に立つ建物は速やかに取り壊し、更地に戻した上で神に返却する義務がある。が、土地を管理する区画整備部門は復興で手が回らず、結果として捨て置かれた。当然、ここに限った話ではない。
半年前の戦いにおいて唯一、清雅がターゲットに選ばなかった業種がある。第一次産業だ。主要企業が主に人的被害を理由に軒並み業務に遅延を生じさせる中、食料生産関連の企業だけは早々に復興を成し遂げると、苦境に喘ぐ他企業を後目に好物件への移転や業務拡大に着手した。
このような場所は各所に林立しているが、戦後復興が立ち遅れた旗艦には何らの手立ても打てなかった。しかし、そんな悲惨な状況が逃亡の役に立っているのだから皮肉としか言いようがない。
程なく、伊佐凪竜一は探していた物――いや場所を見つけた。自動運転車乗り場。寂れ、荒れ放題となった乗り場前に存在するパネルが人の存在を確認するや起動、灰色一色から黄色の背景色に「現在呼び出し中」の文字を表示した。
どれ程に辺鄙な場所であっても機械は何ら関係なしに仕事をこなす。寂しいなんて感情も感傷もなく、久方ぶりの客人に喜ぶ事もなく、ただ淡々とプログラムされた命令をこなす。
数秒もしない内に、彼の眼前に幾つものディスプレイが浮かび上がった。表示されたのは値段、搭乗人数、同乗の許可不許可などごく一般的な項目なのだが、ここに来て致命的な問題が浮上した。
「……読めない」
肩を落とした伊佐凪竜一の視線が澄み渡る空を見上げた。単に目の前の文字を読む事が出来なかったという、なんて事ない問題なのだが、彼に限れば実に厄介だ。
日常レベルの雑事に至る伊佐凪竜一の面倒をツクヨミが仕切っていた理由は訓練に集中して欲しかったからに他ならない。何せ次の戦いが何時起きるか分からないという不透明な状況の中、一刻も早い戦力拡充を成さねばならなかったのだから。
故に最高戦力である伊佐凪竜一に言語、文字、常識、法律果ては作法に至る様々を学ばせる暇は絶無だった。
そこでツクヨミが提案した。彼に時間がないなら誰かが補佐すれば良い、と。ただ、如何に元地球の神といえども、まさかこんな事態に陥るとは流石に想定しなかっただろう。まさか常識も何も知らないまま旗艦アマテラスを彷徨う羽目になるとは――
奇しくも同じ境遇となったアックス=G・ノーストは、豪放な性格と持ち前の話術、強運で乗り切って見せたが、その行動は無謀と評価する方が正しかった。身も蓋もない言い方をすれば、行き当たりばったり。恐らくあの男以外の誰にも真似できないし、そもそも真っ当な神経してたら実行しない。
「端末に翻訳アプリがプリインストールされている筈ですよ?」
女の声が耳を掠めた。気さくだが、どこか抑揚なく、無機質な声。人の気配のない寂れた街角に、伊佐凪竜一以外に誰もいないと思われた場所に誰かが居た。
敵か、味方か。再び地上に落ちた伊佐凪竜一の視線に、先ほどまでの穏やかさは消え失せていた。




