第409話 ハンガリーの奇跡
カイムの精鋭竜騎兵九百の参戦により、戦場の空気は一変した。
崩れかけていた先陣部隊は息を吹き返し、カイムも新たなサーベルを受け取るや否や竜に跨り、即座に全軍の指揮を執る。
数で言えば圧倒的、しかもトレビアン軍の銃弾も尽きている。
いかに一騎当千の薩摩隼人といえど、この差は覆らない……はずだった。
だが、ここでもクラシック軍に想定外の事態が起こる。
{おい! トレビアンの奴ら、竜の鞍を外してやがる!}
視線の先で、鞍が次々と引き剥がされる。
刻まれていた隷属の印が断ち切られ、竜たちの身体から束縛が消えた。
自由を手に入れたその瞬間、竜たちの視線が一斉に変わる。
《グルルル……キエェェ!》
怒りの咆哮を爆発させた竜たちは、そのまま竜騎兵へと牙を剥き、次々に襲いかかった。
《キエェェェ!!》
{うわぁぁぁ!!}
竜は噛みつき、放り投げ、竜騎兵たちは次々と宙を舞う。
「おいどんらは、落ちた竜ん鞍を外さんかぁ!」
「「「おおう!!!」」」
篠原の怒号と同時に、薩摩隼人たちは一斉に動く。
無人となった竜の鞍が次々と引き剥がされ、解放された竜がさらに暴れ出す。
〈テメェらは、転げ落ちた竜騎兵を討て!!〉
後退したマルモンの号令が飛び、地に叩きつけられた兵たちは次々と銃剣で仕留められていく。
損害が広がる中、カイムが怒声を張り上げる。
{浮足立つなぁ! 三騎一組で確実に仕留めろぉ!}
号令と共に、竜騎兵たちは即座に陣形を組み直し、乱戦から組織的な戦闘へと切り替える。
暴れる竜を押さえ込み、確実に仕留めていく――その動きは、さすが精鋭だった。
戦況は、わずかに持ち直し始める。
――だが、新たな地鳴りが戦場へと迫る。
{報告します! 敵後方に兵団の影!}
{報告! 我が軍の運搬竜、レクソビサウルス二頭を先頭に、縦列で接近中!}
{さらに報告! 運搬竜の上に人影――軍旗を掲げています!}
{黄金の鷲の旗! 敵です! 敵兵団、こちらへ突入して来ます!!}
駆け込んできた兵たちの顔は、どれも蒼白だった。
(なにぃ……!? どういうことだ……)
次々と叩き込まれる報告に、カイムは目を見開いたまま言葉を失う。
更に報告は続く。
{追加報告! レクソビサウルスの後方に敵兵多数!}
{数千規模! 竜の後ろに縦列を組み、姿を隠して接近していました!}
その報告を聞き終えた瞬間、カイムの顔に焦りが走る。
(まずい……この混戦では、組織だった竜騎兵の運用が出来ん!)
(かといって、この状態では退くことも儘ならぬ!)
間を置かず、居合わせた佐官たちが声を上げる。
{将軍、ここは我々が食い止めます! どうか撤退してください!}
{撤退だと……この儂に、敵を背に逃げろと言うか!}
カイムは血走った眼で、鋭く睨みつける。
戦場に立ち、前を向いて散る――それこそが彼の矜持だった。
だが、部下たちは引かない。
{将軍! ここで将軍を失えば、この戦いだけでは済みません!}
{クラシック公国そのものが……終わります!}
{時間がありません! どうか、生き延びてください! 捲土重来のために!}
{{{将軍!!!}}}
{ぬぅぅ……!}
必死に訴える彼らに、カイムの言葉は続かない。
僅かな沈黙のあと、カイムは苦渋の決断をする。
{……分かった。だが、お前たち、逝き急ぐなよ!}
{{{ヤヴォール!!!}}}
覚悟を決めた彼らは、笑みを浮かべ、一斉に敬礼する。
カイムは護衛十騎を率い、戦場を離れる。
その直後、巨大竜を先頭とする敵の援軍が、戦場の渦に雪崩れ込んでいく。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
〈巨大竜が来るぞ! 合図だ!!〉
ペガサスに跨るマルモンの背後で、部下の兵がラッパを高く掲げる。
乾いた音が戦場に響いた瞬間、兵士たちは一斉に中心から離れた。
次の瞬間――
外殻を硬い皮膚に覆われた巨大竜レクソビサウルスが、その勢いのまま戦場へ突入した。
《キエェェェ!!》
{うわぁぁぁ!!}
巨大竜の体当たりを受けた竜騎兵は、竜ごと次々と弾き飛ばされる。
「ワッハッハッハ! こいは絶景じゃっど!」
巨大竜の背で旗を掲げた半次郎は、逃げ惑う竜騎兵たちを見下ろし、大きく笑った。
「さて……おいも一枚噛むど!」
そのまま軽やかに飛び降りると、敵竜騎兵団の後方へ着地し、旗を大地へ突き立てる。
「おいは中村半次郎じゃっど! この旗が欲しかなら、命懸けてかかってこんか!!」
{なにぃ! こいつ……切り刻んでくれる!}
腕を組み、大声で挑発する半次郎へ――四騎の竜騎兵が一斉に殺到する。
半次郎は、嬉々として刀を抜き放つ。
上段に構えた、その瞬間――
「チェストぉぉぉ!!」
交錯は一瞬。
すれ違いざまに放たれた一閃は、四騎を瞬く間に斬り伏せた。
{……おい、今のは何だ!}
{速すぎて……見えなかったぞ!}
騒めく竜騎兵たちを見て、半次郎は腹の底から笑う。
「ワッハッハッハ! こいはたまがる緊張感じゃっどなぁ! やっぱ戦は楽しかど!!」
{なんだあいつ……戦闘を楽しんでいやがる!}
刀を掲げて高笑いするその姿は、もはや狂気そのものだった。
これには精鋭たる竜騎兵たちですら、思わず足をすくませた。
「なんじゃ? もう終いか? ほいじゃ――今度はおいどんが行くど!!」
呆然と立ち尽くす竜騎兵たちへ、半次郎は刀を構えたまま、一気に踏み込んだ――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
マルモン率いる薩摩軍は、カイム軍を完全に押し込んでいた。
巨大竜の突進で戦列に穿たれた大穴へ――
敵右翼師団を撃ち破ったプテ率いる歩兵四千、さらに合流したガルダンヌ軍二千が雪崩れ込む。
増援の到来に混乱した竜騎兵たちは数に圧され、次々と崩れ落ちていった。
「マルモンどん、どうやら上手くいったごたるなぁ」
巨大竜に跨った西郷が、悠然と戦場を見下ろす。
〈ムッシュ西郷。貴方のお陰で、屈強なる竜騎兵団を打ち破ることができました〉
そう言ってマルモンはペガサスから降り、帽子を取って深く一礼した。
「ワッハッハ! 礼はいらん。そいより――早よ敵大将ば捕らえんとな!」
西郷の言葉に、マルモンは小さく頷く。
――その時。
〈報告します! 敵の司令官らしき集団、後方へ逃走中!〉
〈なにぃ! 逃げただと!?〉
伝令の声に、マルモンの表情が一変する。
〈くそっ……カイムが指揮なら、逃げねぇと踏んでたのに……読み違えたか!〉
苦虫を潰した表情のマルモン。
《ペガサスどん、今から追えもんか?》
西郷の問いに、ペガサスは首を横に振る。
《この脚(怪我)じゃ無理だってや。それに、おれは元々速さで勝負するタイプでもねぇし》
僅かな時間、ペガサスは思考にふける。
《だが……あいつなら追いつけるかもしれねぇってや》
ペガサスはひとつ大きく嘶く。
――やがて、一頭の馬が岩熊を乗せて駆け寄ってきた。
《お呼びですか? ペガサス殿》
現れたその馬は、美しい栗毛の体躯に、長くしなやかな脚と無駄のない筋肉を備え、ただ立つだけで気品を漂わせていた。
《来たか、キンチェム! さっそくだが、こいつと何騎か連れて、敵の大将を追ってくれってや!》
――かつてレッドブルが騎乗していた馬。
キンチェムは鼻先を軽くペガサスへ触れさせる。
《承知しました、ペガサス殿。解放していただいた恩、ここでお返しします》
小さく頷き、ひとつ嘶く。
その声に応じるように、散っていた馬たちが次々と集まってきた。
《ケイドロ! サバ! オレマチ! ナンデ! クツヌゲ!》
《追撃に出るわよ! 一緒に来なさい!》
《《《ハッ!!!》》》
六頭は鼻先を合わせると、次々に薩摩隼人たちを背に乗せる。
〈……あのよ、俺はどれに乗ればいい? 馬はあまり得意じゃないんだが……〉
《……あぁ、そういやそうだったべな》
マルモンの言葉に、ペガサスはため息をひとつつく。
《……しゃあねぇな。おい、ウララ!》
《あの……私を呼びました?》
少し遅れて現れたのは、一頭の牝馬。
小柄で、どこか優しげな目をしている。
《よく来た! お前はこの青服を乗せて、キンチェムたちと一緒に行け!》
《えっ? わ、私が……ですか!?》
あからさまに戸惑うウララ。
《あの……私じゃ、多分ついて行けないと思いますよ? 一応、頑張ってみますけど……》
《がはははは! 心配するな! お前が走ってる間に、キンチェムたちが先に敵を見つけて戦ってくれる!》
《いえ、私たちは走るだけで、戦うのは乗せた薩摩兵たちなのですが……》
即座にキンチェムが突っ込む。
《それもそうだな!……ちなみにこの青服も、ちっとも強くないからな!》
《……まぁ、そういうことでしたら……》
ウララは小さく頷いた。
(……気のせいか? こいつら、俺のことをすっげぇ馬鹿にしてないか??)
言葉は分からないはずなのに――マルモンには、なぜかそんな気がしてならなかった。
「西郷どん、不肖この村田岩熊が、マルモン殿の助太刀に参ります」
「うむ。岩熊、頼んだど!」
岩熊はキンチェムに跨ったまま、巨大竜に乗る西郷へ敬礼し、すぐに振り向く。
「聞いての通りです! 皆さん、行きますよ!」
「「「おう、坊どん!!!」」」
次の瞬間――
キンチェムたちは、岩熊たちを乗せたまま風のように駆け出す。
《ウララ、先に行くわよ! ゆっくり追っておいで!》
《わ、わかりました!》
――が。
〈ちょっと待て! こいつ、遅いんじゃなかったのかよ!!〉
予想に反し、ウララは一瞬で加速する。
風を裂くその走りに、マルモンはただ驚き、必死に手綱を握りしめた。
《何を言っているのか分かりませんが、振り落とされないでくださいね!》
――こうして、マルモンと岩熊によるカイム追撃戦が、幕を開けた。




