失格教師と家庭訪問
【4月26日(水) 20:00】
「……来ちまった」
ようやく捨見の住所に到着した。暗いせいと、狭い蜘蛛の巣のような道のせいで何度も迷っちまった。
時計を見る。今日は早めに上がったつもりだったが20時ジャスト。まだ、訪問には何とか大丈夫な時間だろう。
住所にあったのは、2階建てのアパートだった。築40年は経ってるんじゃないかっていういうオンボロアパート。敷地に雑草は伸び放題、壁には縦横に亀裂が地図を描いてる。
「震度2の地震で更地になりそうだ」
商店街から遠く、山陰で日当たりも最悪。それでも名前だけは豪勢に“エスポワールF”。エスポワールはフランス語で“希望”だ。
駐車場なんて上等なものはなかったから、車は道の端に停めさせてもらうことにする。
なんだか車から出るのに勇気がいるな。
おっと、さっき買い求めた薯蕷饅頭を忘れないようにしないとな。
集合住宅用ポストを見ると、アパートは1階につき3部屋で計6部屋。捨見の部屋は103号室だ。1階の端か。
ポストにはDMやら手紙やらがぎゅうぎゅうに押し込まれてる。ほとんどがサラ金関係の督促状みたいだな。
何て言うか、俺の中で捨見母に対する負の信頼感が増大していってる。
アパートはほとんどが空き部屋のようだ。さもありなん。俺だったら家賃を1、2万増やしてでも別の物件を探すぞ。
意外なことに、防犯カメラは設置されている。軒下から、無機質なレンズが俺を捉えていた。屋根裏の散歩者じゃあるまいし、悪いことするつもりなんて毛ほどもないから、カメラで撮られてたって構わないが。
もしここに泥棒に入るようなヤツがいたら、足を洗った方がいい。獲物を見る目がなさすぎる。
埃まみれの「入居者募集」の貼り紙がある。風呂なし、トイレは共同か。日差しが入らないせいか、空気からしてねばつくような感じがする。
捨見はここに、母親と住んでいたはずだ。母子家庭とデータにあった。103号室の前にはゴミ袋が積み上げられていた。かなりの悪臭で、生ゴミも混じっている。ドアも汚れ放題だ。
インターホンを何度か鳴らしたが、石のような静寂が返ってくるばかり。
不在と言うよりも、そもそも人が生活してる気配がない。まるで廃屋だ。
ちょうどその時、101号室のドアが開いて中年女性が出てきた。ラッキー。
「すみません」
女性に声をかけた。濃い化粧に、時代遅れの派手な服。水商売かな、と想像する。
「なんだい?」
大儀そうに答えてくれた。よしよし、無視されなかったのは上出来だ。
「教育委員会のものです。103号室の捨見さんに、お子さんのことで相談があったのですが」
適当にでっち上げた。子どものことを訊くことになるだろうから、教育委員会か児童相談所とか名乗った方がいいだろう。
「ご不在のようでして。帰ってこられるのはいつごろか、分かりますか?」
「最近はとんと見かけないねえ。また男のとこに転がり込んでるんじゃないかい? 2ヶ月や3ヶ月帰ってこないのもザラだよ」
やはり不在がちなようだ。反応からして、捨見家と親密ってわけじゃないらしい。チクリを気にせず、もっと突っ込んだ質問ができるってことだな。
「ありがとうございます。これ、よろしかったらどうぞ」
饅頭を手渡した。
「おやおや、悪いわねえ。あたしゃ甘いモンに目がなくてねえ」
相好を崩す。警戒心を和らげることに成功したかな。
「捨見さんの生活は、隣人から見てどうでした?」
「どうもこうも最悪だね」
バッサリ切り捨てた。さっそく、饅頭を袋から出して食べ始める。
「日がな1日、パチンコしてるか男遊びしてる売女さね」
容赦ないな。もっとも、言われても仕方ないだけの理由はあるようだ。
「働いてないんですか?」
「おおさ。だから借金もぐれだよ。親戚中から絶縁食らってるんだってさ」
饅頭のカスを飛ばしつつ説明してくれる。ポストの内容から、ロクでもない生活を送っているだろうと推測しちゃいたけどな。
「生活の方も荒れてる様子ですね」
ゴミに埋もれたドアを眺めつつ訊ねる。まともな神経してたら住める環境じゃない。
「ああ。臭いったらありゃしない」
食い終わって、タバコに火を点けた。
「しかも手癖も悪ィんだ。ついこの間も虫干ししてた布団圧縮袋を盗られちまってね」
「はあ」
良い点がまったく思い浮かばない母親だ。まあ、娘も学校で似たようなことしてるけど。
「仕返しにスコップいただいたけどさ」
歯抜けの顔を歪めて、ガハハと笑う。なんか壮絶な環境だ。
呆れるしかない。
「それで、ですね。捨見さんのお宅には、高校生になる娘さんがいらっしゃると思うんですが」
「ありすちゃんかい」
声のトーンが落ちた。
「あの子も最近見ないねえ。働かない母親のせいで、バイトに追われてるんだろうさ」
つくづくひどい家庭環境だ。
「母親は養育の方は……」
「してるわけないだろ」
左右に首を振って紫煙を振り撒く。この人、母親は嫌っていても、子どもの方はそうでもなかったんだろう。
「いつだったか、母親が大声で電話しててね。嫌でも漏れ聞こえてきちまったんだよ。“産みたくなかった。あの邪魔なガキさえいなけりゃ、私は自由になれるのに”ってわめき散らしててね。ありすちゃんは近くで哀しそうに聞いてたよ。これで良い母親してると思うかい?」
返す言葉もない。
隣人は腕時計を見た。
「おっと、もう店を開ける時間だぁね」
話は終わりとばかりに歩き出したが、ふと足を止めた。
「あの子の名前、愛離子だよ。“愛情なしに生まれた子”。親に祝福されずに生まれた子だ。ひどい話だよ」
帰る前に、103号室の電気メーターを覗いてみた。数値がまったく動いてない。ということは、冷蔵庫などの生活に必要な家電も、コンセントすら抜かれていることになる。
なんとなく想像がついてきた。
母親は娘を捨てて蒸発したのではないか? 思い返してみれば、学校に登録されていた電話番号の市外局番は、この地区じゃなくて隣町のものだった。
母親はこのアパートを出て現在、隣町に住んでる男と同棲している、って辺りじゃないか。
残された娘は、頼る親戚もなく1人で生きてゆくことを余儀なくされた?
「児童相談所という手段はあるが……嫌ったんだろうな」
まさか、なんとか3年やり過ごして、就職して生活を安定させるまで、屋根裏の散歩者を続けるつもりだろうか。
ここに比べたら、宿直室の4畳半は楽園に思える。
エスポワールか。アパートの名前に反して、ここには希望はなさそうだ。
【――――】
カワセミ:メンツ確保できたから、次は呼ばねー。
ステミ:そんな~。
カワセミ:ペナルティだ。ザマみろ。前と同じメンツだ。2と9な。
2と9。マスクをしていたので顔は分からない。会ってみればそれと分かるだろうか。
カワセミ:その次に呼んでやるよ。
ステミ:さすがリーダー。
カワセミ:おー、ようやく分かったか。オレ様はメンターなんだからもっと敬えや。
この男?が賞賛を欲しがっていることは、会話の端々から窺えた。所々ヘンな言葉を使うことがあるのがウザいケド。メンターって何よ?
カワセミ:この前24されそうになったときもよー。オレが身体を張って――
辛抱強く自慢を聞いてやる。と言ってもLINEでのやりとりなので流し見すればいいだけだから気楽。
カワセミ:この前のタタキなんか、500万も分捕って――
犯罪を自慢するさまは、器のちっさいバカそのものだ。




