45 出立の日
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ブラットリー公爵領から王都に向けて、出発の日がやってきた。
壊滅状態かと思われた商隊は出発当初のまま、むしろ州都で積み荷を積んだ分だけ、荷物も増え立派な馬車が一台増えている。
「こんな馬車に乗って、大丈夫かしら。やっぱり私は荷台の方が……」
レオンが用立てた馬車は、公爵家の紋章こそないもののそれは立派なものだった。
人間よりも装飾の方が重そうな目の前の馬車では、また盗賊の標的になるのではと不安が湧いてくる。
やはりテオフィルスを出発した時同様、箱馬車の荷台に乗るべきかと思案していると。
「姉様。お願いですからそんなことは言わないでください」
今にも泣きそうな顔で、見送りに来ていたレオンが言った。
「公爵家の令嬢たる貴女が、こんな馬車の荷台に乗るだなんて……」
訂正。泣きそうな顔ではなく、実際に泣いていた。
だが私に言わせれば、馬車の荷台でもまだ自力で歩かなくて済むだけ何倍もましだ。車輪の振動がじかに伝わるので、長く乗っていると腰が痛くなってしまうのは事実だが。
きっと数年前の自分なら、レオンの言葉に欠片の疑問すら抱かなかっただろう。どころか、荷物のように馬車の荷台に乗るなんてとてもではないが許容できなかったはずだ。
「今の私は、セシリア・ブラッドベリーではなくピアよ。家名を持たないただのピアなの」
言い聞かせるようにそう言うと、レオンは涙を拭おうともせず頬を膨らませた。
子供の頃から、何か不満なことがあるとレオンはよくこんな顔をしたものだ。
昔と変わることのないその表情に、本当の彼が戻ってきたのだと思わず頬が緩んでしまう。
もう二度と、見ることはないと思っていた。
「セシ……ピア、そう言わずに馬車に乗ってくれ。ここから君はただの平民ではなく、レオンからの贈り物をアンジェリカに運ぶ商人だと話し合って決めただろう? そうすれば王都でアンジェリカとの面会もしやすくなるし、公爵家から警備の人員を借りることも不自然ではなくなる。確かに大所帯になって動きが遅くなることは否めないが、我々の想定よりもパーシヴァル国内の治安は悪化している。頼むから聞き分けてくれ」
困ったような顔でアルバートに言われると、まるで私が一人でわがままを言っているみたいじゃないか。
なんとなく腑に落ちないものを感じながらも、確かにアルバートの言う通りなので私は不承不承で頷いた。
「うう……姉上!」
すると何がレオンの琴線に触れたのかは知らないが、傍らにいたレオンが突然抱き着いてくる。
あまりにも突然のことで避けることもできず、私は一瞬頭が真っ白になった。
以前の私なら驚きつつも仕方がないと笑って彼を迎え入れただろう。
だが、苦境を経験した私の体は正直だった。
病弱だったとはいえ私より力強い腕を持つ弟に怯え、全身に震えが走る。
もしかしたらこのまま暴力を振るわれるのではないかと、あるはずのない危機まで幻視する始末だ。
「やめろよ!」
そこに飛び込んできたのは、私の精霊であるヒパティカだった。
未だ半信半疑であるものの、生まれつき魔女だという私と共に生まれた守護精霊だ。
レオンに取り付いていた魅了の魔力を取り込んだことにより、出会った時は白い毛玉だったその姿も今では立派な成人男性に見える。
白銀の髪は長く伸び、瞳の色は私と同じ薄紫色。まるで彫刻のように整った顔立ちは近寄りがたい雰囲気を醸し出しているが、喋ると途端に子供っぽくなるのが玉に瑕だ。
ヒパティカは強引にレオンから私を引き剥がすと、子供の姿だった時と同じように抱き着いてきた。
といっても、ほんの少し前は私のみぞおちの位置にあったその顔が、今は私の顔の上にあるのだからなんだか不思議な気分だ。
更に不思議なのは、実の弟であるレオンには恐怖を覚えたというのに、ヒパティカに抱き着かれても恐ろしいとは思わないことだった。
出会ってからずっと、この獣は私の味方だ。
だが逆に、レオンを完全に信頼するまでには、いましばらくの時間が必要そうだった。
突き飛ばされた形になったレオンは、悲しそうな顔でこちらをじっと見ている。
私たちの間には気まずい空気が流れた。
「レオン。この間も言ったが――」
見かねてアルバートが私たちの間に入ってくれた。
どちらもアンジェリカによって操られていた二人ではあるが、目覚めてからの時間が長い分だけアルバートの方がましだ。
情けないことに、私はアルバートが来てくれたことに、少しだけほっとしていた。
ひどい扱いを受けたという意味で二人に対する感情は同じはずなのに、過ごした時間が長い分だけアルバートの方がまだましだと感じていた。




