町工場後の決戦
それほど重くない金属が地面に落ちる音がした。
カランなどと簡単に擬音する事も出来るが、アオイにとってそれは、希望が奈落に落ちる音だった。
足のタトゥーに隠したニードルナイフを足の指で掴み、身をよじり足から口に受け取る事には成功したが、ずっと吊るされていた両肩と両手は言う事を聞かず、ニードルナイフは転がり落ちる。
このかすかな金属音に居眠りをしていた毒針ドーベルマンは気づき、ムクっと立ち上がり、徐々に口角が上がり鋭い牙を剥き出しにし、その狂気に満ちた顔で唸りを上げ始める。
絶望だった。
この瞬間まで、冷静に冷静に強い人間であろうとし、折れそうな心を必死に奮い立たせてきたアオイにトラウマが蘇る。
あの薄汚い地下の監禁室
薄ら笑いを浮かべて交代交代に現れる男たち
薄暗い空気すらない様な空間
救われない自分
孤独、、、、、、、、
数日間も少量の水と食料のみしか与えられず、裸で吊るされていたアオイはトラウマ ストレス 絶望からか、その意思は徐々に薄れ、少しづつ真っ暗になっていく。
もう心を振り絞る事が出来なかった。
そしてアオイは天使を見る。
髪の長い白いコートを着たいい女の後姿だった。
自分の前に立ちふさがり、両手を広げ自分を守ろうとしている。
天使は後姿しか見えなかったが、確実に自分を守ろうとしてくれている。
もう死んだと思ったアオイにとって、最後に見たその姿は救いだった。
真っ暗になった。
「ちょっと待て」
ミツメの前に女が駆け出す。
アオイの首に下げた発信器を追い、デッドトーキョーにある、だいぶ前に潰れて廃墟になっている、看板の文字もかすれて読み取れない町工場後に辿りついた、ケイとミツメは信号を追い建物の奥へと進んだ。
閉められた金属製の大きな非常扉をなるべく音を立てないようにミツメが開け、その隙間から中の様子を伺う。
ミツメの脇からそっとケイが覗きこみ、見た物は
裸でアンコウのように吊るされたアオイと、それに唸りあげ威嚇する毒針ドーベルマンだった。
ケイは突発的に扉の隙間をすり抜け、アオイに駆け寄り、大の字で毒針ドーベルマンの前に立ちはだかる。
敵を認識した毒針ドーベルマンは攻撃態勢に入り、敵の喉に牙、顔面に毒針を飛ばす。
飛びかかってくる狂犬の姿にケイは、体を硬直させ、両手を広げたまま、反射的に目を閉じて立ちすくむ。
ヤラレタ。
と思った数秒だったが、体に痛みはない。
スッと目を開けると、自分の足元には、狂犬の首と毒針が落ち、飛び上がったはずの胴体は、すぐそこに転がっていた。
首と毒針 二つはほぼ同時に胴体から切り離された。
ミツメの放った暗殺刀 黒網の凄まじい速さの居合抜きは、狂犬に死ね声を上げる時間さえ与えてなかった。
「なんでお前がここに来る?」
妙に真っ白な皮膚をした上半身、裸の蟲が
黒い野球帽を深く被るミツメに投げかける。
何もない部屋に一つ置かれたベッドに横たわって、高濃度のブラッディマリーでトリップし、そのまま眠りにつき鈍感になっていた蟲も、流石に異変を感じ目を覚ます。
自分のボディーガード役の毒針ドーベルマンはベッドの脇で吠えまくり、もう一匹の監視役の毒針ドーベルマンは首と毒針を切り落とされ転がっている。
そして、眼中には深く帽子を被る仲間の人斬りが刀を抜いて立っていた。
混乱した蟲は山高帽を被り直し、上半身、裸のままで「ちょっと待て、ちょっと待て」とベッドの周りを早歩きでチョロチョロ動き回りながら、時折、こめかみにグリグリと人差し指を押し当てる。
ブラッディマリーの影響か焦点が定まず、考えもま止まらない、小刻みに小さく裸の上半身が痙攣する蟲が急に止まる。
目に写った物は、二階堂けいだった。
しばらく、ケイを舐め回すように見ていた蟲が
「お前、二人も女、手に入れるつもりか、、、俺の女は渡さないからな、、、渡さない、、、渡さない、、、」
突然、大声で喚き散らすと、上半身の痙攣は激しくなってゆく。
突然、ピタリと喚き声も痙攣も止まると
「ヤレ」
標的に指を指す主人の攻撃の合図を聞いたボディーガード役の毒針ドーベルマンはミツメに攻撃を開始する。
「ちょっと待て。」ミツメが制止する。
ミツメにしても、突然、修羅場になってしまった蟲との間に混乱し、暗殺刀ではなく、鞘側の和傘の方でもう一匹の毒針ドーベルマンを叩き伏せ、距離を取る。
和傘での攻撃は毒針ドーベルマンにそれほどのダメージを与えられず、狂犬はすぐに立ち上がり、臨戦態勢に戻る。
ミツメはケイとアオイの身を守るために、二人の女の前に出て、その空きにケイは吊るされたアオイを下ろし、自分の白いコートで全裸のアオイを包みこむ。
その行動を見た蟲は激怒し、妙に真っ白な皮膚に激流している血管が上半身に浮き上がり、血管を流れる血液の赤が浮き出て、赤い亀裂が全身に走っている様に見え、蟲はより一層に不気味にみえる。
「話を聞け。」
戦いを収めようとするミツメだったが、この状況を上手く説明する言葉もなく、時間もない。
何度となく襲いかかってくる、狂犬を和傘で払い退けていたが、切がなく、ミツメは仕方なく二匹目の毒針ドーベルマンも切り伏せる。
「もうやめろ。」
ミツメは蟲に投げかける。
二匹目の狂犬を始末され、逆上するかと思えた蟲だったが、喚く訳でもなく、上半身を震わせる訳でもなく、ジッとミツメを見つめる。
日頃から情緒不安定な蟲は時々、急に正気に戻り、スイッチが切り替わる事がよくあるのだった。
正気に戻った蟲にミツメは、戦う意思はないと伝える、が蟲は冷静に答える。
「俺とお前はいずれ、殺し合う事になると思うぜ。それが今か後だけの違いだとは思わないか?」
この冷静な蟲の答えに、ミツメは無駄な事をするのをやめる。
蟲の言うとおりだ。どこか片隅で、俺は、この男をいずれ殺そうと考えていた。
人殺し 対 人殺しの殺し合いが静かに始まった。
蟲は上半身 裸のままで、帽子掛けにかけていた黒いスーツの上着からサバイバルナイフとスキットルを取り出す。
ウィスキーなどを入れて持ち歩くアルミボトルのスキットルだか、蟲は毒霧を吐く用に、スキットルに水を入れていた。
右手に刃渡り30インチ以上のサバイバルナイフを持ち、左手のスキットルの水を適量、口に含み、蟲は無造作になんの防御態勢もなく、ミツメにただ歩いてゆっくりと近づいていく。
無防備な蟲はいつでも斬れる。そんな風に見える。
しかし、凄腕のミツメは毒霧を警戒し、黒網をいつでも開ける態勢を保ちながら、後ずさりする。
斬れないのだ。
ミツメは知っている。蟲の血液が猛毒な事を。
斬り殺すのは簡単だが、その返り血を浴びればひとたまりもない。
斬れない。
蟲はそれを知っていて無防備に歩み寄ってきている。
二人の距離が2メートルほどに縮まった時、二人の安全圏は弾き飛ぶ。
蟲がミツメの顔面めがけて毒霧を発射し、サバイバルナイフが腹めがけて飛んでくる。
鈍い音がした。
骨に鉄がめり込む、鈍い音が。
蟲の頭に鉄がめり込み、頭蓋骨が割れる。
「峰打ちだ。」
ミツメは開いた和傘で少量の返り血も浴びないように防ぎ、蟲に言い放つ。
返り血、毒霧、サバイバルナイフを防弾、防刃の和傘を開き、防ぐと
ミツメは暗殺刀の刃を返し、峰の部分で蟲の脳天を叩き割る。
蟲の額にはたらっと一筋の血が垂れるだけだった。
テレビの時代劇などては峰打ちという打撃は安全に敵を気絶させる様に描かれるが、そんなはずはない。
鉄の棒で思いっきり頭を叩き割られたら人間は死ねのだ。
蟲は猛毒の血吹雪を上げる事なく絶命する。
死んだ蟲の死体を見下ろしながら、ミツメはこの仲間の死を他の仲間二人にどう説明するべきか、思い悩やみ、しばし動く事が出来なかった。
固まっているミツメを動かしたのケイだった。
ミツメに抱きつき、涙を流す。
ケイは持ってきた、携帯用のスプレー型の医療ナノマシンの配合された緊急用の医療スプレーをアオイに吸わせ、応急処置を始める。
ミツメは壁に寄りかかり、これから先の事を思い、途方にくれるのだった。




