第4話
JR神戸駅の裏側というか山手側。
線路に沿って東に一五分ほど歩いた雑居ビルの三階に、衆議院議員・斉藤事務所はある。
煉瓦をイメージしたオレンジ色のタイルが貼られ、遠目にはきれいで落ち着きもあるが、築二〇年を超えた中古物件で、一階部分が駐車場。
2階が歯医者。
3階に斉藤事務所が入り、4階は無認可保育園だ。
それより上は知らない。
入れ替わりが激しく、覚えているほど暇ではない。
斉藤事務所の間取りは2LDKというか、代議士の執務室と、釉葉達職員の事務室。
その事務室の一角を区切って簡易応接室を作り、もう一方の壁際に簡単なキッチンスペースがある。
政治家事務所というと、プレハブ作りの鼠色の建物をイメージする人が多いが、あれはあくまで「選挙事務所」で、あくまで仮設のもの。
あんなところでは仕事にならない。
ちなみにこの事務所は、斉藤代議士の支援者から格安で借りているらしい。
家主には「タダで使ってもらっていい」とまで言われたらしいけれども、それだといろいろ問題があるようで、家賃を払った方が結局は安全で安上がりなんだとか。
よく「政治には金がかかる」と言われるが、本当に善意だけでまわせたら、もっとコストカットできるんじゃないかと、常々から釉葉は思っている。
その釉葉と山下が朝礼もそこそこに執務室に入って、昨日三宮署で仕入れた情報を代議士に伝えた。
政策秘書でもある代議士の息子、ジュニアが何度か頷く。
代議士からは「がんばれ!」と指示されて……具体的に何をしろって?
仕方がないので釉葉達は事務所を後にして、センター街の方に向かった。
その山下だが、釉葉が話を振ってみても、どこか上の空だ。
「なぁ?ちゃんと聞いてるん?」
「ああ、うん。大丈夫……」
って、何が大丈夫やて?
釉葉が耳をそばだてても、山下はドカだのカジバだのって、意味不明のことをつぶやきながらバイクを見ているようだけれども、昨日言うてた「ヤンチャ」って珍走団にでもおったんかなー。
釉葉の頭の中で、事件とは全く関係ない推理と想像が渦巻き、ビジュアルをイメージしようとして……すぐに迷宮入りした。
「あぁ、ナンバープレート見てるんよ」
「あん?」
フォローというわけでもないだろうが、説明はしてくれた。
「昨日、犯人はバイクみたいに言うてたやん。
やから、ナンバープレート折ったバイク見てるんよ」
まだわからない。
「やーかーらー。犯罪に使われるバイクやったら、ふつうナンバー隠そうとするやん?
けど、ナンバープレートハズしてしもうたら、なんぼ兵庫県警かて、整備不良で捕まえるわ。
やから、折り曲げてるのが妖しいな、て」
おお、ひょっとして鋭い?
釉葉が見直したのに気づき、気をよくした山下の口がなめらかになる。
「族とか盗難車やったら、マフラーやキーシリンダーいじってるわ。
けど、昨日の話やったら何かノーマルっぽいし、やったら車体ノーマルで、マフラーだけ細工してるのが妖しいと思うんよ」
「説得力あるような気もするけど、そんなんアホほどあるんちゃう?」
「そう思うんなら、自分も見てみ?」
言われて釉葉も周囲のバイクを見回すが、たしかにナンバープレートがノーマルなバイクは車体もノーマルだし、ナンバープレートをいじっているバイクは、車体に謎のデコレートとかペイントとかがあったり、見るからに乗りにくそうに変形させている。
ついでにナンバープレートのないバイクはタイヤもなかったりして、ただの粗大ゴミだ。
「いうたかて、こうやって市内のバイク全部見て回る気? 死ヌで?」
「いや。警察に情報提供して、やってもらう」
ま、当然だな。
三宮署の対策本部で、釉葉が山下の意見を伝えたところ、警部は渋い声で
「盗難バイクの線では調べてますが?」
と返してきた。
「やー。盗難のハズはないですわ。
検問とかでナンバー照会されたら一発ですやん?
バイクドロのオマケで殺人がばれたら、なんぼなんでも割に合いませんもん」
釉葉が応えると、警部は「たしかに」とうなずき、「で、これからそちらは?」と。
「あー。現場行ってみようと思います。
選挙区やし、話が聞けるかどうかはわかりませんけど、無駄足にはならん思いますから」
事務所では、マイカー通勤は禁止になっている。
職員が人身事故でも起こしたら、代議士の再選は困難になるし、そもそも職員が自家用車を持っているだけで、政治献金と絡めて叩こうとするバカもいる。
野党系代議士の事務所職員に政治献金する物好きはまずいないが、李下に冠を正さない方向で。
かといって、東京や大阪と違って、車なしで生活できるほど神戸は都会じゃない。
釉葉もミラジーノを愛車にしているし……けど、今回は市営地下鉄で移動になった。
というのも、少し考えたらわかることだが、被害者は全員が歩いていて刺された。
つまり、駅から徒歩圏内に犯行場所がある。
「なー。山下君?」
「ん?」
釉葉は券売機で切符を買いながら、山下に声をかけた。
「この切符代、経費で落ちる思う?」
「自腹に5〇〇ゼニー」
「アカン。賭けは不成立みたいやな」
二人して100円玉を握りしめ、顔を見合わせて乾いた笑いを交わした。
現地で聞き込み……と言っても、警察に話さなかったことを、代議士事務所職員なら話してもらえるというのは、夢物語でしかない。
むしろ「交番を作って欲しい」だの「街灯を増やして欲しい」だのの、陳情ばかりになる。
ただ、釉葉達にとっては、それこそが本来の目的だったりする。
公職選挙法で戸別訪問は、原則禁止されている。
もちろん、あくまで「原則」であって、抜け道もあればグレイゾーンもあるわけだが、グレイゾーンは選挙で対立する陣営につつかれかねないリスクをはらむ。
が、今回に限っては、兵庫県警のお墨付きをもらっている。
兵庫県警三宮署が代議士の菊バッジを錦の御旗に利用しようとしたのと同じように、釉葉達は桜の代紋を利用して、グレイゾーンのど真ん中を歩けるわけだ。
それともう1つ。
対策本部で見せてもらった資料の裏取り。
兵庫県警がいくらアレでも、釉葉達が代議士事務所職員だといっても、部外者に手の内を全部さらすとは思えない。
もっとも、その意味では、対策本部は釉葉達が拍子抜けするほど「協力的」と言ってよかった。
具体的な、被害者や容疑者、その手前の参考人や証言者などのうち、個人が特定できるような部分はさすがに隠されていたが、証言内容や状況証拠のたぐいは、最新の物を見せてくれたようだ。
メンツにかけて縄張りにこだわるより、犯人逮捕でメンツそのものを守る作戦とみた。
それだけ本気なんだなと、釉葉は思った。
聞き込みというか陳情を受けながら、釉葉達が4カ所の事件現場を全部回った頃には、陽もだいぶ傾いていた。
収穫は……代議士の名前を売った以外には、実質何もなし。
大まかな場所をチェックして現場に行くと、道ばたにビールの空き缶や萎びた花束、時にはお菓子がおいてあって、そこで何かあったんだとはわかる。
道を歩く上品そうな女性に声をかけて心当たりとかを聞こうとするけれども、こちらが代議士事務所の職員だと名乗ると、事件よりもグチと苦情のオンパレードになる。
が、斉藤代議士は野党系で、政府の苦情を言われて……謝るのも変な話だし、せいぜい「何とかするように伝えます」と頭を下げるしかない。
「むぅ……」
そんなわけで、釉葉の機嫌は時間経過とともに悪化し、いつ暴発するか、山下は気が気でなかった。
今の山下にしてみれば、見えない通り魔より、横にいる同僚の方がリアルに怖い。
「山下君、今日の夜あいてる?」
「おおっ、ゆずっち大胆!」
って、殺スぞ!
釉葉の不機嫌が、文字通り殺意へと変質しそうになる。
街は、昼と夜で表情を変えるものだ。
警察官も所詮は公務員で、活動も昼間が中心だろう。
それに、職業柄事件慣れしていると言うことは、それだけ異常や変化に鈍感になっている可能性もある。
だからこそ、素人の自分たちの目と肌で、リアルタイムの空気をつかんでおきたい。
なによりも、ずるずるとこんなコトを続けるのはまっぴらだった。
事務所を留守にしている間、本来の仕事はたまり続け、鬼のようなサービス残業がのしかかる。
ダメならダメで、さっさと区切りをつけなければ。
「いうワケで、犯行時刻に犯行現場を回ろうと思うんよ」
そう言う釉葉に山下は「なるほど」とうなずき、
「で、それに深夜残業手当、つくと思う?」
「弁当代も出ない方に2000ゼニー」
今回も賭けは不成立のようだ。
いったん帰宅して、釉葉は愛車のミラジーノを出すことにした。
少し早い気もするけれども、ベージュのロングコートをクローゼットから引っ張り出して、スーツの上に羽織る。
夜はかなり冷えるだろうから。
北区の藤原台で落ち合って……もちろん、事務所の内規に従って電車移動がベターだが、電車には終電がある。
それに間に合えばいいが、逃したら最悪一晩、山下と一緒になる。
釉葉は、斉藤事務所に骨を埋めるつもりは毛頭ないし、再就職するには寿退社が一番だけど、山下相手にはまっぴらゴメンだ。
釉葉のことを好意的に見てくれている支援者の社長さん達も少なからずいるが、ケンカして事務所を辞めた日には、そういう会社への転職も絶望的になる。
だったら、車を出すのが一番安全だ。
ミドルリスクハイリターンは望むところの釉葉だが、それだけにハイリスクノーリターンに出ることはできない。
駅の近くに路駐して、現場まで歩いたらすぐ戻る。
無意識に早足になるのはご愛敬。
昼間のうちに1度現場は把握しているし、ピンポイントで現場まで行って、道ばたの空き缶や花束に合掌したら車に戻る。
たしかに街灯は少ない気もするが、真っ暗というほどでもない。
対して、信号は極端に少ない。
もともと交通量の多くない高級住宅街で、近所の住民からも「信号のチカチカが眩しい」と、敬遠されているためだ。
十一時過ぎ。
ちょうど4番目の犯行現場にたどり着いて、夜のお散歩スタート。
これで横にいるのがもっとかっこいい将来性のある殿方だったら、間違いでもアクシデントでもウエルカムの釉葉だったが、山下相手では犬にもいて欲しくない。
心の底からそう考えた釉葉は、道すがら気を紛らわせるように、山下に話を振った。
「後援会の幹部さん、なんで歩いてたん?」
「飲み会があったらしいわ。普段は車なんやて」
「で、タクシー代の千円かそこらケチって南無~。安い人生やなぁ」
そういう事情なら、被害者がピンポイントで狙われた可能性は薄い。
やっぱり、通り魔の無差別犯行って考えるのが自然で、単に運が悪かっただけだろう。
「うん?」
「どしたん、ゆずっち?」
「や。あれ」
くいっと顎を上げる釉葉の視線の先には電柱が立ち、その傍らに黒い影がうずくまる。
「ゴミ袋?」
「やと思うけど……神戸市やったら白い袋やし……なんか動いた気がする」
「あはははは。きしょい冗談やで」
一応笑ってみせる山下だが、釉葉には声が幾分引きつって聞こえた。
おそるおそるという足取りで、山下が影まで数メートルに近づいたとき、突然影が人の形をとった。
「うわっ!」
悲鳴を上げて倒れる山下に、しかし影は襲ってくることもなく、むしろ山下に背を向けて走り去る。
山下に駆け寄るべきか影を追うべきか躊躇した釉葉が聞いたのは、短いセルモーターの音とつづいてバイクのエンジン音。
そして……そのまま、音は遠ざかっていった。
「だいじょうぶ?」
駆け寄る釉葉に山下は「あー。なんとか」と苦笑しながら立ち上がった。
というか、実際には人影に驚いて尻餅をついただけで、大丈夫も何もないような気がする。
「あれ……やっぱ『そう』なんかなぁ?」
「たぶん、な。やったら収穫ありや!」
「犯人はバイク、って?」
先に冷静さを取り戻した釉葉が、夜風よりも冷たいツッコミを入れるが、山下は興奮冷めやらぬ様子でうれしそうに応えた。
「犯人は2ストのディオや!セル付きの!」
「なんでそんなんわかるん?バイク見えんかったよ?」
「や。音で」
さも当たり前のように、むしろ何がわからないのかわからないといった口ぶりで、山下が返した。
なんでも、一口にバイクと言っても、エンジン音やマフラー音は、車種で全部違うらしい。
ディオというのはホンダのスクーターだけど、2ストとやらは環境によくないとかで、ホンダはすでにスクーターをすべて4ストにして、スクーターへの採用をやめて久しい。
ちなみに2ストというのは、燃料にガソリンと謎のオイルを別々に入れて、混合して燃やすんだとか。
釉葉は種子島の映像で見たロケットをイメージし……あれも水素と酸素を別に入れてると聞いた記憶があったから。
「うん。たしかに環境とか燃費、悪そうやな」
としか応じようがなかった。
「あ。けど、そんな古いバイクなら、かなり数が絞れるんちゃう!」
ボーナスヒントに嬉々とする釉葉に、しかし山下は
「あー。ちょっとは絞れるかもしれんけど……」
と、言葉を濁した。
「なんでやのん?」
「ディオって、めっちゃ売れたバイクなんや。
ひょっとしたらジョグよりは少ないかもしれんけど、アホほどあるで」
せっかく盛り上がってるのに、水を差すなよ。
溜息交じりに山下を見ながら、釉葉は
「けど、音だけで、そんなんようわかるなぁ」
「や。ヤンチャやったから」
やっぱりこいつ、珍走団の残党やな。
釉葉は、絶滅危惧種の動物を哀れむような目で山下を見た。
「ゆーワケで、犯人のバイクは見当つきました。いあ。山下君のが正確なら、ですけど。
で、陳情はこちらにまとめてます」
釉葉は斉藤代議士にそう言うと、彼にレジメを差し出した。
昨日、深夜まで外を歩き回り、今日もやっぱり7時出勤でまとめた、彼女の血と汗と涙の結晶だ。
けれども、斉藤代議士はその表紙を一瞥しただけで、ぽんと机の上に、無造作に投げ捨てた。
はっきりいってムカつく。
内心の怒りをこらえて、ムリヤリ笑顔を作って指示を待つ釉葉に
「ああ、ご苦労さん。
陳情については詳しく聞いた方がええ思うから、今晩久しぶりに、うちにメシ喰いにこんか?」
確かに、陳情のニュアンスなどは文章にまとめたら伝わりにくいだろうし、それを今、口頭で伝えるほどの時間はない。
カレーになるかシチューになるか、そういうのを食べながら伝える方が、確かに効率的だ。
ただし。
そういうことなら定時にタイムカードが押せるだろうが、場所と形を変えたサービス残業に違いない。
もちろん、そんな食事が楽しいはずもない。
「はい。ごちそうになります。服は着替えんでもええですか?」
「オレらだけやし、かんまんよ」
どんなにいやでも断れないのが、職員のつらいところだ。
ただ、今回は釉葉と山下、それに代議士の家族という内輪だけらしいので、そこだけは気が楽かもしれない。
支援者や後援会関係者なんかがいたら、キャバのホステスみたいなマネをされる。
お触りセクハラ無制限&チップどころか基本給もなしで。
「ほな、5時前に一緒に帰ろう」
「よろしくお願いします」
「たるそうやなー」
机に半分突っ伏している釉葉に、山下が声をかけてきた。
「そらそやん。先生んとこで食事会やで。しっかり仕事終わった後で」
「一食浮く思うたらラッキーやん」
って、おまえは貧乏学生か。
1日に1回しかない晩ご飯をそんなのにつぶされるくらいなら、お一人様でも3000円くらいのディナーを自分で食べるわ!
そう言いかけて、ぐっと口をつぐむ釉葉に
「で、どないするん?」
「行くしかないやろ」
「や。夕方やなくて、今から」
時計の針は、午前10時をわずかに回ったところだった。
「いちおう三宮署行って報告して、あとは机の上の片付けかなー」
目をやる机の上には、3日分の書類が山を作っていた。
三宮署では、散々だったと言っていいだろう。
バイクの車種が大方特定できたと言ったら感心されたが、その顛末を話したら、警部に激怒された。
「やから、危険は禁止って!」
「やーって、ホンマにいてるや思ってなかったモン!」
激論というより口論。お説教といいわけを交えて喧々囂々だ。
騒ぎを聞きつけたほかの署員が来て止めなかったら、本気で殴り合いに発展していたかもしれない。
「ホンダのディオで間違いないんやな!」
「だてに族あがりちゃいますよ、山下はっ!」
「いや。ボクは族やのーて、ただのヤンチャですっ」
事務所に戻ってからは黙々とデスクワークをこなし、資料の整理や電話の対応をする。
かかってくる電話は支援者からの陳情が主だが、金は出すけど口も出す人、金も出さずに口だけ出す人。
はては支持者でもなく、代議士事務所というだけで苦情を言ったり怒鳴ったりするバカも少なくない。
そのたびに、キーボードを打つ手を止めて「すみません」。
マジでやってられない。
このご時世に、人並み以上に世間体を気にする代議士事務所が禁煙にならないのは、そういう職員の精神衛生に配慮してかもしれない。
柚葉自身はタバコを吸わないが、喫煙者に対して多少は寛容になれる気がする。
斉藤代議士は「5時前」と言ったが、しっかり5時を回ってから、釉葉達は声をかけられた。
「ほな、そろそろ仕事終わりにして。車乗って」
政治家の車と言っても、黒塗りのベンツとかを想像するのは間違いで、白か銀色の国産セダンが相場だ。
斉藤代議士が庶民派を標榜しているのもあるけれども、閣僚クラスの大物政治家でも、クラウンか、いいとこレクサスになる。
ちなみに斉藤代議士は、白のコロナ。
カタログから消えて久しい、立派な中古車だ。
ジュニアがハンドルを握り山下が助手席に座って、後部座席は斉藤代議士と釉葉。
車は東に……尼崎の代議士の自宅に向かって走る。
斉藤代議士は、神戸に本社を置くメーカー企業の労組委員長をしていて、そこで党にスカウトされたらしい。
俗に言う労働貴族で、会社の仕事は全くせず、それで部長級の収入を得ていたようだ。
もっとも、その自宅も所詮は部長級で、「お屋敷」ではない。
車2台が駐められるガレージはあるが、住宅団地の建て売り2階建てだ。
ジュニアがポケットに手を入れると、手元からピッという音がして、ガレージが開きだした。
先客にヴィッツが1台駐まっていて、その横に頭からコロナが入っていく。
「を!」
不意に山下が声をあげた。
「ゆずっちー。ディオってアレや」
見ると、ガレージの壁際に、何の変哲もない紺色のスクーターが駐まっていた。
横から見ると、台形の車体。
正面は三角を組み合わせて長方形をつくったような、微妙な形をしている。
前カゴなどはなく、買い物などの実用性は低そうに見えたが、シートの下にトランクスペースがあるらしい。
「ああ、ボクが昔乗っていたんです。今は車ばっかりですけど」
ジュニアが応えた。
放置してるにしているにしては、けっこうきれいな外観を保っている。
「母さんとボクがヴィッツの取り合いして、負けた方が一人でスーパーとかに行くのに使うんで、車と一緒に洗ってるんですよ。
見た目はともかく、下取りに出したら値段つかんと思います」
「いや。ディオやったら、5千円はつく思いますよ?」
山下がフォローを入れるが
「5千円ですか……。あれでも買うたときは十五万円くらいしたんですけどね」
「つくだけマシですわ。族車なんて、廃車手数料の持ち出しになりかねませんもん」
「そうですか……」
やめろ、山下。
おまえがフォローを重ねるたび、ジュニアの声が沈んでいるのに気がつかないのか?
「きれいにのってますし、うまくいけば7千円も狙えるかもしれませんね」
いあ。その2千円は、そんなに重要なのか?
車の前席で、釉葉には理解できない会話が交わされていた。
夕食会の席上、斉藤代議士宅のダイニングキッチンで奥さん手作りのカレーを食べながら、釉葉は陳情について伝えた。
味は覚えていない。
たぶん美味しかったんだとは思うが、雰囲気がスポイルしてしまう。
政治というのは中途半端と妥協の産物で、「信号を整備しろ」という人もいれば、その隣に住む人が「眩しいから撤去しろ」と言うこともある。
ゴミの収集所にしても、「遠い」と苦情を言う人もいれば、「臭いから、もう少し遠くに動かせ」と言う人がいる。
いろいろなエゴを聞きながら、結局は中庸というか、大人しい弱い人が泣く羽目になる。
そういう人たちの味方を表看板にしている斉藤代議士だが、やっていることは結局、ほかの先生方と変わらない。
柚葉が斉藤代議士と話している間、山下はジュニアとバイクの話で盛り上がっていた。
いろいろなバイクの名があがり、ビールで頬を染めた山下の口がなめらかになり、「ヤンチャ」だった頃の武勇伝を並べている。
バイクに興味がないものには、ついて行けない世界だ。
おそらく、ボンボンのジュニアにも通じていないと思うが、わからないなりにも相づちを打ちながら山下に気持ちよく話させているのを見ると、案外政治家の素質があるかのかもしれないと、柚葉は意外に思った。
夜の10時が近くなって、ようやく解放、もとい解散になった。
「JRの駅まで送らせるわ」
「ありがとうございます」
「今日はごちそうさまでした」
代議士の言葉に二人は礼を言い、頭を下げる。
歩いて駅までとなると30分は見ないといけないから、代議士も気を遣ってくれているのかな?
バックで車庫入れされた、つまり頭から出せるヴィッツの後部座席に柚葉と山下が座り、ジュニアがハンドルを握る。
山下に気持ちよく飲ませつつ、自身は全く飲まないという芸当に気づいた釉葉は、ジュニアの政治家としての素養を再確認した。
対して山下は酔った勢いも手伝って、すねたように愚痴る。
「若先生はええなぁ。将来性鉄板で」
「そんなことはないですよ」
謙遜と言うよりも、自嘲の声をにじませた答えが返ってきた。
「政策秘書いうたって給料のほとんどは家に入れて、ボクのお小遣い、月5万円ですよ。
山下さんは給料全部自分で使えるんでしょう?」
「馬とクルマで、貯金はできんですけどね」
笑うべきか流すべきか逡巡した釉葉は、寝たふりを決め込んだ。
誤字脱字のご指摘がございましたら、できるだけ慌てて直します。
それ以外にも、感想など賜れましたら喜びますので、お気軽にメッセ&レビューいただければ幸いです。




