第3話
猫のようにつま先をたたみ、それでステンレスバーを押さえて、そのままサイドにひねる。
次の瞬間、頭上のシャワーから、適温に調整されたお湯が降り注ぎ、肩をマッサージし、凍てついた手足に再び体温を注ぎ込む。
まさに生き返るような、蘇生を疑似体験させるような至福のひととき。
一通り体温が戻ってのを感じると、私は右手を伸ばしてシャワーのノズルをつかみ、全身に水分を行き渡らせた。
髪の毛のてっぺんからつま先まで、全身くまなく潤いとぬくもりが回ったところで、ステンレスのレバーを戻してお湯を止める。
シャワーのノズルを壁のフックに戻し、しゃがみ込んだら手にするのはボディソープのボトル。
その注ぎ口にスポンジをあてがい、右手で数度ポンピングして、乳白色の液体を受け止めた。
スポンジを何度か握っては開き十分に泡だったところで、その泡を自分の身体に塗り込めていく。
すべては習慣となり、身体が覚えている一連の動作。
だからだろうか?
身体がいくら温まっても、頭の芯は冷えたままだった。
「仕事」の首尾は、最悪と言っていい。
おそらく。いや、間違いなく目撃者を出してしまった。
顔を見られたかどうかはわからないが、致命的な失態だ。
万が一を考えて、今朝の新聞は全国紙から地元紙、果ては京都本社のスポーツ紙まで目を通したが、目撃証言については一言も触れられていない。
捜査の秘匿情報として警察がリークしていない可能性もあるが、少なくとも今日探りを入れた限りでは、つかんでいるそぶりは感じられなかった。
なぜ?
目撃者=市民が、すべて警察に協力的だとは限らない。
しかし、自身の安全を考えるのなら、警察に保護を求め、犯人逮捕に勝るものはないだろう。
人命など、自分には関係ないとでも思っているのか?
しかし、次のターゲットは、おそらく目撃者である自分になるだろうことは、少し考えれば容易に想像がつくだろう。
なら……・。
区切りのいいところで再びステンレスのレバーを回す。
降り注ぐお湯を浴びながら立ち上がり、全身の泡を落とすと、湯船に身体を預けた。
膝を伸ばし腕を伸ばし、肩と首と背中をほぐしていくと、お湯の浮力も手伝って身体が軽く感じられる。
身体を包むお湯は、どんな防弾ジャケットよりも安心感を与えてくれた。
「目撃者」が警察に駆け込まない理由。
「目撃者」が逃走に使ったスクーター。
「私」があのとき、あの手段に出たのは、連続通り魔事件に紛れさせるため。
連続通り魔の「犯人」が移動手段に使っているのは、バイク。
本来、脈絡を持たないはずの情報が、奇妙にリンクする。
そのすべてを整合させる答えは、1つしか思い当たらない。
連続通り魔事件の「犯人」こそ、先日の「目撃者」。
なら……私が自分を守るためには、警察よりも早く犯人を見つけ出し、沈黙してもらえばいい。
何も強要はしない。ただ黙っていてくれればいい。
お礼として私は、健やかな眠りを捧げよう。
……永遠の。
警察に捕まって刑務所に入れられるよりも、きっとその方が幸せだ。
私だって、睡眠は、この入浴以上に大好きだから。
「さて、と」
私は湯船から立ち上がるとお湯を払い、バスタオルで身体をぬぐった。
ドライヤーで髪を乾かし、ヘルスメーターに乗ってみる。
数字の変動は、誤差の範囲内。
私は大きく息を吐くと、パジャマを羽織ってセミダブルのベッドに転がった。
ベッドの中の幸せな時間を一分でも長く享受しようと思うなら、早く寝るに限る。
お風呂でほてった身体から布団が熱を吸い、やがて利子をつけて戻してくる頃、私はすでに深い眠りへと落ちていた。
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