イルカに跪く日
「用件は何ですか? ゼファーさん」
水晶の塔の吹き抜けにイルカが悠々と回遊している。
この場に海水などない。
だが彼は尾びれを上下させて推進していた。
「デルフィラ殿、飛び切りの上物を手に入れたと聞いてな。是非とも見せて頂きたいのだ」
呼び掛ければ、奴がニンマリとこちらを見つめ返す。
実に醜悪な顔だ。
およそ神獣に相応しくない。
嘲弄の色がありありと伺えた。
「ゼファーさん、それならばこちらですよ!」
一瞬で間合いをつめて、私の手を引くイルカは器用にムナビレを使い、整然とした部屋の奥から宝石箱を取り出す。
鈍く光る年季の入った鎖でグルグル巻きにされている。
「厳重ですな。こちらに?」
「その通りです。いいですか……」
イルカは丸まって身体全体で箱を覆った。
シリンダーの音は微かに鳴ったものの番号を割り出すことは出来ない。
無為な試みを続けているうちに、かちりと鍵の外れる音がした。
「どうです? 香気満つといった具合でしょう?」
取り出したのは、薄い桜色のハンカチだ。
我らが聖女様の手巾である。
この高貴な魔力の残滓は間違いようがない。
感涙で咽び泣きをしてしまう。
「大袈裟ですねぇ。ゼファーさん、私はね、これよりもっと凄いものを持っているんですよ」
「な・ん・だ・と」
「年頃の乙女が所持しているものと言えば、ねぇ」
鼻柱より紅を垂らしてしまう己を恥じた。
いや、何かおかしい。
まじまじとイルカを見つめる。
「まて、デルフィラ殿。そもそもそのハンカチはどこで手に入れたのだ?」
時間が止まった。
光の波が交差するクリスタルの空間で、確かに時間が止まったのだ。
「私は聖女様の寵愛深き召喚獣。特別な関係を築いていてもおかしくないでしょう?」
「片腹痛い。昨日までお説教部屋に軟禁されていたではないか! 一度や二度ではないぞ」
刀の柄に掛ける手をギリギリの所で止める。
聖女様に誓ったのだ。
召喚獣同士で喧嘩はしないと。
「ええですから、私も美に目覚めたのです!」
後光が差していた。
先ほどまでとは打って変わって、憑き物が落ちた顔をしている。
イルカから柑橘の風味の効いた優しい匂いが漂っている。
光沢のある彼の肌は、一層その輝きを増していた。
「もっと凄いモノとは、そのオイルだったのか」
「ええ。まず形から入ると、聖女様は教えて下さいました」
その場に跪くような静謐な空気。
たとえ姿がイルカであっても、今この瞬間の彼の心根は、疑いようもなく真摯なものだった。
「ところで、ゼファーさん、貴方はなんだと思ったのです?」
彼の訊問は鋭利な刃物のようだ。
名誉を守るべく、私は踊り場から門扉へと一目散に駆け抜けたのだった。




