悟りを開いた賢猿
「悟り? いつだって開いておるよ、聖女様の御手に抱かれて!」
賢猿サルマティカが窓を開けて咆哮すれば、秋の夕陽に木枯らしが吹くのだった。
図書館に模された待機室は、埃を被った魔導書がうず高く積まれている。
「賢者殿、ハイにならないで下され。イケナイ薬でもやっておるのか?」
不織布マスクを二枚重ねて、冷たくあしらったのも束の間のことだった。
奴が学ランのような上着を脱ぎ捨てると、壮絶なタトゥーが現れたのだ。
「そ、それは、聖女様ではないか! サルマティカ殿、やはり気が触れていたのだな?」
「愛ゆえにじゃ、小僧。分かるか? 何度挑もうと、月に届かぬこの渇きが!」
その切なさは、理解してはいけない気がした。
同じ穴の気だるいムジナなのだから。
「おんじ! 眼を覚まされよ! 我々は、所詮は従者に過ぎませぬ」
薄暗がりの図書館は、水を打ったように静まり返った。
コチコチと時計の音だけが響き渡る。
「人間どもの方法を応用した。見るがよい」
奴はいつの間にか、左腕の上腕に注射器を刺していた。
蕩けた顔だ。
どう見てもヤバイ薬ではないか。
見る見るうちに、猿は筋骨隆々となった。
空間のマナが共振していた。
「これが聖女の愛の本質じゃ! 実に狂おしい! 依存せずにはおれぬ」
タイル張りの床を踏みしめ、私は後退りする。
猿の背に魔力の渦が立ち上るのが見えた。
まずい。
踏みとどまって呼びかけてみる。
「またれよ、おんじ。この後の展開が読めぬ貴方様ではあるまい」
「なに?」
「聖女様が公僕になるであろう。お縄で御座るよ」
しなしなと干からびていくのが分かる。
冷徹な事実を告げて、冷静になったのだと思われた。
「その時に、他の奴を巻き込んでも構わぬが、拙者は勘弁願いたい」
「ヌシ、本音をストレートに言い過ぎじゃ。だが気に入った!」
壺から取り出した紙人形に、勢い良く猿が息を吹き込めば、等身大の聖女様が現れたではないか。
「こ、この赤毛のお下げは、まさしく聖女様!!」
「凄いだろう? 三つくれてやろう。自由に使え! ワシの魔力が……」
猿から魔道具をひったくった私は、木製の扉を蹴破り、一目散に走り去るのだった。




