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勝ちを譲った兎

「勝ちを譲っただけさ。別に油断したわけじゃない」


目の前の兎は、銀のナイフとフォークを使いこなしながら、湯気を立てる魚のムニエルや香ばしい鶏肉のソテーを次々と運んでいく。


豪華なホテルの食堂で、給仕たちが彼の旺盛な食欲に応えるべく、慌ただしく右往左往している。


「ニンジンしか食べないんじゃないの? アンタたち?」


我慢できずに問いかけると、兎は突然むせて、サングラスを外した。

目元が見えると、赤く充血しているのが分かる。


「いや、違う! 彩矢、それはただのおやつだ!」


言い訳をするように答えるが、どうみても食べ過ぎみたいだ。

主食は葉物野菜だと記憶している。


小学校のときに、兎を飼ったことがあるのだ。


「それにしても、太りすぎよ。アンタの本当の敗因はその体型じゃない?」


私はジンジャーエールを飲み干した。

弾ける生姜の香りが喉を下りおりていく。


「……それは後からの話だ!」


兎はまた少しむっとした顔をしたが、急に食べ物から目を離し、私をじっと見つめてきた。

そして、短い前足をクルクル回しながら、大きな欠伸をした。


「眠い……もう寝る」


そう言うと、彼はナイフやフォークを皿の上に置き、テーブルに突っ伏した。

本当に眠ってしまったらしい。


規則正しい寝息が、やけに静かな食堂に響く。


私はウェイターを呼び、会計を済ませた。

こんなところで寝込んでいる兎を放っておくのは気が引けたけれど、起こすのも気まずかった。


結局、ただ静かにその場を離れた。


ホテルを出ると、夜風が心地よかった。

空を見上げると、満月が皓々と輝いている。


あの兎は、本当にあの昔話の兎なのだろうか。

もしそうだとしたら、ずいぶんと変わってしまったものだ。


ジンジャーエールの生姜の香りが、まだ鼻の奥に残っている。

あの兎の言葉が、頭の中で繰り返される。


『勝ちを譲ったのさ。別に油断したわけじゃない』


本当だろうか。

それとも、ただの負け惜しみなのだろうか。


答えは、夜の静けさの中に溶けていった。

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