66.朝の一コマ
朝、目を開けると雫月の顔が浮かんでいた。鬱陶しげにその頬に手を添えて、退かそうとする試みる。
「なんで力を入れるのよ」
「昔と変わらない寝顔だなぁ、ってさ」
にひひ、と声を出して笑う彼女は、ようやく顔を退けてくれる。
このテントに割り振られたのは、私と雫の二人だけ。幼馴染だし、ということでそうなった。二人で同じ部屋に泊まることは、おそらく修学旅行以来だろう。
あの時も、彼女は私よりも早く起きていたように思う。
「犬の散歩で培った早起きが、まさか負けるなんてね」
「甘い甘い。アタシは早朝に放送するアニメを見るために培った早起き力だ。はぁ、なんで地方は東京でやるアニメを、あんなにも早い時間帯に放送するのだろうか」
「しかも、放送時間のズレからネットでネタバレを拾う」
「そう! 偶然見てしまう! ショック!」
そんな愚痴をきっかけに、お互いになんとなく視線を逸らしながら着替えを始める。そしてのんびりと支度を整え、テントの外に出た。
「ま、東京に住んでみて良かったところと言えば、そこから解放されたところかな。あんたも住んでみる?」
「田舎だからこその、のんびりとした忙しさってのが好きなんだよねぇ。東京の街を走ってみると、なんともまぁ忙しない」
「東京でも場所によりけりだと思うけどねぇ」
顔を洗ったりと、しばしの間思い思いに過ごし、空のグラデーションを楽しんだ。
「はい、散歩の時間だ」
「丁度良く鳴くねぇ」
激しい吠え方ではなく、構ってほしそうな甘えるような鳴き声。毎朝、私の部屋に入り込んでは鳴いているから、その発生源はすぐに判った。
「散歩、一緒に行く?」
「いいねぇ。これをきっかけに朝の散歩が日課になるかもしれない」
「お、雫月の健康志向に火をつけちゃうかな?」
「夏に向かっての戦いは、もう始まっているからね」
昨日、入浴の際に見たものは忘れておこう。
ハーネスやらなんやらを準備してウーフの下へ行くと、小屋から顔を出す彼の頭を撫で回す人物がいた。
「お、早起きじゃん雪斗」
「そう言う雫月こそ。百花が早起きなのは判るが……あぁ、昔はアニメ目当てで早起きだったな」
「そう。百花と一緒に寝てみて、昔を思い出しちゃったのかな?」
「百花、良い抱き枕になってやったか?」
「そこまで一緒に寝てないわい」
ハーネスを装着し、尻尾を振って準備万端のウーフを発進させる。どうやら雪斗も付いてくるようで、しきりにリードを持ちたいと言ってくる。
「そんなに犬に興味あるの?」
「昔から犬を飼いたかったんだよ。大型犬。でもさ、近所に滅茶苦茶吠える小型犬がいただろ?」
「いたねぇ。百花も結構怖がってなかったっけ?」
「あれは怖かった。目がマジだったもん」
「そう。だから、憧れはあったけど敬遠してた。なのに、こいつ大人しすぎだろ。いい子ちゃんかよ。可愛すぎるっ!」
うちの子が褒められて嬉しすぎる。
リードを持たせてやると、ウーフも満更じゃなさそうでしきりに雪斗の顔を見上げている。たまにすり寄る。それでさらに浮かれる雪斗。
「で、男子テントではどんな話をしたの?」
目を半月型にした雫月が問い掛ける。
「何だよ急に。あ、ピンクな話題がご希望か?」
「そうそう。気分が盛り上がっちゃって、スマホでいや~ん、な動画をみんなで見たりっ!」
「お前は男をどんな風に見ているんだよ。大地がトランプを持ってきていたから、軽くポーカーをして寝た」
「つまんなーい。恋バナとかしてないの?」
「そうそう、せっかく男女が揃ってるんだし、女性陣の中で誰が好みか、とか話にならなかったわけ?」
「百花まで食い込むか、この話題」
早く話せよ、とウーフが鼻先でせっつく。
「第一印象だと、やっぱり百花と舞は強いよな、って話はした」
「ほう、流石は看板娘とアイドル。格が違うな」
「看板娘もその括りに入るわけ?」
「入る入る。百花も自覚しな? 古くから看板娘というものは浮世絵にもなっていたわけ。人気が出て当然なんだよ」
「喜多川歌麿か?」
「あら、雪斗からそういう名前が出るのは意外。百花の方が詳しいかと思った」
「私は美術はあんまり、かなぁ。それ、どんな人?」
「ビードロしか憶えてねぇ」
一点特化が過ぎる。ムンクと言えば『叫び』、みたいなものだろうか。
「で、雫月はなんで私が浮世絵に詳しいと思ったの?」
「犬が結構、登場するからね。それで集めていたりしないかなぁって」
「流石にそこまではしないかな。むしろ、もう一頭くらいいても良いかもしれない、なんて思ってしまう」
「こいつの遊び相手が欲しい、って?」
「そう。あんまり歳が離れないうちに、決めたいんだけどねぇ」
とりとめのない雑談が続き、一キロをあっという間に踏破した。少し広場で休憩を取ると、来た道を引き返す。
「本当はもう少し散歩させたいんだけど、朝食の時間もあるしね。この子、今日はちょっと起きるのが遅かったかも。そんなに小屋の居心地が良かったか?」
頭を撫で回すと、嬉しそうに尻尾を振った。
「朝と昼はビュッフェだったか。どんな料理が並ぶんだろうなぁ」
「雪斗、センスがないプレートになりそうだよね?」
「その言葉、そっくりそのまま雫月に返してやるよ」
「なんだとー? イラストレーターを甘く見るなよなー」
「その点、百花は綺麗に盛りそうだ」
「無理無理。私は滅茶苦茶偏っているよ。例えば、カレーがあったらカレー。スクランブルエッグに、ソーセージ。ハムエッグなんかあったら嬉しい」
野菜は? と問い掛けた雫月に、私はとぼけた表情を浮かべる。
「でも、朝ビュッフェの名物は魚らしいよ。市場から仕入れた新鮮な魚が並ぶとかって。あと、アラ汁」
「うっわ、朝からお刺身とか豪華だなー。アタシは絶対に、マグロを食べる。朝からトロ」
「俺は白身魚が良いけどなぁ。あと、朝といえば焼き鮭。焼き鯖」
「焼いてあるのもいいよねぇ」
盛り上がる二人。それを見ていたら、なんだか悪戯心が湧いてきてしまった。
「じゃあ、ちょっとしたゲームをしない?」
――ゲーム?
キョトンとした二人に、私は笑みを浮かべる。
「刺身を食べられるかどうかは、ウーフに決めてもらおう」
※
場所は変わってドッグラン。
七人が横一列で並び、私は少し離れた位置でウーフと共に居た。
このゲーム、ルールは至ってシンプルだ。私の手から離れたウーフが、誰の下へ辿り着くのか。彼に選ばれたものだけが、朝食に刺し身を食べることができる。
「このゲーム、お前が一番有利じゃないか?」
海斗の言葉に、私はチッチッと人差し指を振った。
「この子はね、いつでも遊べる人物と、滅多に遊べない人物の区別がついているんだよ。だから、私の方に戻ってくる可能性は限りなく低い」
だから、雪斗がリードを持つのを喜んでいた訳だし。
「舞、あんまり朝から食べる方じゃないから、来てもらうと困るというか……」
「私はお刺身、食べたいけどねぇ」
「ニーナさんは魚介好きっすよね。昨日のバーベキューでも結構食べていたし」
「そう言う大地くんは、舞と一緒に肉ばかり」
「まだまだ若いっすからね」
「私もそんなに変わらんわっ!」
いざこざを始める三人を他所に、ならば、俺が刺身を頂いた! と気合十分の海斗。まだまだ寝ぼけているカレンは、雪斗と雫月に支えられていた。
「まだ、眠い……。朝ご飯、抜いちゃ駄目?」
「カレン、旅行に来ていてそれはもったいなさ過ぎるぞ。せめて、刺身一枚でも食っておけ」
「そうそう、お茶漬けにだって出来るから」
カレンがダウンする前に、ウーフを放してしまおう。
「それじゃあ、行くよー」
両手で抑えていたウーフが解き放たれる。彼はテクテクと少し進んでいく振り返った。私が笑顔で頷くと、ワンと一声上げて駆け出していく。
その向かった先は――。
「真っ先に小屋に戻るのかよっ!?」
よほど居心地が良かったらしい。海斗の情けない叫びが、山に木霊した。




